もう夜も十一時を回っている。
 ここは、市街地から離れた住宅地だ。ぽつりぽつりと畑や田んぼのあるこの場所から見上げる空には、星がまたたいていた。月が輝く。
 わたしは大きく息を吸う。五月のさわやかな夜の風を肺に受け入れて、わたしはやっと息ができた気がした。
 この夜は、わたしが生きることを許してくれるのだろうか。
 広い夜空に抱かれて、わたしは行く宛もなく歩き出す。

 わたしが行ける場所など、ほとんどない。
 お店は閉まっているし、塾も閉館している。
 何故か、わたしは、学校に来ていた。
 園尾(そのお)中学は、ひっそりと静まり返っている。当然だが、誰もいない。
 友達は好きだが、この学校はきらいだ。ここに行かなければいけない理由は、わたしが中学受験ですべての受験校に落ちたからだ。この学校は、わたしの屈辱の象徴だった。
 この夜中に学校に来たのは、自分を発奮させるためだろうか。こんな場所に通わなければならなくなった自分を戒めるために、今わたしはここに立っているのかもしれない。
 とにかく、わたしはあの針のむしろのような家にいられなかった。
 そのとき、青の光が見えた。
 そして、何かの音が聞こえた。弦楽器のようだ。
 その音色は、学校から聞こえている。見ると、旧棟二階の音楽室に明かりがついていた。
 誰かいる。
 以前、(みお)が話していた。裏門の右側の生け垣のすき間から敷地に入れる。そして、渡り廊下横の旧棟の窓の鍵は、ずっと壊れたままだという。
 澪は、ほかの友人と学校で肝試しをしたことがあるそうだ。
 わたしは、裏門側に回る。確かに生け垣にわずかにすき間があり、服を引っ掛けながらも敷地に入ることができた。
 そして、渡り廊下の方へと向かう。新棟と旧棟を結ぶ渡り廊下の旧棟側の窓に手をかけると、驚くほどあっさりと開いた。
 わたしは、スニーカーを脱いで、窓枠に足をかけて、旧棟の廊下に降り立った。
 警報システムなどが働かないだろうかという不安と、夜の学校に忍び込むという高揚感で、呼吸が浅く、口内が渇いていく。
 今のところ、バイオリンの音以外、何の音もしない。わたしは、左手にスニーカーをぶらさげて、靴下のまま真っ暗な廊下を進む。
 道を示すのは、月と星の明かりだけだ。