放課後、俺たちはいつものように一緒に帰ろうとしていた。

「あっ、悪い、教室に忘れ物したわ」

「ちょっと、待ってて」瑛斗はそう言って、さっさと教室へ引き返していく。

「あいつ、ほんと忘れ物多いよなー」

 適当に文句を言いながら、俺は昇降口の前で待つことにした。

 すると、不意に小さな声が聞こえた。

「......あの、蒼くん」

 振り向くと、そこにはクラスの地味めな女の子――佐々木(ささき)さんが立っていた。肩までの黒髪を揺らしながら、緊張した様子で俺を見ている。

 ――また瑛斗への告白か?

 さっきの美月ちゃんの件もあって、俺はすっかりそう思い込んでいた。

「えっと......瑛斗なら今、教室戻ってるけど?」

 そう言うと、佐々木さんは驚いたように目を瞬かせ、首を振った。

「違うの。私が話したいのは......蒼くんなんだけど」

「......え?俺?」

 一瞬、意味がわからなかった。

「その、えっと......ずっと前から蒼くんのこと、好きでした」

 佐々木さんの顔がみるみる赤くなり、俺の手にそっと小さな手紙を押し付けてくる。

「これ、読んでくれると嬉しいです」

 そう言って、佐々木さんはぱっと後ろを向くと、駆け足で去っていった。

「えっ、ちょっとま、はやっ!」

 俺は手に持っている手紙を見つめる。そこには確かに蒼くんへと俺の名前がかかれていた。

 ――いや、え? 俺!?

 ポカンとしたまま手紙を見つめる。

 まさか、本当に俺への告白だったとは......。

 ちょうど、その時に瑛斗が戻ってきた。

「待たせたー。なんか、今走ってかなかったか?」

 瑛斗が俺の手元に視線を落とし、じっと手紙を見つめる。

「......なんか、佐々木さんからもらった」

「佐々木さんってクラスの?」

「俺に、告白だって......」

「......マジ?」

 珍しく、瑛斗が絶句した。

 それから俺はただ、手紙を持ったまま、妙に落ち着かない気持ちでいた。

 瑛斗と並んで歩きながら、俺は手元の手紙を掲げる。

「いやぁ、まさか俺が告白されるとはなぁ......!」

 自分でも驚くくらい、テンションが上がっているのがわかる。

 瑛斗が横目でじとっと俺を見て、「お前、嬉しそうだな」って呆れたように言った。

「そりゃあ、嬉しいだろ? 人生で初めて告白されたんだぞ?」

「それはそうだけど......」

 瑛斗は何か言いたげだったが、俺がニヤけてるのを見て、ただため息をついた。

「で、手紙にはなんて書いてあったんだよ?」

「ああ、えっと......」

 俺は封を開けて中の便箋を取り出し、さらっと内容をまとめて説明する。

「席が隣だったとき、俺が優しくしてくれて好きになったってさ。返事はいつでもいいって」

「ふーん......」

 瑛斗の反応は妙に淡白だった。

「で? どうすんの?」

 真剣な顔で聞かれて、俺はしばらく考える。

「......付き合ってみようかな」

 その言葉に、瑛斗の足が一瞬だけ止まった。

「まだ、あまり知らないけど......佐々木さん以外と可愛いし、いい子そうなんだよな」

 俺は正直な気持ちを口にする。

 瑛斗は黙ったまま、俺の顔をじっと見てきた。

「......へー」

 さっきよりもさらに淡白な反応。

 なんだよ、それ。もうちょっと驚くとか、祝福するとか、なんかねぇのか?瑛斗はそっぽを向いていた。

 なんか......いつもと違う感じがするのは気のせいか?

 そう思いながらも予定通り瑛斗は俺の家に上がった。

 もうすぐテストだということもあり、たまっている課題に取り掛かる。机に並べた教科書を適当にめくりながら、俺は瑛斗の機嫌が悪いのを感じていた。

 さっきからほとんど口を開かず、ペンを握る手もやけに雑だ。

「なぁ、なんか怒ってる?」

「......別に」

 案の定、つっけんどんな返事。

 まあ、瑛斗はこういうとき、自わから話すタイプじゃないのは知ってる。だから、俺が話を振るしかない。

「そういえばさ」

 俺は机の端に置いた手紙を手に取る。

「告白されたとき、やっぱりちょっとドキドキしたんだよな。お前は慣れてるだろうけど......俺は人生で初めてだったし」

 ちらっと瑛斗を見ると、ピクリと肩が動いたのがわかった。

 次の瞬間、瑛斗が無言のまま手を伸ばし、俺の手から手紙を奪い取った。

「あっ、おい、返せよ!」

 奪われた手紙を取り返そうと手を伸ばした瞬間――

 ぐいっと肩を引き寄せられた。

「っ――」

 次の瞬間、唇に柔らかい感触が落ちてくる。

 頭が真っ白になった。

 近すぎる距離、触れた唇、心臓が張り裂けそうなほどの鼓動。

 息が詰まる。抵抗しようとするよりも先に、瑛斗の指が俺の背中を押して、逃げられなくするみたいに距離を詰めた。

 ほんの数秒だったはずなのに、永遠みたいに長く感じた。

 唇が離れた瞬間、俺は無意識に息を吸い込んだ。

「おいっ、何すんだよ!」

 声が震えた。何が起こったのか、理解が追いつかない。

 瑛斗は俺の肩を掴んだまま、じっと見つめてくる。

「......付き合うなよ」

 低い声が、鼓膜を揺らした。

「......な、に......」

 息がうまく吸えない。

 瑛斗の目は真剣で、熱くて、俺のことしか映していないみたいだった。

 心臓がドクンと跳ねた。

 さっきまで浮かれてた気持ちなんて、一瞬で吹き飛んでた。

 瑛斗の手がまだ俺の肩にある。さっきまで唇が触れていた感触が、消えない。

「お前が誰かと付き合うの、嫌だ」

 瑛斗の低い声が耳に残る。心臓がバクバクとうるさいくらいに鳴って、息が詰まる。

「......何、言って......」

 言葉がまともに出てこない。目の前の瑛斗は、冗談でもふざけてもいなかった。まっすぐ熱を帯びた瞳が俺を見つめていて――

「俺、蒼のことが好きだ」

「......え?」

 今、何て......?

「好きなんだよ、蒼」

 もう一度、はっきりと告げられた言葉が、体の芯まで染み込んでくる。

「っ......待てよ、急に、そんなの......」

 瑛斗が俺のことを好き......?

 心臓が痛いくらいに跳ねる。言葉が追いつかない。

「言うつもりなかったんだ。今までの関係でいいって」

 瑛斗の手が俺の頬に触れる。さっきまでキスしてた唇が、もう一度触れそうな距離まで近づいて――

「だけど、お前が他の奴と付き合うのは耐えられない」

 瑛斗の目がまっすぐ俺を捉えて、もう逃がさないと言わんばかりの力を持っていた。

 ――どうしよう。

 瑛斗の言葉が、触れた熱が、全部俺を捕まえて離してくれない。

 俺、どうすれば......?

 瑛斗が再び腕を引っ張り、俺は反射的に腕を伸ばした。

「帰れ!」

 俺は瑛斗の肩を強く押し返し、近くにあった鞄と教科書を乱暴に押し付けた。瑛斗は驚いたように目を見開きながらも、抵抗することなくずるずると後退し、ついには部屋のドアの外へ追い出される。

「おい、蒼――」

「うるせぇ!帰れって、言ってんだろ!」

 心臓がうるさいくらいに鳴っている。喉が詰まりそうだ。頭の中もぐちゃぐちゃで、まともに考えられない。

 さっきまでいつも通りのはずだった。家で課題をやって、たわいない話をして、それで終わるはずだったのに――

 キスなんか、してくるから。

 好きだなんて、言うから。

 俺は瑛斗を見られず、乱暴にドアを閉めようとする。

「待てよ、蒼」

 でも、その隙間に瑛斗が手を伸ばしてきた。

「お前、しつけぇよ!」

 俺はドアを押し戻そうとするが、瑛斗の力の方が強い。ゆっくりと押し返され、再びその顔が視界に入る。

「......そんなに、嫌だった?」

 瑛斗の声が思ったよりも静かで、胸がざわつく。

「嫌とかそういうじゃなくて......いきなりキスなんかして、好きだとか......」

 言葉が震えて、情けない。

「俺、そんなふうに考えたことなんか、一回もねぇのに......」

 ――瑛斗は、いつから俺のことをそんなふうに見てたんだ。

 ――俺は、ずっと親友だと思ってたのに。

 なのに、あんな顔で、あんなふうに言われたら......。

「......ごめん」

 瑛斗がぽつりと呟く。

「でも、俺本気だから」

 その言葉が、また俺の心を締めつけた。

「......帰れよ」

 それ以上、何も考えたくなくて、俺はもう一度そう言った。

 今は――どうしても、顔を合わせられなかった。