「……いちゃん、瑠衣ちゃん」
 悠誠くんの顔が目の前にあって、はっとする。演奏に聴き惚れて、呆けてしまっていたようだ。
「あ、ご、ごめん……」
「こっちこそ、ごめんね。つまらなかった?」
 わたしはブンブンと音がしそうなほどに、大きく左右に首を振る。
「そんなことない! あまりにすごすぎて……言葉にならなくて、青の世界に飲み込まれていた。すごかった、本当に」
 悠誠くんは、照れくさそうに楽器を拭いている。
「そんなに大したことないよ」
 わたしは、その言葉に悲しくなる。
「否定しないで」
「え……」
「わたしは悠誠くんの音楽が好き。わたしの好きなものを、否定しないで」
 悠誠くんは瞬間、悲しそうな顔をした。わたしの両手を包み込むように握った。その手はひんやりと、冷えていた。
「ありがとう。そうだね。僕は、僕の音楽を否定してばかりだ。否定しないと、悲しくて、どうしたら良いかわからなくなってしまうから」
 ピアノの椅子に座るわたしと目線を合わせるように、膝立ちのような姿勢になる。
「僕の音楽を聴いてくれて、好きになってくれてありがとう」
「悠誠くんの『ラ・カンパネラ』で、わたしがわたしをきらう心が洗い流されたように感じた。悠誠くんがバイオリンを続けられないのが、残念でしかたない」
 悠誠くんは、何か言おうとしたが、口をつぐみうつむいた。
「事情があるのはわかる。わたしたちはまだ中学生だもの。自分ではどうにもならないことも多い。でも、また聴かせてくれると嬉しい」
 悠誠くんが顔を上げる。
「また、つらくなったら夜に来て。僕はここで弾いているから」
 そして、立ち上がり、わたしの手を引く。
「もう0時を過ぎてしまった。もう帰ったほうが良い」
 わたしは、渋った。この美しい澄んだ青の世界から、鉛のような鈍い銀色の世界に戻りたくない。きれいなものだけを見ていたい。聞いていたい。
 しかし、それはできないのだ。
 わたしはまだ中学二年生で、十三歳だ。子供なのだ。こんな時間に学校にいること事態、責められるべきなのだろう。
 唇を噛んで、頷く。
「うん」
 悠誠くんは安心したように頷いた。
「ここの片付けは僕がやっておくから、先に帰って」
「え、良いの?」
「片付けと言っても、僕の楽器くらいだから」
 大丈夫だよ、と笑顔で付け加えられた。
「わかった」
 わたしは、ピアノの椅子から立ち上がる。
「今日はありがとう。悠誠くんと会えて良かった。また、来るね」
 悠誠くんは嬉しそうに口角を上げた。
「気をつけて」
 手を振って、わたしは音楽室を出る。