きみと、壊れかけの世界で

 人と人は、こんなにも簡単に壊れる。
 些細なすれ違い、たったひと言の言葉、ほんの少しの沈黙――それだけで、あっけなく。

 でも、壊れたものは二度と戻らないわけじゃない。
 ひび割れた場所に手を伸ばし、繋ぎ直すことだって、できるかもしれない。

 ――汐音は、そう信じたかった。



 澪翔が、姿を消した。

 それは、突然のことだった。
 昨日まで、何事もなかったように笑っていた彼が、何も言わずに学校を休み、連絡も取れなくなった。

「……まさか、また逃げるつもり?」

 汐音は小さく呟いた。
 その声は、自分自身に問いかけるようでもあった。

 澪翔は、ずっと笑っていた。
 無理をしていた。
 それを汐音も紬葵も、薄々気づいていた。

 だけど。
 彼が本当に限界を迎える前に、手を伸ばすことができなかった。

「……葵、探しに行こう」

 汐音の言葉に、紬葵は少し驚いたような顔をした。

「汐音が……自分から、誰かを探しに行くなんて」

「……あの時、澪翔が私に言ったんだ」

 汐音は、ぎゅっと拳を握る。

「逃げるなって。だから……今度は、私の番だと思う」



 澪翔がいなくなってから、三日が経っていた。

 学校に来ていない。
 家にもいない。

 紬葵と二人で何度も電話をかけたが、応答はなかった。

「……どこに行ったの、澪翔……」

 汐音はため息をつきながら、スマホを握りしめる。

「俺なら、心当たりがあるかも」

 不意に、後ろから声がした。

「……遥矢?」

 振り向くと、そこに立っていたのは、澪翔と昔からの付き合いがあるという少年、遥矢だった。

「澪翔のこと、探してるんだろ?」

「……知ってるの?」

 遥矢は、どこか寂しげに微笑んだ。

「アイツ、昔からそういうやつだから」



 遥矢に案内されたのは、街の外れにある古びた公園だった。

 夜の闇が広がる中、ひとりベンチに座る影。

「……澪翔」

 その名前を呼ぶと、澪翔はゆっくりと顔を上げた。

「……どうして」

「お前が逃げるから、迎えに来たんだよ」

 汐音の言葉に、澪翔は一瞬だけ目を見開いた。
 そして、力なく笑う。

「逃げる……か」

「違うの?」

 澪翔は視線を落とし、少しの間黙り込んだ。

「……怖かったんだよ」

 静かな声だった。

「お前らと話してるとさ……俺、本当の自分を見せてもいいのかも、って思っちまう。でも、それって……すげぇ怖いことなんだよ」

「……澪翔」

「俺は、ずっと一人でいるほうが楽だと思ってた。誰とも深く関わらなければ、傷つくこともないって……」

 その言葉に、汐音の胸が痛んだ。

(私も、ずっとそうだった)

「でもさ……お前らが優しくするから、余計に怖くなったんだよ」

 澪翔は空を仰ぐ。

「こんな俺でも、そばにいていいのかって……」

「いいに決まってるじゃん」

 それまで黙っていた紬葵が、強い声で言った。

「何言ってんの? 私たちは、澪翔がいてくれないと困る」

「……なんで?」

「だって……私も汐音も、澪翔と出会って変わったんだよ?」

「変わった……?」

 澪翔が呟く。

「……人はさ、簡単に壊れる。でもね、壊れたら終わりなわけじゃないんだよ」

 汐音は、静かに言葉を紡ぐ。

「壊れても、また繋ぎ直せる」

 その言葉に、澪翔の目が揺れる。

「私たちは、きっと何度でもやり直せる。だから……澪翔、一緒に帰ろう?」

 しばらくの沈黙。

 そして、澪翔は小さく笑った。

「……お前らには敵わねぇな」

 夜の風が吹く。
 冷たいはずの風が、少しだけ温かく感じた。



 人と人は、すぐに壊れる。

 でも。

 壊れたものを、また繋ぎ直せることを知った。

 それが、「人と繋がる」ことの意味なのかもしれない。

 汐音は、そう思った。

(……ありがとう)

 心の中で、そっと呟いた。

 壊れかけた世界の中で、三人はまた、繋がり直していく。