新しい制服を着た生徒たちが集まる教室は、朝からざわついていた。
入学式が終わったばかりで、まだ少し緊張した空気が漂っている。
新しいクラスメイトたちが、互いに自己紹介をしながらも、どこか遠慮がちに会話を交わしていた。

真央はその場にいるのがちょっと恥ずかしくて、視線を下に向けていた。
地味に生きたい派だから、目立たず静かに過ごしたかった。
でも、今日は違った。目の前で繰り広げられる光景が、いつもと違う空気を作り出していた。

「うわ、あの人、かっこよくない?」

隣の席の女子が声をひそめて言った。

真央が思わず顔を上げると、教室の入口に立っているのは、あまりにも目立ちすぎる人物だった。
白いシャツにネクタイ、黒いスラックスをきちんと着こなしたその姿。
まるでモデルみたいなその風貌に、思わず教室中の視線が集まった。

その男――神谷律。

あの律が、まさかこんなところで目の前にいるなんて。
あの頃の律とは少し違う気がする。
中学では一緒に笑ったり喧嘩したりしていたはずなのに、高校に入ってからは、ずっと距離ができていた。

「律……?」

心の中で呟いた瞬間だった。
律の目が、真央を見つけてまっすぐに歩き出した。
まるで他の誰かを見ることなく、ただ真央だけを見て、すっと教室に入ってきた。

「あ、あの……律?」

思わず声が出てしまった。
律の目が真央に向けられた瞬間、その温かさに、心臓が跳ねるような感覚が走る。
でも、真央は慌ててその気持ちを押し込めようとする。
だって、こんな風に感情を出してしまったら、また距離が縮まってしまうから。

律は真央の近くに来ると、そのまましっかりと目を合わせた。

「よ、真央」

その言葉だけで、教室の空気が一瞬で変わったように感じた。
周りの視線は、もう律に釘付けだ。
しかし律はそんなことに気づいていないようだった。
真央のことだけを見て、口角を少しだけ上げて、その笑みを見せる。

周囲の女子たちがささやき合う声が聞こえた。

「え、あの子、誰?」

「すごい……まさか、あんなイケメンがこの学校の生徒?」

その声が真央の耳に入る度に、心の中で小さく息を呑んだ。
ああ、やっぱり律は目立つ。
でも、その中で真央だけを見ている律に、どうしようもない気持ちが込み上げてくる。

「……久しぶりだな」

律が微笑みながら言ったその一言に、真央の胸が熱くなるのがわかった。
どこか照れくさくて、でも嬉しい。
あの頃のように、また律と一緒に過ごす時間が増えるのだろうか。

「……ほんと、久しぶりだね」

言葉がぎこちなく、真央はうつむいた。
顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
それでも律の顔を見たくて、視線をほんの少し上げて、彼の表情を探した。

律は少しだけ真央に近づいて、低い声で呟いた。

「お前がそっぽ向いても、俺は見てるからな」

その言葉に、真央は一瞬、時間が止まったように感じた。
周囲のざわつきが遠くなり、ただ律の言葉が真央の耳に残る。

「律……?」

真央は小さく呟いた。その声が届いたかどうかはわからない。
律はただ、少しだけ真央に近づき、また顔を上げると、他のクラスメイトに向かって軽く手を振った。

そして、彼はすぐに教室の隅にある席に向かって歩き出した。
周囲の視線がまだ律に集中している中、真央はその場に立ち尽くしていた。

ただ一つだけ、確かなことがある。

律は、真央だけを見ていた。

そして、これからの時間がまた、二人にとって特別なものになりそうだと感じた。
新学期が始まって数日が経った教室は、まだ少し落ち着かない空気が漂っている。
窓から入る春の光が柔らかく、真央の机に影を落としていた。
だが、その光景の中で、真央の心は落ち着かずにいた。

「…今日も律とは話さないでおこう」

そう心に決めていた。
律と関わると、どうしても周りの目が気になる。
「律の隣にいると、みんなが見てる…そんなの、嫌だ。」

教室のざわめきが遠くなるような錯覚に陥りながら、真央はひっそりと視線を落とした。
だが、ふと顔を上げると、律がこちらをじっと見ていることに気づいた。

律は、にやりと笑った。
「おい、真央」

その声は低く、けれど嫌味はなく、どこか余裕を感じさせる。
真央はとっさに視線をそらした。

「やめてよ…目立つのは嫌なんだ」

ぽつりと呟いた声は、クラスの喧騒にかき消されそうで、自分でも驚くほど小さかった。

律はそんな真央をじっと見て、軽く肩をすくめて笑う。
「まあ、そういうとこも好きだけどな」

真央の机の上に、さりげなくプリントを置いた律。
「これ、真央の分だよ。忘れてたんだろ?」

真央は慌てて首を振った。
「やめてって言ったのに…そんなことしないでよ」

律は楽しそうに笑いながらも、真央の目をじっと見つめる。
「お前って、本当に困ったやつだな」

その言葉に、真央の胸の奥がじんわりと温かくなる。

放課後、移動教室でのこと。

律は先生に頼んで、わざと真央とペアを組ませた。
「これで、一緒にやろうぜ」

真央は一瞬固まったが、律の真剣な表情に押されて、しぶしぶうなずいた。

授業が進む中、律はさりげなく真央の手元を助ける。

「おい、ここ間違ってるぞ」

律の声は小さく、けれど温かくて、真央は顔を赤らめながらも、少しずつ心がほぐれていくのを感じた。

昼休みの中庭。

真央はひとり、ベンチに座っていた。
律が他のクラスメイトと楽しそうに話すのを遠くから眺めていると、胸の中にぽつんとした嫉妬の気持ちが芽生えた。

「なんで…あんなに楽しそうなんだろう」

その気持ちに戸惑いながらも、律が真央のほうへ歩いてきた。

「おい、真央。今日の昼飯、一緒に食べないか?」

律の誘いに、真央は驚いたけれど、うなずいた。

隣に座った律の顔が近い。
「なあ、俺、お前のそういうとこ、結構好きなんだぞ」

真央は思わず目をそらす。

「それ、嫌味?」

律は笑いながら首を振った。

「違うよ。お前が目立ちたくないって言っても、俺はお前のことをもっとみんなに知ってほしいんだよ」

真央の心臓が早鐘のように鳴る。

「そんなの、無理だよ…」

律は真央の手をそっと握った。
「俺がいるから大丈夫。安心しろ」

その言葉に、真央は目を潤ませた。



【過去のフラッシュバック】

中学時代の校庭。真央が律の腕を軽くつかみ、無理に笑いながら言った。

「律、目立ちすぎだよ…みんな見てる」

律はそれでも真央に笑いかけた。
「俺はお前が好きだから、どこにいても見つける。お前も俺を見てくれよ」



真央は小さく息を吐いた。

「…律、ありがとう」

律はにっこりと笑った。

「俺は、お前のことをずっと守りたいだけだ」

それは真央にとって、何よりも安心できる言葉だった。
新学期が始まってから、一週間が過ぎた。
教室の空気はまだまだ新鮮で、どこかぎこちない。
けれど、律の“真央最優先”ムーブは、日に日に加速していた。

放課後、購買の前。

真央は小さくため息をつきながら列に並んでいた。
律も隣にいる。彼は何気なく周囲を見回し、真央の好物を察知していた。

「お、今日はあのパンだな」

律が笑いながら言う。

真央は慌てて顔を背ける。
「そんなに俺の好み、知ってどうすんの?」

律はにやりとした。

「だって、お前のこと、ちゃんと知りたいんだもん」

列が少しずつ進み、律がさっと動いた。

「あ、それ取る!」

目の前にあった最後の好きなパンを律が手に取った瞬間、他の生徒もそれを狙っていた。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

周りがざわつく中、律は真央に向かってパンを差し出した。

「はい、真央の分」

真央は受け取る手が震えた。

「そんなの、いらないって…」

律は真剣な目で真央を見つめる。

「お前が喜ぶなら、俺は何でもするよ」

周りの視線が二人に集まるのを感じて、真央は顔を赤くした。

翌日の体育の時間。

クラスの男女がペアを組む中、律は勝手に真央の隣に歩み寄った。

「よし、俺たちペアな」

真央は驚きと戸惑いで顔を上げた。

「え、そんな勝手に…」

律は笑いながら肩をすくめる。

「だって、俺以外どうでもいいし」

その言葉に、クラスメイトたちがざわついた。

真央は恥ずかしさに目を伏せたが、律の顔は満足げだった。

授業中も、律は真央のプリントを代わりに提出したり、休み時間には真央の飲み物を買いに行ったりと、自然な動きで“特別扱い”を続けていた。

「お前、そんなに甘やかされてていいのか?」

友達の涼がからかい半分に言うが、真央はむっとした。

「別に、そんなつもりは…」

律は涼に向かってにやりと笑いながら言った。

「まあ、俺は真央だけだから。だから誰にも渡さない」

その言葉にクラスは一瞬静まり返り、周囲のざわめきが大きくなった。

放課後の坂道を二人で歩く。

真央は少し距離を取りながらも、律の歩幅に合わせて歩いた。

「律…そんなに俺のこと気にしなくてもいいんだよ」

律はふと立ち止まり、真央の方を見た。

「俺は気にしてるんじゃなくて、守りたいだけだ」

真央は胸の奥がきゅんと締めつけられるのを感じた。

「でも、周りが見てるから…」

律は真央の手をぎゅっと握った。

「お前が誰の目を気にしても、俺は変わらない」

真央はふっと笑みを浮かべた。

「律って、本当にわかりやすいんだな」

律は腕を組みながら照れ笑いをした。

「だって、お前は俺の特別だからな」

その言葉は、何よりも真央の心を満たした。

そんな律の“真央最優先”ムーブに、周囲は少しずつざわつき始めていた。
だが、二人の距離は確実に近づいていた。

「俺は、これからもずっとお前だけを見てる」

律がそう言って、真央の手を強く握った。

真央はそれに応えるように、しっかりと握り返した。
放課後の図書室。

いつもは静かな場所に、今日は少しだけざわつきがあった。
真央はこっそりと涼から借りたBL漫画を手にしていた。

「なあ、真央。これ、すごく面白いから絶対読んでみてよ」

涼はにこにこと嬉しそうに言った。
「えー、BLって…なんか恥ずかしいんだよな」

真央は顔を背けながらも、好奇心に負けてページをめくった。

読み進めるうちに、真央の頭の中でストーリーが膨らんでいく。

攻めのキャラは、どこか律に似ていた。
その自信満々な態度、他人を守る強さ、でも時々見せる優しい笑顔。

「これ…完全に律じゃん…」

思わず小さく呟いた瞬間、頭の中に妄想シーンが湧き上がる。

妄想シーン(ギャグタッチ):

攻めキャラの律が、真央の机にドーンと座り込む。
「おい、真央。お前のこと守るって約束しただろ?」

真央は照れながらも、顔を赤らめて逃げようとするが、律がふわりと手を伸ばして耳元で囁く。

「お前、俺のこと好きなんだろ?」

思わず「やめてよ!」と叫んで、目が覚める。

図書室に戻ると、涼が興味津々で真央を見ている。

「なあ、真央。お前、顔赤くなってるけど大丈夫か?」

真央は慌てて本を閉じた。

「別に、なんでもないよ!」

しかし、その夜、自室のベッドに寝転がりながら、再びページをめくる真央。

「律が、こんな風に優しくて強くて…」

画面の中の律(攻めキャラ)に重なる実際の律の顔を思い浮かべては、ドキドキしてしまう。

翌日、学校の廊下。

律が偶然、真央がニヤニヤしながら漫画を読んでいるのを目撃した。

「おい、真央。何読んでんの?」

真央は慌てて本を隠す。

「別に、なんでもない」

律はくすっと笑いながら、からかうように言った。

「そんなに楽しそうにしてるなら、見せてみろよ」

真央は顔を真っ赤にして、目をそらした。

放課後、涼と真央が校庭のベンチに座っている。

「なあ、真央。これって…もしかして恋じゃね?」

涼はニヤリと笑った。

真央は目を大きくして、「な、なにそれ!」と慌てる。

けれど心のどこかで、自分の気持ちが律に向かっていることを認めていた。

その日から、真央はますます律のことを意識し始める。

BL漫画の世界と、現実の律が入り混じり、彼のちょっとした優しさや表情に胸が高鳴る。

「これって、恋なんじゃないのかもしれない…」

そう思いながら、真央はまた本のページをめくるのだった。
体育の授業が始まった。
真央は少し緊張していた。
体育が得意なタイプではないし、何より今日のメニューは長距離走。
新学期が始まったばかりのこの時期、みんなまだ様子をうかがっているような空気が漂っている。

「よし、全力でいくぞ!」
律が大きな声で宣言し、周りから視線が集まった。
やっぱり律は目立つ存在だ。

真央は律の視線を避けるようにして、少し離れた場所にいた。
だが、急に足元がぐらりと崩れ、真央は思わず倒れ込んだ。
「あっ……!」

足首をひねってしまったようだった。
歩こうとするたびに激しい痛みが走り、動けなくなる。

律はすぐに駆け寄った。
「真央、大丈夫か?」

真央は顔をしかめて答えた。
「足が……痛くて、動けない」

律は迷わず、真央の背中に手を回した。
「おんぶする。保健室まで連れてく」

「え、ちょっと……!」
真央は一瞬抵抗したけれど、律の真剣な表情に逆らえず、そっと背中に腕を回した。

背中越しに感じる律の温かさと鼓動。
真央の心臓は自然と速くなる。
「なんで、こんなにドキドキするんだろう……」

律は静かな声で呟いた。
「お前は、俺の特別だから」

その言葉に真央は驚いて、顔が熱くなった。
今まで聞いたことのない言葉だった。

律はさらにゆっくりと続ける。
「だから、守りたい。お前のことは、俺が守る」

真央は何も言えなくて、ただ律の背中をぎゅっと抱きしめるようにしていた。

保健室に着くと、看護師さんがすぐに手当てを始めた。
律は真央の隣に座り、ずっと手を握っていた。

「大丈夫か?」

「うん……ありがとう」

二人きりの空間で、距離はいつもよりぐっと近くなった。
律の視線が真央の顔に落ちて、真央はまた顔を赤くした。

律は微笑みながら言った。
「なあ、俺とまた一緒に過ごそうぜ。これからも」

真央は少し戸惑いながらも、嬉しそうに頷いた。
「うん、私も……」

昔、中学の校庭で律が真央を抱きかかえて走ったあの瞬間が、ふと頭をよぎった。
「お前は、俺の特別だ」

あの時も、今も。
律のその気持ちは、変わらないんだと確信した。

体育の授業での怪我は、不思議なきっかけになった。
律と真央の距離は、また少しだけ近づいたのだ。
朝の空気はひんやりとしていて、まだどこか静かな校門をくぐると、真央は無意識に肩をすくめて歩いていた。
昨日の夜、見るはずのなかった夢を見てしまったからだ。

夢の中で、律が真央の目をじっと見て、静かに言った。
「ごめん、俺はもうお前のこと好きじゃない」

その言葉が胸に刺さり、真央は目を覚ましたとき、心がぎゅっと締め付けられた。
夢だと分かっていても、その冷たい言葉は現実のように重かった。

教室に入ると、律の方からいつもの明るい笑顔で話しかけてくる。
「おはよう、真央」

だが、真央は無意識に少し距離を取り、声も小さく、そっけなく答えた。
「おはよう」

律は不思議そうに眉をひそめた。
「どうしたんだよ、今日はなんか元気ないな」

真央は言葉を選びながらも、正直に答えた。
「…昨日、変な夢を見て。律にフラれる夢」

律の表情が一瞬曇ったが、すぐに優しい目になった。
「そんな夢、見なくていいんだよ。俺はお前のこと、ずっと好きだし、夢中なんだから」

その言葉に、真央の胸はふっと軽くなった。

放課後、二人は校庭のベンチに座っていた。

律が真央の手をそっと握りながら言う。
「お前のこと嫌いになる夢なんて、見たくないよ。だから、変な夢に怯えて距離を取るな」

真央は照れくさそうに顔を赤くして、少しだけ笑った。
「ありがとう、律。私、やっぱり…律のこと、好きだ」

律も笑顔で答えた。
「俺もだよ、真央」

夢と現実のすれ違いを乗り越えて、二人の絆はさらに強くなったのだった。