綴先輩の口から小さく「え」と声が漏れた。
そしてその黒い瞳が俺を捉える。しばらく静かな空間が流れた。え、俺、何かおかしいこと言っていたか。
再度自分の言葉を脳内で再生させた。
ーーー「…一星は心理学者かなんかにでもなれるんじゃない」
ーーーー「分かるの綴先輩だけですよ」
ぼっと自分の顔に熱がたまる。いやいやいや、まあ、今までも似たような発言してきてるし、そもそも会話の流れ的に意味不明だし、一瞬告白紛いだったと自身で勘違いしてしまったが、それも違う。うん、違う、断じて。
綴先輩もワケが分からないだろう。いいよ、永遠に分からなくて。
「さ、続きやりますわ」
ぱんっと両手を叩いてシャーペンを握りしめた。そして呪文にみえる問題を再び視界に入れる。畜生集中できないし、顔を上げられない。
俺は軽く頭を振って、眉間に皺を寄せる。集中、集中。
「一星」
「なんすか」
「何の公式書いてんの」
「え」
ーーー『感情×生意気×欲=こ』
「こ?」
自分の口からそんな声がもれる。何を無意識に書いているんだ俺は。「こ」なんて続き書いたら終わるだろ、終了の合図じゃん。
「うわああ」と情けない叫びをもらしながら俺は慌てて消しゴムで消す。摩擦によってできたそれらを俺は片手で前に散らした。
「…消しかすこっちに散らすなよ」
「うるさい先輩のアホ、あんまり俺を振り回さないでください、このおたんこなす」
「急に悪口のボキャブラリーが古くなってる」
「変なやつ」と言いながら飛んだ消しかすたちを丁寧に集めた綴先輩。そしてそれらを端に固めた後、俺を見た。
「…どっちかと言えば、俺の方が振り回されてる」
「え」
「冗談。ほら、早く解いて」
聞き間違いじゃなければ綴先輩も俺に振り回されてるってこと?うええい、お互い様じゃーんなんてさすがにノれない。
それに、綴先輩のそれは悪い意味なのか、良い意味なのか。さすがに表情からは感情が分からなかった。
『こ』次に何を書こうとしていたのか本当は自分で分かっている。綴先輩は、何か気づいてしまっただろうか。これ以上、気づいてほしくない、だってこの時間だってすぐに終わりが来るし、ずっとなんてないのだから。
オレンジ色の光が教室を照らす中、再び静かな時間が流れた。



