澪と駅前に出た。わたしはここから歩いて帰る。澪はお父さんが迎えに来てくれる予定だ。澪の迎えの時間までをおしゃべりしてつぶす。
「翔太郎のやつ、本当に酷い!」
澪は沸騰したやかんのように怒りをあらわにしていた。
「いつものことだよ。あいつ、本当に成績良いし」
「廉城には合格したいけど、あいつも廉城志望なのだけがいや。落ちろ!」
「言い過ぎだよ、澪」
「だって! ていうか瑠衣が怒らないからあいつ、図に乗るんだよ!」
「怒っても無駄だって。わたしの成績が悪いのは事実だし」
そう呟くわたしの横を、華やかな笑い声が通っていった。二人組の女の子だ。
白の丸襟シャツに濃紺色のジャンパースカート。ウエストに細い共布のベルトが回されている。ジャンパースカートの胸には桜のブローチ。首元を飾るのは、ピンクの細いリボン。
「櫻山女学院の子だ……」
わたしは胸がきゅうとする。学年はわたしと同じくらいだろう。わたしが落ちたその学校に、幸せそうに通う姿は、見ていて苦しかった。
わたしが着なければならなかった制服。澪は、何も言わずにわたしの肩に手を置いて、すりすりとさする。その優しさが、痛い。
櫻山女学院は中学も高校も制服が変わらない。わたしは、あの制服が着られるのだろうか。
無理だ。
わたしの成績では、到底……。
軽く頭を振って、話題を変える。
「ねぇ、そうだ。澪。藤瑶館高校の普通科ってけっこうレベル高いよね?」
「藤瑶館? 音楽科じゃないよね? 普通科は県内五番手くらいのイメージ。偏差値は六十くらいじゃないかな。なんで?」
悠誠くんのことを思い出した。しかし、「深夜0時に初対面の男の子と学校で会った」なんて、澪に言う勇気は、わたしにはない。
「知り合いの三年生が……行きたいみたいで。わたしもちょっと気になったの」
「じゃあ行ってみれば?」
「へ?」
澪の小さな風船のように気軽な提案の意味がわからなくて、わたしは聞き返す。
「藤瑶館、五月末に学校説明会があるよ。えっと……」
澪がスマートフォンを取り出す。
「ほら。ちょうど今週末だ」
公立高校の説明会実施日の一覧表だった。
「藤瑶館は春過ぎから秋にかけて、ばらけて説明会をやってくれるんだよ。手厚いよね」
「学校説明会……」
「ちなみに廉城は文化祭で勝手に見て、ってスタイル。放任主義すぎて大好き」
澪がケタケタと笑う。そして、わたしの顔をじっと見る。
「確かに、瑠衣は藤瑶館、合っているかも。公立組では学校の情報交換をよくやるんだけど、藤瑶館にはうるさくない程度の自由さがあって、学校側のサポートも充実してるって聞くよ」
「廉城は違うの?」
「あそこは完全自己責任。良い大学に行くのも、落ちこぼれるのも、自分の責任ですべてやる。だから自由」
大人の世界のようだ。ルールは、集団を律するためにある。しかし、ルールすら不要なほどに、廉城の生徒は自律ができるという信頼があるのだろう。
藤瑶館は、澪からの情報を聞いている限り、とてもバランス良く感じる。わたしのように不器用な人間には合っているのかもしれない。
そこまで考えて思い至る。
「だめだよ。わたしは櫻山女学院に行かないといけないんだから」
澪は明らかに不満げな顔をする。
「そこまでママの言うことを聞かないでも良いと思う」
「そういうわけには……わたしが中学受験失敗したのが悪いんだから」
いつの間にかできていた眉間のしわを、澪の長い指がぐりぐりと押さえつける。
「痛い痛い!」
「真面目すぎ。瑠衣の人生は瑠衣のものだよ。何かあっても、ママもパパも責任は取ってくれないんだよ」
わたしは口をつぐむ。何も言い返せない。
両親の言いなりになって自分の道を決める。それは楽なことかもしれない。選ぶことも、生きることも、責任を親になすりつけられる。
たとえ櫻山女学院に入れたとして、うまくいかなくても、わたしには責任がない。
でも、わたしの人生そのものに責任を取れるのは、わたしのほかに誰がいるだろうか。
お父さんもお母さんも、わたしではない。わたしの人生を生きるのは、わたししかいない。
わたしは、他人に決められた人生を歩むのか?
悠誠くんの寂しそうな横顔を思い出す。
悠誠くんは、バイオリンを続けたがっていた。プロになることは諦めて、それでも続ける方法を探していた。
どうやっても、バイオリンという軸をぶらさない。だめだと言われて、それでしょげてしまうのではなく、違う道を探す。悠誠くんは、強い。
そうだ。悠誠くんに相談してみよう。どうせ今日もお父さんとお母さんはわたしのことで喧嘩する。塾の英語の小テストが七十六点だった。こっぴどく叱られるだろう。
「……考えてみる」
雑踏にかき消されそうなほどに小さな声は、無事、澪に届いたようだ。
「うん、そうしなよ。これまで、櫻山女学院以外、瑠衣が興味を示した学校なんてなかったんだから! ほかにも目を向ける良い機会になるよ」
そのとき、クラクションが鳴った。バーガンディのワンボックスカー。澪のお父さんの車だ。
「じゃあね!」
澪は手を振って走っていく。わたしも手を振り返す。
空を見上げれば、そこは昼と夜の狭間だった。黄色、オレンジ、紫。複雑な色味が調和した空に、もうすぐ夜の闇がやってくる。
わたしは、自宅へと向かった。
「翔太郎のやつ、本当に酷い!」
澪は沸騰したやかんのように怒りをあらわにしていた。
「いつものことだよ。あいつ、本当に成績良いし」
「廉城には合格したいけど、あいつも廉城志望なのだけがいや。落ちろ!」
「言い過ぎだよ、澪」
「だって! ていうか瑠衣が怒らないからあいつ、図に乗るんだよ!」
「怒っても無駄だって。わたしの成績が悪いのは事実だし」
そう呟くわたしの横を、華やかな笑い声が通っていった。二人組の女の子だ。
白の丸襟シャツに濃紺色のジャンパースカート。ウエストに細い共布のベルトが回されている。ジャンパースカートの胸には桜のブローチ。首元を飾るのは、ピンクの細いリボン。
「櫻山女学院の子だ……」
わたしは胸がきゅうとする。学年はわたしと同じくらいだろう。わたしが落ちたその学校に、幸せそうに通う姿は、見ていて苦しかった。
わたしが着なければならなかった制服。澪は、何も言わずにわたしの肩に手を置いて、すりすりとさする。その優しさが、痛い。
櫻山女学院は中学も高校も制服が変わらない。わたしは、あの制服が着られるのだろうか。
無理だ。
わたしの成績では、到底……。
軽く頭を振って、話題を変える。
「ねぇ、そうだ。澪。藤瑶館高校の普通科ってけっこうレベル高いよね?」
「藤瑶館? 音楽科じゃないよね? 普通科は県内五番手くらいのイメージ。偏差値は六十くらいじゃないかな。なんで?」
悠誠くんのことを思い出した。しかし、「深夜0時に初対面の男の子と学校で会った」なんて、澪に言う勇気は、わたしにはない。
「知り合いの三年生が……行きたいみたいで。わたしもちょっと気になったの」
「じゃあ行ってみれば?」
「へ?」
澪の小さな風船のように気軽な提案の意味がわからなくて、わたしは聞き返す。
「藤瑶館、五月末に学校説明会があるよ。えっと……」
澪がスマートフォンを取り出す。
「ほら。ちょうど今週末だ」
公立高校の説明会実施日の一覧表だった。
「藤瑶館は春過ぎから秋にかけて、ばらけて説明会をやってくれるんだよ。手厚いよね」
「学校説明会……」
「ちなみに廉城は文化祭で勝手に見て、ってスタイル。放任主義すぎて大好き」
澪がケタケタと笑う。そして、わたしの顔をじっと見る。
「確かに、瑠衣は藤瑶館、合っているかも。公立組では学校の情報交換をよくやるんだけど、藤瑶館にはうるさくない程度の自由さがあって、学校側のサポートも充実してるって聞くよ」
「廉城は違うの?」
「あそこは完全自己責任。良い大学に行くのも、落ちこぼれるのも、自分の責任ですべてやる。だから自由」
大人の世界のようだ。ルールは、集団を律するためにある。しかし、ルールすら不要なほどに、廉城の生徒は自律ができるという信頼があるのだろう。
藤瑶館は、澪からの情報を聞いている限り、とてもバランス良く感じる。わたしのように不器用な人間には合っているのかもしれない。
そこまで考えて思い至る。
「だめだよ。わたしは櫻山女学院に行かないといけないんだから」
澪は明らかに不満げな顔をする。
「そこまでママの言うことを聞かないでも良いと思う」
「そういうわけには……わたしが中学受験失敗したのが悪いんだから」
いつの間にかできていた眉間のしわを、澪の長い指がぐりぐりと押さえつける。
「痛い痛い!」
「真面目すぎ。瑠衣の人生は瑠衣のものだよ。何かあっても、ママもパパも責任は取ってくれないんだよ」
わたしは口をつぐむ。何も言い返せない。
両親の言いなりになって自分の道を決める。それは楽なことかもしれない。選ぶことも、生きることも、責任を親になすりつけられる。
たとえ櫻山女学院に入れたとして、うまくいかなくても、わたしには責任がない。
でも、わたしの人生そのものに責任を取れるのは、わたしのほかに誰がいるだろうか。
お父さんもお母さんも、わたしではない。わたしの人生を生きるのは、わたししかいない。
わたしは、他人に決められた人生を歩むのか?
悠誠くんの寂しそうな横顔を思い出す。
悠誠くんは、バイオリンを続けたがっていた。プロになることは諦めて、それでも続ける方法を探していた。
どうやっても、バイオリンという軸をぶらさない。だめだと言われて、それでしょげてしまうのではなく、違う道を探す。悠誠くんは、強い。
そうだ。悠誠くんに相談してみよう。どうせ今日もお父さんとお母さんはわたしのことで喧嘩する。塾の英語の小テストが七十六点だった。こっぴどく叱られるだろう。
「……考えてみる」
雑踏にかき消されそうなほどに小さな声は、無事、澪に届いたようだ。
「うん、そうしなよ。これまで、櫻山女学院以外、瑠衣が興味を示した学校なんてなかったんだから! ほかにも目を向ける良い機会になるよ」
そのとき、クラクションが鳴った。バーガンディのワンボックスカー。澪のお父さんの車だ。
「じゃあね!」
澪は手を振って走っていく。わたしも手を振り返す。
空を見上げれば、そこは昼と夜の狭間だった。黄色、オレンジ、紫。複雑な色味が調和した空に、もうすぐ夜の闇がやってくる。
わたしは、自宅へと向かった。



