両親に談判した日の夜、わたしは家を抜け出して、学校に行っていた。
音楽室に明かりはなかった。
廊下の非常灯を頼りに、音楽室にたどり着く。
青の音は聞こえない。音楽室の扉には、鍵がかかっていた。
試しに、ノックをしてみる。悠誠くんが「いらっしゃい」と開けてくれるのではないかと思った。
実際は、ノックの音が空虚に響いただけだった。
悠誠くんはいなくなってしまった。わたしは、小さくため息をついてから、来た道を帰った。
一学期の終業式の日。
空はきれいに晴れていた。ホームルームが終わって、帰ろうとする澪に、寄りたいところがあるから、と言って断った。
わたしは、音楽準備室を目指した。
音楽準備室の扉をノックする。「はい」と返事があった。
扉を開けると、大場先生がデスクのノートパソコンに向かっていた。先生は、わたしを見ると、パソコンをぱたりと閉じた。
「上坂さん」
「大場先生、少し、お話をしてもよろしいですか」
先生は頷くと、椅子を用意してくれた。
大場先生と話す機会は少ない。そもそも音楽は授業の回数が少ないし、わたしは大場先生が顧問をしている合唱部とも関わりがないので、単純に接点が少ないのだ。
大場先生の隣に座る。少し緊張した。
「……あれから、雨塚くんはどう?」
大場先生は、わたしが話したいことを理解していた。
「消えていきました。もうバイオリンを弾く理由がなくなったのだろう、と言っていました」
「……そう」
先生は、古い写真が入った写真立ての置かれている棚に目を遣る。
「それは、雨塚くんが言葉を間違っているかもしれないわね」
「どういうことですか?」
先生は写真立てから目線を変えずに、ゆっくりと話す。
「きっと、執着がなくなったのよ」
「執着?」
大場先生はわたしの目を見て頷いた。
「雨塚くんは、自ら死を選ぶほどにバイオリンに執着していた。そしてそのまま、二十三年間もこの音楽室でバイオリンを弾いていた。その音を誰かに届けたくて。誰かに見つけてほしくて」
「見つけて……ほしくて……」
「それを上坂さんが叶えてくれた。だから、この音楽室から解放されたのよ」
大場先生はわたしの手を、自分の両手で包みこんだ。温かかった。
「上坂さんが、雨塚くんを二十三年間の孤独と束縛から解放したの。きっと、感謝しているわ」
先生の言葉とてのひらが温かくて、わたしはじんわりと目頭が熱くなる。
「そうでしょうか。わたしは、悠誠くんに助けてもらってばかりで……きっと迷惑もたくさんかけていて……」
「わたしは雨塚くんと二十三年間も会っていないし、本人の気持ちなんて本人しかわからないけれど、そうだと思いたいの」
ふかふかのタオルのように白くて柔らかな声色だった。
悠誠くんは、解放されて良かったのだろうか。
それは、悠誠くんにしかわからない。
でも、悠誠くんは最後に「ありがとう」と言っていた。だから。
「わたしも……そう信じようと思います」
先生は何度も頷いた。
音楽室に明かりはなかった。
廊下の非常灯を頼りに、音楽室にたどり着く。
青の音は聞こえない。音楽室の扉には、鍵がかかっていた。
試しに、ノックをしてみる。悠誠くんが「いらっしゃい」と開けてくれるのではないかと思った。
実際は、ノックの音が空虚に響いただけだった。
悠誠くんはいなくなってしまった。わたしは、小さくため息をついてから、来た道を帰った。
一学期の終業式の日。
空はきれいに晴れていた。ホームルームが終わって、帰ろうとする澪に、寄りたいところがあるから、と言って断った。
わたしは、音楽準備室を目指した。
音楽準備室の扉をノックする。「はい」と返事があった。
扉を開けると、大場先生がデスクのノートパソコンに向かっていた。先生は、わたしを見ると、パソコンをぱたりと閉じた。
「上坂さん」
「大場先生、少し、お話をしてもよろしいですか」
先生は頷くと、椅子を用意してくれた。
大場先生と話す機会は少ない。そもそも音楽は授業の回数が少ないし、わたしは大場先生が顧問をしている合唱部とも関わりがないので、単純に接点が少ないのだ。
大場先生の隣に座る。少し緊張した。
「……あれから、雨塚くんはどう?」
大場先生は、わたしが話したいことを理解していた。
「消えていきました。もうバイオリンを弾く理由がなくなったのだろう、と言っていました」
「……そう」
先生は、古い写真が入った写真立ての置かれている棚に目を遣る。
「それは、雨塚くんが言葉を間違っているかもしれないわね」
「どういうことですか?」
先生は写真立てから目線を変えずに、ゆっくりと話す。
「きっと、執着がなくなったのよ」
「執着?」
大場先生はわたしの目を見て頷いた。
「雨塚くんは、自ら死を選ぶほどにバイオリンに執着していた。そしてそのまま、二十三年間もこの音楽室でバイオリンを弾いていた。その音を誰かに届けたくて。誰かに見つけてほしくて」
「見つけて……ほしくて……」
「それを上坂さんが叶えてくれた。だから、この音楽室から解放されたのよ」
大場先生はわたしの手を、自分の両手で包みこんだ。温かかった。
「上坂さんが、雨塚くんを二十三年間の孤独と束縛から解放したの。きっと、感謝しているわ」
先生の言葉とてのひらが温かくて、わたしはじんわりと目頭が熱くなる。
「そうでしょうか。わたしは、悠誠くんに助けてもらってばかりで……きっと迷惑もたくさんかけていて……」
「わたしは雨塚くんと二十三年間も会っていないし、本人の気持ちなんて本人しかわからないけれど、そうだと思いたいの」
ふかふかのタオルのように白くて柔らかな声色だった。
悠誠くんは、解放されて良かったのだろうか。
それは、悠誠くんにしかわからない。
でも、悠誠くんは最後に「ありがとう」と言っていた。だから。
「わたしも……そう信じようと思います」
先生は何度も頷いた。



