*
ひとつ封入の成功を経験して、俄然香月はやる気になった。玄侑の役に立ちたい一心だったからだ。彼が用意してくれた鈴鐘を相手に、毎日毎日空いている時間を封入のために費やした。その頑張り方は、玄侑が止めに入るほどだった。
「ずっと作業し続けては疲れるだろう。少しは休んだらどうだ」
「ですが、玄侑さまのお仕事が迅速に行える方が良いと思うのです。私はこのために神世へ連れてきていただいたので、できる限り頑張りたいのです」
意気込む香月を玄侑は止めようとする。理由はこうだ。
「いやしかし、君が力を鈴鐘に封入するということは、君自身に蓄えられた力がなくなるということだ。結果、疲れやすくなったり、体力が削ぎ落とされたりする。俺は君の身に負担を強いたいわけではない」
しかし香月には玄侑の言う意味が分からなかった。気力が満ちているからなのか、疲れなどを感じない。
「いえ、全く疲れなどは感じていません。だからやらせてください」
懇願すると、玄侑も疑問を浮かべた顔をする。
「なんともない……?」
「はい」
しばし無言が二人の間に漂った。言葉を継いだのは、玄侑だ。
「……しかし、もう残りの鈴鐘も少ない。追加を造らなくてはならないが……」
考え込む様子の玄侑に、どうしたのだろと思っていると、夜斗が、ああ……、と部屋の隅を見た。
「原石が、残り少ないですね……」
炉の傍に積まれた石の山は、壁の窓の高さには随分足りない。どのくらいたくさんの鈴鐘を造るつもりなのかは分からないが、夜斗が少ないというのだから、そうなのだろう。
夜斗の言葉に、玄侑がおもむろに戸の方へ歩き出す。
「玄侑さま、どちらへ?」
夜斗が問うと、玄侑は振り返らずに戸の脇にあった背負い籠を持ち上げた。
「原石を取って来る。香月が練習する分の鈴鐘も必要だ。これでは足りない。鷹宵」
玄侑がそう言い、鷹宵を呼ぶと、鷹宵は小屋の入り口で大きな黒い鷹に変化(へんげ)した。羽根をばさりと羽音をさせてれば、近くの庭木の梢が大きく揺れる。鷹の体は体長が四寸はあろうか、人世で見ることはない、とても大きな姿である。
「玄侑さま、行かれますか」
鷹がくちばしを開くと、確かに鷹宵の声がした。驚いていると、玄侑は鷹の胴をポンと撫ぜ、その上にひょいとまたがった。まるで馬にまたがるかの如くである。
「ああ。原石が底をつきそうだ。神山に取りに行く」
「は」
鷹が首を上下に動かした。そのやりとりで分かる。この黒くて大きな鷹は、確かにあの鷹宵であり、玄侑は眷属である彼の背に乗って、神山とやらに香月が使う鈴鐘の分の石材を取りに行こうとしているのだ。
「げ、玄侑さま! でしたら、私もお連れ下さい! そもそも原石が足りないのは、私が練習をする為の分。私も取りに行くべきかと存じます!」
玄侑は香月の言葉に眉宇をひそめた。いかにも怪訝な表情で香月を見る。
「神山は穢れが近寄るのを嫌う。君が危ない橋を渡ることはない」
「で、ですが……っ」
自分を利用されることには慣れているが、自分の所為で誰かが労力を払わなければならない事態に慣れていない。躊躇する香月を見て、鷹宵が口を開いた。
「玄侑さま。香月さまをお連れしてはどうでしょう。香月さまを丹早(にさ)さまにご紹介する、いい機会だと思うのですが」
「……」
玄侑が黙り込む。思案の瞳にいくばくかの不安の色を見た。おそらく今の言葉通り、精麗な神の山に穢れのもとを近づけたくないと考えているからだろう。自分はともかく、鷹宵の言葉を退けるくらいには、神山は大事なところなのだと理解する。香月が慣れないからという、身勝手な行動は慎むべきだ。
「も、申し訳ございません……。玄侑さまがご懸念を抱くのも道理かと存じます。ですので私は、夜斗さんと留守番をしております」
そもそも、玄侑が認めてくれても、神世におわす他の二柱が香月の存在を許すとは限らないのだ。
頭を下げると、戸の方から戻って来た玄侑が香月の手をむんずと掴んだ。
「っ!?」
「鷹宵のいうことも道理だ。長々と人間が神世に居ることを、丹早にも知らせておかなければならなかった。いずれ白陽(しらひ)にもそうせねばなるまい。ついでが出来たと思うとしよう」
そう言って玄侑は香月を鷹宵の背に乗せた。腰を抱えられて驚く暇もなく、ひょいっと体を持ち上げられて艶やかな羽根の上に座らせられた。玄侑は香月の前に軽々と飛び乗り、大きな鷹の体をまたぐと、捕まっていろ、と命じた。
(ど、どこに!? どこに掴まればいいの!? 鷹宵さんの羽根を掴んだら鷹宵さんが痛いし、かといって玄侑さまのお着物を掴むなんて出来ない……!)
香月が迷っていると、玄侑は後ろを振り向き、横向きに座っている香月の両の手を自分の腰に回させた。
「!?」
「一気に飛ぶ。振り落とされないよう、しっかりとしがみついていろ」
玄侑が言った途端、鷹宵が大きな翼をばさりと羽ばたかせた。翼の下に含んだ空気で一気に浮上し、香月の上体はがくりと下に持っていかれそうだった。かろうじて玄侑の腰になんとか掴まり、ばっさばっさと羽音をさせる鷹宵の上から振り落とされないように態勢を整える。大きな鷹はそのまま宙を前へ進み、香月の頬を何度となく風が撫でていった。
鷹宵が羽ばたくたびに空気が流れ、玄侑の豊かな黒髪も、香月の伸ばした髪も、なびいて翻った。鷹宵が羽ばたきするたびにひゅうひゅうと風が横切っていき、香月は不思議な気分になる。頬は風にさらされてひんやりしている筈なのに、なんだか顔が熱いのだ。
(玄侑さまが、手を放して下さらないからだわ……。玄侑さまの手は、とてもあたたかいもの……)
玄侑は香月の手を自らの腰に回させた後、香月が振り落とされないように、その手を握ってくれていた。黒の炎を発するからか、玄侑の手のひらはとてもあたたかく、香月の皮膚を通して心の臓に染み入って来る。
神世に来ることが決まった時でも、神世に来てからも、玄侑は必要な時にしか香月の手に触れなかった。手のひらに印を記したとき。香月が彼の力を強くすることを証明してみせたとき。香月の頑張りを褒めたとき。必要だから、触れた。しかし今、香月は、きちんと玄侑の腰に両の手を回しており、手が滑らなければ落ちることはない。それを握っていてくれるのは、玄侑の香月に対する配慮なのではないかと思った。
玄侑は、やさしい。
人世で嫌われていようと、香月は玄多くを語らない玄侑の行動に救われる。香月が玄侑の力になれるのなら、香月もいつか玄侑が志通り五家に頼らない方法を編み出し、人世が穏やかになれば良いと思っている。玄侑が五家を解体するというのだから、きっと出来ると信じている。
「見えるか、前方が。あれが神の山だ」
ふと、玄侑の言葉に彼の体を避けて前を見る。裾野の広い、真っ白な山が堂々と眼前にある。頂上は神々しく輝き、そこからふもとまで煌めく一筋の模様が付いている。
「山肌の光る筋は、なんですか?」
「あのいただきで白陽が神力を熾している。この山は始祖神由来の山だからな。山肌を降りる筋は、白陽が熾した神力が流れている、いわば川だ。川裾で丹早が流れ落ちた神力を人世に行き渡らせている」
玄侑の言葉に、もう一度ちゃんと神山を見る。山は白く、美しく……、どこかなにものをも寄せ付けない厳しさを纏っていた。
鷹宵の大きな羽音は宙を舞う力強い音から目的地に下降するための風を切る音に変わる。ひゅううと高い音をさせて降嫁していた時、バチン! と大きな音と衝撃があり、香月の体は中空に放り出された。
ひとつ封入の成功を経験して、俄然香月はやる気になった。玄侑の役に立ちたい一心だったからだ。彼が用意してくれた鈴鐘を相手に、毎日毎日空いている時間を封入のために費やした。その頑張り方は、玄侑が止めに入るほどだった。
「ずっと作業し続けては疲れるだろう。少しは休んだらどうだ」
「ですが、玄侑さまのお仕事が迅速に行える方が良いと思うのです。私はこのために神世へ連れてきていただいたので、できる限り頑張りたいのです」
意気込む香月を玄侑は止めようとする。理由はこうだ。
「いやしかし、君が力を鈴鐘に封入するということは、君自身に蓄えられた力がなくなるということだ。結果、疲れやすくなったり、体力が削ぎ落とされたりする。俺は君の身に負担を強いたいわけではない」
しかし香月には玄侑の言う意味が分からなかった。気力が満ちているからなのか、疲れなどを感じない。
「いえ、全く疲れなどは感じていません。だからやらせてください」
懇願すると、玄侑も疑問を浮かべた顔をする。
「なんともない……?」
「はい」
しばし無言が二人の間に漂った。言葉を継いだのは、玄侑だ。
「……しかし、もう残りの鈴鐘も少ない。追加を造らなくてはならないが……」
考え込む様子の玄侑に、どうしたのだろと思っていると、夜斗が、ああ……、と部屋の隅を見た。
「原石が、残り少ないですね……」
炉の傍に積まれた石の山は、壁の窓の高さには随分足りない。どのくらいたくさんの鈴鐘を造るつもりなのかは分からないが、夜斗が少ないというのだから、そうなのだろう。
夜斗の言葉に、玄侑がおもむろに戸の方へ歩き出す。
「玄侑さま、どちらへ?」
夜斗が問うと、玄侑は振り返らずに戸の脇にあった背負い籠を持ち上げた。
「原石を取って来る。香月が練習する分の鈴鐘も必要だ。これでは足りない。鷹宵」
玄侑がそう言い、鷹宵を呼ぶと、鷹宵は小屋の入り口で大きな黒い鷹に変化(へんげ)した。羽根をばさりと羽音をさせてれば、近くの庭木の梢が大きく揺れる。鷹の体は体長が四寸はあろうか、人世で見ることはない、とても大きな姿である。
「玄侑さま、行かれますか」
鷹がくちばしを開くと、確かに鷹宵の声がした。驚いていると、玄侑は鷹の胴をポンと撫ぜ、その上にひょいとまたがった。まるで馬にまたがるかの如くである。
「ああ。原石が底をつきそうだ。神山に取りに行く」
「は」
鷹が首を上下に動かした。そのやりとりで分かる。この黒くて大きな鷹は、確かにあの鷹宵であり、玄侑は眷属である彼の背に乗って、神山とやらに香月が使う鈴鐘の分の石材を取りに行こうとしているのだ。
「げ、玄侑さま! でしたら、私もお連れ下さい! そもそも原石が足りないのは、私が練習をする為の分。私も取りに行くべきかと存じます!」
玄侑は香月の言葉に眉宇をひそめた。いかにも怪訝な表情で香月を見る。
「神山は穢れが近寄るのを嫌う。君が危ない橋を渡ることはない」
「で、ですが……っ」
自分を利用されることには慣れているが、自分の所為で誰かが労力を払わなければならない事態に慣れていない。躊躇する香月を見て、鷹宵が口を開いた。
「玄侑さま。香月さまをお連れしてはどうでしょう。香月さまを丹早(にさ)さまにご紹介する、いい機会だと思うのですが」
「……」
玄侑が黙り込む。思案の瞳にいくばくかの不安の色を見た。おそらく今の言葉通り、精麗な神の山に穢れのもとを近づけたくないと考えているからだろう。自分はともかく、鷹宵の言葉を退けるくらいには、神山は大事なところなのだと理解する。香月が慣れないからという、身勝手な行動は慎むべきだ。
「も、申し訳ございません……。玄侑さまがご懸念を抱くのも道理かと存じます。ですので私は、夜斗さんと留守番をしております」
そもそも、玄侑が認めてくれても、神世におわす他の二柱が香月の存在を許すとは限らないのだ。
頭を下げると、戸の方から戻って来た玄侑が香月の手をむんずと掴んだ。
「っ!?」
「鷹宵のいうことも道理だ。長々と人間が神世に居ることを、丹早にも知らせておかなければならなかった。いずれ白陽(しらひ)にもそうせねばなるまい。ついでが出来たと思うとしよう」
そう言って玄侑は香月を鷹宵の背に乗せた。腰を抱えられて驚く暇もなく、ひょいっと体を持ち上げられて艶やかな羽根の上に座らせられた。玄侑は香月の前に軽々と飛び乗り、大きな鷹の体をまたぐと、捕まっていろ、と命じた。
(ど、どこに!? どこに掴まればいいの!? 鷹宵さんの羽根を掴んだら鷹宵さんが痛いし、かといって玄侑さまのお着物を掴むなんて出来ない……!)
香月が迷っていると、玄侑は後ろを振り向き、横向きに座っている香月の両の手を自分の腰に回させた。
「!?」
「一気に飛ぶ。振り落とされないよう、しっかりとしがみついていろ」
玄侑が言った途端、鷹宵が大きな翼をばさりと羽ばたかせた。翼の下に含んだ空気で一気に浮上し、香月の上体はがくりと下に持っていかれそうだった。かろうじて玄侑の腰になんとか掴まり、ばっさばっさと羽音をさせる鷹宵の上から振り落とされないように態勢を整える。大きな鷹はそのまま宙を前へ進み、香月の頬を何度となく風が撫でていった。
鷹宵が羽ばたくたびに空気が流れ、玄侑の豊かな黒髪も、香月の伸ばした髪も、なびいて翻った。鷹宵が羽ばたきするたびにひゅうひゅうと風が横切っていき、香月は不思議な気分になる。頬は風にさらされてひんやりしている筈なのに、なんだか顔が熱いのだ。
(玄侑さまが、手を放して下さらないからだわ……。玄侑さまの手は、とてもあたたかいもの……)
玄侑は香月の手を自らの腰に回させた後、香月が振り落とされないように、その手を握ってくれていた。黒の炎を発するからか、玄侑の手のひらはとてもあたたかく、香月の皮膚を通して心の臓に染み入って来る。
神世に来ることが決まった時でも、神世に来てからも、玄侑は必要な時にしか香月の手に触れなかった。手のひらに印を記したとき。香月が彼の力を強くすることを証明してみせたとき。香月の頑張りを褒めたとき。必要だから、触れた。しかし今、香月は、きちんと玄侑の腰に両の手を回しており、手が滑らなければ落ちることはない。それを握っていてくれるのは、玄侑の香月に対する配慮なのではないかと思った。
玄侑は、やさしい。
人世で嫌われていようと、香月は玄多くを語らない玄侑の行動に救われる。香月が玄侑の力になれるのなら、香月もいつか玄侑が志通り五家に頼らない方法を編み出し、人世が穏やかになれば良いと思っている。玄侑が五家を解体するというのだから、きっと出来ると信じている。
「見えるか、前方が。あれが神の山だ」
ふと、玄侑の言葉に彼の体を避けて前を見る。裾野の広い、真っ白な山が堂々と眼前にある。頂上は神々しく輝き、そこからふもとまで煌めく一筋の模様が付いている。
「山肌の光る筋は、なんですか?」
「あのいただきで白陽が神力を熾している。この山は始祖神由来の山だからな。山肌を降りる筋は、白陽が熾した神力が流れている、いわば川だ。川裾で丹早が流れ落ちた神力を人世に行き渡らせている」
玄侑の言葉に、もう一度ちゃんと神山を見る。山は白く、美しく……、どこかなにものをも寄せ付けない厳しさを纏っていた。
鷹宵の大きな羽音は宙を舞う力強い音から目的地に下降するための風を切る音に変わる。ひゅううと高い音をさせて降嫁していた時、バチン! と大きな音と衝撃があり、香月の体は中空に放り出された。



