翌日、小雨がぽつぽつと降る中、ヤマダ亭に向かった。今晩から週末にかけて、降ったり止んだりのすっきりしない天気が続くらしい。
十二月に入ったばかりだが、至る所が徐々にクリスマス仕様に変化している。
煌びやかな飾りたちも、冷たい雨のせいでなんだか本来の輝きを失っているように見えた。
ーーいや、今年も独りの可能性がほぼ確実だから、俺の目にはそう見えるだけかもしれない。
自嘲的な気分のまま店に着くと、昨日のようにビニール袋を手に提げた安村くんがスマホをいじりながら店先に立っていた。
傘をささずに。
持っていた傘を高く掲げ、なんとか傘の中に安村くんの頭を収める。
「あ、アサさん。ども」
「傘ないの?」
「まぁ、そっすね」
「こんなに降ってるのに?」
「……言うほど降ってます?」
手のひらを上に向けて傘の外に出し、真っ暗な空を仰ぎ見る。
「降ってないっすよ」
「いやいや、フツーに降ってるから」
真顔のままだから、ボケなのか真剣なのかわからない。
そうこうしているうちに、少し雨足が強まった。
「これは、降ってますね」
「だろ」
「……入れてもらっていっすか」
「……いいけど」
さーせん、と言いながら、俺の手から傘をさっと取り上げる。
掴みどころのないヤツだな……
そう思いつつなぜだか嫌な気持ちがせず受け入れてしまうのは、彼が懐に入るのが上手いからなのだろうか。釈然としないまま、俺の家に向かう。
もうすぐ家に着く、というときに、雨足がぐっと強くなった。
傘に打ちつける雨の粒が大きくなり、ぼつぼつと傘を叩く。
「やば、強くなってきた。急ごう」
「そっすね」
そう言うやいなや、安村くんは手に持っていたビニール袋を傘の持ち手にぶら下げ、空いた腕を俺の腰あたりにまわした。
「ちょっなに」
「や、こうした方が速く歩きやすいかなって」
「え」
ちょ、流石に恥ずかしいって! と小さく抵抗したが、抵抗も虚しく、ほぼ抱えられるようにしてマンションまで運ばれた。
幸い、家までの距離が近かったのでそこまで濡れずに済んだ。
と、思っていたら。俺に傘を傾けてくれてたのか、安村くんの肩はびしょびしょになっているではないか。
「ごめん、すごい濡れてるじゃん」
「いっすいっす。そもそも、俺が傘ないのが悪いんで」
ダウンを着ているとは言え、こんなに濡れていては寒いだろう。部屋に急ぐ。
部屋に着くなり、来訪が二回目とは思えない慣れた手つきで動き回る安村くん。
俺にハンガーを差し出し、「コート掛けます?」と言ってくる始末。
ーーここ、おれんちなんですけど。
緩慢な動きの俺に対して、安村くんは手洗いもそこそこに手早く食事の準備を進める。俺がテーブルにつくころには、勝手にお皿まで準備されていた。
ーーここ、おれんちですよね?
「さ、食べましょ」
「うん……」
自分の家で自分に主導権がないのが解せないが、目の前に広がった料理を見ると「ま、いいか」という気持ちになった。
おいしいご飯を前にしてウキウキするなんて、我ながら子どもっぽい。
今日のメニューはキチン南蛮弁当。お惣菜は、小松菜と人参のナムル、ブロッコリーのおかか和え、こんにゃくの煮物、大根の酢漬けだ。
ナムル、おかか和え、酢漬けはいつもと同じだが、こんにゃくの煮物はなんとなくいつもと少しちがって見える。ひとつ箸でつまみ、口に入れた。
通常だとおそらく醤油と砂糖で味付けしたであろう甘辛い風味だが、今日のはそれに加えて少しピリリと辛みを感じる。
「あれ。このこんにゃく、いつもと味がちがう……」
しょっぱみと辛み、甘みのバランスが絶妙で、いつものより断然こっちの方が好みだ。つい、続けて二個三個と口に放り込む。
「あ、それ、俺がつくったやつっす」
「えっ」ごふっと喉が鳴る。
「ちょ、大丈夫っすか」
手渡されたグラス(いつの間にか安村くんが準備してくれた)の水を一気に呷り、流し込む。
小さめに切られていたこんにゃくで良かった。デカめのこんにゃくだったら、こんなむせ方じゃ済まなかったにちがいない。
ごくごくと飲んでグラスを空にし、安村くんに向き直る。
「安村くん、料理できるの!?」
「そんな驚かなくても。それに、料理ってほどじゃないっすよ」
「でも、めっちゃ美味いよ」
「そっすか。あざっす」
指でぽりぽりこめかみを掻いて、少し顔を傾ける。心なしか、ちょっと照れているように見えた。
「っと、忘れてた」と言って、安村くんが胸の前で手を合わせる。
そういえば、と俺も慌てて手を合わせた。
どちらからともなく「せーの」と声を掛け、「いただきます」と声を重ねる。
この家で一緒に食事をするのは二回目なのに、ぴったりと息が合うのが不思議だ。
少し食べ進めてから、安村くんはぽつぽつと話し始めた。
「もともと、料理自体は好きなんすよ」
「ほうはんだ」
口に詰めながら相槌を打つと、ふは、と安村くんが吹き出した。
「ちょ、詰めすぎっすよ。リスみたいになってる」と言い、箸を持ったまま手を拳のように丸め、口元に当てながらくすくす笑っている。
ーー笑った。安村くんが。あの、常に同じ表情の安村くんが、笑った。
これまで見たことのない柔らかな表情に、思わず咀嚼が止まる。
「はーおもろ。アサさんの食べてるとこ、ツボっす」
なんだよ、ツボって。咀嚼を再開し、ごくりと飲み込む。
「人が食べてるとこ見て、バカにしやがって」
「バカにしてんじゃないっすよ」
「じゃあなんだよ」
「なんか、かわいいなって」
「は!?」
目を丸くする俺に構わず「なんていうか」と安村くんは続ける。
「んーと」
「……なんだよ」
「いっぱい食べさせたくなる、みたいな?」
「どういう意味だよ」
「動物園のエサやり体験とか、したことありません?」
「あるけど……それがなに」
「おいしそうに食べる姿見たら、もっと食えよーって思いません? 癒されるし。あんな感じっす」
そう言いながら、頬杖をついてにんまりとした表情でこちらを見てくる。
「……よくわかんねぇ」
安村くんの視線から逃げるように、こんにゃくを口に入れた。
十二月に入ったばかりだが、至る所が徐々にクリスマス仕様に変化している。
煌びやかな飾りたちも、冷たい雨のせいでなんだか本来の輝きを失っているように見えた。
ーーいや、今年も独りの可能性がほぼ確実だから、俺の目にはそう見えるだけかもしれない。
自嘲的な気分のまま店に着くと、昨日のようにビニール袋を手に提げた安村くんがスマホをいじりながら店先に立っていた。
傘をささずに。
持っていた傘を高く掲げ、なんとか傘の中に安村くんの頭を収める。
「あ、アサさん。ども」
「傘ないの?」
「まぁ、そっすね」
「こんなに降ってるのに?」
「……言うほど降ってます?」
手のひらを上に向けて傘の外に出し、真っ暗な空を仰ぎ見る。
「降ってないっすよ」
「いやいや、フツーに降ってるから」
真顔のままだから、ボケなのか真剣なのかわからない。
そうこうしているうちに、少し雨足が強まった。
「これは、降ってますね」
「だろ」
「……入れてもらっていっすか」
「……いいけど」
さーせん、と言いながら、俺の手から傘をさっと取り上げる。
掴みどころのないヤツだな……
そう思いつつなぜだか嫌な気持ちがせず受け入れてしまうのは、彼が懐に入るのが上手いからなのだろうか。釈然としないまま、俺の家に向かう。
もうすぐ家に着く、というときに、雨足がぐっと強くなった。
傘に打ちつける雨の粒が大きくなり、ぼつぼつと傘を叩く。
「やば、強くなってきた。急ごう」
「そっすね」
そう言うやいなや、安村くんは手に持っていたビニール袋を傘の持ち手にぶら下げ、空いた腕を俺の腰あたりにまわした。
「ちょっなに」
「や、こうした方が速く歩きやすいかなって」
「え」
ちょ、流石に恥ずかしいって! と小さく抵抗したが、抵抗も虚しく、ほぼ抱えられるようにしてマンションまで運ばれた。
幸い、家までの距離が近かったのでそこまで濡れずに済んだ。
と、思っていたら。俺に傘を傾けてくれてたのか、安村くんの肩はびしょびしょになっているではないか。
「ごめん、すごい濡れてるじゃん」
「いっすいっす。そもそも、俺が傘ないのが悪いんで」
ダウンを着ているとは言え、こんなに濡れていては寒いだろう。部屋に急ぐ。
部屋に着くなり、来訪が二回目とは思えない慣れた手つきで動き回る安村くん。
俺にハンガーを差し出し、「コート掛けます?」と言ってくる始末。
ーーここ、おれんちなんですけど。
緩慢な動きの俺に対して、安村くんは手洗いもそこそこに手早く食事の準備を進める。俺がテーブルにつくころには、勝手にお皿まで準備されていた。
ーーここ、おれんちですよね?
「さ、食べましょ」
「うん……」
自分の家で自分に主導権がないのが解せないが、目の前に広がった料理を見ると「ま、いいか」という気持ちになった。
おいしいご飯を前にしてウキウキするなんて、我ながら子どもっぽい。
今日のメニューはキチン南蛮弁当。お惣菜は、小松菜と人参のナムル、ブロッコリーのおかか和え、こんにゃくの煮物、大根の酢漬けだ。
ナムル、おかか和え、酢漬けはいつもと同じだが、こんにゃくの煮物はなんとなくいつもと少しちがって見える。ひとつ箸でつまみ、口に入れた。
通常だとおそらく醤油と砂糖で味付けしたであろう甘辛い風味だが、今日のはそれに加えて少しピリリと辛みを感じる。
「あれ。このこんにゃく、いつもと味がちがう……」
しょっぱみと辛み、甘みのバランスが絶妙で、いつものより断然こっちの方が好みだ。つい、続けて二個三個と口に放り込む。
「あ、それ、俺がつくったやつっす」
「えっ」ごふっと喉が鳴る。
「ちょ、大丈夫っすか」
手渡されたグラス(いつの間にか安村くんが準備してくれた)の水を一気に呷り、流し込む。
小さめに切られていたこんにゃくで良かった。デカめのこんにゃくだったら、こんなむせ方じゃ済まなかったにちがいない。
ごくごくと飲んでグラスを空にし、安村くんに向き直る。
「安村くん、料理できるの!?」
「そんな驚かなくても。それに、料理ってほどじゃないっすよ」
「でも、めっちゃ美味いよ」
「そっすか。あざっす」
指でぽりぽりこめかみを掻いて、少し顔を傾ける。心なしか、ちょっと照れているように見えた。
「っと、忘れてた」と言って、安村くんが胸の前で手を合わせる。
そういえば、と俺も慌てて手を合わせた。
どちらからともなく「せーの」と声を掛け、「いただきます」と声を重ねる。
この家で一緒に食事をするのは二回目なのに、ぴったりと息が合うのが不思議だ。
少し食べ進めてから、安村くんはぽつぽつと話し始めた。
「もともと、料理自体は好きなんすよ」
「ほうはんだ」
口に詰めながら相槌を打つと、ふは、と安村くんが吹き出した。
「ちょ、詰めすぎっすよ。リスみたいになってる」と言い、箸を持ったまま手を拳のように丸め、口元に当てながらくすくす笑っている。
ーー笑った。安村くんが。あの、常に同じ表情の安村くんが、笑った。
これまで見たことのない柔らかな表情に、思わず咀嚼が止まる。
「はーおもろ。アサさんの食べてるとこ、ツボっす」
なんだよ、ツボって。咀嚼を再開し、ごくりと飲み込む。
「人が食べてるとこ見て、バカにしやがって」
「バカにしてんじゃないっすよ」
「じゃあなんだよ」
「なんか、かわいいなって」
「は!?」
目を丸くする俺に構わず「なんていうか」と安村くんは続ける。
「んーと」
「……なんだよ」
「いっぱい食べさせたくなる、みたいな?」
「どういう意味だよ」
「動物園のエサやり体験とか、したことありません?」
「あるけど……それがなに」
「おいしそうに食べる姿見たら、もっと食えよーって思いません? 癒されるし。あんな感じっす」
そう言いながら、頬杖をついてにんまりとした表情でこちらを見てくる。
「……よくわかんねぇ」
安村くんの視線から逃げるように、こんにゃくを口に入れた。

