悠誠くんがピアノを使って調弦する。
「ずっと『ラ・カンパネラ』もつまらないよね。ちょっとゆっくりの曲にしてみよう」
 わたしはずっと「ラ・カンパネラ」でも良いのだけれど、と思いながら、別の曲にも好奇心が向く。
「モーツァルトの『メヌエット』」
 聞いたことのある旋律だった。「ラ・カンパネラ」ほど技巧的ではないが、一音一音が丁寧に弾かれ、絹のような光沢のある青だ。
 今日もやはり青い。この曲は別の機会にほかの演奏家の曲を聞いたことがある気がする。しかし、そのときは確か、青ではなかった。
 悠誠くんは、曲のもつ力よりも、本人の気質のほうが演奏に載るのかもしれない。
 シルクのシーツが敷かれた青いゆりかごで、揺られているような心地良さだ。時折入る細かい音は、恒星のようにきらめく。
 悠誠くんの演奏は、この小さな教室を青の世界に変えてしまう。
 まるで、魔法みたいだ。
 わたしは、もしかしたら魚なのかもしれない。青の世界にいるほうが、息ができる。普段の生活は、息が詰まるから。
 子供の頃、撫でられた記憶が蘇る。あれほ誰だっただろうか。多分、お父さんとお母さんだ。
 あの頃、わたしはわたしとして生きていて許されていた。今は許されない。ただ生きることだけでは、役割を果たせない。
 胸がちくりと痛んだが、すぐに青が癒やしていく。
 わたしは、目を閉じて、まぶたの裏の青を存分に吸い込んだ。