「桔梗さん、蓮平は黒神さまのお力を戴けなかったそうじゃないですか」

蓮平の屋敷には、桔梗の婚約者、桐谷浩次朗が居た。先程、桔梗を訪ねて蓮平に自動車で来た浩次朗は、婚約者の桔梗が彼をもてなそうと客間に通されたところへ、先の言葉を吐いた。

「なぜそれを」

上ずった声で、桔梗が動揺する。蓮平の神渡り失敗が、他地区で噂になっているとは知らなかった。蓮平の五家での評判を上げたい両親と、自身も資産潤沢な浩次朗との婚姻を結びたい意思のある桔梗は、浩次朗の前で何と言ったらいいかと、思案を巡らせた。流行りの洋装に身を包んだ浩次朗が、脚を組み替えながら、言う。

「蓮平が手薄になっている分を平定せよと、陛下からお達しがあったんですよ。僕としては破妖師として有能な君と婚姻し、蓮平を継ぐことで、僕の能力を活かしたいと思っていたんですが、君が無能に成り下がったのであれば、この婚約はなかったことにして欲しい。僕の破妖の力は兄ほどではないが大きなものだ。無能の君が継ぐ蓮平の名に埋もれて良い能力ではないんですよ」

丸眼鏡の奥で目を光らせ、くせ毛を弄りながら浩次朗が更に、言う。突如、婚約破棄を告げられた桔梗は焦った。

「待ってください……! 黒神さまは姉を連れ去り、ご自身が完全となったうえで私たちを必要としないと言いました。思うに、黒神さまが私たちを必要としないなんらかの理由が、姉にあるのです。ですから、黒神さまから姉を取り戻せば、従来通り私たちは黒神さまのお役に立てるはずなのです……!」

桔梗の言葉に、浩次朗は丸眼鏡を光らせた。

「ほう? 姉上殿を?」
「そうなのです! 黒の血を持つなど、破妖の血筋としてはあってはならない、忌むべきの人間なのに……!」

忌々し気に吐き捨てる桔梗に、浩次朗は身を乗り出した。

「姉上殿が? 黒の血を?」

浩次朗の反応に、桔梗は勢いを得た。自身の語る言葉に浩次朗が耳を傾けてくれれば、彼から婚約を破棄される理由など、桔梗の何処にもないと分かってくれるはずだからである。

「そうなのです……! 姉は蓮平の忌み子でした。妖魔が姉の血を好むので、姉が怪我をしないよう、家では管理する必要がありましたし、父も結界を強固に施したりしなければならないなど、苦労が絶えませんでした。それなのに、姉は、その恩を忘れて黒神さまをたぶらかし、自分だけ安全なところへ行ったのですわ。こんな失礼なことがあるでしょうか……!」
「では、姉上殿は、神世に居ると?」

浩次朗の問いに、桔梗は断言を避けて返答する。

「そうなのかも、しれないですわ。だって、姉は黒神さまと一緒に、神鏡の中に消えてしまったのですもの……。でも、人間が神世に行って、無事なのかどうかは、分かりませんが……」

桔梗だって、黒神の力をいただくのは刀を媒介しないと使えない。そもそも神世と人世にはそういう違いがあることは、桔梗だって勉強したから理解している。だから、神鏡に消えた姉が消えた先で生きているのかどうかは、全く分からない。分からないが、五家の一員として、日々妖魔に怯える人々を守り、妖魔を斬らなければならない責務から逃れたことは、許されざるべきことだと思っている。
桔梗の言葉に浩次朗は成程、と頷いた。

「であれば、姉上殿の無事を確かめ、人世に戻せばいいわけですね?」

浩次朗の言葉に、桔梗はそんなことが出来るのかと問うた。浩次朗は笑う。

「出来るのか、ではなく、僕たちが生きていく為には、せねばならない、ということです。意味が分からないですか?」

これ見よがしに言う浩次朗に、否やは告げられない。勿論、香月が戻ってくれば黒神は改めて蓮平に神力を付与してくれるし、そうすれば浩次朗との婚約だって解消しなくて済む。蓮平は桐谷とのつながりを強固なものとし、一層栄える。これほど分かりやすい話はない。桔梗は自信たっぷりに頷いた。

「もちろん、分かっておりますとも」