わたしは顔を上げる。
「どうしたの?」
「……ううん。弓が弦に引っかかっただけだよ」
 悠誠くんは、変わらず微笑んでいた。頬に月明かりが反射していた。
「『ラ・カンパネラ』、聴いてね」
 譜面台の前に立つと、細かい音の粒が降ってきた。
 キラキラと輝くそれは宝石のようで、床に落ちる直前にさらりと消える。
 細かい音。激しく上下する音階。
 青の空間が広がっていく。降りしきる青の雫はそのままに、天蓋のように音楽が広がっていく。
 青の万華鏡だ。くるくると音は遊び、光り輝く。それは星々のようで、深夜0時に音楽室を包み込む優しい夜と溶けあう。
 悠誠くんの青に包まれて、わたしは体が浮遊するような感覚に陥る。細かく降りそそぐ音の粒は鋭いが、わたしはそれがわたしを傷つけないことを知っている。
 これが悠誠くんの鐘の音。パガニーニがリストを魅了したように、わたしは青のとりことなる。
 青に捕らえられたわたしは、動けない。その束縛すら、身を委ねたくなるほどに優しい。
 わたしは、家の中で息ができなくて逃げてきた。
 同じく動けない状況でも、こんなに違うのか。
 悠誠くんの青は、すべてを洗い流していく。お兄ちゃんへの嫉妬も、お父さんやお母さんへの恐怖と罪悪感も、成績が伸び悩む自分への憎しみも。
 透明な青い渦は、恐怖をもたらさず、らせん状にのぼっていく。
 音楽室のLEDは煌々と、白白と灯っているのに、わたしの目にはその色は映らない。
 ただ、青に満たされた空間が、そこにあった。