山田さんは趣味のフラメンコに精を出しているようで、ヤマダ亭に電話をかけると安村くんが出ることが多くなった。

 店に行って何回か顔を合わせても、安村くんは必要以上のコミュニケーションをとってくることはなく、ただ淡々と業務をこなす。

 逆に俺にとってはそれが有り難くて、レジ前の椅子に座りながらカウンターでお弁当をビニール袋に入れたり箸を入れたりする動作を盗み見ていた。

 あぁ、何回見てもいい筋肉だな……うらやましい……

 お会計でスマホを端末にかざしながらも目だけでこっそり眺めていると、決済音が鳴ると同時に頭上から声がした。

「いつも大盛りなんスね」
 え、と顔を上げる。
「副店長から、そう聞いてて」

 親父さんが店長だから、副店長ってのはきっと山田さんのことだろう。

「ここ、もともと量多いのに」
「あ、まぁ」
「そんなに食べるなら」

 そこまで言って、不自然に言葉が途切れた。続きを待つが、言葉を探しているのかなかなか話し出さない。

 ーーもしかして、そんなに食べるなら……なんでそんなにガリガリなのかって、言いたいのか?

 そんな考えが浮かんだ途端、自分でも驚くほど急にカッと頭が熱くなった。

「……悪かったな」
「え?」
「悪かったな!」

 安村くんは表情を変えず、わずかに首を傾げる。

「食べるわりにガリガリで、悪かったな!!」
「いや、そうじゃな」

 安村くんがなにか言いたげな様子を無視して、カウンターの上にあるお弁当をひったくるようにして掴んで店を出た。

 翌日の金曜日、大学の食堂でスマホを片手にあんぱんを食べていると、なんだか正面に人の気配を感じた。
 顔を上げると安村くんが立っていて、デカさも相まって思わず大きな反応をしてしまう。
「えっ」
「ども」
「安村くん、だっけ」
 静かに、こくりと頷く。
 そういえば同じ大学って山田さんが言ってたけど……お昼時でそこそこ賑わってるのに、よく俺ってわかったな。
「あの、ここ、座っていいっすか」
 どんぶりの載ったトレーを片手で持ち、軽く椅子を引きながら俺に尋ねる。
 ーーえ、なんで。
 アルバイトと常連ってだけで、一緒にランチするのような間柄になるほど会話した覚えはない。
 それに、昨日の今日で、正直かなり気まずい。一方的に怒りをぶつけて帰ってしまったものの、家に着いてから冷静になればなるほど、恥ずかしい気持ちが大きくなっていた。
 安村くんがいくら自分の理想の体型だからって、言われてもないことを勝手に解釈して、キレて。あまりに幼稚な行動だった。
 どうしたらいいものか考えあぐねていると、無言をイエスと受け取ったらしい安村くんが席についた。トレーにはきつねうどんが載っている。
「なんか、昨日、怒らせちゃったみたいで」
 すいません、と短く言い、ぺこっと頭を下げた。思ってもなかった謝罪に、動揺してしまう。
「いや、そんな、俺こそ」
「言葉が足りないって、よく言われるんです」
「いや、そんな」
 同じ言葉を繰り返してしまう。謝るのは、俺のなのに。
「この人すんげぇ食うんだなってただ純粋に思ってて。俺、こう見えて、あんま食わないんスよ」と、ゆっくりとしたスピードでぽつぽつと話す。
 そういえば、よく見るとトレーに載っているうどんは並サイズだった。大学には当然女子も在籍しているので、女子の食べる量を考慮してなのか並は小さめサイズになっている。男で並を注文するのは少数派ではないだろうか。
「へぇ、そうなんだ」
「なのに見た目で判断されるのか、めっちゃ食えると思われることが多くて」
 まぁそうだろうね。俺と違って、君、だいぶデカいし、と心の中で毒づく。
「で?」
 安村くんの話の方向性が見えず、つい語気強めの相槌を打ってしまう。
「店長もそう思ってて。断っても断っても、余ったおかずを大量に持って帰らそうとするんスよ。遠慮すんなって言って」
「あー、想像できるわ」
 安村くんが、ですよね、と言わんばかりに何度か首を縦に振る。
「それ、全部食べるのがなかなかキツくて。でも、捨てるのは忍びないっていうか。おいしいし、それに、せっかく二人が作ったやつなのに」
「確かにね」
 気を引き締めるかのように安村くんが息を吸い、ふうと細く吐き出してから口を開いた。
「なんで、アサさん、食べませんか?」
「……ん?」
「ヤマダ亭の弁当、好きみたいだし。大食いみたいだし」
 ーー昨日の「そんなに食べるなら」の続きは、これだったのか。
「俺は店長の厚意を無駄にしなくて済むし、アサさんは腹いっぱい食べられる。どうですか?」
 そう言って口を結び、真正面から俺を見据えた。キャップとマスクがあったせいで気づかなかったけど、こうしてじっと見てみるとなかなかの男前だ。
 少し角度のついた眉、少し目尻の下がったくっきりとした二重の目、すっと通った鼻筋、薄めの唇。それぞれの顔のパーツがバランスよく収まっている。
 なんだよ。身体だけじゃなく、顔もいいのかよ。
「……だめっすか」
 これまでずっと変わらなかった表情から、わずかに眉尻が下がる。少し弱気な言葉を発した安村くんの様子は、叱られた大型犬を連想させた。
 大きい身体を少し丸めてしょんぼりとした安村くんの姿は、なんだかかわいく見える。
 ーーいやいや、かわいいって。んなわけあるか。こんなデカい男が。
 自分の気持ちに自分でツッコみ、そんな考えを振り払うように頭を小さく左右に振る。
「だめなら、大丈夫っす」
「あ、いや、だめじゃないけど」
「いいんスか」
「おかず、もらうだけでいいの」
「いいです、もらってくれるだけで」
「……それなら、いいよ」
 俺の返事を聞いて、安村くんは手のひらを顔の前で合わせ、拝むようにして「あざっす」と小さく呟いた。
「そんな大げさな」
「いや、まじで困ってたんで」
 小さな声で「良かった」と言ってふうと息を吐く。
「めちゃくちゃ助かります」
 ふと、安村くんの目線が俺の手元に落ちる。
「お昼、それだけっすか」
「え、あぁ、まぁ」
 口にしないけれど、「足りるのか?」と目が問いかけてくる。ヤマダ亭での様子からして、俺があんぱん一個だけで済まそうとしているのはさぞ不思議だろう。
 ーーこの年になっても、まだ小学生のときのことを引きずってるとか……知ったらドン引きだろうな。
 俺がなにも言わないでいると、なんとなく言いたくない雰囲気を感じ取ったらしい。
「すいません、ご飯中に話しかけちゃって」
 そう言ってぺこりと頭を軽く下げると立ち上がり、「じゃ、来週からお願いします」と言い残して、トレーを持ってさっさと歩いていってしまった。
 俺は見た目より食べると言われてきたけど、安村くんは見た目より食べないって言われてきたんだろう。勝手にイメージを持たれて接されるのは、嬉しいことではないのがわかるだけになんとなくシンパシーを感じた。
 食べかけだったあんぱんにかじりつこうとしたところで、今度は中川が目の前に現れた。
「よ、朝日」
「おー」
「ここ、いい?」
 顎と目線で、座ってもいいかと確認してくる。
「あぁ、いいよ」
 足で器用に椅子を引いて、腰かける。
 中川とは二年生が強制参加させられる基礎ゼミで一緒だったので、去年は結構な頻度で顔を合わせていた。三年生の専門ゼミは選択制なので、離れてからはたまに講義がかぶったときに挨拶をする程度だ。
「さっきここに座ってたの、二年の安村だよな?」
「そうだけど。中川、知り合いなんだ」
「知り合いっていうか……俺、今は田野川ゼミなんだけど、田野川さんって基礎ゼミと専門ゼミの合同会とかやるの好きでさ。あいつ基礎ゼミが田野川さんみたいで、合同会で何回か話したことあって」
「へぇ」
「あいつ、デカいし、めちゃくちゃ目立つんだよ」
「あぁ、確かに目立ちそう」
「無駄に顔いいし」
 無駄にってことはないだろうが、確かに顔は整ってる。
「愛想わりーから、あんま好きじゃないけど」
「あー……」
 まぁ愛想いいってわけでは、ないか。
「席探してたらパッと見であいつが座ってんのわかったんだけど、前に座ってんのが朝日だからびっくりしたよ」
 ずずず、と蕎麦をすすり、もごもごと咀嚼しながら「遠目だといつもより三割増しでちっちゃく見えた」と言って笑う。
「うるせーよ」
「ごめんごめん」
 特段悪いと思っていない様子に、若干心が曇る。
「朝日と安村って何繋がり?」
「あー……なんて言うか、よく行く弁当屋に最近バイトで入ってきて」
「へぇ、あいつ弁当屋でバイトしてんだ。意外」
 中川は何度か蕎麦を口に運んだ後、周囲をちらりと一瞥し「あいつ、やばいよ」と声をひそめて言った。
「え、なにが」
「噂によると、高校時代に『これ』、させたらしい」
 これ、というフレーズを強調して言い、みぞおちから下腹部に向けて両手で大きな半球を形作る。
「それって」
 大きくせり出したお腹を表すかのようなジェスチャーに、自然と妊婦が思い浮かぶ。
「妊娠させた、ってこと?」
「らしいよ。しかも、ヤリ捨て」
「へぇ......」
「同じ高校だったって子がサークルにいてさ。ちょろっと聞いただけだから、詳細は知らねぇけど」
 口数少ないながらも気遣いのある仕事ぶりに接していただけに、正直少し驚いた。
「スカした顔でヤることやって、最終的に逃げるってなかなかやばいよな」
 その情報だけを耳にすると、マイナスイメージが大きいのは間違いない。
「確かになぁ」
「ま、俺らには別にカンケーないけどさ」
 中川はそう言って、どんぶりを持ち上げてずずっと汁をすすった。