玄関を出た瞬間、目に飛び込んできたのは、私服姿の瑛人だった。
パーカーの袖をまくっていて、足元はスニーカー。何気ない服装なのに、妙に目を引く。
なんだろう、いつもより大人っぽく見える気がした。
「おはよ、蒼。準備、遅かったな?」
「お母さんが忘れ物ないかって、しつこくってさ」
瑛人は納得したように「あぁ」と頷いた。
そのとき、玄関から顔を出したお母さんが、にこやかに手を振った。
「瑛人くん、蒼のことお願いね~!荷物重かったら助けてやって!」
「はい、任せてくださーい」
ノリよく返す瑛人に、俺は思わずムッとする。
「なんだよ、変なこと言ったか?」
「お前もお母さんもいつまで俺を子供扱いすんだよ」
「これはずっとお決まりたいなもんだろ?」
瑛人は笑いながらこっちに顔を向ける。
「楽しみだな。修学旅行」
「......そうだな」
駅に着くと、すでに数人のクラスメイトが集まっていて、徐々にいつもの賑やかさになっていく。
「わ、瑛人くんの私服、かっこよすぎじゃない?!」
「え、なんか今日めっちゃ大人っぽい......!」
俺と一緒に現れた瑛人に、さっそく女子たちの歓声が飛んだ。
その威圧に俺は少し身を縮める。
ふと隣を見ると、瑛人はいつも通りの軽い笑みを浮かべながら、「おー、おはよ」って片手を上げる。
その仕草が、なんかやたらと様になってるのがまた腹立つというか。
「瑛人くん、こっちこっちー!」
「一緒に写真撮ろ~!」
女子たちが次々にスマホを取り出し、あっという間に瑛人の周りに輪ができる。
楽しそうに笑ってる瑛人の姿を見ながら、俺はちょっとだけ、その場に立ち尽くしていた。
......こういうとき、俺ってどうすればいいんだよ。
別に俺が呼ばれてるわけでもないし、そこに混ざるなんて邪魔に思われる。なんとなく居心地が悪くて、一歩だけ後ろに下がろうとした、――そのときだった。
「何してんの、蒼。お前も撮るんだよ」
そう言って、瑛人が俺の肩をぐっと引き寄せてきた。
「え、いや、俺は......」
「なに照れてんだよ。お前が一緒にいなきゃ意味ないだろ」
女子たちの「私も言われたい!」みたいな声が聞こえた気がしたけど、それどころじゃなかった。
肩に感じる手のぬくもりと、耳元で響く瑛人の声に、心臓がひとつ跳ねた。
でも、それは”キュン”というよりも――もっとじんわりとあたたかいものだった。
ああ、そうだった。
瑛人って、こういうやつだった。
自分ひとりが浮いてるような気がしてたのを、何も言わずに引き戻してくれた。
強引なくせに、優しくて。
そこは昔から変わらない。
数枚の写真を撮り終えたあと、女子たちは満足そうにスマホを覗き込みながら盛り上がっていた。
「え、めっちゃ盛れてない?これ!」
「瑛人くん、マジ国宝なんだけど!」
「ほら、瑛人くんも見て見て!」
スマホを差し出されて、瑛人が画面をのぞき込む。
「ほんとだ、いい感じ......」
そう言いかけたところで、瑛人が急に腹を抱えて笑い出した。
「......蒼、お前、半目になってんぞ!」
「はっ......!? ちょ、見せろ!」
俺は慌ててスマホを覗き込む。画面には、女子たちの笑顔の真ん中で、微妙に半目で口が半開きの自分の顔。
「最悪......」
思わず顔を覆う俺に、まわりの女子たちがまた笑い出す。
「ごめんごめん、蒼くん撮り直す?」
「いやでもこれレアだよ、保存しとこ〜!」
「消してくれって......」
ぶつぶつ言いながら顔を背けた俺の肩を、くすくす笑いながら瑛人が軽く叩いた。
「さっそく、思い出できたな」
「......うるさい」
俺はそっぽを向いたまま言ったけど、心ではどこか楽しんでいる自分がいた。
「いや、俺これ好きだわ。あとで、送っといて」
「おっけー」
そう言って笑う瑛人の横顔を、俺は少しだけ見上げる。拡散はされませんように......そんなふうに思っていると、
「おーい!蒼!瑛人ー!」
聞き慣れた声がして、振り返ると、隼人と光輝が走ってこっちに向かってくるのが見えた。旅行バッグを肩にかけた隼人が手を振ってくる。
「お前ら、早いな」
「てか、女子と写真撮ってなかった?」
「そうそう。これ、蒼の事故画......イッタ!」
俺は瑛人の懐に一撃を食らわす。
「まじ、殴るからな」
「お前なぁ、殴ってから言うなよ!」
そんな言い合いをしていると、隼人が吹き出し、光輝もつられるように笑い出した。
「ほんと、お前ら漫才コンビかよ......」
なんだか、おかしく感じて俺も思わず笑った。
「で、新幹線ってもうすぐ?」
「乗車時間はもうすぐだってさ。みんなホームに集まり始めてる」
「んじゃ、俺らも行くか」
自然と歩き出す足。隼人と光輝が前を歩き、瑛人と俺が後ろを並んで歩く。
さっきの肩の感触が、まだ少し残ってる気がした。
そして、俺たちはついに新幹線に乗り込んだ。
俺と瑛人は、隣同士の席だった。瑛人が「お前、外見てないと酔うだろ」と言って俺に窓側の席を譲ってくれた。
その前の席に隼人と光輝が座っていて、最初は身を乗り出してワイワイ喋っていた。
「京都着いたらどこ行く?やっぱ清水寺?」
「美味しいもの食いてぇ」
「てか今日は奈良じゃん!」
くだらない会話が楽しくて、ずっと笑っていた。でも、時間が経つにつれ、スマホをいじり出したり、イヤホンをつけて音楽を聴いたり、それぞれの時間に移っていった。
新幹線のシートにも慣れてきて、俺は荷物の中から適当に持ってきたお菓子を取り出した。
カリッとひとくち、またひとくちと食べ進めていく。
「なにそれ、俺にもちょーだい」
そう言って、瑛人がぐいっと俺の手を掴んできた。
「ちょ、自分で取れよ!」
「いいじゃん、別に。ほら、それ」
ふざけながら、俺の手に残っていたお菓子をそのままぱくっと口に運ぶ。
そのとき一一不意に、俺の手首をつかんでいた瑛人の指が、すこし滑って、素肌に触れた。
ーービクッ。
瑛人の唇が、指のすぐ近くをかすめた。
あったかくて、柔らかくて、少し息がかかっただけなのに、ぞくっとするほど心臓が跳ねた。
おまけに、そのまま離れるどころか、瑛人は俺の手を掴んだまま、口をもぐもぐ動かしてる。
「これ、うまっ」
「......お前、自分で食べろよ!」
お前の手つきがいちいちやらしいなんていえなかった。
「今更だろ。俺ら昔からこういうの気にしなかった
じゃん?」
「いや......それは......!」
確かに、そうだった。
けど、今のはーーなんか、違う。今までこんなこと気にしたことなかったのに。
指先がまだじんじんしてる。心臓の音もうるさいくらい響いて、落ち着かない。
「......お前さ、わざとやってんだろ」
「なにが?」
瑛人がとぼけた顔で笑う。
だけどその目が、いたずらっぽく光ってるのを、俺は見逃さなかった。
瑛人はそのまま何事もなかったように窓の外を見てるけど、俺の鼓動は、まだ落ち着いてくれない。
変に意識してるのがバレたら、絶対いじられる。
そう思った俺は、逃げるように背もたれに深くもたれて、目を閉じた。
「おーい......寝たふり、すんなって」
すぐ横で、瑛人の低い声が聞こえた。
「.......寝てるし」
そう返事しながらも俺はぎゅっと目をつぶる。
少しの間、沈黙が落ちた。走る新幹線の音だけが、やけ響いて聞こえる。
「ふーん」
また沈黙。
だけど今度は、何かが近づいてくる気配がした。
次の瞬間一ー
ふわり、と頭に何かが乗る感触。
......え?
瑛人が、自分の肩に俺の頭をそっと乗せたのだと気づいたのは、少ししてからだった。
「寝るなら、ちゃんと寝ろ。俺の肩、貸してやるから」
その声は、からかいでも、茶化しでもなくて。 どこか、優しかった。
俺は目を開けないまま、唇を少し噛んで、小さく息を吐いた。
寝れるわけねないだろ......。
窓の外、見えないはずの景色が心の中でにじんでた。
新幹線を降りて、観光バスに揺られること数十分。最初の目的地、奈良公園に到着した俺たちは、早速名物の鹿たちに囲まれていた。
「うわっ、こっち来た!来た来た来た来たっ!」
隼人が声を上げて、鹿せんべいを持ったまま後ずさる。俺の隣では光輝が爆笑していて、その向こうでは女子たちが「かわいい〜!」って鹿に夢中になってる。
「お前、せんべい持ってんだから来るに決まってんだろ」
瑛人が笑いながら隼人の肩をポンと叩いた。
「てか、蒼も鹿に狙われてね?」
「えっ、ちょ、やば、待って、めっちゃこっち来てる!」
「ほら、蒼!お前も鹿せんべい持てよ!」
隠していた鹿せんべいを取り出し、4人で鹿の方へ向かう。
けれど、せんべいを取り出した瞬間、鹿の態度が一変する。
「うわ、めっちゃ来た!!」
「ちょ、瑛人逃げろって!」
「光輝、助けろ!!」
まさかの鹿の大群に追われて、俺たちは必死に逃げ回る。観光客に笑われながらも、全力で走る姿は完全に修学旅行生のテンプレだ。
「俺もうダメ......体力が......!」
「いや、蒼、まだ鹿いるぞ、立て!」
「せんべい投げとけって!投げろって!!」
やっとのことで撒いた後、俺たちはベンチに座って息を整える。二手に別れたことであいつらはどっかに行ってしまった。汗だくになりながらも、瑛人が笑っていた。
「鹿って、こんな凶暴だったか?」
そう言いながら俺は1匹群れから離れてる鹿に目がいった。
「お辞儀した!今の見た!?」
鹿せんべいを手にした俺の前で、小さな鹿がぺこりと頭を下げる。
「うわ......めっちゃ賢い......」
感動しつつもう一枚あげると、またぺこり。俺は思わず顔をほころばせた。
「お前、鹿と心通わせてんじゃん」
後ろから聞こえたのは、瑛人の声。
振り返ると、スマホを構えた彼がカシャッとシャッターを切った。
「えっ、なに?」
「いや、可愛かったから撮っといた」
「可愛いってなんだよ。また変な顔してたらどうすんだ」
「してないよ。てかむしろ、めっちゃいい笑顔」
言葉のトーンが少しだけ優しくて、俺は思わず黙ってしまう。
可愛いとかさらっと言うの、おかしいだろ。俺のどこを可愛いと思ってるんだか......。
そう思いながら鹿にもう一枚せんべいをあげる。
ぺこりと、再びお辞儀。
「なにその鹿、めっちゃ育ち良すぎ」
「たぶん俺の扱いが上手いだけ」
「そんなわけないだろ?今度は俺があげるから」
そう言った瑛人が鹿せんべいを目の前でチラつかせる。けれど、その鹿はお辞儀どころか顔を背けて無視を決める。
「おい。鹿のくせに人で態度、変えんなよ」
「お前めっちゃ嫌われてんじゃん」
二人で顔を合わせて思わず笑い合う。
どこか、懐かしい。こういうの、昔はよくあった。だけど今は、少しだけ、心のどこかがくすぐったかった。
東大寺の大仏は、思っていた以上に大きくて、ちょっと圧倒された。
そのあと見た阿形、吽形の金剛力士像も、まるで生きてるみたいで、しばらく見入ってしまった。
「なんか、小6に来た時ってわけわかんなかったけど、授業でやってからくると意外と面白いよな」
「わかる。普通に感動」
そんな会話を交わしながら、鹿のフンを模したチョコや、しょうもないキーホルダーなんかをみんなと爆笑しながら買い漁った。
夜のおやつもたっぷり。リュックがパンパンだ。
そして、旅館に到着。
和室に並んだ布団、ふわふわの座布団、そして大広間での豪華な夜ご飯を食べた。
和風の料理に目を輝かせながら、みんなで「これなんの魚だろ?」とか言い合って、デザートの抹茶プリンまで平らげた。
「やっべ、もう腹いっぱいで動けねぇ......」
「動かなくていいだろ、寝るだけだし」
「いやいや、お前らここからが本番だろ!」
そう、部屋に戻った俺たちは、旅の疲れもどこへやら、布団の上でお菓子を開けて、トランプだのUNOだの、ゲーム大会で盛り上がり始めた。
こういう“男子旅”感、嫌いじゃない。
......うるさいけど。
そんな中、部屋の襖がガラッと開いた。
「よー、俺も混ざってい?」
入ってきたのは、怜央だった。
さっきまで別のグループにいたはずだけど、飲み物を持ってニコニコと現れる。
「おー、怜央!こっちこいよ!」
「お前、UNO強い?」
「代打頼むわー!」
怜央はあっという間に輪に馴染んだ。
持ち前の明るさとノリの良さで、まるで前からここにいたような空気。
「それ、あれじゃん。最近、発売された新作の」
俺がスマホでやっていたゲームを、怜央が覗き込んできた。
「あ、これ?そうだけど......知ってんの?」
「俺、前作からやってたよ。ってか、それ裏のルート入ってる?」
「今そこから進めなくて、めっちゃ悩んでんだよ......」
「うわ、それ一回バッドエンド行ったやつだわ」
そこから何気に会話は止まらなくなった。淡々と話しながらも俺は楽しくなっていた。
まさかこんなところでゲームの趣味が合うとは。
いつの間にかスマホをふたりで覗き込みながら、肩が触れるくらい近い距離になっていた。
「うわっ!まじかよ、死んだ」
「俺も死んだわ......こいつ強すぎじゃね?」
怜央は俺の肩を叩いたり、画面を指差したり、時には俺の腕に寄りかかるようにして身を乗り出してくる。
気づいたら俺たちはオンラインでゲームをしだしていた。
みんなあまり知らないから一緒に盛り上がれてちょっと嬉しくて――
「......蒼、それ貸して」
不意に、瑛人が俺のスマホをひょいっと取った。
「ちょ、瑛人」
「俺もやってみていい?」
自然なふうを装って、けれどその手は俺と怜央の間を割り込むようにして伸びてきていた。
怜央が離れたことで、ほんの少し空いた距離。
けど――
「そういえば、ここにあるアイテム使うと後半、戦いやすいぜ」
怜央はにっこりと笑って、また俺の隣に戻ってきた。
さっきよりももっと近く。
肩がぴったりと触れて、気づけば太ももまで軽く当たっていた。
「......お前さ、近すぎじゃね?」
瑛人が立ち上がって、俺と怜央の間にすっと入り込んだ。
その手が、俺の手首に自然に伸びて、気づけば瑛人の側に引き寄せられていた。
「こっち来いよ、蒼。お前の好きなプリンあるぞ」
食べ物で釣ろうとするなと思いながら瑛人を見ると、その目線は怜央と交差していた。
怜央はにやっと笑うと、軽く肩をすくめる。
「......あー、なるほど。そういうことか」
「そういうことって、なんだよ?」
「ふーん、でも結構わかりやすいな、瑛人」
一瞬、空気が凍る。
瑛人の指が俺の手首を軽く掴む。強くはない。ただ、それははっきりと“こっちにいろ”と伝えるような感触だった。
「蒼、みんなでトランプやろーぜ」
その声音は穏やかで、けれどいつもより少しだけ低い。
誘いというよりも、命令に近い強さがあった。
俺は、何も言えなかった。ただその手の温度と、怜央の少しだけ挑戦的な笑顔の間で、息を飲んだ。
「なんか、三角関係っぽくね?」
横から光輝が笑いながら言うと、隼人もニヤニヤしながら面白そうに笑っていた。
他人事だと思って......。
「おー、どうせなから金賭けるか」
「俺、金ないから反対!」
そう言いながら瑛人を挟んで隣に怜央が腰を下ろした。それから幾千もの戦いが行われた。
俺たちの夜はまだまだ長かった。
パーカーの袖をまくっていて、足元はスニーカー。何気ない服装なのに、妙に目を引く。
なんだろう、いつもより大人っぽく見える気がした。
「おはよ、蒼。準備、遅かったな?」
「お母さんが忘れ物ないかって、しつこくってさ」
瑛人は納得したように「あぁ」と頷いた。
そのとき、玄関から顔を出したお母さんが、にこやかに手を振った。
「瑛人くん、蒼のことお願いね~!荷物重かったら助けてやって!」
「はい、任せてくださーい」
ノリよく返す瑛人に、俺は思わずムッとする。
「なんだよ、変なこと言ったか?」
「お前もお母さんもいつまで俺を子供扱いすんだよ」
「これはずっとお決まりたいなもんだろ?」
瑛人は笑いながらこっちに顔を向ける。
「楽しみだな。修学旅行」
「......そうだな」
駅に着くと、すでに数人のクラスメイトが集まっていて、徐々にいつもの賑やかさになっていく。
「わ、瑛人くんの私服、かっこよすぎじゃない?!」
「え、なんか今日めっちゃ大人っぽい......!」
俺と一緒に現れた瑛人に、さっそく女子たちの歓声が飛んだ。
その威圧に俺は少し身を縮める。
ふと隣を見ると、瑛人はいつも通りの軽い笑みを浮かべながら、「おー、おはよ」って片手を上げる。
その仕草が、なんかやたらと様になってるのがまた腹立つというか。
「瑛人くん、こっちこっちー!」
「一緒に写真撮ろ~!」
女子たちが次々にスマホを取り出し、あっという間に瑛人の周りに輪ができる。
楽しそうに笑ってる瑛人の姿を見ながら、俺はちょっとだけ、その場に立ち尽くしていた。
......こういうとき、俺ってどうすればいいんだよ。
別に俺が呼ばれてるわけでもないし、そこに混ざるなんて邪魔に思われる。なんとなく居心地が悪くて、一歩だけ後ろに下がろうとした、――そのときだった。
「何してんの、蒼。お前も撮るんだよ」
そう言って、瑛人が俺の肩をぐっと引き寄せてきた。
「え、いや、俺は......」
「なに照れてんだよ。お前が一緒にいなきゃ意味ないだろ」
女子たちの「私も言われたい!」みたいな声が聞こえた気がしたけど、それどころじゃなかった。
肩に感じる手のぬくもりと、耳元で響く瑛人の声に、心臓がひとつ跳ねた。
でも、それは”キュン”というよりも――もっとじんわりとあたたかいものだった。
ああ、そうだった。
瑛人って、こういうやつだった。
自分ひとりが浮いてるような気がしてたのを、何も言わずに引き戻してくれた。
強引なくせに、優しくて。
そこは昔から変わらない。
数枚の写真を撮り終えたあと、女子たちは満足そうにスマホを覗き込みながら盛り上がっていた。
「え、めっちゃ盛れてない?これ!」
「瑛人くん、マジ国宝なんだけど!」
「ほら、瑛人くんも見て見て!」
スマホを差し出されて、瑛人が画面をのぞき込む。
「ほんとだ、いい感じ......」
そう言いかけたところで、瑛人が急に腹を抱えて笑い出した。
「......蒼、お前、半目になってんぞ!」
「はっ......!? ちょ、見せろ!」
俺は慌ててスマホを覗き込む。画面には、女子たちの笑顔の真ん中で、微妙に半目で口が半開きの自分の顔。
「最悪......」
思わず顔を覆う俺に、まわりの女子たちがまた笑い出す。
「ごめんごめん、蒼くん撮り直す?」
「いやでもこれレアだよ、保存しとこ〜!」
「消してくれって......」
ぶつぶつ言いながら顔を背けた俺の肩を、くすくす笑いながら瑛人が軽く叩いた。
「さっそく、思い出できたな」
「......うるさい」
俺はそっぽを向いたまま言ったけど、心ではどこか楽しんでいる自分がいた。
「いや、俺これ好きだわ。あとで、送っといて」
「おっけー」
そう言って笑う瑛人の横顔を、俺は少しだけ見上げる。拡散はされませんように......そんなふうに思っていると、
「おーい!蒼!瑛人ー!」
聞き慣れた声がして、振り返ると、隼人と光輝が走ってこっちに向かってくるのが見えた。旅行バッグを肩にかけた隼人が手を振ってくる。
「お前ら、早いな」
「てか、女子と写真撮ってなかった?」
「そうそう。これ、蒼の事故画......イッタ!」
俺は瑛人の懐に一撃を食らわす。
「まじ、殴るからな」
「お前なぁ、殴ってから言うなよ!」
そんな言い合いをしていると、隼人が吹き出し、光輝もつられるように笑い出した。
「ほんと、お前ら漫才コンビかよ......」
なんだか、おかしく感じて俺も思わず笑った。
「で、新幹線ってもうすぐ?」
「乗車時間はもうすぐだってさ。みんなホームに集まり始めてる」
「んじゃ、俺らも行くか」
自然と歩き出す足。隼人と光輝が前を歩き、瑛人と俺が後ろを並んで歩く。
さっきの肩の感触が、まだ少し残ってる気がした。
そして、俺たちはついに新幹線に乗り込んだ。
俺と瑛人は、隣同士の席だった。瑛人が「お前、外見てないと酔うだろ」と言って俺に窓側の席を譲ってくれた。
その前の席に隼人と光輝が座っていて、最初は身を乗り出してワイワイ喋っていた。
「京都着いたらどこ行く?やっぱ清水寺?」
「美味しいもの食いてぇ」
「てか今日は奈良じゃん!」
くだらない会話が楽しくて、ずっと笑っていた。でも、時間が経つにつれ、スマホをいじり出したり、イヤホンをつけて音楽を聴いたり、それぞれの時間に移っていった。
新幹線のシートにも慣れてきて、俺は荷物の中から適当に持ってきたお菓子を取り出した。
カリッとひとくち、またひとくちと食べ進めていく。
「なにそれ、俺にもちょーだい」
そう言って、瑛人がぐいっと俺の手を掴んできた。
「ちょ、自分で取れよ!」
「いいじゃん、別に。ほら、それ」
ふざけながら、俺の手に残っていたお菓子をそのままぱくっと口に運ぶ。
そのとき一一不意に、俺の手首をつかんでいた瑛人の指が、すこし滑って、素肌に触れた。
ーービクッ。
瑛人の唇が、指のすぐ近くをかすめた。
あったかくて、柔らかくて、少し息がかかっただけなのに、ぞくっとするほど心臓が跳ねた。
おまけに、そのまま離れるどころか、瑛人は俺の手を掴んだまま、口をもぐもぐ動かしてる。
「これ、うまっ」
「......お前、自分で食べろよ!」
お前の手つきがいちいちやらしいなんていえなかった。
「今更だろ。俺ら昔からこういうの気にしなかった
じゃん?」
「いや......それは......!」
確かに、そうだった。
けど、今のはーーなんか、違う。今までこんなこと気にしたことなかったのに。
指先がまだじんじんしてる。心臓の音もうるさいくらい響いて、落ち着かない。
「......お前さ、わざとやってんだろ」
「なにが?」
瑛人がとぼけた顔で笑う。
だけどその目が、いたずらっぽく光ってるのを、俺は見逃さなかった。
瑛人はそのまま何事もなかったように窓の外を見てるけど、俺の鼓動は、まだ落ち着いてくれない。
変に意識してるのがバレたら、絶対いじられる。
そう思った俺は、逃げるように背もたれに深くもたれて、目を閉じた。
「おーい......寝たふり、すんなって」
すぐ横で、瑛人の低い声が聞こえた。
「.......寝てるし」
そう返事しながらも俺はぎゅっと目をつぶる。
少しの間、沈黙が落ちた。走る新幹線の音だけが、やけ響いて聞こえる。
「ふーん」
また沈黙。
だけど今度は、何かが近づいてくる気配がした。
次の瞬間一ー
ふわり、と頭に何かが乗る感触。
......え?
瑛人が、自分の肩に俺の頭をそっと乗せたのだと気づいたのは、少ししてからだった。
「寝るなら、ちゃんと寝ろ。俺の肩、貸してやるから」
その声は、からかいでも、茶化しでもなくて。 どこか、優しかった。
俺は目を開けないまま、唇を少し噛んで、小さく息を吐いた。
寝れるわけねないだろ......。
窓の外、見えないはずの景色が心の中でにじんでた。
新幹線を降りて、観光バスに揺られること数十分。最初の目的地、奈良公園に到着した俺たちは、早速名物の鹿たちに囲まれていた。
「うわっ、こっち来た!来た来た来た来たっ!」
隼人が声を上げて、鹿せんべいを持ったまま後ずさる。俺の隣では光輝が爆笑していて、その向こうでは女子たちが「かわいい〜!」って鹿に夢中になってる。
「お前、せんべい持ってんだから来るに決まってんだろ」
瑛人が笑いながら隼人の肩をポンと叩いた。
「てか、蒼も鹿に狙われてね?」
「えっ、ちょ、やば、待って、めっちゃこっち来てる!」
「ほら、蒼!お前も鹿せんべい持てよ!」
隠していた鹿せんべいを取り出し、4人で鹿の方へ向かう。
けれど、せんべいを取り出した瞬間、鹿の態度が一変する。
「うわ、めっちゃ来た!!」
「ちょ、瑛人逃げろって!」
「光輝、助けろ!!」
まさかの鹿の大群に追われて、俺たちは必死に逃げ回る。観光客に笑われながらも、全力で走る姿は完全に修学旅行生のテンプレだ。
「俺もうダメ......体力が......!」
「いや、蒼、まだ鹿いるぞ、立て!」
「せんべい投げとけって!投げろって!!」
やっとのことで撒いた後、俺たちはベンチに座って息を整える。二手に別れたことであいつらはどっかに行ってしまった。汗だくになりながらも、瑛人が笑っていた。
「鹿って、こんな凶暴だったか?」
そう言いながら俺は1匹群れから離れてる鹿に目がいった。
「お辞儀した!今の見た!?」
鹿せんべいを手にした俺の前で、小さな鹿がぺこりと頭を下げる。
「うわ......めっちゃ賢い......」
感動しつつもう一枚あげると、またぺこり。俺は思わず顔をほころばせた。
「お前、鹿と心通わせてんじゃん」
後ろから聞こえたのは、瑛人の声。
振り返ると、スマホを構えた彼がカシャッとシャッターを切った。
「えっ、なに?」
「いや、可愛かったから撮っといた」
「可愛いってなんだよ。また変な顔してたらどうすんだ」
「してないよ。てかむしろ、めっちゃいい笑顔」
言葉のトーンが少しだけ優しくて、俺は思わず黙ってしまう。
可愛いとかさらっと言うの、おかしいだろ。俺のどこを可愛いと思ってるんだか......。
そう思いながら鹿にもう一枚せんべいをあげる。
ぺこりと、再びお辞儀。
「なにその鹿、めっちゃ育ち良すぎ」
「たぶん俺の扱いが上手いだけ」
「そんなわけないだろ?今度は俺があげるから」
そう言った瑛人が鹿せんべいを目の前でチラつかせる。けれど、その鹿はお辞儀どころか顔を背けて無視を決める。
「おい。鹿のくせに人で態度、変えんなよ」
「お前めっちゃ嫌われてんじゃん」
二人で顔を合わせて思わず笑い合う。
どこか、懐かしい。こういうの、昔はよくあった。だけど今は、少しだけ、心のどこかがくすぐったかった。
東大寺の大仏は、思っていた以上に大きくて、ちょっと圧倒された。
そのあと見た阿形、吽形の金剛力士像も、まるで生きてるみたいで、しばらく見入ってしまった。
「なんか、小6に来た時ってわけわかんなかったけど、授業でやってからくると意外と面白いよな」
「わかる。普通に感動」
そんな会話を交わしながら、鹿のフンを模したチョコや、しょうもないキーホルダーなんかをみんなと爆笑しながら買い漁った。
夜のおやつもたっぷり。リュックがパンパンだ。
そして、旅館に到着。
和室に並んだ布団、ふわふわの座布団、そして大広間での豪華な夜ご飯を食べた。
和風の料理に目を輝かせながら、みんなで「これなんの魚だろ?」とか言い合って、デザートの抹茶プリンまで平らげた。
「やっべ、もう腹いっぱいで動けねぇ......」
「動かなくていいだろ、寝るだけだし」
「いやいや、お前らここからが本番だろ!」
そう、部屋に戻った俺たちは、旅の疲れもどこへやら、布団の上でお菓子を開けて、トランプだのUNOだの、ゲーム大会で盛り上がり始めた。
こういう“男子旅”感、嫌いじゃない。
......うるさいけど。
そんな中、部屋の襖がガラッと開いた。
「よー、俺も混ざってい?」
入ってきたのは、怜央だった。
さっきまで別のグループにいたはずだけど、飲み物を持ってニコニコと現れる。
「おー、怜央!こっちこいよ!」
「お前、UNO強い?」
「代打頼むわー!」
怜央はあっという間に輪に馴染んだ。
持ち前の明るさとノリの良さで、まるで前からここにいたような空気。
「それ、あれじゃん。最近、発売された新作の」
俺がスマホでやっていたゲームを、怜央が覗き込んできた。
「あ、これ?そうだけど......知ってんの?」
「俺、前作からやってたよ。ってか、それ裏のルート入ってる?」
「今そこから進めなくて、めっちゃ悩んでんだよ......」
「うわ、それ一回バッドエンド行ったやつだわ」
そこから何気に会話は止まらなくなった。淡々と話しながらも俺は楽しくなっていた。
まさかこんなところでゲームの趣味が合うとは。
いつの間にかスマホをふたりで覗き込みながら、肩が触れるくらい近い距離になっていた。
「うわっ!まじかよ、死んだ」
「俺も死んだわ......こいつ強すぎじゃね?」
怜央は俺の肩を叩いたり、画面を指差したり、時には俺の腕に寄りかかるようにして身を乗り出してくる。
気づいたら俺たちはオンラインでゲームをしだしていた。
みんなあまり知らないから一緒に盛り上がれてちょっと嬉しくて――
「......蒼、それ貸して」
不意に、瑛人が俺のスマホをひょいっと取った。
「ちょ、瑛人」
「俺もやってみていい?」
自然なふうを装って、けれどその手は俺と怜央の間を割り込むようにして伸びてきていた。
怜央が離れたことで、ほんの少し空いた距離。
けど――
「そういえば、ここにあるアイテム使うと後半、戦いやすいぜ」
怜央はにっこりと笑って、また俺の隣に戻ってきた。
さっきよりももっと近く。
肩がぴったりと触れて、気づけば太ももまで軽く当たっていた。
「......お前さ、近すぎじゃね?」
瑛人が立ち上がって、俺と怜央の間にすっと入り込んだ。
その手が、俺の手首に自然に伸びて、気づけば瑛人の側に引き寄せられていた。
「こっち来いよ、蒼。お前の好きなプリンあるぞ」
食べ物で釣ろうとするなと思いながら瑛人を見ると、その目線は怜央と交差していた。
怜央はにやっと笑うと、軽く肩をすくめる。
「......あー、なるほど。そういうことか」
「そういうことって、なんだよ?」
「ふーん、でも結構わかりやすいな、瑛人」
一瞬、空気が凍る。
瑛人の指が俺の手首を軽く掴む。強くはない。ただ、それははっきりと“こっちにいろ”と伝えるような感触だった。
「蒼、みんなでトランプやろーぜ」
その声音は穏やかで、けれどいつもより少しだけ低い。
誘いというよりも、命令に近い強さがあった。
俺は、何も言えなかった。ただその手の温度と、怜央の少しだけ挑戦的な笑顔の間で、息を飲んだ。
「なんか、三角関係っぽくね?」
横から光輝が笑いながら言うと、隼人もニヤニヤしながら面白そうに笑っていた。
他人事だと思って......。
「おー、どうせなから金賭けるか」
「俺、金ないから反対!」
そう言いながら瑛人を挟んで隣に怜央が腰を下ろした。それから幾千もの戦いが行われた。
俺たちの夜はまだまだ長かった。



