「すごい……。ここが、帝都ですか……!」

香月は思わず感嘆の声を上げた。煉瓦造りの高い洋風建築、整備された碁盤の目状の道、店頭に並ぶ様々なハイカラな品。目に映るものは全て初めて見るものばかりで、香月は目を輝かせた。玄侑は興奮する香月の隣を歩きながら、彼女の身なりについて考える。

(周囲の華やかな色彩に比べて、香月の着物は、夜斗の言う通り、やはり暗いか)

それは帝都に来ることになった報告が、鷹宵から上がった日のことだった。





「玄侑さま。際が揺れているようです」

玄侑の私室に来た鷹宵は、深刻な顔をしてそう言った。さもありなん、と玄侑は思う。

「元々もう古いものだ。頑張ってくれている方だろう」

ある程度、この事態は予想をしていたので、玄侑も鈴鐘の製造を行っていた。しかし偶然にも香月と出会い、彼女の力を使おうと、彼女に力の封入の練習をさせていた。当初、封入の度に鈴鐘を割っていた香月も、だんだん慣れてきて、三個にひとつくらいの割合で無事、力を封入できるようになっていた。
力を蓄えた鈴鐘も増え、そろそろ鈴鐘の交換も出来ると思っていたところだった。そもそも現在配されている鈴鐘は、先代の手によるもので、守りのために痛んでいる。手を打たなければと思っていたところで、香月を見つけ、上手く事が進んでいる。

(香月がいなかったら、半端もので頑張らなければならない所だった)

そう言う意味でも、香月には感謝しかない。偶然出会い、待遇を引き換えに、半ば強引に連れてきたようなものなのに、彼女は神世で生き生きと働き、屋敷を明るくしていた。
それどころか民芸玩具が頷くような反応から自らの意思を持つまでに変わった。おそらく、自分の努力が形になって見えたのが良かったのだろう。それには玄侑も考えが及ばなかったが、結果的に香月の活力になっているのなら、良かったと思う。ぼそり、と鷹宵が言葉を発した。

「……少し、お変わりになられましたね」

目を細めて言う鷹宵に、そうだろうかと、顎と頬を手でなぞる。ああ、そういうことではなく、と前置きをして、鷹宵もやわらかい表情になった。

「以前より、雰囲気がやわらかくなってございます。表情の差異に、香月さまがお気づきになっているかどうかは、分かりませんが」
「そうか。であれば、気付かずとも、別に良い」

顔から手を離して言うと、鷹宵は苦笑を漏らした。

「そうおっしゃるものではありませんよ。あなたさまは、随分おひとりで頑張って来られた。少しくらいの寄り道が、これからも続く時間の中で、在っても良いと、私は思います」
「お前と夜斗が居ただろう」
「そうですが、玄侑さまのお心を支えていられたかどうかは、定かではございません。その点、香月さまは現にあなたの力となりますし、彼女がもたらす……、そうですね、人間くさいものが、半身のあなたには必要だったのかもしれません」

それは、私たちでは、成しえないことなんですよ。眷属である私たちと、赤の他人である人の香月さまとでは、出来ることが違います。
そう言って、鷹宵は微笑んだ。この男が微笑むなど、いつ振りだろうか。そう思って、己を振り返る。
……そう言えば、屋敷に居ても、随分と体が楽になっている。香月の作る食事を食べているからだと決めつけていたが、欠けた部分を香月が補ってくれているのだとしたら、それは思わぬ効果だ。

「良き方向に廻ることを、祈っておりますよ」

確認のように、鷹宵が言う。玄侑は自分が香月から受けている影響について、あまり己を詮索してこなかった。
しかし、今考えるとそれはとてもこの身に贅沢なことなのではないかと思えた。滅神である自分を、人間である香月が恨まず、生家を含む五家を解体すると言っても反対せず、あろうことか力を貸してくれるという。勿論、神世に庇護するための交換条件だったから、香月はのむ以外に仕方がなかったのだろうが、それにしたって、玄侑を信じてくれているような気がする。

信じる……。そう、香月は玄侑を信じてくれているのだ。
丹早と相対した時も、香月は玄侑を信じて彼女に意見してくれた。只人が神に意見するにあたり、どれほどの覚悟が必要か、おぼろげながら分かっているつもりだ。だからあの時の香月の勇気は玄侑の心……、そう、気持ちを変えた。この娘は、裏切らない、と。

「そう思って居られるなら、香月さまにそうお伝えなさいませ」
「何と言えば良い」

自分は事実を述べることはするが、思ったことを相手に伝えるための言葉を知らない。鷹宵がふっと笑った。

「こういうとき、人間同士なら思いを込めた品を贈ったりするようですが……」

物品か。ならばどうにかしようがある。

「人世へ行く。鈴鐘も、挿げ替えるのに数は足りよう」

そうして、贈る相手の香月を伴った人世行きが決定した。
ところが当日になってバタバタと屋敷を騒がしく行きかっていた夜斗が玄侑に訴えた。

「玄侑さま、折角香月さまをお連れになって帝都に行かれるというのに、屋敷にある着物は黒ばかりで、香月さまのやさしさ、かわいらしさが、死んでしまいます!」

そう言うものか。
屋敷(ここ)に居る分には、落ち着いたいい色だと思っていたのだが、女人はそうも言っていられないということか。

「であれば、向こうで少々見繕おう」
「そうして差し上げてください。それとは別にですね、香月さまが、玄侑さまとお出かけになることを聞いて、ぜひお召し物を見立てたいとおっしゃっておられます」

これには少し、驚いた。何を着ても、同じだろうと思ったからだ。
ややあって玄侑の部屋に一礼して入って来た香月は、箪笥を開ける許可を得ると、着物を改めながら、一そろいの着物を並べた。
縦糸に銀糸を使った黒の着物に、縞の角帯。黒檀のような輝きを持つ羽織りに合わせるのは、銀の組み紐でつくられた羽織紐。落ち着いた色合わせだが、控えめな輝きを持ち、外出にはうってつけだと思った。
そう思って、ふと気が付く。自分は香月と帝都に行くことを、常ならざること、つまり晴れの日であると認識したのだと。これに気付いてしまい、耳が熱を持ったような感覚に陥った。先代から玄侑を引き継ぎ、人世を乱さないよう平らかに過ごしてきた自分が、この長い生の中で、たった指先ほどの短い時間を過ごしただけの香月と過ごすことを、特別に思うとは思わなかった。
自覚してしまうと、なんともむず痒い気持ちになった。自然、手が口許を隠し、香月に不安を与えた。

「……お気に召しませんでしたでしょうか……」

酷く落胆した様子の香月を見て、自分の態度が誤解させたのだと知り、慌てて否、と言わなければならなかった。

「いや……、良いと思う。あまり晴れがましいものは着用したことがなかったが、こういう時でもないと箪笥の肥やしになるな」
「そうですか……。お気に召して頂けて、良かったです……」

香月は直ぐに安堵の表情に変わり、着替える旨を伝えると出て行った。