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これは俺に課せられた夏休みの前の試練である。

「…これ違う」

静かな声でそう指摘され、自信をもって導いた数学の答えはあえなく撃沈。俺は「うええ」と顔を歪めながら机に項垂れた。

「ちょっと休憩しません?綴先輩」

「さっきした。早く続きの問題やって」

「きびし」

「はやく」

綴先輩の人差し指が机を2回叩いた。もうちょっと優しく教えてくれてもいいのに。だけどそんな生意気なことはさすがに言えなかった。

綴先輩は3日に1度はこうやって勉強を教えてくれるようになった。今日のように放課後の教室や、時にはファミレスで。何の見返りも求めずにただ淡々と俺に勉強を教えてくれている。なんなら俺にごほうびまでくれることになっているというのだ。まあそれはおそらく、だけど。

「はあい」と不服丸出しの返事をして数字と睨めっこ。うむ、分からん。というか、しばらく時間がたつと数学への拒否反応が出て頭が回らなくなる。

何か手はないだろうかと、目の前にいるその端正な顔をちらりと見た。

「綴先輩」

「…なに」

「一問正解するごとに、俺の質問に答えてくださいよ」

「どういう意味」

頬杖をついて少し顔を上げた綴先輩。その瞳に俺がうつった。

「俺、数学のことだけじゃなくて綴先輩のことも知りたいんで」

俺の言葉に瞳が揺れた。あ、ちょっと動揺している。
そしてしばらく考え込むように視線を下に向けたあと小さな声を放った。

「…よくそういうこと、なんの気なしに言えるよな」

『なんの気なしに』何を言っているんだこの人。何の意図もなく俺がそんなことを言うと思っているのだろうか。

前から思っていたことではあるが、俺が誰にでも見境なしに生意気な行動をしていると考えていそうな節がある。

心外だ。そうなると、逆に綴先輩に俺のことを知ってほしいと思ってしまう。
まあ、知りたくもないかもしれないけど。え、じゃあ何でこの人俺に勉強教えてくれてんの。

「なんの気なしに言わないですよ、綴先輩俺のことをどう思ってるんですか」

「なまい」

「あ、まだ言わないでください。問題解くんで」

ーーー『なまい』ここまで言っていたら答えのようなものだが。絶対次に『き』がくる。絶対そう。うん、知ってた。

軽くぶすくれながら俺は再び数字と睨めっこをはじめる。頭をフル回転させて、綴先輩が教えてくれた公式ややり方を思い出しながらシャーペンを動かす。

しばらくその空間にはシャーペンの芯がノートに当たる音、それから時計の秒針の音が響いている。

いつもは騒がしい教室がこの時間はとても静かだ。
違う学年で生きている世界も違うような綴先輩と、放課後の教室で2人きり。

何度か経験している空間だけれど、いまだに慣れない。それは相手が綴先輩だからか、俺の気持ちがおかしいのか。