「お待たせ!」

「まじ、寒いなぁー!」

「コンビニでお菓子いっぱい買おうぜ」

 クリスマス当日の街は、浮かれた雰囲気で満ちていた。駅前にはイルミネーションが灯り、楽しそうに手を繋ぐカップルや家族連れが笑顔で歩いていく。白い息がはっきりと見えるほど、空気は冷たく澄んでいた。

 俺はポケットに両手を突っ込んで、背中を丸めるようにして歩いていた。肩を寄せ合う人たちの中、自分の吐く息だけがやけに目立つような気がして、少しだけ早足になる。

「おい、蒼。あれ......」

 ふいに、光輝が立ち止まった。

 その視線の先を追うと、雑踏の中に俺の知っている後ろ姿が......瑛人だった。隣には、美香ちゃんがいて、ふたりは並んで歩いていた。自然と肩が触れるくらいの距離で、時折顔を見合わせながら話している。寒そうに身を寄せる美香ちゃんに、瑛人がそっとマフラーを直してやる仕草が見えた。

 胸の奥が、ぎゅっと音を立てる。

「おーい、見なかったことにしよーぜ?」

「......俺たちは俺たちで楽しむよな!」

 光輝と隼人が茶化すように笑って、俺の肩をぽんぽんと叩く。俺も笑ったふりをして頷いた。

 だけど、足は重たくて、心だけがどこか遠くに引っ張られていた。

 そのまま俺たちはコンビニに入った。暖かい店内に入っても、さっきの光景が頭から離れなかった。瑛人の隣にいるのが、美香ちゃんであること。ふたりがまるで恋人のように自然だったこと。あの笑顔が、俺の知らない瑛人の顔だったこと。

「蒼、うすしおかのりしお、どっちがいい?」

 隼人の声が聞こえた。でも答えられなかった。

「あれ、蒼は?」

 気づいたら、俺は走っていた。

 さっきの場所へ、瑛人を見た場所へ戻っていた。けれどもう、あのふたりの姿はどこにもいない。

 雑踏の中、人の顔をかき分けるようにして探した。焦る気持ちばかりが先走って、冷たい空気で肺が痛む。それでも止まれなかった。

 あっ、見つけた――

 ようやく見つけたふたりは、少し離れたクリスマスマーケットの前にいた。光に照らされた美香ちゃんの横顔は、幸せそうだった。瑛人も、そんな彼女を見つめながら微笑んでいる。

 あぁ、きっと――

 このままのほうが瑛人にとって幸せだろう。

 男同士なんて、世間からはおかしいと思われる。瑛人だって、いつかちゃんと女の子と付き合って、幸せになるほうが......。

 でも――
 そんなこと、考えられないくらい。

 俺は、瑛人のことが好きだった。好きで、好きで、どうしようもないくらいに。

 気づいたら、俺の足はまた走り出していた。

 人ごみをすり抜けて、まっすぐに瑛人のもとへ向かった。心臓がうるさいほど鳴っている。でも止まれなかった。

「瑛人っ!」

 俺は叫んだ。人混みの中をかき分け、目に飛び込んできたその背中に手を伸ばす。

 瑛人が驚いたように振り返り、目を見開いて固まる。

「......あお?」

 震える手でその腕にしがみついた。力なんてこもってなかった。でも、必死だった。
 心臓の音が耳の奥でどくどくと鳴っている。

「ごめん......でも、俺、どうしてもお前に言いたいことがあるんだ」

 そう絞り出すのがやっとだった。声はかすれて震えていた。
 その横で、美香ちゃんが困ったように、でも心配そうに俺を見ていた。

「え、蒼くん......?どうしたの......」

 言葉をかけられるたび、胸の奥がギュッと縮こまっていく。
 瑛人が、少し困ったように眉をひそめる。その表情は、どこか戸惑いが滲んでいた。

「蒼......今はちょっと......」

 その一言が、何よりも怖かった。
 俺は、咄嗟に手を放していた。

「......ごめん、いきなり迷惑だよな。やっぱ、また今度でいいや」

 その場に、もう居られなかった。

 顔を上げるのが怖くて、視線を地面に落としたまま、くるりと背を向ける。
 歩き出した。いや、逃げ出した。

 冷たい空気が頬を刺す。かじかんだ指先が痛い。
 でも、その痛みさえも、何かから自分を守ってくれている気がした。

 しばらく歩いて、人気のない路地裏に辿り着いた。
 鮮やかなイルミネーションの光が、遠くでぼんやり揺れている。

 ――やっぱり、あんなの、迷惑だったよな。

 頭の中がぐちゃぐちゃだった。
 でも、止められなかった。
 もう、隠していられなかった。

 ――瑛人が、好きなんだ。

 そう、何度も何度も自分に言い聞かせるように思った。
 届かないとわかっていても、言わずにいられなかった。
 だけど、やっぱり怖かった。

「......蒼!」

 背後から、息を切った声が聞こえた。
 俺の名前を呼ぶ、その声に振り返る。

 瑛人が、走ってきていた。
 人混みを抜けて、まっすぐに、俺のところへ。

 俺は驚いて立ち尽くす。

「蒼、待って!」

 声には少し怒気が混じっていた。でも、その奥に、安堵の響きもあった。

 胸の奥が、ほんの少しだけあたたかくなる。

「......美香ちゃんは?」

 そう尋ねる俺に、瑛人は肩で息をしながら答えた。

「ちゃんと話してきた。謝って、今日は解散ってことにした」

 短く息を整えたあと、瑛人は俺を見た。
 逃げ場も、隙もないくらい、まっすぐに。

「だから今は......お前の話、ちゃんと聞くよ」

 真冬の夜。
 冷たい空気の中に、心がじんわりと溶けていく音がした。

 吐く息は白く、かすかに震えていた。
 まるで俺の胸の内そのものみたいだった。

 目の前にいる瑛人は、何も言わずに、ただ俺を見ている。
 その視線があたたかくて、優しくて――でもそれが、どうしようもなく苦しかった。

 ――まだ、間に合う?
 そんな願いにも似た思いが胸の奥でかすかに揺れる。

「俺......人を好きになるって、どういうことなのか、ずっとわかんなかった」

 喉がつまって、声は掠れた。
 でも、どうしても伝えたかった。

「でも......お前が俺以外の誰かに優しくしたり、笑ったり、そういうの見てるの......すごく嫌だった」

 息が白く、苦しそうに溶けていく。

 視界がにじんで、瑛人の顔がぼやけた。

「今さら......遅いかもしれないけど」

 ぽろり、と。

 目尻から、涙がひと粒こぼれた。

「......俺、瑛人のことが、好きだ」

 それは、押さえきれなかった。
 こらえようとしても、感情が溢れて、涙も一緒に溢れ出す。

「ただの友達なんていやだ。誰よりも、近くにいたい。お前にとっての“特別”になりたいんだ」

 言葉と一緒に、止めどなく涙が流れた。
 頬を伝って、冷たい風に当たって、余計に痛かった。

 それでも、まっすぐ瑛人を見た。
 涙まみれでも、情けなくても、伝えたかった。
 この想いを――

『好きって気持ちが、心に溢れて、言葉にしないと苦しくなっちゃう』

 美香ちゃんの言った通りだった。こんなにも誰かのことを想って、こんなにも怖くて、でもどうしても伝えたくて――
 それが「好き」なんだって、今さらわかるなんて。

 なのに、瑛人は何も言わなかった。
 ただ、じっと俺を見ていた。

 ......やっぱり、遅かったんだろうか。
 そう思った瞬間、胸の奥がずきんと痛んだ。

「......ごめん、今更こんなこと言って......でもこれだけ伝えときたかったんだ」

 俺はそっと顔を背けようとした。
 でもそのとき――

「......蒼」

 名前を呼ばれた。
 優しくて、少しかすれた声で。

 気づいたら、瑛人の手が俺の頬に触れていた。
 冷たくなった頬を、そっと撫でるように。

 そして――そのまま、俺の涙を指先でぬぐった。

「ほんとなのか?」

 静かに言った瑛人の言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。

「ずっと、お前のこと好きだった。今もそれは変わってない」

 その目も、どこか潤んでいるように見えた。

「......俺、友達に戻るとか言っといてさ」

 瑛人の腕の中、聞こえてくる声はかすかに震えていた。

「全然、ダメだったんだ。蒼のこと......友達としてなんて見れなかった」

 言葉のたびに、胸の奥が熱くなる。
 瑛人はゆっくりと腕をほどき、俺と向き合った。

「蒼と友達ですらいられなくなるのが怖くて......俺が他の子と付き合ったら、また昔みたいに戻れると思ったんだ」

 その目は真剣で、苦しそうだった。
 少しだけ、瑛人が視線を落とす。

「ふとした雰囲気がどこか蒼と似てて、美香ちゃんならって......でも、美香ちゃんといても結局ずっと蒼のこと考えてた」

 俺は息を飲んだ。

「蒼だったら、ここで笑ってただろうなとか、蒼が選びそうだなとか......隣に蒼がいたらよかったのにって」

 瑛人の声がかすれた。
 目の奥が、じんわり熱くなる。

「どうしても、なかったことにはできなかったんだ。ずっと......蒼が好きだったから」

 不器用で、遠回りで、でもまっすぐなその想いに、俺はまた涙がこぼれた。

 瑛人の腕の中、鼓動がうるさいほどに響いていた。
 お互いの体温を感じながら、肩に顔をうずめた俺の耳に、瑛人の声が落ちてくる。

「......蒼」

 名前を呼ばれるたび、胸が締めつけられる。

 ふいに、瑛人がそっと俺の頬を持ち上げた。
 その目が、まっすぐ俺を見つめている。

 そして――

 触れるだけの、でもすべてを伝えるようなキスが、降ってきた。
 唇が触れ合った瞬間、世界の音がすべて消えた気がした。

 それは優しくて、あたたかくて。
 それなのに、涙がまた溢れてきた。

 離れた唇の余韻を残したまま、瑛人が小さく息を吐く。

「蒼のことが好きだ。昔からずっと、今も、これからも」

 その言葉は、凍てついた心に優しく届いた。
 もう、何も隠さなくていい。怖がらなくていい。

「俺も瑛人のこと好きだ」

 涙が落ちる頬のまま、必死に笑って言った。

 瑛人の手が、俺の手をぎゅっと握る。

「......俺と、ちゃんと付き合ってほしい」

 その一言が、何よりもあたたかかった。

「うん......俺でいいなら」

 俺は頷いた。
 笑った瑛人の目にも、うっすら涙がにじんでいて。

 もう、逃げなくていい。
 ふたりでちゃんと、ここから始めていける。

 ふたりして、小さく笑い合った。

 あんなに胸が苦しかったのに、今は、こんなにもあたたかい。

 笑いながら俺が鼻をすすったら、瑛人がふっと表情を緩めた。

「......蒼、顔、冷たい」

 そう言って、瑛人はそっと、俺の頬に両手を添えた。

 驚いて瞬きをする。
 その手のひらは冷たいけど、どこかずっとあたたかくて。

「......瑛人の手も、冷たいよ」

 ぽつりと呟くと、瑛人が少し笑って「ほんとだな」と答えた。

 そう言いながら、両手で俺の頬を包み込んで、優しく親指で涙のあとをなぞった。

 俺はくすぐったくて、照れくさくて、でもうれしくて。その冷たい手を俺はぎゅっと握った。

「......あったかい?」

 ぽつりとこぼした言葉に、瑛人がふわっと笑った。

「あぁ、あったかいよ」

 ふと、遠くでスマホの通知音が鳴った気がした。

「......あっ」

 光輝と隼人に何も言わずに走ってきたの忘れてた!

「やばい......!」

 慌ててポケットからスマホを取り出すと、未読メッセージが溢れていた。

『蒼、今どこ?』
『トイレか?』
『先にカラオケ行ってるぞ』

「完全に忘れてた......!あっ、瑛人も来いよ!」

 その瞬間、後ろからふわっと、両腕が俺を包む。

「......えっ」

 振り返る前に、瑛人の低くて少し拗ねたような声が聞こえた。

「今は蒼とふたりでいたい」

 その声に、胸がきゅっと締めつけられる。

 瑛人はいつも堂々としてるくせに、時々こうして不意に甘える。それがずるくて、どうしようもなく愛おしい。

「......光輝たちには?」

「俺のせいにしてくれてもいいから」

 まるで子どもみたいな言い方に、ふっと笑いがこぼれる。

 ほんとに、ずるいな。

 俺はスマホを開いて、短くメッセージを打った。

『本当にごめん、用事できた......またちゃんと話す』

 申し訳なく思いながら送信を押してから、そっと瑛人の腕に自分の手を重ねた。

「......俺も今は瑛人といたい」

 そう言うと、瑛人は嬉しそうに頬を緩めて、俺の肩に額を預けてきた。

 それから俺たちは夜の街にくりだしていた。

「ご飯、食べてないよな?」

 並んで歩きながら、瑛斗がふと口を開く。

「うん。食べに行く予定だったから」

「じゃあ、どっか食べてくか」

「......それより、家帰ってピザでも頼もうよ」

 俺が提案すると、瑛斗はぱっと顔を明るくして頷いた。

「それいいな。ついでにケーキも買ってこうよ」

 そんな他愛ない会話を交わしながら、俺たちは夜の街を歩いていった。

 ふいに、前方に人だかりができているのが見えた。ざわざわと楽しそうな声が聞こえてくる。

「ちょっと、寄ってこうぜ」

 瑛斗に腕を引かれ、人の流れに紛れながら進むと、目の前にぱっと光の世界が広がった。

 イルミネーション。
 色とりどりの光が街路樹を彩り、中央には巨大なクリスマスツリーがそびえ立っていた。星のようにきらめくライトが、夜空に瞬いている。

「......きれい」

 思わず声が漏れる。

 そのとき、瑛斗が俺の手をそっと握った。そしてそのまま、ふたりの手を自分の上着のポケットの中へ滑り込ませた。

「......誰かに見られるよ」

 小声で抗議すると、瑛斗は少し笑って言った。

「誰も見てないよ」

 その言葉がなんだか頼もしくて、俺は静かに瑛斗の手に指を絡めた。

 ぬくもりを感じながら、そっと隣を見る。光に照らされた瑛斗の横顔が、まるで映画のワンシーンみたいに綺麗だった。

「瑛斗と見れてよかった」

 そう言うと、瑛斗がふと俺を見て、やわらかく笑った。

 そのとき――ふわりと、鼻先に冷たいものが触れた。

 見上げると、空から白い雪が舞い降りていた。

「......雪?」

 空を見上げると、白い粒が静かに降りてくる。街のイルミネーションに照らされて、舞い落ちる雪が光を反射してキラキラと瞬いていた。

「ホワイトクリスマス、だな」

 瑛人が隣で笑う。その声に、俺もつられて顔をほころばせる。

「わあ、結構降ってきた......!」

 手を伸ばすと、小さな雪の結晶が掌に舞い落ちて、すぐに溶けた。ふたりで見上げた夜空には、しんとした静けさと、舞い降りる雪の儚さが広がっていた。

「なあ、蒼」

「ん?」

「来年も、また一緒に見に来ような」

「うん、絶対に」

 手をぎゅっと繋ぎ直す。

 この手のぬくもりが、来年も、その先もずっと続きますように。