悠誠くんに気持ちを伝えよう。
 そう思えたのは、花火のことがあったからだ。花火の日に出かけて、その場の勢いで、この気持ちを伝えたい。
 しかし、わたしにはその前にやるべきことがあった。
 塾の講義の前、自習室に入る。
 翔太郎がいた。
 翔太郎の肩を叩く。わたしは、今どんな顔をしているのだろう。
 翔太郎は、頷いて荷物をまとめた。

 塾から少し離れたところに小さな公園がある。
 ブランコと砂場と時計台、それからベンチだけが置かれた公園に、わたしは翔太郎を連れてきた。
 思ったとおり、この半端な時間には誰もいなかった。
「座ろ」
 ベンチを指す。翔太郎は、素直にベンチに掛けた。その隣にわたしも座る。
「答えをくれるってこと?」
 翔太郎の声は、固い。紺鼠色に、淡いピンクが混ざるような色。緊張と期待だと感じた。
「うん」
 わたしは、立ち上がった。
 そして、腰を折って頭を下げた。
「ごめんなさい。翔太郎の気持ちには応えられない」
 怖い。翔太郎を傷つけてしまうことが怖い。わたしが悪者になるのが怖い。
 膝が震える。
 翔太郎が怒っても、泣いても、わたしはそれを受け入れなければいけない。
 これまで、恋は憧れだった。毎日が輝くようで、楽しいことばかりだと思っていた。
 わたしに最初に訪れた恋の機会は、そうではなかった。
 恋とは、なんと痛いのだろう。
 翔太郎の気持ちに応えられないことがつらい。今、嘘でも「好きだよ」と言えたら、どれだけ楽だろうか。
 でも、それは許されない。わたしは、悠誠くんが好きだから。
 わたしの右肩に、軽く重みがかかった。それが、翔太郎のてのひらだと気づく。
「頭を上げて、瑠衣」
 翔太郎は苦笑いをしていた。
「ごめんな、苦しませて」
 翔太郎は怒りも泣きもしなかった。わたしの心を想って、笑った。
「翔太郎……」
「これからも友達でいさせて。瑠衣が良ければだけど」
 わたしが泣きそうだった。でも、ここで泣くのは本当の卑怯者になってしまう。翔太郎が笑ってくれているのに、わたしは泣いてはいけない。
 口の中を噛んで、翔太郎を見る。
「ありがとう、わたしなんかを好きになってくれて」
 翔太郎は、わたしの右肩に置いた手で、そのまま軽く叩く。
「『わたしなんか』っての、やめろ。俺がそんなつまらないやつに惚れたみたいじゃん」
 そうか。わたしを貶めることは、わたしを好きになってくれた人も否定することだ。
 それは、わたし自身が言ったことでもあった。
 初めて悠誠くんと会った日。初めて「ラ・カンパネラ」を聞いた日。

 ──わたしは悠誠くんの音楽が好き。わたしの好きなものを、否定しないで。

「ありがとう、翔太郎。わたしは翔太郎から、たくさんのことを学んだ。これからもわたしの友達として、わたしがダサいことしていたら、叱って」
 翔太郎は拳を前に突き出した。わたしも、それに倣う。
 グータッチをして、翔太郎は言った。
「もちろんだ」

 そのあとの講義も、頭がモヤモヤしてうまく集中できなかった。今日は小テストがなくて良かった。あったら、目も当てられないような結果になっていただろう。
 澪には、何事もなかったように振る舞った。しかし、心の機微に敏感な澪には、何かあったか気づかれていたかもしれない。いつもどおりに接してくれる澪に救われる。
 自室のベッドのぬいぐるみを抱きしめる。
 翔太郎は、意地悪だけど、昔からよく知っているし、わたしのことを好きになってくれたのは、嬉しい。
 でも、わたしが好きなのは悠誠くんなのだ。
 翔太郎を傷つけただろうか。これから翔太郎にどう接すれば良いのだろうか。
 わたしには何もわからないけれど、これはわたしが自分で答えを出さなければならないことだということもわかっていた。
 甘えてはいけない。
 傷つく勇気。傷つける勇気。そのうえでわかり合えるように。
 わたしは、その日早く寝た。