「これで本当にいいのか?」

 奥底から湧き上がる不安を抑えながら、モニターに映る自分の作品を見つめる。映像は既に完成し、あとは上映するだけだ。

「マリ、大丈夫だよ」

 カナの声に振り向くと、普段のクールな表情とは違う、緊張の色が浮かんでいる。上映会用のパリッとした白いシャツを着ていても、いつもの儚げな雰囲気は変わらない。

「本当に新人俳優みたいだな」

 俺が言うと、カナは照れたような笑顔になる。

 9月に入り、大学は夏休みから戻って間もない時期。映画サークルの部室に集まった仲間たちは、それぞれの夏の作品を持ち寄っている。伝統行事「夏の上映会」の日だ。
 この日の優秀賞が全国映像コンテストに出品され、予選通過作品はインディーズ映画祭で上映される特別な機会を得る。

「真梨野の作品、楽しみだな」

 サークルの先輩がニヤリとする。カナがドレスを着ていると聞いて、からかう気満々の様子。

「普通に撮りました。でも、自信あります」

 そう返しながらも、脈拍が早まるのを感じる。俺の映画『サマードレスに憧れて』は単なる学生映画のはずが、いつしか俺とカナの関係を変えてしまった作品だ。スタッフ総出で編集を重ね、コンテストに相応しい芸術性の高い短編映画に仕上がっている。

「上映開始します」

 部室が暗転し、最初に映し出されたのはユナの作品。彼女が連れてきた演劇サークルの男子が主演の恋愛ドラマだ。予想以上の出来栄えに驚く。ユナの繊細なカメラワークとデジタルアートは、彼女の感性の良さを証明していた。

「次は、真梨野くんの作品です」

 司会役の先輩の声に、全身に緊張が走る。カナは俺の隣で静かに座っている。

 スクリーンに映し出されたのは、海辺を歩くライトブルーのドレス姿のカナ。髪が風になびき、振り返るたびに陽の光が横顔を照らす。
 逆光が彼の輪郭を金色に縁取り、8ミリフィルムの粒子が肌を詩的に染めている。それは、オゾンの『サマードレス』へのオマージュでありながら、完全に俺たちだけの映像になっていた。

 登場人物はカナ一人。テロップと会話する構成にしたことで、カナの魅力がより鮮明に伝わる。砂浜に残る足跡、波の音、潮風でなびくドレス。すべてが調和している。

 そしてカナがゆっくりと振り返る。

「Do you love me?」

 画面が切り替わり、テロップが映る。

「No, thank you」

 表現不可能なカナの表情のクローズアップ。静かな音楽と共に、ドレスのまま海に向かって歩いていく後ろ姿。ゆっくりとフェードアウトして映画は終わる。

 部室に明かりが灯ると、一瞬の沈黙の後、拍手が巻き起こった。

「すげえ...これマジで単館系の芸術作品みたいだぞ」
「奏多くん、めちゃくちゃ様になってる」
「真梨野、センスあるな」

 その瞬間、漠然とした映像制作への憧れが確かな決意にかわる。

 称賛の声が飛び交う中、隅の方でじっと映像を見つめていたユナが立ち上がった。彼女はゆっくりと俺の方へ歩み寄り、照れくさそうに視線を落とす。

「マリ先輩」
 ユナの声には、これまでの敵意が消えていた。
「...感動しました。私、間違ってたみたい。この役は奏多くんにしか出来ませんね」

 彼女の言葉は素直で、以前の険悪な空気が嘘のよう。
「ユナの作品も良かったよ。あの光の使い方とデジタルアート、本当に素晴らしかった」
 俺の言葉に彼女は少し照れた様子で、小さく頭を下げる。

「奏多くんが着たいって言ってたドレス、すごく似合ってましたね。ライトブルーと海が合わさると夏そのものという感じで。8ミリフィルムとデジタルの融合も面白い編集でした」

 そう言ってユナは微笑む。彼女の表情には、純粋に映像作品を愛する者としての輝きがあった。
 ユナとの会話を見ていたリョウも「あいつと仲直り出来たみたいで良かったな!」と俺の肩を叩く。リョウにはこの件で、かなりメンタル面のサポートをしてもらった。親友がいて良かったと、リョウに感謝している。カナとの恋も応援してくれたし。

 試写会では他のメンバーの作品も続々と上映され、合評会へと移っていく。先輩たちからの鋭い指摘や後輩たちからの素朴な感想があり、それぞれの視点から映像について語り合った。俺の作品は「芸術性が高くて斬新」と評価され、カナの演技は「自然で表情が豊か」と称賛された。

「今年の夏の上映会、レベル高いな。審査が難しそうだ」

 部長が満足げに言いながら、最後の挨拶をして会は終了した。観客の投票結果、講師と外部の審査委員長の評価で、数週間後に結果が出る。

「お疲れさま、みんな!このあと懇親会やるけど、来れる人は来てね!」
 副部長の元気な声に、サークルメンバーが応答する。カナと目を合わせると、彼は小さく首を振った。懇親会に行く気はない様子だ。

「僕たち、先に失礼します」

 カナが周りに声をかける。俺も「お先に」と手を振ると、先輩の一人が意味ありげに笑いながら「楽しんできなよ」と言った。どこまで俺たちのことを察しているのか分からないが、気にしないことにした。

 部室を出て、夜の大学構内を歩き始める。初秋の風が肌に心地よく、木々の間から覗く月が静かに輝いている。

「マリ、みんな映画を気に入ってくれたね」
 カナの声には安堵感があった。彼の横顔を見ると、緊張から解放された柔らかな表情をしている。

「うん、良かった。あんなに拍手もらえるとは思わなかった」
「でも、マリの力だよ。監督が上手だったから」
 カナの言葉に、頬に熱が走る。

「お前がいなきゃ撮れなかった」
 そう返すと、カナは優しく微笑んだ。
「ユナも、変わったね」
「あぁ、彼女も本当に映画が好きなんだな」

 二人で工学寮への道を歩きながら、カナと出会った頃からの思い出を振り返る。最初はカナに魅力を感じて窓から毎日眺めていたけれど、たまに映画や写真の話をするだけで、深く知り合うことはなかった。

 単館系映画に出てきそうな雰囲気に惹かれて、映画に出てくれと声をかけただけだったのに、こんな関係になるなんて思いもよらなかった。

「季節が変わるの、早いね」
 カナの言葉に頷く。確かに、あっという間だった。
「でも、この夏はとても長く感じたよ」
 俺の言葉にカナが不思議そうな顔をする。

「悪い意味じゃないんだ。すごく濃密で、一日一日が大切に思えて...だから長く感じた」
 理解したように、カナは穏やかな表情を見せた。

 工学寮に到着すると、当然のように俺の部屋へ向かう。鍵を開け、中に入ってエアコンをつける。夏休み明けだというのに、まだ昼間の暑さが残っている。

「お疲れ様」
 カナがベッドに腰掛けながら言う。俺はデスクの椅子に座り、今日の試写会を振り返る。

「先輩たちの反応見てたら、映画は人に届けるためのものだとも思った」
 
 カナが少し驚いた表情を見せる。
「でも、マリはいつも『自分が撮りたいものを撮る』って言ってたじゃん」

「それは変わらない。ただ、自分だけが満足するんじゃなくて、誰かの心に届いたときの喜びも知った気がする」
 
 窓から差し込む月明かりが、カナの横顔を優しく照らしていた。
「なぁ、マリ」
 カナが呼びかけてきた。彼の声には少し切実なものが混ざっている。

「なに?」
「この夏のこと、ずっと覚えておける?」

 その質問の意味が分かる。俺たちが過ごした特別な時間のこと。映画のために始まった関係が、いつの間にか大切なものに変わっていったこと。

「忘れるわけないだろ」

 俺はデスクの引き出しからDVDを取り出し、カナに手渡す。ケースの表紙には、海辺でドレスを着た彼の姿が映っている。タイトルは『サマードレスに憧れて』完全版だ。

「ほら、ちゃんとディレクターズカット版も作ったんだ。今日見せた編集版じゃなく、俺たちだけの完全版」

 それには撮影中の会話や、NGシーン、海辺のコテージでの様子まで含まれている。二人の思い出がすべて詰まっていた。
 
 カナの瞳に光が宿り、立ち上がって俺の方へ歩み寄る。
「ほんと、マリはロマンチストだね」
 そう言いながら、彼の両腕が俺の腰に回る。その温かさが心地よい。

「この夏は、俺にとっても特別だった」
 カナの声は静かだが、確かな思いが伝わってくる。

「高校の時のあの失敗から、ずっと自分を閉じ込めていたのに...マリと出会ってから変われた。また人を撮れるようになったし。撮りたい被写体も見つけた。何より、自分の感情にも素直になれた」

「俺もだよ」
 自然と言葉が出る。
「一生忘れられない時間だった。俺の夢の映画がカナのおかげで完成したんだから」

 カナとの出会いがなければ、俺はまだ単館系映画に憧れるだけの、何も作れない学生だったかもしれない。カナを見つけたことが、俺の中の創造の鍵を解き放ってくれた。勇気を出して行動することの意味を教えてくれたんだ。

 カナが俺の手を優しく握る。あの海辺のコテージでの夜のような自然な流れだった。

「マリ、これからも映画を創り続けていこう」
 カナの言葉で全身に温もりが広がる。

「もちろんだよ」
 窓の外では、夏の名残の花火が遠くで上がっている。青と赤の光が夜空を彩る。二人は窓辺に立ち、並んで鑑賞する。

「今度は何を撮りたい?」
 カナの問いかけに、俺は少し考えてから答える。

「今度は...冬の物語かな」
 彼は不思議そうに首を傾げる。
「冬?まだ先のことじゃない?」

「だって、この夏の続きを撮りたいんだ。季節が変わっても、俺たちの物語は続くだろ?それにロメールも、『夏物語』と『冬物語』を撮った。俺も撮らなきゃ」

 カナも笑顔で頷く。
「そうだな、さすが映画オタクだ。そばにいて、作品作り手伝うよ」

 そう言って、彼は俺の肩に手を回し引き寄せた。その仕草には、もう迷いがない。

「去年のあの日、初めてマリに声をかけられた時、ドキドキしたんだ。言わなかったけど」
 カナの告白に驚く。彼もあの時から何かが動き出す予感があったのだろうか。

「俺も、初めてお前を見た瞬間から、何かが始まった気がしていた」

 彼の姿に心惹かれ、ライトブルーのドレスを着せたいと思った衝動は、きっと、フランソワ・オゾンの映画への憧れだけじゃない。

「カナへの、純粋な恋だったんだなって今なら思う」

 思わず口に出した言葉に、カナの瞳が輝いた。彼は少し照れくさそうに顔を近づけてきた。

「Do you love me?」

 俺が囁くと、カナは迷わず答えた。

「Yes, 狂おしいほどに」

 そしてカナの唇が、やさしく俺の唇に触れた。柔らかくて温かいキス。窓から差し込む月明かりの中、俺たちの夏は新しい季節へと変わり、新しい物語へと続いていく。

――夏の終わりに。

「明日は何する?」

 キスの後、カナが尋ねてきた。俺は窓の外を眺め、潮風の余韻を思い出す。

「海に、もう一度行こうか」

 カナは一瞬驚いた後、柔らかな表情になる。

「いいね。でも今度は、ドレスはなしで」
「わかった。普通の二人として」

 普通。その言葉が胸に染みる。もう映画のための演出じゃない。俺たちは単なる監督と役者ではなく、ただ互いを想い合う、恋人同士として海を訪れるのだ。

 カナが俺のベッドに座り、手招きした。隣に腰を下ろすと、彼の頭が俺の肩に優しく寄りかかる。

「でも、カメラは持っていこう」
 俺の言葉にカナがフフッと声を漏らす。
「やっぱりね。監督は休みなしか。俺もカメラ持って行くよ」

「撮り合おう。喧嘩しないように、撮る・撮られるを交代で。二人の思い出を記録しよう」

 カナは満足げに頷き、指を絡ませてきた。温かな手の感触に、幸福感が全身を包む。

 工学寮の廊下からは学生たちの笑い声が響き、窓の外の木々には秋の風が通り過ぎる。夏は去っても、俺たちの物語はこれからも紡がれていく。

「明日も、これからも」

 カナの囁きに、俺は静かに応える。

「うん、永遠に」

 二人の間に流れる静かな時間が、この瞬間を特別なものにしていた。夏の記憶と共に、新しい季節の始まりを感じながら。

 ◇

 数週間後、上映会の審査結果が発表された。優秀賞は俺とユナの作品が選ばれ、特例で二作品ともコンテストに出品されることが決定。俺とカナはその知らせに喜び抱き合う。次はコンテストで予選通過し、スクリーンでの上映を目指す。

 新たな希望を胸に、俺たちは次作『冬物語』の構想に取り掛かり始めた。カナと共に創る次の物語に胸が高鳴る。

「マリ、ちょっとこれ見て」

 ある日、カナが俺の部屋に一枚の写真を持ってきた。砂浜に寝転がる俺の姿を捉えたショット。遠くを見つめ、何かを夢見るような表情が映っている。

「これ、いつ撮ったの?」
「覚えてない?あの日、マリが脚本を考えてた時」

 思い出す。波の音を聞きながら、脚本の構想を練っていた時のこと。

「この表情、好きなんだ」カナが優しく言った。
「何かを見つけた人の顔」
「そうか...」

「映画祭に出られたら、次は二人で監督しない?」
 カナの突然の提案に驚く。
「二人で?」

「うん。マリのアイデアと、俺の写真の感覚を合わせれば、もっといい作品ができると思うんだ。ウォン・カーウァイとクリストファー・ドイルみたいに」

 その言葉から、新たな可能性が広がる。カナと共同で作品を創造する道。それは役者と監督という枠を超えて、創作を共有する関係だ。

「いいね、やってみよう」
 決意の言葉に、カナは満足げに頷いた。
「約束だぞ」

 そして彼の指が、俺の頬に触れる。その感触が、これからも続いていく二人の関係を確かなものにしているようだった。

 ◇

 インディーズ映画祭の当日。会場となった小さな劇場は満員だった。俺たちの『サマードレスに憧れて』は、無事に予選通過を果たし、学生部門で上映される。

 舞台の袖で、カナと俺は互いの手を握りしめている。
「緊張する?」カナが小声で尋ねる。
「ああ、心地よい高揚感だ」

 間もなく俺たちの名前がアナウンスされ、スクリーンに映画が映し出される。客席からの反応を感じながら、俺はカナの手をさらに強く握る。

 映画が終わると、会場から温かい拍手が湧き起こる。映像で人の心を動かせたこと、それが何より嬉しい。

 審査結果の発表が始まる。まさか自分たちの名前が呼ばれるとは思わなかった。学生部門の奨励賞受賞。舞台上で賞状を受け取るとき、カナと視線が合う。彼の目には誇らしさと、これからの期待が輝いていた。

 リョウやスタッフとして手伝ってくれた後輩たちも大喜び。ユナも笑顔で受賞を祝福してくれた。俺は込み上げる思いを抑えながら、受賞インタビューに答える。

「この作品に込められた思いを教えてください」

 俺は少し考えてから答える。

「夏の終わりに生まれた、純粋な感情の記録を撮ったつもりでしたが...それは終わりではなく始まりだったんです」

 カナが横で静かに頷くのが見えた。

 映画祭の後、俺たちはいくつかの映像関係の仕事のオファーも受け、大学生ながら小さな実績を積み始めていた。それは将来への足がかりになるかもしれない。

 帰り道、カナと手を繋ぎながら歩いていると、俺は突然立ち止まった。

「カナ、覚えてる?俺が言ってたこと」
「どんなこと?」カナが首を傾ける。

 俺はいつもより真面目に話始めた。

「夏の終わりに、何かを得て、何かを失う物語って」

 撮影前に物語の本質について語り合った夜、カナに話したコンセプトだ。

「確かに、俺たち夏そのものを失ったね」とカナは言う。

 俺が続ける。
「あの海辺の日々も、あのライトブルーのドレスも、あの特別な時間も、もう戻ってこない」

 カナは静かに頷く。季節は巡り、二度と同じ夏は訪れない。あの輝くような日々は過去のものになった。

「でも、カナ」
 俺が彼の方を向き、真っ直ぐに目を見つめた。
「その代わりに、俺たちは何かを得たよね」

 カナの瞳に映る確かな思いに、心が震える。
「ああ。お互いを得た。そして...未来を」とカナは答えた。

 単なる夏の思い出ではなく、これからも続いていく関係。一時的な輝きではなく、永続する灯り。それが俺たちの得たものだった。

「映画の中じゃなく、現実の中で生きていく、俺たちの物語」

 俺がそう言うと、カナは優しく微笑んだ。夏の光は失われても、手に入れたものはもっと大切だった。永遠に色褪せない、心の中の映画のように。

 ◇

 季節は巡り、冬になった。俺たちは約束通り『冬物語』の撮影に取り掛かった。今度はカナがカメラを、俺が演出を担当する。互いの強みを活かした共同作業だ。

 雪の降る日、カナが俺の手を引いている。木に積もった雪を掴んでは俺にたまに投げて来る。おふざけモードのカナを微笑ましく見守った。

 二人で雪の中を歩きながら、俺は思う。あの映画がなければ出会えなかった感情。『サマードレスに憧れて』で始まった物語が、いつしか俺たちの現実になっていた。

「マリ」カナが足を止めて言う。
「次の夏も、その次も、ずっと一緒に映画を撮ろう」

 雪の結晶が二人の間に舞い、白い息が重なり合う冬の朝。俺たちは新しい季節を生きていた。

「うん、ずっと一緒に」

 俺たちは映画という名の物語の中で出会い、現実の中で愛を紡いでいく。

 いつか俺たちの映画が、誰かの人生を変えるかもしれない。あの日の俺がオゾンの映画に心を奪われたように。

 ライトブルーのサマードレスはクローゼットの奥に眠ったままだけど、あの夏の記憶は色褪せない。これからも俺たちだけの物語が続いていく。

 季節が巡り、また新しい夏が来ても。そして、その先の季節が来ても。



           Fin.
     


  フランソワ・オゾン監督と映画に愛をこめて。  



          tommynya