おい、まて変な方向に早まるな。俺、お前のこと好きなんだけど。
簡単なことなのに、吹っ切れたように歩き始めた一星の背中姿をただ見つめることしかできなかった。
焦ったい甘さと、少しの後悔を抱えながら家に帰りつき、無駄にでかい家のドアを開ける。
そして玄関に置いてある黒い靴を視界に入れて思わずため息がもれた。
変な反抗心が働き、その靴を荒々しく靴箱に放り込んで見えないようにした。
そして食事をする以外はほとんど居座ることのないリビングに入ると、テーブルの前に静かに座っている父の姿。最悪だ、まるで俺が帰ってくるのを待っていたかのような佇まいに嫌気がさす。
目を合わせないまま足を止めた。
「珍しいな、父さんがこんな時間に帰ってきてるなんて」
「秋斗、座れ」
俺はやっと、そのテーブルの上に置かれていたものを視界に入れた。先ほどのまでの熱がさっと引いていくのが分かった。
「…勝手にあけたの」
「息子の模試の結果をみて何が悪い」
俺は封がきられているそれを奪い取るように掴んで自分の方に寄せた。もう遅いことは分かっている。
「…医学部、A判定だったし文句ねえだろ」
少々荒い口調になってしまったのは焦燥が隠しきれていない証拠であった。
父は静かに俺を見つめる。
「俺は、お前の意思に疑問をもってるだけだ秋斗」
「…」
「なんで教育学部を第一志望にしてる」
ぎゅっと拳に力が入る。ただの気まぐれだと言えば信じてもらえるだろうか。
この人に、そんな『嘘』は通用するのだろうか。
感情を曝け出すことは、誰かを敵にまわすということだ。
すっと息をはいて俺は父を睨みつけたあと、無言でそこを立ち去ろうと背を向ける。
「待ちなさい」
静かにそう言われるが無視をして部屋を出ようとした瞬間、父が強くテーブルを叩いた音が響く。
「待てと言っているだろうが」
足を止めたが振り返りはしなかった。
「自分の思い通りにならないって分かったら、母さんや姉さんみたいに俺も追い出すつもり」
「何を言ってる、あいつらは自分から出ていった」
「あっそ」
父と俺だけ残されたこの家は無駄に広い。俺だけは思い通りに動かしたい父の躍起さに無性に腹が立った。
戸を荒々しく閉め、階段を登り自分の部屋に入って早々くしゃくしゃの模試の結果をゴミ箱に投げ入れた。
ベッドに横たわり、捨てられた俺の反抗の結果をぼんやりと眺める。
ふと、一星が手に持っていた90点の数学の紙を思い出した。
絶対、俺にみせにきたのに強情に『偶然』と言い張っていた姿、ゾンビゲームで強がっていた姿を思い出す。
そして、花火の夜のこと。
ーーーーー「よくないこと、しようとしてませんか」
ーーーーー「…そう思うなら、振り払えば」
いっそのこと、殴ってでも止めてくればよかったのに。と責任転嫁にもほどがある考えがよぎる。
だって自分の気持ちに完全に気づいてしまったから。
キスなんてしなければ、うやむやで終われたのに。
ゴミ箱に埋もれたそれをもう一度取り出して両手でゆっくりと広げる。
うやむやで、流されるままに生きることは楽だ。
感情をむやみに出さなくていいから。面倒くさくないから。
でも、
「…こういう時、一星ならどうするんだろ」
そんなひとりごとが誰にも聞かれることはなく空中に溶けていった。



