余命最終日を迎える君へ

 二週間で——俺に、何が出来る?

 余命というのだから、俺の残された命が二週間しかないということになる。つまり二週間後、俺の今の毎日に終わりが来るということ。
 二週間後にあの録音が拡散される、ということ。

 一体どうやって?なんて考えなくても、データとして手元にあればどうにでもできるのが今の世の中だ。話題性さえあればたいした労力もなく次々に拡散されていく。

「ねぇ、これ見て〜」

 そんな声掛けで見せられたスマホの画面には、生徒の親との不倫がバレて懲戒処分となったどこかの校長の顔が映し出されている。

「今この謝罪会見のパロ流行ってんの。おすすめはこれ〜」

 そう言ってショート動画を何本か見せられて、「まじウケる」なんて言いながら皆は笑いあっていた。
 面白おかしく、自分なりの形で謝罪会見という型にはめて各々が作り出した数十秒の物語。それはもう原型を留めてるとは言えないものもあったけれど、元ネタは?というコメントにはきっちり返信が書き込まれ、形を変えたとしても人から人へ手渡され、罪が色褪せない様を目の当たりにした。
 俺も、こうなるのだろうか。
 誰かの好奇心を満たすためだけに、俺の人生が弄ばれていく。そうなってしまったらそこで終わってしまった俺の人生は、つまらないほど平穏な毎日は、もう一生取り戻せないだろう。

 まさに殺されるということと同意だった。
 しかし本体の俺はそれでも息をしているのだから、人生が続く限り生きていかなきゃならない自分がそこに居るということ。
 怖い。考えるほど怖くて怖くて吐き気がする。

『俺も余命が決まってたら、もっと人生が楽しくなるのに』

 そんなことを言った自分を馬鹿かと思った。過去に戻してやり直したい。あの時横田に話しかけさえしなければ、何も知らないまま自分のつまらない人生に傲慢な態度でいられたのに。結局の所、それを幸せだと感じられる今なんてものはどこにも存在しなかったのだから。
 だって俺は気づいてしまった。どうしようもない自分自身に。

「ね? 渋谷もウケるよね?」
「…………」
「あれ? もしかしてそうでもない?」
「てか渋谷って何が好き? ハマってるもんとかないの?」
「それめちゃ知りたい。渋谷? 聞いてる?」
「……聞いてる」

 でも、

「別に、何もない」

 そう。何もなかった。俺には何も。

「えー! 何もないって! それはないでしょー」
「久々の塩対応きたね」
「まぁこれはこれで良し。いつもの渋谷だわ」

 そして何事も無かったかのように皆は別の話題へと切り替わったけれど、俺にはその話題の中でも心が動かされる何かは何もなかった。
 なぜなら今の俺には二週間後の不安しかなくて、残り少ない人生を楽しんでいられる余裕なんてなかったから。どれだけ楽しもうとした所で最悪な結末を迎えるしかないのだから、それは全て無駄なのだと感じる虚しさしか心の中には生まれなかった。

「そしたら渋谷は何を楽しみに生きてるの?」
「バカ。渋谷までなると楽しいことが勝手に寄ってくんだよ」
「あぁ、だからわざわざ意識してないってことか。さすがにさすが過ぎない?」
「でもそれなら何もないっていうのも納得ー」

 そして気がついてしまった。俺には元々ハマっているものも、楽しみにしているものも、懸けたいと思えるものも何もないということに。そんな自分はどうしようもないということに。

 元から自分の人生の中に楽しみを見いだせなかった俺には、残った最後の人生でやりたいことなんてものは見つからなくて当然で、余命が決まった所で文句ばかりの俺は俺のまま、不安や後悔ばかりに目が向いて、自分の中の大切なものが何一つ見つけられなかった。
 そう。始めから俺の中には何もなかったのだ——生き生きと人生を生き抜く原動力のようなものが。周りの人間や環境、持って生まれた容姿のせいではない。

 ——自分の人生をつまらないものにしていたのは、俺自身だったんだ。

 いくらでもやりようはあったのに、自ら変えようとしてこなかった。変える必要性を感じていなかった。気づいていなかった。横田と話して今の現状と比べて、そういうことかと理解してしまった。

 ——俺はつまらないものだと全てを見下すことを楽しんできたのだ。

 それが俺の辿り着いた俺の人生の答えである。

「渋谷の人生って楽しそうで良いよな〜」

 どこがだよ! これだけ俺のそばに居て何を見てきたんだよ! 何もわかってねぇし、何も見えてねぇ。
 何も残らないこんな人生の何が楽しい?

 最後が決まった所でそれが現実で、そんな何もない俺が本の中の主人公になんてなれやしないことが痛いほど理解できた。だって誰も俺自身のことなんて見てないし、外見以外に見ようと思われるような特別な何かも俺の中には存在しなかったのだから。
 横田は、始めからそれがわかっていたのだろうか。
 だからこんなことをしたのだろうか。

 横田は俺の余命が二週間であると告げた。だとしたら二週間の間に俺の身には何も起こらないのだろう。いつ殺されるかという不安はもう無い。でも、確実に殺される日は日に日に近づいていて、俺の毎日は不安と絶望の中で消費されていく。

 横田は、そんな俺を見て何を思っただろう。
 横田はどんなつもりでこんなことを始めたのだろう。
 横田にとって、どんな意味があったのだろう。

 横田は俺を殺すことで、何を得るのだろう。


 ——キーンコーンカーンコーン
 放課後を迎えるチャイムが鳴った。と同時に、横田が立ち上がる。教室を出るために俺の方へ近づいてくる。

「よ、——」

 しかし、何も聞こえていないように、横田は足早に俺の横を通り過ぎていく。

「渋谷帰ろー」
「ん? どしたん?」
「……いや、なんでも」
 
 無視しやがってと、心の中で舌打ちをした。
 横田と話した時に生まれた心の躍動感。それが忘れられないでいる。あんなに心が動いたのは初めてだったから。あぁして人を責めることが俺の唯一の楽しみだったなんてどうかしてると思うけど、それが俺だと思うと全てに納得がいった。
 あれから横田は図書室に来なくて、毎日毎日、自分の席に齧り付いて何かを読んだり書いたりして、今みたいに放課後になると一番に教室を出ていくのだ。
 まるで俺の存在なんて見えていないように。それとも俺からの接触を拒んでいるのか……俺には横田の考えなんてさっぱりわからなかった。
 ただ、最後にもう一度話したいとは思ってる。
 チャンスをくれないだろうか……なんて、受け身で弱気なウジ虫みたいな自分が居ることに気付かされて嫌気が差した。
 本当にどうしようもない。あれだけ大きく存在した自分への自信なんてものは粉々になって跡形もなかった。

 そんな俺は何も出来ないまま、じわりじわりと毎日を繰り返し——ついに迎えた、二週間後の今日。

 登校すると教卓の前に皆が集まっていて、どっと心臓が胸を叩いた。
 朝一でネット関連全て見回っても何もなかったから警戒していたけれど、これはもしかしたらボイスレコーダーでも置かれていたパターンかもしれない……。

「お! おはよ、渋谷!」
「おはよう……何かあったのか?」

 素知らぬふりをして声をかけると、「これなんだけど」と指さされた先に原稿用紙の束が置かれていた。
 心臓が、どんと大きく内側から叩く。

「……これ、何?」
「小説?みたいな。誰かが書いたっぽい」

 声が震えそうになるのをぐっと堪えて訊ねると、まだ誰も内容を確認していないような返事がきた。小説といっても原稿用紙はそこまでの枚数は無くて、さっと読み終えることができるくらいの分厚さに見える。

「『余命最終日を迎える君へ』だって。ちょっと題名からして痛い内容の気配……」
「置いてあるってことは読んでくれってこと? 読んでみようよ〜」

 そうして好奇心から手を伸ばす人間に渡る前に、取られまいと慌ててそれを手に取っていた。その行動を驚いた顔で見られてはっと我に返ったけれど、でもこのまま内容を確認しないで渡す訳にはいかない。

「俺から読ませてもらうわ」

 有無を言わせない速度で笑顔を作って誤魔化して、そそくさと席に戻る。そして、「あ、忘れ物した」なんて誰に聞かせるでもなく適当に呟いて、原稿用紙を手にしたまま逃げるように教室を出た。
 授業開始のチャイムが鳴るがどうでもいい。流れ作業のようにそのまま屋上に向かうと誰も居ないことを確認して、ほっと一人腰を下ろした。

 これは、横田が書いた小説だとすぐにわかった。
 一行目に目を向けて、じっと心の中で文を辿り始める。

『「……余命宣告されたらどうする?」』

 冒頭の台詞は正しくあの時の俺の言葉で間違い無くて、それは余命を宣告されても悲しみあえる相手もいない、孤独なヒロインへと向けられた、クラスの人気者であるヒーローからの問い掛けだった。
 ヒロインがいきなりの出来事に動揺する中、ヒーローは勝手に自論を展開していく。ヒロインが余命宣告されている身だとも知らずによくまわる口は、配慮のない言葉でヒロインを傷つけていった。その自分に酔っている様は見ていられなかったけれど、一言一句現実の俺の発言であったから横田から自分はこう見えていたのだと思うと羞恥心でどうにかなりそうだった。
 
 けれどそんな最低なヒーローの対応に、読み手の受け取り方とは別で、ヒロインは喜んでいた。
 つまらない人生の中でついにやって来た最後の希望だと。この人には最後まで自分に付き合ってもらうのだと。

 ヒロインは誰の目にも映らない、誰の記憶にも残らないまま終える人生と向き合うことしか出来ない余命の期間が苦痛で仕方なく、最後に誰かの心に思い切り自分を残してやりたいと思っていた。
 その相手にこの性格の悪いヒーローが選ばれたことで、二人は互いを傷つけ合い、心を晒しながらぶつかりあい、関係を深めていく。

 なるべく大きな傷がいい、とヒロインは思っていた。綺麗な思い出として忘れさせてなるものか。一生残る傷をヒーローにつけてやるのだと始めから決めていたのだ。それは孤独の自分が人気者である彼に対して抱いてきた不満と羨望と嫉妬から生まれた感情で、いつしかそれは、この人にだけは自分を忘れられたくないというヒーローへ抱く歪んだ恋心に近いものに変わっていった。
 しかし、ヒーローはそんなヒロインの心がわからず、ただひたすらに振り回され、追い詰められていく。その間、ヒロインを責める言葉を何度も何度も口にして、自分の中にあるもの全てを曝け出してきた。その全てが、ヒロインによって録音されているとも知らずに。

 彼女が亡くなるのと同時に、彼の今までの言動が公の場で再生されると、世間は彼への批判一色に染まった。それに耐えられず、彼も命を落とすこととなる。

 最後にヒーローは後悔していた。何度も傷つけあい、さっさと死んでしまえとすら思った相手だったけれど、こんな自分が全てを曝け出せる存在なのだと、ヒロインのことを大切に思い始めていたからだ。当たり前の様にぶつかりあってきた中で、こんな仕返しを計画するほどまでに恨まれていたなんて思いもしなかったのだ。けれどそれは恨みではなく、ヒロインの歪んだ愛情によるものだったのだとヒーローが知ることはなく、二人の人生は終わりを迎えた。
 
「…………」

 なんだか、壮絶な物語だった。読後感としては最悪だ。
 結局最悪なヒーローが一番の被害者にも見える。でも、そのきっかけを作ったのはヒーロー自身で、彼も庇えはしないくらいヒロインに対して酷い言いようだった。だけどもし、お互い傷つけ合うのでは無く、支え合う方向で向き合えていたら違う結末を迎えていたのでは……とも思うが、ヒロインが死んでしまうことは確定している訳だし、悲しい気持ちにさせられる結末が覆ることはない。
 だとしたら、変に感動させられるよりこの方がより現実的なのだろうか……いや、にしてもヒロインが歪みすぎていてなんとも……ヒーロー以上に性格悪すぎだろ、こいつ。発想が悪の化身じゃねーか。
 人との関わり方を知らなかったんだろうな……てことはやっぱり、このヒロインはあいつか。

 ——と、その瞬間、ぞっと背筋が凍りつく。

 そうなると、必然的にこのヒーローは俺ということで確定する。台詞以外に奴に言動を録音されている所まで一致しているのだから。
 つまり、俺もこのヒーローと同じ結末を辿ることになる……?

 偶然にもたった今、ヒーローが最後に身を投げた学校の屋上に俺も居る。慌てて教室を出てしまったけれど、もしかしたら教室ではボイスレコーダーが再生されていて、それを知った俺はここから飛び降りることになるのかもしれない。そんな未来が一瞬にして脳裏をよぎった、その時だ。

 ガチャッ

「!」

 突然屋上の扉が開かれた。まだ授業中のはずなのにと咄嗟に身構えると、そこにいたのはこの小説を書いた本人、横田だった。

「読んだ?」

 それ、と横田が指差すのは俺の手の中にある原稿用紙。

「どうだった?」
「……最悪」

 思わず抱いた感情をそのまま述べると、横田はふっと小さく笑った。それは初めて見た横田の笑顔で、それに俺の心も小さく動いた。

「……横田って余命宣告されてんの?」

 読んでる時から気になっていて、もしかしてと思い訊ねてみると、「んな訳ないじゃん」とあっさり返ってくる。

「フィクションでエンタメだよ。世の中のほとんどのものがそうだって知らないの?」
「知ってるって。でもこの中のヒーローがまんま俺だったから、もしかしてって思っただけで……」
「同情して、後悔した?」
「……違う。でも、そうだったら悪いことしたなと思った」
「はは! 素直!」

 ついには声をあげて笑った横田はなんだかすっきりとした顔をしていて、どこか楽しそうだった。こんな最悪な小説を書きあげておいて。
 横田は、何の為にこんなものを書いたのだろう。
 読み終えた今、どこか吹っ切れた様子の横田を見て、一層彼女の意図がわからなくなる。
 ……俺を殺すんじゃなかったの?

 さらさらと、地面に座る俺から少し離れた所に立っている横田の髪が風に靡いた。横田の声が風に乗ってここまで届く。

「あの時さ、わかると思ったんだ」

 遠くを見ていた横田の目が、俺に向けられる。

「あの時?」
「余命について君が長々と語った時。私にもその気持ちがわかるって。だからそれを次のお話にしようって決めたんだ。君はよく働いてくれたよ」
「……だから録音したってこと?」
「そうそう。余命ものについて自分らしさを出したいって悩んでたところだったから、ネタの気配に録音しなきゃ!って咄嗟に」

 いつもより明るい横田は、よく話した。

「君の言葉と行動をベースに考えた。怯えてブチ切れる君はすごく参考になったよ。だからお話の中で私は君を振り回すヒロインになったし、君は酷いことばかり言う最悪なヒーローになった」
「おまえも十分最悪だったけど」
「そりゃあ私がモデルなんだから仕方ない。でもお話の中でなら何だって出来るから、だからあそこには現実にない私の青春があった」

 現実にない私の青春、なんて言葉に、俺が青春小説を読む横田に対して『ありもしない自分の青春を上書きしている』と感じた心を読まれた気がしてどきっとした。口に出したことはなかったはずなのに。

「余命最終日の私の最後の足掻き、見事だったでしょう? 全てを懸けたよ。あれが余命宣告で主人公になった私の人生。で、君はどうだった? ついに今日最後を迎える訳だけど、それまでに何を見つけて、この後に何を残すつもりなの?」
「…………」

 俺は——……俺には、

「何もなかった」
「……何も?」
「そう。何も見つからなかった。ただ殺される日を想像して絶望して、怯えて、それだけ」
「…………」
「元から何もなかったんだよ。そんな奴には最後の日までに力を尽くしたいと思えるものも、必死でもがいて抗う必要性も、何もないんだってことがよくわかった。結局始めから俺は主人公になんてなれなかったんだ」

 それが、余命最終日までに見つかった俺の答え。俺のつまらない人生で、現実の俺の青春のあり方。
 ないものなんてないと、思っていたはずなのに。
 周囲の人間は最後まで俺の状況に気づかなかったけれど、気づこうともしなかったという方がきっと正しいと思う。彼らにとっては俺が何を思っていても関係がなかったから。だって俺は中身を必要とされてない人間で、外見にしか価値がないのだから、彼らは俺の機嫌さえ損ねなければそれでいいと思っている。
 何もない俺には当然の理屈だった。周りには外見目当ての人間しか集まってこないし、中身のないつまらない人生が無駄だと知る人間も、知ろうとする人間も、俺を含め、そこには存在しなかった。
 力を尽くし、きらきらと輝くようなもの、なんて。余命がどうとか、そんなものにありもしない青春を重ねていたのは俺の方だったんだ。本の中の綺麗ごとに縋りつきたかったのは始めからずっと俺の方。

 そんなことにやっと気づいた俺に、横田はどう思っただろう。呆れた? それとも、幻滅した?

 怒られたくないと機嫌を窺うように、見捨てないでくれと縋るように、横田の表情をそっと窺う。こんなつまらない俺のことを、君はどう思う?
 横田は、いつもの無表情で俺を見ていた。
 そして、

「え、今更そんなことに気づいて凹んでんの? メンタル雑魚過ぎ。つくづく情けない男だな」

 案の定というか、返ってきたのはそんな辛辣な言葉。

「打たれ弱いんだろうね、普段から持ち上げられてばっかりだから。傷つく前に逃げてんだもん、そりゃそうか。上手くかわして、目を逸らす為に人を傷つけて、自分はいつも安全地帯から見下ろして愚民共を笑ってる。それが君。私は君も、君ら全員も大嫌いだと改めて思い知らされた」
「…………」
「自分の傷にだけ敏感になってんじゃねぇよ。そんなんだからしょぼい人間関係に縋ることになるんだよ、ダッサいなぁ」

 それは、当然で納得の言葉。
 けれど面と向かってこうもはっきり言われるのは初めてだった。俺だっておまえなんか嫌いだ、おまえだってそうだろうと思うのに、心に思ったよりもダメージが蓄積していて、口先まで感情を持ちあげられる力がわかないでいる。言われ放題だというのに何も言い返せないなんて悔しい。悔しくて、憎たらしくて仕方ない。
 だけど。

「だから次は、君が主人公だよ」
「……は?」

 横田は、そんな俺に向かって唐突過ぎて意味がわからない言葉を告げた。たった今、大嫌いだと告げたその口で。
 ——俺が主人公?
 真意がさっぱり理解出来ない俺に、横田は続けた。

「私は君が大嫌いだ。だからこそ君の言動によって私の中の感情があふれ出て、新しいものが書き起こせるんだって知った。楽しかったよ、死ねよと思って殺せたことが。きっと情けないこいつは耐えられずに死ぬんだろうなと予想した通りに、現実の凹んでる君を見られたことが」

 横田が、にやりと口角を上げる。

「今日、最悪なヒーローの君はこのお話で死んだ。最悪なヒロイン兼主人公の私が殺した。だから次はまた違うお話を新しく書きたいと思ってる。今度は君が主人公で」

 横田の目に、力が漲っている。横田の声が、迷いなくはっきりとした意思と共にここまで届く。

「今の何もないことに気づいた君を主人公にしたらどんなお話が書けるんだろう。それとも、今よりもっと最悪な所を見せてくれる? なんでもいいよ。でも、君が私から逃げられないことは忘れたら駄目だよ」

 そう言って、わざとらしく俺に見せつけたのは、あの日と同じスマートフォンの画面。証拠という人質の提示。

「次は、どんな君を見せてくれるのかな」

 俺をいたぶることを楽しみにしているのか、それとも新たな小説を書き始めることに胸を弾ませているのか。
 期待にあふれる横田の瞳はもう、今ここに居る俺を映してなどいなかった。けれどその、まるで未来の俺を見ているかのような瞳に、その言葉に、俺はからっぽの胸が満たされていくような感覚を受け取っていた。今もまだ、俺の命は奴の手の中にあるのだというのに。

「これからもよろしくね、渋谷君」

 それは初めて横田が俺の名前を呼んだ瞬間だった。

 現実は何も変わらない。どうせ明日からも中身のない人間同士、お似合いの俺とその取り巻きが自分達の価値を確認し、見せつけあうために集まってるだけの毎日が続いていく。
 でも、明日からの俺は今日までの俺とは違う。現実のつまらない俺は何も変わっていなくても、横田の目に映る俺だけは絶対にそうだと言い切れた。だって横田は今日、この話の為に存在した俺を殺して、明日からまた、新しい話の為の俺を俺の中に探し始めるのだから。

 その事実がどうしようもなく俺の心を震わせるのだ。横田と話す中で何度も感じたこの心臓が粟立つ感覚——これは一体なんだろう。

 感情が、生まれて飛び出す瞬間を今か今かと待っている。
 待ちきれないと、こじ開けようとしている。
 全てを曝け出させてくれと、俺を見ろと、俺の心が声をあげている。

「……ほんと、最悪」

 そうか、俺はずっと、俺の内側を見て欲しかったんだ。