悠誠くんが、バイオリンの弦を弾く。
「瑠衣ちゃんは、バイオリンに詳しくない?」
「全然わからない」
 素直に答える。こんなことで意地を張って嘘をついても仕方のないことだ。
「バイオリンの本体は見たことがあるよね。弦は四本。こっちの棒は(ゆみ)という。これで弦をこすることで音が出る。弓に張られている、この白いものは馬のしっぽの毛だよ」
「馬のしっぽ!?」
 想像していたものと全く違うものがでてきて、わたしは声を高くする。
「そう。ほら」
 悠誠くんは、弓と呼んだ棒の付け根をくるくると回すと、ピンと張られて平面上になっていた部分が緩み、バラバラの毛になった。
「本当だ……。布みたいに一枚の平面でできているんじゃないんだね」
 悠誠くんは、付け根を逆方向に回して、緩みを直していく。
「ここに、塗ったのが松ヤニ」
「松ヤニって……松ヤニ?」
「そう、松の樹脂」
 そうして、琥珀色の低い円柱の固形物を差し出す。
「これを塗らないと、弓の毛が弦の上を滑って、弾くことができないんだ。松ヤニを塗って、摩擦が生じて音が出る」
「なんか、理科の授業みたい」
 悠誠くんは、弓の毛に松ヤニをこすりつける。
「音を出す仕組みの話だからね」
 弓が弦の上を滑ると、きれいに伸びた音が鳴る。山の向こうまで届いてしまいそうで、わたしはその青く透明な波をずっと見る。
「瑠衣ちゃん、何を見てるの?」
「あっちに音が伸びていった」
 わたしは窓に切り取られた星空を指す。その向こうの峰を越えて、きっとどこまでも悠誠くんの音は飛んでいくのだ。自由に、軽やかに。
「そんなふうに見えるんだね。面白いなぁ」
 悠誠くんは、ピアノのふたを開ける。鍵盤を押してラの音を押すと、また、弓が動く。
 バイオリンの先端についた平たいつまみのようなものを調整しながら、ピアノのラの音を叩く。
「この音が基本なんだ。これは調弦という準備行為だよ」
「へぇ……」
 ラの調整が終わると、2本ずつ弦を弾いていく。不協和音のように聞こえるのに、どこか心地良い。
 そうだ、まるでイルカの鳴き声だ。昔連れて行ってもらった水族館で聞いた、イルカの鳴き声。その声を思い出す。
 イルカは海の生き物だから、悠誠くんのバイオリンの音は青いのだろうか。いや、それは違う。バイオリン演奏をテレビ番組などで見ても、こんなにきれいな青は見たことがない。
 曲や演奏者によって変わるそれは、悠誠くんに限っては、ずっと青だ。
「不思議だなぁ……」
「何が?」
「曲によって色が変わることが多いのに、悠誠くんの色はずっと青なんだ。時が止まっているみたい」
 バイオリンの音がギッと鳴った。滑らかに流れる湧き水のように調弦されていた音がせき止められる。しぶきがあがった。