そう叫んで、桔梗は剣の切っ先を真下に下ろした。ざくり、と刃が玄侑の印に食い込み、黒い血がびゅっと吹き出た。
「――――っ!」
肉を切り裂かれる痛みに、香月は声にならない叫びを上げた。一方の桔梗は、印を突き刺した刀身がまばゆいばかりに輝くのを驚きの目で見た。おお、と父が感嘆の声を上げる。
「二十年前、私が神渡りの際に黒神さまからお力を頂いたときのような輝きだ! いや、もっとまばゆい!」
「あなた、見て! 妖魔たちが!」
母の叫びに結界の外を見ると、妖魔たちは香月が流す黒の血に気を奪われながらも、白く……、そう、玄侑が香月の力を得た時に発した炎のような輝きを放っている桔梗の刀身に怖じ気づいていた。
その輝きは限界だった父の結界を破り、結界は破片となって粉々に散った。驚いたのは両親と街の人である。
「ひいい! お助けを!」
「死にたくない!」
「桔梗! 何をやっているの!」
悲鳴を上げた母親と街の人の後ろからといい横からといい、結界に隔てられていた妖魔たちがなだれ込んできた。先だっての神渡りの時に玄侑が蓮平に神力付与を行わなかったから、この数の妖魔に対し、力の衰えた武具では太刀打ちできない。恐怖に戦慄いた母と、それから絶望の表情をした父。それに街の人たちも。加えて言うならば、刃で手を刺された香月だって、飛びかかってくる妖魔たちに、黒の血といい、器の体といい、骨も残さず食べられてしまうのだろうと覚悟した。
『オオオオン!』
餌を前にした妖魔の歓喜に、しかし一閃が飛んだ。
『ギィヤアアアアア!』
まばゆい光を放って妖魔を斬ったのは、桔梗だった。過去に香月が見てきた桔梗の破妖の力よりも何倍も強い力が、彼女の剣から発されていた。圧倒的な力に、剣を振った桔梗自身も驚きと喜びに震えている。
「すごい……。すごいわ……。お姉さまから力を吸い上げれば、いくらでも妖魔が斬れる……! もうお姉さまが居れば、黒神さまの顔色を窺う必要はないわ!」
力を実際に使った桔梗の言葉に、両親も目を輝かせた。
「それほどにか!」
「であれば、私たちも力を吸い上げなければ!」
ギラギラした目で両親が香月の手のひらに向けて武具を突き刺そうとした。そのとき。
ブワッと辺りに旋風が巻き起こった。あまりの強さにその場に居たものが四方八方に吹き飛ぶ。妖魔は全てなぎ払われており、その場にドシャッと崩れ落ちた両親や桔梗たちが見たのは、目の前に立ちはだかる黒神だった。
「玄侑さま!」
桔梗に肉を斬られた痛みに脂汗をにじませていた香月も、玄侑のまさかの登場に驚いて声を上げた。玄侑は香月を探してきてくれたのだ。恐怖の中、彼の顔に安堵がよぎり、香月は目に涙を浮かべた。
(来て下さった……。私が勝手におそばを離れたのに……)
玄侑は家族を睨み付けると、今度は反対側に居る、浩次朗に拘束された香月を見た。浩次朗は玄侑を視界に認め、香月の右手をぐいっと引き寄せた。玄侑に怒りの気が立ち上る。
「香月から手を離せ、下衆が」
低い怒気をはらんだ声に、浩次朗が高笑いする。
「ははっ! ご挨拶だな、カミサマ。今、この蓮平地区を妖魔にまみれさせた責任は、お前にあるんじゃないのか。僕たちはその尻拭いをしようとしただけだ。元凶に文句を言われる筋合いはない」
「では、逆に問う。香月に傷をつけることを、彼女が許したのか」
冷ややかな声に震えながら反論したのは、桔梗だ。
「でも、黒神さま! 元はといえば、あなたさまが神事を放棄した所為で、蓮平地区に妖魔がまみれましたのよ!? 私たちはあなたさまの不始末を片付けようとしているだけです!」
「そ、そうですぞ! 神としての責を放棄したご自覚はおありか!」
「あなたさまの気まぐれに付き合っている暇は、私たちにはないんです!」
桔梗に続き、両親も玄侑に噛みついた。ピクリ、と眉を動かすも、しかし玄侑の怒りは揺るがない。
「血を分けた家族に対する、それが仕打ちか、蓮平。俺は責を放棄していないし、武具に残る力で斬れないなどと言わせない」
桔梗たちはぐっと言葉に詰まった。確かに力は衰えてきてはいるが、妖魔が斬れないわけではない。
「そしてお前たちが封印を解いたことは聞き及んでいる。香月を傷つけ、傷つけようとした罪。禁忌を犯した罪。どちらからも逃れられると思うな」
玄侑の言葉に父が怖じ気づく。一方、街の人たちは急に現れた玄侑に腰を抜かしていたが、自分たちの置かれた状況の元凶だと聞かされて、怒りを彼にぶつけた。
「蓮平殿の神事をなんだと思っているんですか、神さま!」
「我々の命なぞどうでも良いとお考えか!」
玄侑は唇を引き結んだまま、家族を睨み続ける。
「蓮平はそうかもしれないね。しかし僕は無関係だ。僕は蓮平に頼まれて、彼らの爵位維持の為に助力している。ほら、こうやって武具に取り込めば、いくらでも力が増す、類い稀れな力だ。お前もそれが分かっていたから、姉上殿をかどわかしたのだろう? なのに僕たちだけ断罪しようとするその姿勢、高慢とも言えるね」
そう言って浩次朗は、スーツのジャケットに隠していたナイフで香月の手のひらを刺した。血がごぶりと溢れ、ナイフがまばゆく輝く。
「ううっ!」
「ああ、素晴らしい……。この力さえあれば、僕は理想郷を築ける」
恍惚とした表情の浩次朗に、怒りが振れた玄侑が黒いもやを発しながら襲いかかる。
「貴様! 香月から手を離せ!」
「ひいい! 黒いもや!」
「妖魔か!」
ゴアっと手のひらから黒い炎を立ち上らせた玄侑が、それを浩次朗にぶつけようとする。炎が渦を巻いて発され、風圧で家族や街の人たちを吹き飛ばした。彼らが気を失う中、飛び退った浩次朗から解放された香月は、とっさに彼と浩次朗の間に体を立てる。
「いけません! 玄侑さま!」
どんなに怒りに振れようとも、神が人を利己的に傷つけてはいけない。もしそうなってしまったら、きっとその傷は玄侑に帰る。香月が人世へ帰った後に、その傷を抱えて苦しむだろう玄侑のことを、香月自身が耐えられなかった。しかし、玄侑と浩次朗の前に立ち上がった香月の体を、玄侑の炎が焼く。
「ああああ!」
「香月!」
身を焼く黒の炎が体に痛い。玄侑の黒の炎は神力を滅するために力を発揮するのではなかったのか。ばたりと倒れた香月の元に、玄侑が駆け寄った。倒れた香月を抱き起こして、大声で叫ぶ。
「香月! 香月! しっかりしろ! 何故そんなことを……!」
「はーはははっ! 神の名が笑わせる! 私欲にまみれたその行い、もはや墜ち神! その力、封じた力と共に、根こそぎ頂こうぞ!」
浩次朗がそう言って右の手のひらを大きく開くと、ゴバア、とそこに人間の口が現れた。それは大きく口を開いて、その深淵を覗かせる。黒だ。口の中は何処までも闇の黒色だった。底のない闇色に玄侑がはっとした顔をした。
「貴様……、其処に居たのか!」
玄侑が再び右手を構える。対して浩次朗はもう一度右手の口を開かせた。近距離で両者が間合いを計っていると、香月がピクリと指を動かした。
「香月!」
一瞬、玄侑の気が逸れる。それを逃さず、浩次朗が右手を玄侑に振りかざそうとした、そのとき。
「玄侑さま!」
その場に大きな翼の音がして、その風圧に浩次朗は吹き飛ばされた。大きな鷹の姿の鷹宵は、その脚にしっかりと玄侑を掴む。
「玄侑さま、帰りますよ! しっかり捕まっていてください!」
「香月……、香月を!」
玄侑は香月の手を離さなかった。鷹宵は香月の体も持ち上げて空に舞う。虚空に消えゆく大鷹を見上げて、浩次朗はいびつな歓喜に唇を打ち振るわせた。
「ははは! 墜ちてしまえ! そして人世を闇に染めるのだ!」
地上に残った浩次朗の笑いが何時までも辺りにこだましていく。辺りは不気味な静寂に包まれた。
「――――っ!」
肉を切り裂かれる痛みに、香月は声にならない叫びを上げた。一方の桔梗は、印を突き刺した刀身がまばゆいばかりに輝くのを驚きの目で見た。おお、と父が感嘆の声を上げる。
「二十年前、私が神渡りの際に黒神さまからお力を頂いたときのような輝きだ! いや、もっとまばゆい!」
「あなた、見て! 妖魔たちが!」
母の叫びに結界の外を見ると、妖魔たちは香月が流す黒の血に気を奪われながらも、白く……、そう、玄侑が香月の力を得た時に発した炎のような輝きを放っている桔梗の刀身に怖じ気づいていた。
その輝きは限界だった父の結界を破り、結界は破片となって粉々に散った。驚いたのは両親と街の人である。
「ひいい! お助けを!」
「死にたくない!」
「桔梗! 何をやっているの!」
悲鳴を上げた母親と街の人の後ろからといい横からといい、結界に隔てられていた妖魔たちがなだれ込んできた。先だっての神渡りの時に玄侑が蓮平に神力付与を行わなかったから、この数の妖魔に対し、力の衰えた武具では太刀打ちできない。恐怖に戦慄いた母と、それから絶望の表情をした父。それに街の人たちも。加えて言うならば、刃で手を刺された香月だって、飛びかかってくる妖魔たちに、黒の血といい、器の体といい、骨も残さず食べられてしまうのだろうと覚悟した。
『オオオオン!』
餌を前にした妖魔の歓喜に、しかし一閃が飛んだ。
『ギィヤアアアアア!』
まばゆい光を放って妖魔を斬ったのは、桔梗だった。過去に香月が見てきた桔梗の破妖の力よりも何倍も強い力が、彼女の剣から発されていた。圧倒的な力に、剣を振った桔梗自身も驚きと喜びに震えている。
「すごい……。すごいわ……。お姉さまから力を吸い上げれば、いくらでも妖魔が斬れる……! もうお姉さまが居れば、黒神さまの顔色を窺う必要はないわ!」
力を実際に使った桔梗の言葉に、両親も目を輝かせた。
「それほどにか!」
「であれば、私たちも力を吸い上げなければ!」
ギラギラした目で両親が香月の手のひらに向けて武具を突き刺そうとした。そのとき。
ブワッと辺りに旋風が巻き起こった。あまりの強さにその場に居たものが四方八方に吹き飛ぶ。妖魔は全てなぎ払われており、その場にドシャッと崩れ落ちた両親や桔梗たちが見たのは、目の前に立ちはだかる黒神だった。
「玄侑さま!」
桔梗に肉を斬られた痛みに脂汗をにじませていた香月も、玄侑のまさかの登場に驚いて声を上げた。玄侑は香月を探してきてくれたのだ。恐怖の中、彼の顔に安堵がよぎり、香月は目に涙を浮かべた。
(来て下さった……。私が勝手におそばを離れたのに……)
玄侑は家族を睨み付けると、今度は反対側に居る、浩次朗に拘束された香月を見た。浩次朗は玄侑を視界に認め、香月の右手をぐいっと引き寄せた。玄侑に怒りの気が立ち上る。
「香月から手を離せ、下衆が」
低い怒気をはらんだ声に、浩次朗が高笑いする。
「ははっ! ご挨拶だな、カミサマ。今、この蓮平地区を妖魔にまみれさせた責任は、お前にあるんじゃないのか。僕たちはその尻拭いをしようとしただけだ。元凶に文句を言われる筋合いはない」
「では、逆に問う。香月に傷をつけることを、彼女が許したのか」
冷ややかな声に震えながら反論したのは、桔梗だ。
「でも、黒神さま! 元はといえば、あなたさまが神事を放棄した所為で、蓮平地区に妖魔がまみれましたのよ!? 私たちはあなたさまの不始末を片付けようとしているだけです!」
「そ、そうですぞ! 神としての責を放棄したご自覚はおありか!」
「あなたさまの気まぐれに付き合っている暇は、私たちにはないんです!」
桔梗に続き、両親も玄侑に噛みついた。ピクリ、と眉を動かすも、しかし玄侑の怒りは揺るがない。
「血を分けた家族に対する、それが仕打ちか、蓮平。俺は責を放棄していないし、武具に残る力で斬れないなどと言わせない」
桔梗たちはぐっと言葉に詰まった。確かに力は衰えてきてはいるが、妖魔が斬れないわけではない。
「そしてお前たちが封印を解いたことは聞き及んでいる。香月を傷つけ、傷つけようとした罪。禁忌を犯した罪。どちらからも逃れられると思うな」
玄侑の言葉に父が怖じ気づく。一方、街の人たちは急に現れた玄侑に腰を抜かしていたが、自分たちの置かれた状況の元凶だと聞かされて、怒りを彼にぶつけた。
「蓮平殿の神事をなんだと思っているんですか、神さま!」
「我々の命なぞどうでも良いとお考えか!」
玄侑は唇を引き結んだまま、家族を睨み続ける。
「蓮平はそうかもしれないね。しかし僕は無関係だ。僕は蓮平に頼まれて、彼らの爵位維持の為に助力している。ほら、こうやって武具に取り込めば、いくらでも力が増す、類い稀れな力だ。お前もそれが分かっていたから、姉上殿をかどわかしたのだろう? なのに僕たちだけ断罪しようとするその姿勢、高慢とも言えるね」
そう言って浩次朗は、スーツのジャケットに隠していたナイフで香月の手のひらを刺した。血がごぶりと溢れ、ナイフがまばゆく輝く。
「ううっ!」
「ああ、素晴らしい……。この力さえあれば、僕は理想郷を築ける」
恍惚とした表情の浩次朗に、怒りが振れた玄侑が黒いもやを発しながら襲いかかる。
「貴様! 香月から手を離せ!」
「ひいい! 黒いもや!」
「妖魔か!」
ゴアっと手のひらから黒い炎を立ち上らせた玄侑が、それを浩次朗にぶつけようとする。炎が渦を巻いて発され、風圧で家族や街の人たちを吹き飛ばした。彼らが気を失う中、飛び退った浩次朗から解放された香月は、とっさに彼と浩次朗の間に体を立てる。
「いけません! 玄侑さま!」
どんなに怒りに振れようとも、神が人を利己的に傷つけてはいけない。もしそうなってしまったら、きっとその傷は玄侑に帰る。香月が人世へ帰った後に、その傷を抱えて苦しむだろう玄侑のことを、香月自身が耐えられなかった。しかし、玄侑と浩次朗の前に立ち上がった香月の体を、玄侑の炎が焼く。
「ああああ!」
「香月!」
身を焼く黒の炎が体に痛い。玄侑の黒の炎は神力を滅するために力を発揮するのではなかったのか。ばたりと倒れた香月の元に、玄侑が駆け寄った。倒れた香月を抱き起こして、大声で叫ぶ。
「香月! 香月! しっかりしろ! 何故そんなことを……!」
「はーはははっ! 神の名が笑わせる! 私欲にまみれたその行い、もはや墜ち神! その力、封じた力と共に、根こそぎ頂こうぞ!」
浩次朗がそう言って右の手のひらを大きく開くと、ゴバア、とそこに人間の口が現れた。それは大きく口を開いて、その深淵を覗かせる。黒だ。口の中は何処までも闇の黒色だった。底のない闇色に玄侑がはっとした顔をした。
「貴様……、其処に居たのか!」
玄侑が再び右手を構える。対して浩次朗はもう一度右手の口を開かせた。近距離で両者が間合いを計っていると、香月がピクリと指を動かした。
「香月!」
一瞬、玄侑の気が逸れる。それを逃さず、浩次朗が右手を玄侑に振りかざそうとした、そのとき。
「玄侑さま!」
その場に大きな翼の音がして、その風圧に浩次朗は吹き飛ばされた。大きな鷹の姿の鷹宵は、その脚にしっかりと玄侑を掴む。
「玄侑さま、帰りますよ! しっかり捕まっていてください!」
「香月……、香月を!」
玄侑は香月の手を離さなかった。鷹宵は香月の体も持ち上げて空に舞う。虚空に消えゆく大鷹を見上げて、浩次朗はいびつな歓喜に唇を打ち振るわせた。
「ははは! 墜ちてしまえ! そして人世を闇に染めるのだ!」
地上に残った浩次朗の笑いが何時までも辺りにこだましていく。辺りは不気味な静寂に包まれた。



