音楽室の扉をノックする。
制服姿の悠誠くんがいた。
「今日は早いね。どうしたの」
その穏やかな声を聞いて、わたしは気が緩んだ。ころころとこぼれるような涙は泉のようにあふれる。
「え! どうしたの」
悠誠くんが狼狽する中、わたしはしゃがみこんで本格的に泣き出した。涙が止まらない。
「……とにかく、音楽室に入ろう」
悠誠くんは手を差し伸べてくれる。その手に捕まると、ひんやりとした感触がわたしを少し冷静にさせた。
いつものとおり、ピアノの椅子に座る。悠誠くんは、楽器を置いて椅子に座った。
「聞いても良い?」
わたしに決めさせてくれる悠誠くんは、やはり大人で優しい。
「うん……」
悠誠くんと翔太郎は、おそらく知り合いではない可能性が高い。翔太郎も帰宅部で、先輩後輩の繋がりは薄い。
「……その、幼馴染の男友達がいてね。いつもいじってきて、いやななつなんだけど、わたしの勉強を助けてくれたり、自分の進路もしっかり考えていたり、良いやつでもあるんだけど……」
これでは翔太郎が良いやつなのか悪いやつなのなわからないが、悠誠くんは何も言わずに、静かに聞いてくれている。
「さ、さっき……塾の帰りに、好きだって言われて……。わたし、わけわからなくなって、逃げて来ちゃったの」
沈黙が音楽室の壁に吸収されていく。空気まで薄くなったように感じて、わたしは胸が苦しくなる。
何故、この話を真っ先に悠誠くんに相談しようと思ったのだろう。
「……びっくりしたんだね」
ゆったりと、悠誠くんが言う。悠誠くんの声は、音色のようだ。
「きっと、その男の子もわかってくれているよ」
「でも、わたし、いつかは返事をしないといけない」
「……そうだね」
ゆっくりと、幼子の手を引くように、悠誠くんはわたしを導いていく。
「瑠衣ちゃんの気持ちは、まだわからないの?」
真っ当な問いかけに、わたしはまだ煮たっている頭で、なんとか考える。
「わからない……。翔太郎は……あいつはきちんとわたしのことを考えて叱ってくれるし、良いことは一緒に喜んでくれる。ぶっきらぼうで不器用だけど、付き合いが長いから良いやつだということはわかってる。でも、れ、恋愛として好きかなんて、考えたこともなかった」
「それなら、考えないとね。その子は、真剣なんでしょう?」
「うん……」
翔太郎は真剣だった。
わたしは、また逃げたくなる。しかし、逃げてはいけないことだとわかっていた。
わたしは、うつむいてじっとしていた。
不意に青に包まれる。
悠誠くんが弾いている。長く音を取ったその曲は、聞いたことがあった。静かな湖のほとりのような曲だった。決して抑揚がないというわけではない。曲の青は凪で、わたしの共感覚でそう見えるだけだ。
そのゆったりとしたメロディは、「焦らないで」と言ってくれているようで、わたしの涙腺は再び緩む。
焦らなくて良いのだろうか。翔太郎の気持ちに、早く決着をつけなければいけないのではないだろうか。
顔を上げると、悠誠くんが天使のように微笑んで弓をゆっくりと動かしている。
悠誠くんを照らしているのは味気ないLEDなのに、まるで天上からの光を浴びているように見える。
この曲の意味はわからない。励ましの意味は、きっとない。
それでも、今のわたしの心に寄り添った曲を選んでくれる悠誠くんの繊細な感性に、わたしは徐々に胸が高鳴るのを感じた。
気づいてしまった。
翔太郎に告白されたことで、わたしはそのことに気づいてしまったのだ。
翔太郎に好きだと言われて、何故、悠誠くんのことを思い出し、音楽室に来たのか。
わたしは、悠誠くんのことが好きだ。
いつの間にか雲は晴れ、星がまたたいていた。
制服姿の悠誠くんがいた。
「今日は早いね。どうしたの」
その穏やかな声を聞いて、わたしは気が緩んだ。ころころとこぼれるような涙は泉のようにあふれる。
「え! どうしたの」
悠誠くんが狼狽する中、わたしはしゃがみこんで本格的に泣き出した。涙が止まらない。
「……とにかく、音楽室に入ろう」
悠誠くんは手を差し伸べてくれる。その手に捕まると、ひんやりとした感触がわたしを少し冷静にさせた。
いつものとおり、ピアノの椅子に座る。悠誠くんは、楽器を置いて椅子に座った。
「聞いても良い?」
わたしに決めさせてくれる悠誠くんは、やはり大人で優しい。
「うん……」
悠誠くんと翔太郎は、おそらく知り合いではない可能性が高い。翔太郎も帰宅部で、先輩後輩の繋がりは薄い。
「……その、幼馴染の男友達がいてね。いつもいじってきて、いやななつなんだけど、わたしの勉強を助けてくれたり、自分の進路もしっかり考えていたり、良いやつでもあるんだけど……」
これでは翔太郎が良いやつなのか悪いやつなのなわからないが、悠誠くんは何も言わずに、静かに聞いてくれている。
「さ、さっき……塾の帰りに、好きだって言われて……。わたし、わけわからなくなって、逃げて来ちゃったの」
沈黙が音楽室の壁に吸収されていく。空気まで薄くなったように感じて、わたしは胸が苦しくなる。
何故、この話を真っ先に悠誠くんに相談しようと思ったのだろう。
「……びっくりしたんだね」
ゆったりと、悠誠くんが言う。悠誠くんの声は、音色のようだ。
「きっと、その男の子もわかってくれているよ」
「でも、わたし、いつかは返事をしないといけない」
「……そうだね」
ゆっくりと、幼子の手を引くように、悠誠くんはわたしを導いていく。
「瑠衣ちゃんの気持ちは、まだわからないの?」
真っ当な問いかけに、わたしはまだ煮たっている頭で、なんとか考える。
「わからない……。翔太郎は……あいつはきちんとわたしのことを考えて叱ってくれるし、良いことは一緒に喜んでくれる。ぶっきらぼうで不器用だけど、付き合いが長いから良いやつだということはわかってる。でも、れ、恋愛として好きかなんて、考えたこともなかった」
「それなら、考えないとね。その子は、真剣なんでしょう?」
「うん……」
翔太郎は真剣だった。
わたしは、また逃げたくなる。しかし、逃げてはいけないことだとわかっていた。
わたしは、うつむいてじっとしていた。
不意に青に包まれる。
悠誠くんが弾いている。長く音を取ったその曲は、聞いたことがあった。静かな湖のほとりのような曲だった。決して抑揚がないというわけではない。曲の青は凪で、わたしの共感覚でそう見えるだけだ。
そのゆったりとしたメロディは、「焦らないで」と言ってくれているようで、わたしの涙腺は再び緩む。
焦らなくて良いのだろうか。翔太郎の気持ちに、早く決着をつけなければいけないのではないだろうか。
顔を上げると、悠誠くんが天使のように微笑んで弓をゆっくりと動かしている。
悠誠くんを照らしているのは味気ないLEDなのに、まるで天上からの光を浴びているように見える。
この曲の意味はわからない。励ましの意味は、きっとない。
それでも、今のわたしの心に寄り添った曲を選んでくれる悠誠くんの繊細な感性に、わたしは徐々に胸が高鳴るのを感じた。
気づいてしまった。
翔太郎に告白されたことで、わたしはそのことに気づいてしまったのだ。
翔太郎に好きだと言われて、何故、悠誠くんのことを思い出し、音楽室に来たのか。
わたしは、悠誠くんのことが好きだ。
いつの間にか雲は晴れ、星がまたたいていた。



