浮ついたままシャワーを浴び、浮ついたまま眠りについたまではよかったのだが……

 翌朝、とてもつもない寒気で目を覚ました。
 体の節々が痛く、顔はほかほかと火照っている。それなのに背中はぞくぞくと悪寒がする。

 久々に感じる、嫌なこの感覚。間違いない。

 ーー体温計どこだっけ……というか、最後に使ったのいつだ? あ、もしかしたら電池切れかも……

 ぼんやりとした頭で考えるが、身体が動かない。
 緩慢な動きで枕元のスマホを掴み、時間を確認すると九時少し前だった。

 今日から年始にかけては、冬季講習のみ。なので通常より生徒は少ないけれど、当日欠勤は胸が痛む。
 とは言え、教える側が塾にウイルスを持ち込むわけにはいかない。これからが勝負どきの子どもたちがこれまでしてきた努力を無駄にしてしまう。

 身体の様子からして、今日はバイトには行かない方がいい。ふわふわとした思考でも、即座にそう考えた。

 電話が繋がる九時を待って、意を決して電話をかける。
 カラカラの喉からはうまく声が出せず、今日は休みたい旨をなんとか伝える。
 これまで当日欠勤はしたことがなかったので、塾長は俺が体調不良で突然休むことに驚いた様子さえあった。つらそうだね、お大事に、と優しい言葉をかけてもらい、安堵して布団にもぐりこむ。
 
 ーーあ、そうだ。安村くんにも連絡しないと……

 先ほどの感じからして、声がうまく出せない状態で電話をするのは気が引ける。仕方なくショートメールを送ることにした。
 思考だけでなく視界までおぼろげになる中、スマホをタップする。

『熱が出たっぽいので、今日はナシにしてください。ごめんね』と入力し、送信した。

 電話番号を教えてもらっていてよかった。
 初めての連絡が、こんな内容になってしまったのが残念ではあるが。これでとりあえず一安心だ。
 
 スマホをぽんと投げ出して目をつむると、ぐう、とお腹が鳴った。
 身体のだるさと空腹は両立するんだな、と乾いた笑いが出る。

 なにか食べるものあったっけ……と思い返してみるも、冷蔵庫には昨日のケーキぐらいしか食料が入っていない。
 適当な食事ばかりをして、ろくな食料をストックしていない日頃の自分を恨めしく思った。
 
 もう少し眠ったら、とりあえず水分をとって、行けそうならコンビニに行かないと……
 そんなことを考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。


 ぴん、ぽーん。
 インターホンが鳴り響き、びくりと起き上がる。身体は汗まみれで、異常に喉の渇きを感じた。すぐに思考が追いつかず、こめかみが脈に合わせてずきずきと痛む。

 ぴん、ぽーん。
 再び鳴った電子音が頭に反響し、こめかみがずきりと疼く。苛立ちがこみ上げ、つい舌打ちが出た。

 居留守を使おうと決めたところで、ドアをドンドンと叩く音ともに「アサさーん、俺です」という声が耳に届いた。

 ーーえ、安村くん?

 よろよろとベッドから這い出て玄関に向かい、ドアを開ける。そこには片手に大きなビニール袋を下げた安村くんが立っていた。

「え、なんで」
「熱が出たっぽいって言うから」

 マスクを着けているから感情が読みにくいけど、心配してくれたんだろうか。

「どうせ来る予定だったし、来ちゃいました」
「来ちゃいましたって……」
「とりあえず、お邪魔します」

 ずいずいと玄関に押し入ってきて、そのままの流れでリビングまで行き着く。

 ビニール袋をどさりとローテーブルの横に置き、こちらに顔を向けた。困ったように、眉尻が下がっている。

 「顔赤いっすね」
 そう言って俺の額に手を当てる。いつもは温かく感じるはずの手が、ほんのり冷たく感じた。

「結構ありますね」
「かなぁ」
「熱、計りました?」
「まだ」
「じゃ、計りましょう。体温計あります?」
 
 体温計の居場所も、電池の残量も自信がない。
 この期に及んで、安村くんにだらしなさを見せたくないという虚栄心が顔を出した。

 俯いて黙りこくっていると、安村くんはダウンのポケットから体温計を取り出した。

「もしかしたらと思って。一応、持ってきました」
「……準備いいね」
「一人暮らしだったら、そもそもないかなって」

 透明なプラケースから取り出して渡されたそれはひんやりとしていて、脇にはさむと心地よかった。
 外は寒かっただろうに、わざわざ家まで来てくれたことにじんとする。

 体温計を脇にはさんだまま立っていると、ほら座って、とベッドに追いやられた。
 ローテーブル脇のベッドに腰掛ける。

 安村くんはしゃがみこんでビニール袋をがさがさと鳴らし、青いラベルのペットボトル取り出した。

「ポカリ飲みます?」
「あ、飲みたい」

 なんて気が利くんだ……

 感心していると、脇からピピピと音が響く。引き抜いた体温計を確認すると、三十八度を超えていた。

 体温計をぼーっと眺めていると、取り上げられた。かわりに、ポカリを載せられる。

 受け取ってキャップに手をかけるものの、力が入らない。
 俺の軟弱化をその一度の試みで見抜いたようで、安村くんはサッと手に取って、ぱき、と開封させてから俺の手に戻した。

「すいません、気づかなくて」

 ペットボトルも開けられないなんて、みっともないことこの上ない。
 それと同時に、安村くんの行動の一つ一つから垣間見える優しさに、胸が締め付けられる。

 恥ずかしさと嬉しさがないまぜになり、力なく頭をふることしかできなかった。
 
「飲んだら、ゆっくりしててください。ちょっとキッチン借りますね」

 汗をかいたポカリのペットボトルが、手のひらの体温を奪ってさらに汗をかく。
 口をつけて一気にあおり、喉を鳴らして半分ほど飲んだ。