——こんなに心臓がうるさいの、はじめて。

 

 保健室のベッドで見上げた天井は、
 びっくりするくらい、なんでもない白だったのに。
 あのときの私は、胸の中がぐちゃぐちゃで、
 頭もぼーっとして、うまく考えられなかった。

 

 東雲 律先輩。
 優しくて、静かで、でもどこか……ちょっとこわいくらい綺麗で。
 あったかいのに、近づいたら壊れてしまいそうで。

 

 「また、会えるといいな」

 

 その声が、今でもずっと頭に残ってる。
 名前を呼ばれた瞬間、息が止まりそうだった。
 なのに、ちゃんと返事もできなくて……
 もう、思い出すたびに顔から湯気が出そう。

 

 ——大丈夫。きっと、あの人はみんなに優しい。
 わたしなんか、特別なはずない。

 

 ……って、思いたかったのに。
 先輩の声も、言葉も、
 なんかもう、勝手に胸の奥にしまわれちゃってて、どうしようもなかった。

 

 「恋なんて、わかんないよ……」

 

 小さくつぶやいた声が、ちょっと震えてた。
 でもたぶん、それは春のせい。うん、きっとそう。

 

 

 放課後。
 なんとなく歩くスピードをゆるめて、
 ふと立ち止まったのは、音楽室の前だった。

 

 ——ぽろん。

 

 やわらかなギターの音が、扉のすき間から、ふんわりとこぼれてくる。

 

 あっ、この音……
 なんか、やさしい。
 あの人の声に似てるような、でも少し違うような。

 

 ……え、なにこの音。すきかも。

 

 気づけば、私はそっと扉のすき間をのぞいていた。

 

 「……あれ? もしかして、聴いてた?」

 

 びくって肩が跳ねた。
 ギターを抱えた男の人が、こっちを向いて笑っていた。

 

 「やば、かわいい子。……って、君、もしかして、ねねちゃん?」

 

 「え、えっ……なんで……?」
 (※あわわ、顔が熱い、え、誰、ていうかイケメンすぎん?)

 

 目の前にいたのは、
 まるで光をまとったみたいに、
 眩しくて、華やかで、笑っただけでその場の空気を明るくしてしまうような——
 “絶対モテる”って文字が背中に見えるレベルの、まぶしい年上男子だった。

 

 「律先輩が言ってたよ。
 “今日、保健室で天使を見た”って」

 

 ……えっ、て、天使って、だれ!? わたし!?!?
 律先輩、ちょっと待ってください!?!?(※内心フルパニック)

 

 「七瀬 陽向。二年。軽音部。よろしくね?」

 

 笑顔が、反則レベルで爽やか。
 ギターをぽろんと鳴らす指が、信じられないくらい綺麗。
 光の中にいるって、こういう人のこと言うんだ……。

 

 「俺、かわいい子には弱いからさ。
  ねねちゃんの顔見てたら、ギターの音も変わる気がする」

 

 「……っ、そんなの……言っちゃダメです……!」

 

 「なんで? ねねちゃん、褒められ慣れてないでしょ?
  かわいいのに。……ずるいなあ、そういうとこ」

 

 うわ、まって、近い、笑ってる、きらきらしてる……むり……。
 ねね、ショート寸前……!!

 

 「ねねちゃん、今度さ、俺の演奏……もっと近くで聴いてくれない?」

 

 「……え、えぇっ!?」

 

 「俺、ぜったいもっとキュンってさせるから」

 

 ……え、ほんとにやばい、この人。
 ギター持ってウインクするとか、反則すぎませんか……!?

 

 でも、
 その言葉に、ほんとに「キュン」ってなったのは、
 間違いなく、私のほうだった。

 

 

 陽向先輩の声は、明るくて、甘くて、
 なのにどこか“奥に何かを抱えてる感じ”がして。
 それが、律先輩とはまたちがうかたちで、
 わたしの心を、引き寄せていった。

 

 ——どうして、みんな。

 どうして、“わたしにだけ”——
 そんな顔、するの。