やり直しを終えたときの感動は、筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたいものだった。
 夕暮れの自習室で、わたしは叫ばないように、ぐっと腹に力を入れた。
 自主的にこんなに集中して勉強したのは、初めてかもしれない。中学受験は、親が言ったから勉強していた。もちろん、身が入るわけもない。失敗は、必然だった。
 しかし、今回は違った。
 高校というものを体験して、実感がわいた。翔太郎に指摘されて、自分の甘さに向き合った。悠誠くんのバイオリンを聴くことを目標に頑張った。
 どれが欠けても、このやり直し作業は、頓挫していただろう。わたしは、周りの人たちの助けを得て、主体的に「頑張る」ということができたのだ。
 その日は、塾の数学の講義で小テストがあった。
 九十六点。見たことがない点数だった。自分でも信じられない。数学の三浦(みうら)先生は、わたしを褒め称えた。
 お母さんに見せたら、目をまん丸にして、わたしとテストを交互に見ていた。
「頑張ったわね」
 そう言ってくれた。

 その日、お父さんとお母さんは、喧嘩をしなかった。しかし、わたしはどうしても悠誠くんに会いに行きたかった。
 悠誠くんの青の世界に浸りたかった。
 夜中十一時過ぎ、お父さんとお母さんが寝室に入ったことを確認して、わたしは忍び足で家を出た。
 学校について、これまで二度通ってきた道と同じルートで音楽室に向かう。青いバイオリンの音が、悠誠くんの存在を知らせていた。
 音楽室の扉をノックすると、悠誠くんが顔を出した。
「瑠衣ちゃん!」
「悠誠くん! 久しぶりだね。三週間ぶりくらいかな」
「入って」
 悠誠くんは、いつもの制服姿で楽器を持っていた。室内に入って、ピアノの椅子に座る。
「もう、来ないかと思っていた」
「ちょっと、自分を見つめ直していた」
「何それ」
 ふふ、と笑うその柔らかさは、三週間前と変わらない。
「勉強をね、頑張っていたの」
「それは良いことだね。きりがついたの?」
 頷く。
「うん。友達に指摘されて、中一のときの基礎が間違っていることがわかったから、全部やり直していた」
「全部?」
 悠誠くんの顔に驚きが広がる。
「そう、全部。で、そしたら、まずは数学だけだけど、今日の小テストで九十六点が取れたの」
 照れ隠しに大袈裟にピースを突き出す。悠誠くんは楽器を置いて、細かい拍手をくれた。
「すごい! 頑張ったんだね!」
「うん。全部やり直しが終わったら、悠誠くんにご褒美でバイオリンを弾いてもらいたいって思って」
 悠誠くんの頬に朱が差す。
「……僕?」
「うん。わたし、悠誠くんのバイオリンがやっぱり好きだなぁって思ったの」
 わたしは、悠誠くんを直視できなくて、天井を見る。
「藤瑶館高校の学校見学に行ってきたの。そこで、高校三年生の音楽科の先輩が『ラ・カンパネラ』を披露してくれた」
「『ラ・カンパネラ』を……」
「もちろん、その先輩の演奏も素晴らしくて……白に近い金色でキラキラ光っていた。でも、わたしは悠誠くんの青い『ラ・カンパネラ』が好き」
 悠誠くんは照れくさそうに笑った。
「そこまで言ってくれるなら、弾かないわけにいかないね」
 悠誠くんは、弓の張り具合を調整して、松ヤニを塗った。