渋谷(しぶや)おはよう!」
「おはよー」

 あーあ。今日も始まった。

「渋谷が言ってたスニーカー見つけたわ」
「マジか、激アツじゃん」
「渋谷〜こないだのカフェなんて名前だったっけ〜?」
「忘れたわ。履歴ないの?」
「渋谷今日どうする?」

 毎日よくもまぁ、飽きないな。渋谷渋谷、俺の名前ばっかり。

「いや、今日暇じゃないんだよね」
「えー? 渋谷居ないとつまらん」
「あ、今日渋谷、委員会だもんな。終わったら合流しよーよ。全然俺ら待つしー」
「いいってほんと。待たれんのとか正直ダルい」

 鬱陶しくてたまらなくなって突き放す様な事を言ったとしても、

「またまた〜。本当は嬉しいくせに」

 なんて飄々とした態度でノーダメージだ。
 すっかり俺を取り巻く人間達は俺を中心にして世界を回しているから、自分が俺と同じ空間に居ることさえできれば、自分に対する俺の冷たい態度になんて気にもならないようにすらなっていた。
 そこまでして俺と居たい理由は?なんてもう深く考えない。いつも薄っぺらな理由が目に見えていて、どこに居ても何をしてても勝手に人が集まってくることがわかっているからだ。

「そだ。こないだ一緒に撮ったのあげていー?」
「やめろって」
「えー。せっかく良い感じに撮れたのに」

 そう。全ては俺の見た目のせい。正直自分で言うのもなんだけど俺は容姿が良い。だから初見で人が集まってくるし、普通に対応していれば勝手にチヤホヤされるし、少し気を遣えば必要以上に良い奴だと思われる。
 子供の頃からそうだった。元々大体のことはある程度出来るタイプだったし、空気だって読めるから、人の好意を操る方法なんてあっという間に熟知して、今では少し冷たくしたって勝手に人がついてくるようにまでなっている。
 年々、外見が良い俺と仲が良いというステータスの価値が上がっているのもその要因の一つだ。俺と撮ったそれを皆SNSにあげたがっている。承認欲求を満たす為に。それでおまえの何が認められてんの?って思うけど、馬鹿らしいけどそういうもん。

「あーあ。俺も渋谷みたいな見た目だったらな〜」
「頭もね」
「これで性格も良かったら逆に現実じゃないからこれくらいがリアルよな」
「なんでも“それが渋谷”で受け入れられちゃう人生」

 ……まぁ、実際その通り。正直、最近では人生がイージー過ぎてつまらないまである。
 なんでもあるしなんでも出来るし、俺にないものなんてあってないようなもの。しいて言うなら足りないともがく経験だろうか。手に入らないことに絶望し、もう無理だと諦め、それでも足掻こうと努力するような出来事。そんな、つまらない毎日を彩るスパイスのようなものが足りない。

 そう、つまり俺は刺激を求めていた。このつまらない毎日の中に、必死に生きる輝きみたいなものが欲しい。今の俺を取り巻く環境ではそんなものに出会える訳がないけれど、自分の人生をドラマティックにする何か……心をひりつかせる、突き落とされる絶望感から這い上がる力強いエネルギーみたいなもの——。



「……『余命半年の君』」
「!」

 放課後の図書委員の仕事で図書室の当番をしていると、一人の女子生徒が読んでいる本の表紙が目に入って、思わず声に出していた。
 図書室内は俺とその生徒の二人きりだった。ふとした拍子にこぼれ落ちた呟きだったにも関わらず、そのせいで本の持ち主である彼女の耳に届いてしまって、じっと黙って読んでいた彼女が読んでいた本から顔をあげる。

 あ、横田(よこた)さんだ。
 それは眼鏡をかけて少し太めな体型をしている地味な同じクラスの生徒だと、今気がついた。俺のクラスはほとんどの人間が俺の取り巻きみたいなものだから、横田さんのようなタイプはクラス内では空気みたいなものだった。いつも一人で本を読んでるし、何か書いてる時もある。そんな彼女が、放課後に図書室で一人、本を読んでいる。
 それだけで、きっとクラスの外にも友達が居ない、根暗な性格なんだろうなと察した。彼女の外見に対して何らかの手を加えようとする意識すら感じられない所もそう思わせる要因の一つだと思う。

 きっとつまらない人生を送っているのだろう。俺とは違う方向性で。だからそんな御涙頂戴の青春小説を食い入るように一人で読んでいるのだ。俺が居る図書室でそんなことをする人間は居ないというのに。
 だって普通は皆、俺に一人で本を読んでいるような奴だと思われたくないものだから。そんなの憧れとは対照にいる惨めの証明だから。俺のそばに居るような人間ではないと言っているようなものだから。
 でも横田さんはそんな事に気付いてすらいない。意識すらしてない。だからこんな見た目でこんな所でそんな本を読んでいる。
 悲劇のヒロインに自分でも重ねているのか。それとも、自分がもしこうだったらと妄想でも繰り広げているのか。現実ではありもしない自分の青春を上書きするように。
 そんな毎日を生きていて、何が楽しいの?

「……余命宣告されたらどうする?」

 だから、彼女に興味を持ったと同時に話しかけていた。どんなことを思ってこういう人達は毎日を生きているのだろう、なんて疑問が俺の好奇心をかき立てたのだ。こんなことでもないとこういうタイプの人間と話すことはないだろうから、今が絶好のチャンスだった。
 普段だったら絶対にそんなことはしない。だけど、今この誰も居ない図書室でならそれが出来る。なぜなら俺と彼女の二人の間でしか記録に残らないから。いつだってなかったことに出来るというのは、なんでも出来ると同じ意味を持っていた。

「そういうのってさ、主人公がやけに魅力的に書かれてるじゃん。余命が尽きるまで必死にもがいて抗って、そんな君は美しい、みたいな。そしてその生き様は周囲にも影響を与えていく、みたいな」
「…………」
「じゃあもし余命宣告されなかったら、その主人公は主人公にはなれないただの一般人だったってことになるのかな。抱える悲しい秘密を共有する特別感も無くて、懸命に生きる目的も無くて、ただ毎日をだらだらと生きているモブと同じ。つまり現実の俺達だよな」
「…………」

 彼女は何も言わない。始めこそ上げた顔も今では本に戻っていて、そのままなんの反応も示さないでいる。
 その態度にカチンときた。他でもない俺が話しかけてやってるのにと。興味を持たせてやろうと思った。

「毎日つまらないと思わない? それって俺達がモブだからなんだと思うんだよ。でももしこれがあと一週間で終わるなら、つまらないただの毎日は最後の七日間になる。何もなくて平凡で幸せな自分の人生になる。もうすぐ何もかも手放すことになる自分がドラマティックな最後を飾る為に残すうちの、たった一日だ。それが輝き出す瞬間で、きっかけなんだと思うんだ」

 聞け、俺の話を。見ろ、俺のことを。

「だから、もし余命宣告されたなら、俺は毎日を普通に生きるよ。その普通はきっと普通じゃなくなってるから。その時の俺は立派な主人公として毎日を生きてる。こんな毎日と違って」

 その言葉で、ようやく彼女は顔を上げた。
 きた、と思った。興味をひいてやった。話の方向性を切り替えたのは正解だ。別に今適当に思いついて話してるだけだけど、まるでずっと悩んで考えていたことのように俺の話として打ち明けることで、こいつは俺に、俺自身の考えに興味を持ったのだ。
 ここで更に俺が自分の中にある秘密を見せ始めたら、こいつはどうする?

「もう飽き飽きなんだよ、うじゃうじゃ集まってくる価値のないつまらない人間に消費される俺の毎日が。そいつらにちょっと笑っとけばなんとかなる俺の余裕すぎる人生が虚しくて馬鹿馬鹿しい。どいつもこいつも上っ面だけの寄生することしか出来ない馬鹿ばっか。そいつらに祀られてる俺の立場も考えて欲しい」

 今、あの俺が誰にも言わない本音を語ってるけど、こいつはどんな反応を返す?

「つまらない毎日の余命宣告をこっちは待ってるんだよ。刺激が欲しいんだ。俺の人生、全力かけて生き抜かせてくれよ。今日も良い日だったと思わせて。一日の価値を感じさせてくれ。そんな風に俺もなりたい」

 それにおまえは共感する? 否定する? それとも感動する?  

「俺も余命が決まってたら、もっと人生が楽しくなるのに」

 あぁ、胸が高鳴ってる。
 この中にあるのは正真正銘俺の本音だ。余命なんてどうでもいいけど、人生に飽き飽きしてるのも、もっと刺激的な楽しみが欲しいのも本当。周囲の人間をひたすら馬鹿にしてるのも。だけど流石の俺もバラされたら今の立場が危うくなるであろう最悪な吐露だというのはわかってるから、こんなことは誰にも言わないし、言えない。
 でもこいつは人に言わないし言えないのだと確信しているから、だから言った。だってこいつには言う相手が居ないんだから。言った所で信じてもらえる人からの信頼もないのだから。だから俺は、本音を晒す、なんていう刺激的な瞬間に今立ち会えている。自ら危険に足を踏み入れるこの危機感。だけどこいつにはどうしようもないという安堵感。
 こんな刺激の作り方があったなんて。

「……驚いたよな。こんなこと誰にも言えないのになんでだろう……その本に引っ張られたのかな。横田さんならわかってくれると思ったのかもしれない。横田さんはあんな奴らと違うから」

 なーんて。あの俺にこんな風に言われて、どう思った?
 恋でも始まる? 地味な女と一軍男子の? 少女漫画ってそうだもんな! んなもんある訳ねぇじゃん! そうだとしたら夢は夢だって教えてやらねぇと!

「横田さんならどう思う?」

 さぁ早く答えろよ、おまえはどうくる? さぁ、さぁ!

「…………」

 なかなか答えない横田の返事を待つ静寂が訪れる。興奮を抑え込んでじっと反応を待つ中で、彼女の口が開かれるのがスローモーションのように見えた。
 彼女は、言った。

「じゃあ、殺してあげようか」

 ぽつりとこぼした彼女の言葉に、ぞっと鳥肌が立ちあがる。待ちに待ってようやく返ってきたそれはやけに落ち着き払った態度で、声色で、視線で、俺の目の前に提示された。
 スマートフォンの画面と共に。

 “新規録音”

「……ボイスメモ?」

 ひゅっと背筋が凍った俺を前に、彼女はうんと頷くと、画面の明かりを消した。

「私がこれを人に晒した時、君は死ぬね」

 人に晒した時……クラスのみんなに晒された時、俺の立場はどうなる? 
 脳裏に浮かび上がったのは、突き刺さるような冷たい視線。軽蔑を露わにした言葉の数々。積み上げてきた全てが一瞬にして消え去る瞬間。
 誰も信じないだろうと思っていた。さっきまでは。でも、明らかな証拠が提示されたとしたら? それをこいつが持っていたら?
 ……死ぬ?
 俺が、死ぬ?

「なんで……何のために」

 いつから録っていたのだろう。
 この言いようだと、始めから?
 
「始めからそのつもりで……?」

 いや、話かけたのは俺だ。そのつもりでいて準備していた訳がない。
 だとすると、話しだしたと同時に咄嗟に録音を開始した、ということになる……

「……本当に録音したのか?」

 疑う俺の目の前で横田がスマホを操作すると、『そういうのってさ、』と、俺の声が聞こえてきた。本当に録音されている。
 横田は再生していた俺の声を停止させると無表情のまま俺を見た。

「急に語り出すんだもん、いいネタになると思って」
「ネタ?」
「消そうとしてもクラウドにも保存されてるから無駄だよ。さて、お望み通り今まで築きあげた全部、社会的に死ねる訳だけど……いつにしようか」

 どこまでも冷静にそんなことを言いだす横田に、ふざけやがって!と、怒鳴りつけたい気持ちが爆発的に湧き上がる。——が。

「君の人生、全力かけて生き抜いてみせてよ。今日も良い日だったと教えて。そんな君を私に見せて」

 はっと目が合った横田の瞳が、その無表情とは正反対に爛々と光る様を見て、怖気付いた。

「君の言う通り、つまらない毎日だったの。刺激をありがとう」

 彼女はもう、明日を見ていた。これから始まる俺が死ぬまでの毎日を思い、それに胸を高鳴らせて、興奮を隠しきれずに露わになった感情に気づいていない無表情で——。

 それは、俺が彼女の中に眠る何かを、触れてはいけない何かを起こしてしまった瞬間だった。

 今この瞬間から、俺の命は彼女の手の中にある。
 そんな恐怖を感じるのは、生まれて初めてのことだった。