不服には感じたがまあここにとどまったところで、綴先輩への謎は深まるばかりだろうと思った俺は兄貴の足を蹴り返した後、部屋を出た。
そして出たあと、ドアに耳をつける。
今のところ俺は「別に」という声しかきいていないのが解せなかった。
「ごめんな、生意気なんだよあいつ」
「別に」
「それにしても助かったよ、このままじゃ模試やばくてさ綴しか頼めるやついなくて」
「別に」
声色に変化すらない機械的な「別に」がドアを挟んで俺の耳に入ってくる。本当にロボットなんじゃないかと疑う。
俺は再びドアを開けて問い詰めたくなる気持ちを抑えてドアから耳を離した。
まあ、ただの好奇心で絡んで得することなんてないし、読み通りただの勉強会だったわけで。
「けっ」と小さく笑って俺はリビングに戻った。
テレビをつけ録画しているドラマをつける。
食べかけのスナック菓子を食べながら画面をぼけっと眺めた。
ドラマの中の女優が泣きながら言葉を放つ。
『私はあなたがどんな人だろうとかまわない、好きって気持ちに正直にいたいの』
好きなドラマは数回みているため、なんとなく佳境のセリフは覚えはじめていた。女優の言葉に被せて自分の口も動いていた。暇人を極めるとこうなる。
次の俳優のセリフは、確か。
「君が泣いたところ初めてみた。そんなに僕のことをおもってくれていたなんて」
そう俳優の声に被せて声を出す。
テレビに映る人たちは観ている人たちに感情が伝わるように少し過剰に喜怒哀楽をあらわしている。
では、綴先輩がこのセリフを言ったらどうなるのだろうか。そもそもあの人喜怒哀楽なんてあるのだろうか。
ーーーー『私はあなたがどんな人だろうとかまわない、好きって気持ちに正直にいたいの』
ーーーー『へえ、別にどうでもいい』
【完結】
「くくっ」
「…何笑ってんの」
「うわっ、びっくりした!」
妄想の世界からいきなり現実に引き戻されたのは冷たく低い声が後ろから聞こえてきたからだ。
ソファに座ったままばっと勢いよく振り返ると空のペットボトルを持った綴先輩の姿があった。
俺の声が響き渡ったとしても綴先輩は表情を変えない。AI綴ってあだ名つけようかな。いやさすがに先輩だし失礼か。
「なんすか」
「飲み物なくなった」
俺の方に歩いて来た綴先輩がそう言って空のペットボトルを俺の方に少し寄せた。え、なくなるの早くね。
「喉乾いてたんすか」
「いや、これ生田の。俺のはまだある」
「兄貴のなのになんで先輩が?」
「頼まれたから。今勉強のりにのってるって」
勉強にのりにのるってなんだよ。綴先輩をパシってやがるあのクソ兄貴。
俺は小さな舌打ちをもらして空のペットボトルを奪い、ラベルとキャップを外す。
台所の方に行く前にドラマを一時停止する。畜生いいところだったのに。
「大変っすね、あのアホ兄貴に付き合わされて」
「別に」
でた、『別に』。
俺は小さく笑ってペットボトルをゴミ箱に投げ入れると冷蔵庫を開けた。
「あ〜、もう飲み物ないっすね」
「分かった。いい、俺の分あるし、ありがとう」
そう言って颯爽と部屋に戻ろうとする綴先輩。
「ちょっと」
特に意味もなく俺は引き留めてしまった。綴先輩がこちらを振り返った。その端正な顔立ちは整いすぎていて逆にとっつきにくさがある。加えてこのポーカーフェイスだ。
綴先輩は俺の言葉を待っているのか静かにこちらを見つめている。うわ、どうしよう。
俺は気まずいながらもなんとか脳内のあらゆる引き出しをこじ開けた。
そしてへらりと笑う。指をさした先は一時停止した画面である。



