体が癒えるまで、玄侑は着替えなどの時間以外はほとんど傍に居てくれた。その際に、力が放出され続けると、それまで力を抱えていた体との均衡が失われ、香月の命が危うかったこと、それから神世で香月の力を放出したままでは居られなかったことを説明され、適切な処置を施した旨を説明された。神世を乱したままでは居られないのは勿論だが、香月が勝手に行動した結果なのに、それでも命を捨てるなと助けてくれた玄侑に、感謝をしてもしたりない。やはり彼は心やさしい神さまだ。
未だ安静が必要な今日は、ふと思い出した先日の夢について、玄侑に尋ねていた。

「鈴鐘の音とともに、女の人の夢を見るのです。長い髪の美しい女性です。いつもあの、黒色の鈴柄の着物を着ていらっしゃるのです。玄侑さまと関わりのある方でしょうか……」

香月の言葉に、玄侑も目をやや見開いた。そして視線を落として、おそらくそれは、先代だろうな、と呟いた。

「君には俺が印を付けたから、俺に由来することが透けてしまうのかもしれない」
「夜斗さんも、神さまに由来する鈴鐘の音が私に聞こえるのが、玄侑さまのお力の所以だとおっしゃってました」
「そういう作用は想像していなかったが、おそらくそうなのだろうな」

声音に覇気がないため、なにか良くない話題だっただろうかと心配になる。様子を窺うようだったかもしれない。玄侑はそんな香月に気がついて、いつも通り長い指先で香月の頬をするりと撫でた。

「……君が夢で会った人は、先代の『玄侑』だ。静かなる黒を纏い、穏やかに責をこなす人だったと聞いている」

視線をやや下に向けながら、玄侑が続ける。

「始祖神が自らの力をもって立てたのは、君が会った白陽と丹早、それに先代玄侑だった。三柱で人世を支えるべく、責を果たしていたそうだ」

だが、と玄侑は膝の上でこぶしを握り、眉間にしわを寄せた。

「ある日、先代は害された。人世で神力を滅していたときに、それを視た人間が悪の所業であると騒ぎ立て、人間たちが先代を襲ったんだ」
「……っ!」

衝撃的な事実に、香月は息をのむ。玄侑は香月の動揺を理解しながらも、静かに話を続けた。

「消えゆく先代を補うように、俺たちは生まれた。神世の三柱はひと柱でも欠けてはいけないからだ。しかし、本来ひとつであるべき俺たちは、別々の存在として生まれた。ひとりは先代の責を引き継ぐものとして。そしてもうひとりは先代の死を嘆き悲しむものとして」

鷹宵の人間を忌避する言葉が思い出される。彼はその悲劇を知っていて、人間を憎んだのだ。

「『嘆き』は、先代の行為を悪とした人間を憎み、彼らに報復しようと大量の妖魔を発生させた」

香月は妖魔に溢れた蓮平を思い出した。あのようなことが、過去にもあったのだ。

「俺は半身という力で人世を守らなければならなかった。俺は奴と対峙し、奴をかろうじて封じた。だが奴は、残った力で妖魔を生み続けた。奴を封じるのに力のほとんどを使ってしまった俺には、その全てを駆逐する力が残っていなかった。その上、力が欠けている以上、人世で多くの時間を費やせない。そこで考えたのが、破妖五家だ。彼らに武具を通して俺の力を付与する。そして俺が駆逐できなかった妖魔を斬ってもらう。その代わり、彼らには何らかの見返りを与えるよう、時の帝と相談した」

香月は今まで知らなかった五家の成り立ちを、この時初めて知った。

(『嘆き』が生まれてしまうくらい、先代の玄侑さまは苦しまれた……。それでも玄侑さまは、人のためにと帝とご相談なさって、五家を定められた……)

その時の彼の心中が穏やかであったとは、到底思えない。自分を否定したもののために生きることの諦観の念を、香月も知っていたから。

(初めてお会いしたときの玄侑さまの瞳に、何の感情もこもっていなかった理由が、よく分かる……)

永い間を経て、彼は自らの責のために感情を捨てたのだ。それでも人は、彼の黒の気配を忌み嫌う。過日の彼の胸に突き刺さった言葉の刃は、どれほど彼を傷つけたのだろう。
彼の心を思い、唇を噛む香月に、しかし玄侑は静かに告げた。

「だが香月、悲嘆しないでくれ。君に会えたのは、間違いなく人が命を繋いでくれたからだ。そして君がその力を持って五家……、もっと言ってしまえばあの蓮平に生まれなければ、俺は君を見つけられなかった」

過去の人が繋いだ命の末に生まれた香月の存在と、自分に内包された力を利用する家族と、二十年に一度の神渡り。それら全てが重ならなければ、玄侑は今の時に香月を見つけられなかった。
彼の目に悔恨の色を認め、それは神といえども覆ることはなかっただろうと香月は思う。その気持ちを察したのか、玄侑は香月を見て瞳の色を変えると、微笑んだ。

「君にとっては不幸な巡り合わせだったかもしれない。だが、俺は君を見つけた。だから、もう過去は振り返らない。俺は、君との未来を、求めていく」

まっすぐに、香月を見つめる瞳。二度目の告白を告げる彼の瞳のその奥に、確かな希望の炎を見つけて、香月の胸にも火をともす。

(私は……、玄侑さまとの未来を夢見ても、許される……?)

小さな灯火は、瞬く間に業火となって香月の心を焦がす。約束が違うと必死で踏み留まろうとするのに、上手くいかない。忌み嫌われてきた自分が、自分の身を差し出すこと以外で未来を描けるなど、思いもしなかった。
炎の奔流が内から暴れ狂って出口を求める。燃え上がる業火に身を投じてしまいたくなった。

「げ、ん……」

そのとき、『それ』は聞こえた。

『さあ、その手を取るんだ』

ぞわり、と床から這い上がる冷気のような冷たさに、香月は言葉を失う。自らの中にもう一人自我が居るような、そんな聞こえ方。
声の甘さが、その意図を裏切る。本能的に分かった。駄目なのだと。
その声の危険性を知らせる稲光のような鋭さが、香月の動きを止めた。瞬時、玄侑も鋭い視線を部屋に這わせたが、何処にも何もおらず。
怯えた様子の香月に、玄侑は暫く休めと、気遣った。