「お邪魔しました」
無事、綺麗になった制服を身にまとった綴先輩がネクタイを締めて俺にそう言う。
来た時はピンと綺麗だったカッターシャツに何本かのシワがよっているのが目に入る。
「爆速で乾燥機かけたからシャツ、ちょっとシワになってますね。まじすんません」
ブレザーを着てなかっただけ助かった。綴先輩は「別に」とさらりと片手でシャツを撫でてその黒い瞳を俺に向ける。この瞳にじっと見つめられると、なんでこうも心臓が変になるのだろうか。これ以上近づかない方がいいという防衛反応か何かだろうか。
綴先輩にキャーキャー言っている女の気持ちは正直分からなかったが、やはり人間、綺麗なものには弱いのだろう。
俺は気恥ずかしさのようなものが込み上げてきて綴先輩から視線を逸らし、ソファでいびきをかいて寝ている兄貴を見た。呑気なものだ。
「…生田が起きたらよろしく言っといて」
「よろしくって兄貴には明日学校であたり前に会うじゃん」
「…クラスではあまり話さない。生田友達多いし」
「綴先輩は友達少ないんですか」
「…」
「まあ、でしょうね」
へらりと笑う。いい加減俺のこと殴りたいくらいは思ってそう。心の奥底では俺に銃口を向けているだろう。なぜそれを表に出さないのだろうか、この人は。
そんなことを思いながら俺は綴先輩に背中を向けて玄関の方に歩き出す。
「兄貴寝てるし、俺送って行きますよ」
「駅、すぐそこだしいいよ」
「散歩したい気分なんで、ついでっす」
息混じりに「ふうん」と返事をした綴先輩が靴を履いて先に戸を開けた俺の後ろで靴を履く。
屈んでいた腰を上げた綴先輩。改めて目の前に来るとその綺麗さと、スタイルの良さで嫉妬が込み上げてくる。
俺はふいっと顔をそらし、外に出た。
外はすでに暗くなっており、頭の後ろで手を組んで空を見上げた。
「おお、結構星でてる、明日は晴れっすね」
そう言うが後ろでの反応はない。いいし、でかめの独り言だから。「そうだな」くらい言えよこの朴念仁め。
「一星」
「え」
名前を呼ばれて俺は足を止めて振り返った。今、名前で呼んだか、この人。
「やっぱり、名前に星がついてるから、星とか好きなの」
「いやそんなに興味ない」
「へえ」
びびった。それが聞きたかったのか。びびった。
いや別に名前で呼ばれようがなんだろうがなんだっていいんだけど、ちょっと心臓が跳ねただけで。
ふんっと小さく鼻を鳴らしてまた歩き出す。
だが、俺のことを少し気にして興味を持ってくれて、話しかけてくれたとすればほんの少しだけだが嬉しい。
歩みを少し遅くして俺は、綴先輩の横に並んだ。
「なんで兄貴に勉強教えてあげようってなったんすか」
「…頼まれたから」
「頼まれたらなんでも聞くんですか?相手が自分を狙ってる女でも?」
横目で俺をちらりと見下ろした綴先輩。
「質問の意図が分からない」
「普通に綴先輩のこと知りたいだけっすよ。どこまでだったら良くて何がダメなのかって話。
兄貴は綴先輩の友達だから言うことをきいたってことっすか?」
「まあ、そう」
「じゃあ最初からそう言えばいいじゃないっすか、兄貴は友達って」
「…生田はクラスメイト全員と仲良い」
「まあ、あれだけ口数が多いとそうだろうな」
「…君もだけどな」
俺のはただの挑発というか、なんというか。
憎まれ口を叩いてしまうことも多いため、敵も作りやすい。そうやって人を試して感情を引き出したいという変な欲が出てくることがあるのも自覚している。
「…ああやって、感情むき出しで喧嘩できるのも羨ましい」
「兄貴と俺のこと言ってます?」
「ああ」
「いいっすよ、いつでもあげますよあんなの」
「いやそれは遠慮しとく」
あ、ちょっとだけ笑った。レアだ。
写真撮って売ったら中々の値段になりそうだとそんなアホみたいなことを考えているうちに駅に着いた。
歩きを止めた俺を追い抜かして先輩が幾分が先で足を止めた。
そしてこちらを振り向く。
「…オムライス、ごちそうさま」
「はい、どういたしまして」
片手をあげてへらっと笑う。
そのまま帰るかと思ったが、綴先輩は再び口を開いた。
「一星」
「っ、なんすか」
「生田っていうのも兄貴がいるから変だし、生田弟っていうのも長いから、一星って呼ぶ」
おお、こんなに綴先輩って喋るんだ。という驚きと、え、まだ俺と関わる気があるんか、そう思ったらきゅっと心が揺れたのと、なんだかよく分からない感情になった。
誤魔化すように俺はべっと舌を出す。
「これから呼ぶことがあるといいっすけどね!」
嬉しさとは反比例してこうやって俺は憎まれ口を叩くことしかできない。



