「お待たせ!」
「まじ、寒いなぁー!」
「コンビニでお菓子いっぱい買おうぜ」
クリスマス当日の街は、浮かれた雰囲気で満ちていた。駅前にはイルミネーションが灯り、楽しそうに手を繋ぐカップルや家族連れが笑顔で歩いていく。白い息がはっきりと見えるほど、空気は冷たく澄んでいた。
俺はポケットに両手を突っ込んで、背中を丸めるようにして歩いていた。肩を寄せ合う人たちの中、自分の吐く息だけがやけに目立つような気がして、少しだけ早足になる。
「おい、蒼。あれ......」
ふいに、光輝が立ち止まった。
その視線の先を追うと、雑踏の中に俺の知っている後ろ姿が......瑛人だった。隣には、美香ちゃんがいて、ふたりは並んで歩いていた。自然と肩が触れるくらいの距離で、時折顔を見合わせながら話している。寒そうに身を寄せる美香ちゃんに、瑛人がそっとマフラーを直してやる仕草が見えた。
胸の奥が、ぎゅっと音を立てる。
「おーい、見なかったことにしよーぜ?」
「......俺たちは俺たちで楽しむよな!」
光輝と隼人が茶化すように笑って、俺の肩をぽんぽんと叩く。俺も笑ったふりをして頷いた。
だけど、足は重たくて、心だけがどこか遠くに引っ張られていた。
そのまま俺たちはコンビニに入った。暖かい店内に入っても、さっきの光景が頭から離れなかった。瑛人の隣にいるのが、美香ちゃんであること。ふたりがまるで恋人のように自然だったこと。あの笑顔が、俺の知らない瑛人の顔だったこと。
「蒼、うすしおかのりしお、どっちがいい?」
隼人の声が聞こえた。でも答えられなかった。
「あれ、蒼は?」
気づいたら、俺は走っていた。
さっきの場所へ、瑛人を見た場所へ戻っていた。けれどもう、あのふたりの姿はどこにもいない。
雑踏の中、人の顔をかき分けるようにして探した。焦る気持ちばかりが先走って、冷たい空気で肺が痛む。それでも止まれなかった。
あっ、見つけた――
ようやく見つけたふたりは、少し離れたクリスマスマーケットの前にいた。光に照らされた美香ちゃんの横顔は、幸せそうだった。瑛人も、そんな彼女を見つめながら微笑んでいる。
あぁ、きっと――
このままのほうが瑛人にとって幸せだろう。
男同士なんて、世間からはおかしいと思われる。瑛人だって、いつかちゃんと女の子と付き合って、幸せになるほうが......。
でも――
そんなこと、考えられないくらい。
俺は、瑛人のことが好きだった。好きで、好きで、どうしようもないくらいに。
気づいたら、俺の足はまた走り出していた。
人ごみをすり抜けて、まっすぐに瑛人のもとへ向かった。心臓がうるさいほど鳴っている。でも止まれなかった。
「瑛人っ!」
俺は叫んだ。人混みの中をかき分け、目に飛び込んできたその背中に手を伸ばす。
瑛人が驚いたように振り返り、目を見開いて固まる。
「......あお?」
震える手でその腕にしがみついた。力なんてこもってなかった。でも、必死だった。
心臓の音が耳の奥でどくどくと鳴っている。
「ごめん......でも、俺、どうしてもお前に言いたいことがあるんだ」
そう絞り出すのがやっとだった。声はかすれて震えていた。
その横で、美香ちゃんが困ったように、でも心配そうに俺を見ていた。
「え、蒼くん......?どうしたの......」
言葉をかけられるたび、胸の奥がギュッと縮こまっていく。
瑛人が、少し困ったように眉をひそめる。その表情は、どこか戸惑いが滲んでいた。
「蒼......今はちょっと......」
その一言が、何よりも怖かった。
俺は、咄嗟に手を放していた。
「......ごめん、いきなり迷惑だよな。やっぱ、また今度でいいや」
その場に、もう居られなかった。
顔を上げるのが怖くて、視線を地面に落としたまま、くるりと背を向ける。
歩き出した。いや、逃げ出した。
冷たい空気が頬を刺す。かじかんだ指先が痛い。
でも、その痛みさえも、何かから自分を守ってくれている気がした。
しばらく歩いて、人気のない路地裏に辿り着いた。
鮮やかなイルミネーションの光が、遠くでぼんやり揺れている。
――やっぱり、あんなの、迷惑だったよな。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
でも、止められなかった。
もう、隠していられなかった。
――瑛人が、好きなんだ。
そう、何度も何度も自分に言い聞かせるように思った。
届かないとわかっていても、言わずにいられなかった。
だけど、やっぱり怖かった。
「......蒼!」
背後から、息を切った声が聞こえた。
俺の名前を呼ぶ、その声に振り返る。
瑛人が、走ってきていた。
人混みを抜けて、まっすぐに、俺のところへ。
俺は驚いて立ち尽くす。
「蒼、待って!」
声には少し怒気が混じっていた。でも、その奥に、安堵の響きもあった。
胸の奥が、ほんの少しだけあたたかくなる。
「......美香ちゃんは?」
そう尋ねる俺に、瑛人は肩で息をしながら答えた。
「ちゃんと話してきた。謝って、今日は解散ってことにした」
短く息を整えたあと、瑛人は俺を見た。
逃げ場も、隙もないくらい、まっすぐに。
「だから今は......お前の話、ちゃんと聞くよ」
真冬の夜。
冷たい空気の中に、心がじんわりと溶けていく音がした。
吐く息は白く、かすかに震えていた。
まるで俺の胸の内そのものみたいだった。
目の前にいる瑛人は、何も言わずに、ただ俺を見ている。
その視線があたたかくて、優しくて――でもそれが、どうしようもなく苦しかった。
――まだ、間に合う?
そんな願いにも似た思いが胸の奥でかすかに揺れる。
「俺......人を好きになるって、どういうことなのか、ずっとわかんなかった」
喉がつまって、声は掠れた。
でも、どうしても伝えたかった。
「でも......お前が俺以外の誰かに優しくしたり、笑ったり、そういうの見てるの......すごく嫌だった」
息が白く、苦しそうに溶けていく。
視界がにじんで、瑛人の顔がぼやけた。
「今さら......遅いかもしれないけど」
ぽろり、と。
目尻から、涙がひと粒こぼれた。
「......俺、瑛人のことが、好きだ」
それは、押さえきれなかった。
こらえようとしても、感情が溢れて、涙も一緒に溢れ出す。
「ただの友達なんていやだ。誰よりも、近くにいたい。お前にとっての“特別”になりたいんだ」
言葉と一緒に、止めどなく涙が流れた。
頬を伝って、冷たい風に当たって、余計に痛かった。
それでも、まっすぐ瑛人を見た。
涙まみれでも、情けなくても、伝えたかった。
この想いを――
『好きって気持ちが、心に溢れて、言葉にしないと苦しくなっちゃう』
美香ちゃんの言った通りだった。こんなにも誰かのことを想って、こんなにも怖くて、でもどうしても伝えたくて――
それが「好き」なんだって、今さらわかるなんて。
なのに、瑛人は何も言わなかった。
ただ、じっと俺を見ていた。
......やっぱり、遅かったんだろうか。
そう思った瞬間、胸の奥がずきんと痛んだ。
「......ごめん、今更こんなこと言って......でもこれだけ伝えときたかったんだ」
俺はそっと顔を背けようとした。
でもそのとき――
「......蒼」
名前を呼ばれた。
優しくて、少しかすれた声で。
気づいたら、瑛人の手が俺の頬に触れていた。
冷たくなった頬を、そっと撫でるように。
そして――そのまま、俺の涙を指先でぬぐった。
「ほんとなのか?」
静かに言った瑛人の言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
「ずっと、お前のこと好きだった。今もそれは変わってない」
その目も、どこか潤んでいるように見えた。
「......俺、友達に戻るとか言っといてさ」
瑛人の腕の中、聞こえてくる声はかすかに震えていた。
「全然、ダメだったんだ。蒼のこと......友達としてなんて見れなかった」
言葉のたびに、胸の奥が熱くなる。
瑛人はゆっくりと腕をほどき、俺と向き合った。
「蒼と友達ですらいられなくなるのが怖くて......俺が他の子と付き合ったら、また昔みたいに戻れると思ったんだ」
その目は真剣で、苦しそうだった。
少しだけ、瑛人が視線を落とす。
「ふとした雰囲気がどこか蒼と似てて、美香ちゃんならって......でも、美香ちゃんといても結局ずっと蒼のこと考えてた」
俺は息を飲んだ。
「蒼だったら、ここで笑ってただろうなとか、蒼が選びそうだなとか......隣に蒼がいたらよかったのにって」
瑛人の声がかすれた。
目の奥が、じんわり熱くなる。
「どうしても、なかったことにはできなかったんだ。ずっと......蒼が好きだったから」
不器用で、遠回りで、でもまっすぐなその想いに、俺はまた涙がこぼれた。
瑛人の腕の中、鼓動がうるさいほどに響いていた。
お互いの体温を感じながら、肩に顔をうずめた俺の耳に、瑛人の声が落ちてくる。
「......蒼」
名前を呼ばれるたび、胸が締めつけられる。
ふいに、瑛人がそっと俺の頬を持ち上げた。
その目が、まっすぐ俺を見つめている。
そして――
触れるだけの、でもすべてを伝えるようなキスが、降ってきた。
唇が触れ合った瞬間、世界の音がすべて消えた気がした。
それは優しくて、あたたかくて。
それなのに、涙がまた溢れてきた。
離れた唇の余韻を残したまま、瑛人が小さく息を吐く。
「蒼のことが好きだ。昔からずっと、今も、これからも」
その言葉は、凍てついた心に優しく届いた。
もう、何も隠さなくていい。怖がらなくていい。
「俺も瑛人のこと好きだ」
涙が落ちる頬のまま、必死に笑って言った。
瑛人の手が、俺の手をぎゅっと握る。
「......俺と、ちゃんと付き合ってほしい」
その一言が、何よりもあたたかかった。
「うん......俺でいいなら」
俺は頷いた。
笑った瑛人の目にも、うっすら涙がにじんでいて。
もう、逃げなくていい。
ふたりでちゃんと、ここから始めていける。
ふたりして、小さく笑い合った。
あんなに胸が苦しかったのに、今は、こんなにもあたたかい。
笑いながら俺が鼻をすすったら、瑛人がふっと表情を緩めた。
「......蒼、顔、冷たい」
そう言って、瑛人はそっと、俺の頬に両手を添えた。
驚いて瞬きをする。
その手のひらは冷たいけど、どこかずっとあたたかくて。
「......瑛人の手も、冷たいよ」
ぽつりと呟くと、瑛人が少し笑って「ほんとだな」と答えた。
そう言いながら、両手で俺の頬を包み込んで、優しく親指で涙のあとをなぞった。
俺はくすぐったくて、照れくさくて、でもうれしくて。その冷たい手を俺はぎゅっと握った。
「......あったかい?」
ぽつりとこぼした言葉に、瑛人がふわっと笑った。
「あぁ、あったかいよ」
ふと、遠くでスマホの通知音が鳴った気がした。
「......あっ」
光輝と隼人に何も言わずに走ってきたの忘れてた!
「やばい......!」
慌ててポケットからスマホを取り出すと、未読メッセージが溢れていた。
『蒼、今どこ?』
『トイレか?』
『先にカラオケ行ってるぞ』
「完全に忘れてた......!あっ、瑛人も来いよ!」
その瞬間、後ろからふわっと、両腕が俺を包む。
「......えっ」
振り返る前に、瑛人の低くて少し拗ねたような声が聞こえた。
「今は蒼とふたりでいたい」
その声に、胸がきゅっと締めつけられる。
瑛人はいつも堂々としてるくせに、時々こうして不意に甘える。それがずるくて、どうしようもなく愛おしい。
「......光輝たちには?」
「俺のせいにしてくれてもいいから」
まるで子どもみたいな言い方に、ふっと笑いがこぼれる。
ほんとに、ずるいな。
俺はスマホを開いて、短くメッセージを打った。
『本当にごめん、用事できた......またちゃんと話す』
申し訳なく思いながら送信を押してから、そっと瑛人の腕に自分の手を重ねた。
「......俺も今は瑛人といたい」
そう言うと、瑛人は嬉しそうに頬を緩めて、俺の肩に額を預けてきた。
それから俺たちは夜の街にくりだしていた。
「ご飯、食べてないよな?」
並んで歩きながら、瑛斗がふと口を開く。
「うん。食べに行く予定だったから」
「じゃあ、どっか食べてくか」
「......それより、家帰ってピザでも頼もうよ」
俺が提案すると、瑛斗はぱっと顔を明るくして頷いた。
「それいいな。ついでにケーキも買ってこうよ」
そんな他愛ない会話を交わしながら、俺たちは夜の街を歩いていった。
ふいに、前方に人だかりができているのが見えた。ざわざわと楽しそうな声が聞こえてくる。
「ちょっと、寄ってこうぜ」
瑛斗に腕を引かれ、人の流れに紛れながら進むと、目の前にぱっと光の世界が広がった。
イルミネーション。
色とりどりの光が街路樹を彩り、中央には巨大なクリスマスツリーがそびえ立っていた。星のようにきらめくライトが、夜空に瞬いている。
「......きれい」
思わず声が漏れる。
そのとき、瑛斗が俺の手をそっと握った。そしてそのまま、ふたりの手を自分の上着のポケットの中へ滑り込ませた。
「......誰かに見られるよ」
小声で抗議すると、瑛斗は少し笑って言った。
「誰も見てないよ」
その言葉がなんだか頼もしくて、俺は静かに瑛斗の手に指を絡めた。
ぬくもりを感じながら、そっと隣を見る。光に照らされた瑛斗の横顔が、まるで映画のワンシーンみたいに綺麗だった。
「瑛斗と見れてよかった」
そう言うと、瑛斗がふと俺を見て、やわらかく笑った。
そのとき――ふわりと、鼻先に冷たいものが触れた。
見上げると、空から白い雪が舞い降りていた。
「......雪?」
空を見上げると、白い粒が静かに降りてくる。街のイルミネーションに照らされて、舞い落ちる雪が光を反射してキラキラと瞬いていた。
「ホワイトクリスマス、だな」
瑛人が隣で笑う。その声に、俺もつられて顔をほころばせる。
「わあ、結構降ってきた......!」
手を伸ばすと、小さな雪の結晶が掌に舞い落ちて、すぐに溶けた。ふたりで見上げた夜空には、しんとした静けさと、舞い降りる雪の儚さが広がっていた。
「なあ、蒼」
「ん?」
「来年も、また一緒に見に来ような」
「うん、絶対に」
手をぎゅっと繋ぎ直す。
この手のぬくもりが、来年も、その先もずっと続きますように。
「まじ、寒いなぁー!」
「コンビニでお菓子いっぱい買おうぜ」
クリスマス当日の街は、浮かれた雰囲気で満ちていた。駅前にはイルミネーションが灯り、楽しそうに手を繋ぐカップルや家族連れが笑顔で歩いていく。白い息がはっきりと見えるほど、空気は冷たく澄んでいた。
俺はポケットに両手を突っ込んで、背中を丸めるようにして歩いていた。肩を寄せ合う人たちの中、自分の吐く息だけがやけに目立つような気がして、少しだけ早足になる。
「おい、蒼。あれ......」
ふいに、光輝が立ち止まった。
その視線の先を追うと、雑踏の中に俺の知っている後ろ姿が......瑛人だった。隣には、美香ちゃんがいて、ふたりは並んで歩いていた。自然と肩が触れるくらいの距離で、時折顔を見合わせながら話している。寒そうに身を寄せる美香ちゃんに、瑛人がそっとマフラーを直してやる仕草が見えた。
胸の奥が、ぎゅっと音を立てる。
「おーい、見なかったことにしよーぜ?」
「......俺たちは俺たちで楽しむよな!」
光輝と隼人が茶化すように笑って、俺の肩をぽんぽんと叩く。俺も笑ったふりをして頷いた。
だけど、足は重たくて、心だけがどこか遠くに引っ張られていた。
そのまま俺たちはコンビニに入った。暖かい店内に入っても、さっきの光景が頭から離れなかった。瑛人の隣にいるのが、美香ちゃんであること。ふたりがまるで恋人のように自然だったこと。あの笑顔が、俺の知らない瑛人の顔だったこと。
「蒼、うすしおかのりしお、どっちがいい?」
隼人の声が聞こえた。でも答えられなかった。
「あれ、蒼は?」
気づいたら、俺は走っていた。
さっきの場所へ、瑛人を見た場所へ戻っていた。けれどもう、あのふたりの姿はどこにもいない。
雑踏の中、人の顔をかき分けるようにして探した。焦る気持ちばかりが先走って、冷たい空気で肺が痛む。それでも止まれなかった。
あっ、見つけた――
ようやく見つけたふたりは、少し離れたクリスマスマーケットの前にいた。光に照らされた美香ちゃんの横顔は、幸せそうだった。瑛人も、そんな彼女を見つめながら微笑んでいる。
あぁ、きっと――
このままのほうが瑛人にとって幸せだろう。
男同士なんて、世間からはおかしいと思われる。瑛人だって、いつかちゃんと女の子と付き合って、幸せになるほうが......。
でも――
そんなこと、考えられないくらい。
俺は、瑛人のことが好きだった。好きで、好きで、どうしようもないくらいに。
気づいたら、俺の足はまた走り出していた。
人ごみをすり抜けて、まっすぐに瑛人のもとへ向かった。心臓がうるさいほど鳴っている。でも止まれなかった。
「瑛人っ!」
俺は叫んだ。人混みの中をかき分け、目に飛び込んできたその背中に手を伸ばす。
瑛人が驚いたように振り返り、目を見開いて固まる。
「......あお?」
震える手でその腕にしがみついた。力なんてこもってなかった。でも、必死だった。
心臓の音が耳の奥でどくどくと鳴っている。
「ごめん......でも、俺、どうしてもお前に言いたいことがあるんだ」
そう絞り出すのがやっとだった。声はかすれて震えていた。
その横で、美香ちゃんが困ったように、でも心配そうに俺を見ていた。
「え、蒼くん......?どうしたの......」
言葉をかけられるたび、胸の奥がギュッと縮こまっていく。
瑛人が、少し困ったように眉をひそめる。その表情は、どこか戸惑いが滲んでいた。
「蒼......今はちょっと......」
その一言が、何よりも怖かった。
俺は、咄嗟に手を放していた。
「......ごめん、いきなり迷惑だよな。やっぱ、また今度でいいや」
その場に、もう居られなかった。
顔を上げるのが怖くて、視線を地面に落としたまま、くるりと背を向ける。
歩き出した。いや、逃げ出した。
冷たい空気が頬を刺す。かじかんだ指先が痛い。
でも、その痛みさえも、何かから自分を守ってくれている気がした。
しばらく歩いて、人気のない路地裏に辿り着いた。
鮮やかなイルミネーションの光が、遠くでぼんやり揺れている。
――やっぱり、あんなの、迷惑だったよな。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
でも、止められなかった。
もう、隠していられなかった。
――瑛人が、好きなんだ。
そう、何度も何度も自分に言い聞かせるように思った。
届かないとわかっていても、言わずにいられなかった。
だけど、やっぱり怖かった。
「......蒼!」
背後から、息を切った声が聞こえた。
俺の名前を呼ぶ、その声に振り返る。
瑛人が、走ってきていた。
人混みを抜けて、まっすぐに、俺のところへ。
俺は驚いて立ち尽くす。
「蒼、待って!」
声には少し怒気が混じっていた。でも、その奥に、安堵の響きもあった。
胸の奥が、ほんの少しだけあたたかくなる。
「......美香ちゃんは?」
そう尋ねる俺に、瑛人は肩で息をしながら答えた。
「ちゃんと話してきた。謝って、今日は解散ってことにした」
短く息を整えたあと、瑛人は俺を見た。
逃げ場も、隙もないくらい、まっすぐに。
「だから今は......お前の話、ちゃんと聞くよ」
真冬の夜。
冷たい空気の中に、心がじんわりと溶けていく音がした。
吐く息は白く、かすかに震えていた。
まるで俺の胸の内そのものみたいだった。
目の前にいる瑛人は、何も言わずに、ただ俺を見ている。
その視線があたたかくて、優しくて――でもそれが、どうしようもなく苦しかった。
――まだ、間に合う?
そんな願いにも似た思いが胸の奥でかすかに揺れる。
「俺......人を好きになるって、どういうことなのか、ずっとわかんなかった」
喉がつまって、声は掠れた。
でも、どうしても伝えたかった。
「でも......お前が俺以外の誰かに優しくしたり、笑ったり、そういうの見てるの......すごく嫌だった」
息が白く、苦しそうに溶けていく。
視界がにじんで、瑛人の顔がぼやけた。
「今さら......遅いかもしれないけど」
ぽろり、と。
目尻から、涙がひと粒こぼれた。
「......俺、瑛人のことが、好きだ」
それは、押さえきれなかった。
こらえようとしても、感情が溢れて、涙も一緒に溢れ出す。
「ただの友達なんていやだ。誰よりも、近くにいたい。お前にとっての“特別”になりたいんだ」
言葉と一緒に、止めどなく涙が流れた。
頬を伝って、冷たい風に当たって、余計に痛かった。
それでも、まっすぐ瑛人を見た。
涙まみれでも、情けなくても、伝えたかった。
この想いを――
『好きって気持ちが、心に溢れて、言葉にしないと苦しくなっちゃう』
美香ちゃんの言った通りだった。こんなにも誰かのことを想って、こんなにも怖くて、でもどうしても伝えたくて――
それが「好き」なんだって、今さらわかるなんて。
なのに、瑛人は何も言わなかった。
ただ、じっと俺を見ていた。
......やっぱり、遅かったんだろうか。
そう思った瞬間、胸の奥がずきんと痛んだ。
「......ごめん、今更こんなこと言って......でもこれだけ伝えときたかったんだ」
俺はそっと顔を背けようとした。
でもそのとき――
「......蒼」
名前を呼ばれた。
優しくて、少しかすれた声で。
気づいたら、瑛人の手が俺の頬に触れていた。
冷たくなった頬を、そっと撫でるように。
そして――そのまま、俺の涙を指先でぬぐった。
「ほんとなのか?」
静かに言った瑛人の言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
「ずっと、お前のこと好きだった。今もそれは変わってない」
その目も、どこか潤んでいるように見えた。
「......俺、友達に戻るとか言っといてさ」
瑛人の腕の中、聞こえてくる声はかすかに震えていた。
「全然、ダメだったんだ。蒼のこと......友達としてなんて見れなかった」
言葉のたびに、胸の奥が熱くなる。
瑛人はゆっくりと腕をほどき、俺と向き合った。
「蒼と友達ですらいられなくなるのが怖くて......俺が他の子と付き合ったら、また昔みたいに戻れると思ったんだ」
その目は真剣で、苦しそうだった。
少しだけ、瑛人が視線を落とす。
「ふとした雰囲気がどこか蒼と似てて、美香ちゃんならって......でも、美香ちゃんといても結局ずっと蒼のこと考えてた」
俺は息を飲んだ。
「蒼だったら、ここで笑ってただろうなとか、蒼が選びそうだなとか......隣に蒼がいたらよかったのにって」
瑛人の声がかすれた。
目の奥が、じんわり熱くなる。
「どうしても、なかったことにはできなかったんだ。ずっと......蒼が好きだったから」
不器用で、遠回りで、でもまっすぐなその想いに、俺はまた涙がこぼれた。
瑛人の腕の中、鼓動がうるさいほどに響いていた。
お互いの体温を感じながら、肩に顔をうずめた俺の耳に、瑛人の声が落ちてくる。
「......蒼」
名前を呼ばれるたび、胸が締めつけられる。
ふいに、瑛人がそっと俺の頬を持ち上げた。
その目が、まっすぐ俺を見つめている。
そして――
触れるだけの、でもすべてを伝えるようなキスが、降ってきた。
唇が触れ合った瞬間、世界の音がすべて消えた気がした。
それは優しくて、あたたかくて。
それなのに、涙がまた溢れてきた。
離れた唇の余韻を残したまま、瑛人が小さく息を吐く。
「蒼のことが好きだ。昔からずっと、今も、これからも」
その言葉は、凍てついた心に優しく届いた。
もう、何も隠さなくていい。怖がらなくていい。
「俺も瑛人のこと好きだ」
涙が落ちる頬のまま、必死に笑って言った。
瑛人の手が、俺の手をぎゅっと握る。
「......俺と、ちゃんと付き合ってほしい」
その一言が、何よりもあたたかかった。
「うん......俺でいいなら」
俺は頷いた。
笑った瑛人の目にも、うっすら涙がにじんでいて。
もう、逃げなくていい。
ふたりでちゃんと、ここから始めていける。
ふたりして、小さく笑い合った。
あんなに胸が苦しかったのに、今は、こんなにもあたたかい。
笑いながら俺が鼻をすすったら、瑛人がふっと表情を緩めた。
「......蒼、顔、冷たい」
そう言って、瑛人はそっと、俺の頬に両手を添えた。
驚いて瞬きをする。
その手のひらは冷たいけど、どこかずっとあたたかくて。
「......瑛人の手も、冷たいよ」
ぽつりと呟くと、瑛人が少し笑って「ほんとだな」と答えた。
そう言いながら、両手で俺の頬を包み込んで、優しく親指で涙のあとをなぞった。
俺はくすぐったくて、照れくさくて、でもうれしくて。その冷たい手を俺はぎゅっと握った。
「......あったかい?」
ぽつりとこぼした言葉に、瑛人がふわっと笑った。
「あぁ、あったかいよ」
ふと、遠くでスマホの通知音が鳴った気がした。
「......あっ」
光輝と隼人に何も言わずに走ってきたの忘れてた!
「やばい......!」
慌ててポケットからスマホを取り出すと、未読メッセージが溢れていた。
『蒼、今どこ?』
『トイレか?』
『先にカラオケ行ってるぞ』
「完全に忘れてた......!あっ、瑛人も来いよ!」
その瞬間、後ろからふわっと、両腕が俺を包む。
「......えっ」
振り返る前に、瑛人の低くて少し拗ねたような声が聞こえた。
「今は蒼とふたりでいたい」
その声に、胸がきゅっと締めつけられる。
瑛人はいつも堂々としてるくせに、時々こうして不意に甘える。それがずるくて、どうしようもなく愛おしい。
「......光輝たちには?」
「俺のせいにしてくれてもいいから」
まるで子どもみたいな言い方に、ふっと笑いがこぼれる。
ほんとに、ずるいな。
俺はスマホを開いて、短くメッセージを打った。
『本当にごめん、用事できた......またちゃんと話す』
申し訳なく思いながら送信を押してから、そっと瑛人の腕に自分の手を重ねた。
「......俺も今は瑛人といたい」
そう言うと、瑛人は嬉しそうに頬を緩めて、俺の肩に額を預けてきた。
それから俺たちは夜の街にくりだしていた。
「ご飯、食べてないよな?」
並んで歩きながら、瑛斗がふと口を開く。
「うん。食べに行く予定だったから」
「じゃあ、どっか食べてくか」
「......それより、家帰ってピザでも頼もうよ」
俺が提案すると、瑛斗はぱっと顔を明るくして頷いた。
「それいいな。ついでにケーキも買ってこうよ」
そんな他愛ない会話を交わしながら、俺たちは夜の街を歩いていった。
ふいに、前方に人だかりができているのが見えた。ざわざわと楽しそうな声が聞こえてくる。
「ちょっと、寄ってこうぜ」
瑛斗に腕を引かれ、人の流れに紛れながら進むと、目の前にぱっと光の世界が広がった。
イルミネーション。
色とりどりの光が街路樹を彩り、中央には巨大なクリスマスツリーがそびえ立っていた。星のようにきらめくライトが、夜空に瞬いている。
「......きれい」
思わず声が漏れる。
そのとき、瑛斗が俺の手をそっと握った。そしてそのまま、ふたりの手を自分の上着のポケットの中へ滑り込ませた。
「......誰かに見られるよ」
小声で抗議すると、瑛斗は少し笑って言った。
「誰も見てないよ」
その言葉がなんだか頼もしくて、俺は静かに瑛斗の手に指を絡めた。
ぬくもりを感じながら、そっと隣を見る。光に照らされた瑛斗の横顔が、まるで映画のワンシーンみたいに綺麗だった。
「瑛斗と見れてよかった」
そう言うと、瑛斗がふと俺を見て、やわらかく笑った。
そのとき――ふわりと、鼻先に冷たいものが触れた。
見上げると、空から白い雪が舞い降りていた。
「......雪?」
空を見上げると、白い粒が静かに降りてくる。街のイルミネーションに照らされて、舞い落ちる雪が光を反射してキラキラと瞬いていた。
「ホワイトクリスマス、だな」
瑛人が隣で笑う。その声に、俺もつられて顔をほころばせる。
「わあ、結構降ってきた......!」
手を伸ばすと、小さな雪の結晶が掌に舞い落ちて、すぐに溶けた。ふたりで見上げた夜空には、しんとした静けさと、舞い降りる雪の儚さが広がっていた。
「なあ、蒼」
「ん?」
「来年も、また一緒に見に来ような」
「うん、絶対に」
手をぎゅっと繋ぎ直す。
この手のぬくもりが、来年も、その先もずっと続きますように。



