テーブルに並べられたフライドキチンとクリスマスパッケージのパンを眺めていると、にわかに食欲が湧いてきてお腹が鳴った。片手で掴めるぐらい細い、お洒落なデザインのボトルまである。ラベルの隅に、小さく『これはお酒です』と表記されていた。
あ、お酒買ってきたんだ。
これまで安村くんとはヤマダ亭のお弁当とお惣菜しか囲んでこなかったので、突如現れたアルコールに少々戸惑う。
「コンビニのばっかで、すいません」
「ぜんぜん……お金、後で払うよ」
「いいですって。俺が勝手に買ってきたのに」
「さすがに悪いって」
俺の言葉をなかば遮るように、安村くんがぱんと手を合わせる。
「とりあえず、食べましょ」
「……おう」
安村くんにならって手を合わせると、どちらからともなく「いただきます」とほぼ同時に呟いた。
フライドキチンを手にとり、豪快にかぶりつく。口の中いっぱいに広がる、肉のジューシーさとスパイスの風味を堪能する。かぶりついたとき溢れた肉汁がとろりと唇の端から垂れるのがわかった。
手の甲で拭おうとした途端に「ちょっと」とティッシュを口元に押し付けられる。視線を安村くんへ向けると、目を細めて微笑んでいる。俺の目を見据えながら、とんとん、と優しく口元を押さえた。ふ、と小さな笑みをこぼす。
「子どもじゃないんだから」
恥ずかしさがどっと押し寄せ、顔を背けながら「やめろよ」とわざとそっけない言い方をしてしまう。
きっと顔は真っ赤だろう。顔が熱い。
苦し紛れに、強引に話を切り出した。
「そういや、今日ヤマダ亭休んだっしょ。なにしてたの?」
「なにって……」
目線を宙にさまよわせてから「野暮用っていうか」と小さく呟く。
「へぇ」
なんだよ、野暮用って。デートのくせに、はっきり言えよ。
わざわざ隠そうとする物言いに少し苛立ちを感じ、自分からあえてその単語を口にする。
「クリスマスなんだし、デートとか行ってたんじゃないの?」
「ちがいますよ」
「とか言って、デートだろ?」
「だから、ちがいますって」
いつもは穏やかな(というか感情をあまり出さない)安村くんにしては珍しい、語気を強めた言い方に少し怯む。しかし、すぐに反感が芽吹いた。
ーーなんでそこまで意固地になって否定すんだよ。こっちは食堂で聞いてんだよ、女の子たちが話していたのを。
なかばヤケになって、わざとらしく揶揄うように話しかける。
「またまた〜、山田さんも言ってたよ? 彼女できたみたいだって」
「それ、いつの話ですか」
ぎろりと睨まれ、いつもとのギャップに戸惑って「えっと、一昨日、だったかな……」としどろもどろになる。
「山田さん、なんて言ってたんですか」
眉間にぎゅっとシワを寄せ、明らかに不満の色を帯びた声だった。
「いや〜……えっと……たまに、お店に一人で来る女の子がいるから、最近付き合い出したんじゃないかって……」
そこまで言ったところで、安村くんがはぁ、と強めにため息を吐き出した。
「……なんか、誤解されるの嫌なんで言いますけど」
「誤解?」
「ただ、バイトしてただけっすよ」
「え、バイト?」
「そ、ケーキの売り子っす。クリスマスケーキの」
「売り子……」
情けなく、安村くんの言葉をただ繰り返す。
「ゼミの子の、親戚がやってるケーキ屋です。直接関わりないし、そもそもケーキ売るって柄じゃないしで、ずっと断ってたんですけど」
食堂での女子たちの会話を思い出す。そう言われてみれば、『何度も断られた』や『オッケーをもらえた』とは聞いたものの、『付き合った』だの『彼女になった』だのという言葉はなかったような……
「そのゼミの子が併設のカフェでバイトしてて、とにかくクリスマスは店の売り上げを伸ばしたかったらしいんですよね」
そこで言葉を切って、ふうと息をついてから続ける。
「で、クリスマスイブとクリスマスに出勤したら、日給二万くれるっていうので……」
「に、二万!?」
「でかいっすよね」
「売るだけで?」
「売るのと……たまーに、接客したり、呼び込みしたり? あとは、頼まれたら写真一緒にとったり、ですかね」
自分で言うのが気恥ずかしいのか、後半はぼそぼそと聞き取りにくかった。
「写真頼まれるとか、アイドルみたいじゃん」
「そんないいもんじゃないっすよ」
「でも結構撮ったんでしょ?」
「まぁ……」
安村くんの歯切れの悪さから、撮影に応じた回数は相当なものだったんだと推測できた。
なるほど、最近はバレンタインに自分へのご褒美と称して高めのスイーツを買う人が多いと耳にしたことがある。クリスマスケーキも、その傾向があるのかもしれない。
要するに、安村くんは女性客へ向けての客寄せパンダだったらしい。
「なんか、執事? みたいなスーツ着るように言われて、正直ダルかったっす」
「へぇー、凝ってるね」
「……なにが面白いんスか」
口を小さく尖らせ、こちらをじろりと睨む。さきほどとはちがって、照れを含んだかわいらしい睨みだった。
どうやら、真相がわかったことへの安堵からか、無意識のうちに顔が緩んでいたらしい。
「いや、ちがうちがう。大変だったんだなって思って」
「そんな風には見えなかったっすよ」
むっと口を突き出し、拗ねたような表情になる。普段見ることのない、子どものような振る舞いに胸がぎゅっと疼く。
「だってさ、クリスマスのケーキ屋でしょ。だいぶ忙しかったんじゃない?」
「いやー、すごかったっす。人生で一番動き回りましたね」
こうやって、と無表情のまま腕をあちらこちらへ俊敏に動かす安村くんは、どことなく阿修羅像のように見えてきて面白い。
「はは、それは言い過ぎでしょ」
「……ちょっと盛りましたけど」
「なんだよ。盛ってんじゃん」
「ま、でも、まじで忙しかったですね」
「そんで? 売り上げはどうだったの?」
「そりゃ、もちろん」
親指と人差し指で大きく円を作り、「過去最高だったらしいっす」と自信たっぷりに言う。
「すご」
「ま、俺の力だけじゃないですけどね」と言い添えた。
売り上げにはきっと安村くんの存在が大いに影響しているだろうに、その謙虚さに感心してしまう。
「すごいねぇ」
「いやいやみんなで頑張ったんで。そんで、バイト代の他にケーキを持って帰っていいって言ってくれて」
「へぇ」
「とりあえずもらったものの、どうしようかって考えたら」
不自然にそこで言葉が途切れたので「……考えたら?」と先を促す。
「考えたら……アサさんの顔が、浮かんで」
「え、」
「アサさんがおいしそうに食べてるとこ思い浮かべてたら、来ちゃってました」
「……そうなんだ」
「でも、いざ到着してインターホン鳴らすってときにビビっちゃって」
「え、なんで?」
「なんでって……ちょっと前に、アサさんからは急に用事ができたとか忙しくなるからとか、百パーの嘘つかれてたし」
「うっ」
「バレてないと思ったんですか?」
図星をつかれて、黙るほかない。
「あ、俺のこと、避けるための嘘だなってすぐわかりましたよ」
「避けるためってわけでは、」
「じゃあ、なんですか」
「なんですかって……」
彼女との話を聞きたくなかったから、なんて口が裂けても言えない。そもそも、彼女ではなかった。俺の勘違いのせいだ。
じっとこちらを見据える安村くんの視線に耐えかねて、本音が口をついて出そうになる。顔を背け、なんとか本音を飲み込んで言葉を発する。
「忙しくなる、予定だったんだよ」
今にも消え入りそうな、頼りない声だった。我ながら全く意味のわからない発言に、継ぐ言葉が見当たらない。
黙りこくっていると、安村くんが「なんスか、それ」と口を開いた。
「ちょっと……いろいろあって」
言い淀んでいる俺の様子に、安村くんは痺れを切らしたように「あの、」と話しだした。
「俺との食事が嫌になったんなら、今後のためにもハッキリ言ってほしいんですけど」
一度そこで言葉を切り、ねぇ、こっち向いてください、と優しく続けた。顔を向けると、困ったような、悲しんでいるような、どちらとも言えない表情でこちらをじっと見ていた。
「俺と食事すんの、嫌ですか?」
「……そんなことないよ」
「嫌じゃないですね?」
「……うん」
「じゃあ、これからも来ていいですか?」
「……大丈夫」
俺の言葉を聞くなり、安村くんは顔を手で覆って「よかった」と吐息まじりの言葉を放った。その姿に、俺は少し調子にのってしまいそうになる。
もしかして、安村くんも、少しは俺に好意を抱いてくれているのだろうか……
ーーいや、ちがう。安村くんは惣菜の処理に困ってるだけ。俺と食事したいんじゃなくて、処理してくれる人が必要なだけだろ。勘違いすんな、俺。
でも、ケーキは? わざわざ持ってきてくれた、このケーキは、どう捉えればいいんだ?
「どうしたんですか?」
安村くんの声に、正気に戻る。
「え?」
「なんか難しい顔してましたよ」
「あ、ごめん。考え事してた」
「糖分不足じゃないっすか? そろそろケーキ出します?」
俺の返事を待たず、安村くんは冷蔵庫に向かった。
ジングルベルの鼻歌まじりに冷蔵庫を開ける大きな背中に、心の中で「人の気も知らないで」と恨み言をつぶやく。
あ、お酒買ってきたんだ。
これまで安村くんとはヤマダ亭のお弁当とお惣菜しか囲んでこなかったので、突如現れたアルコールに少々戸惑う。
「コンビニのばっかで、すいません」
「ぜんぜん……お金、後で払うよ」
「いいですって。俺が勝手に買ってきたのに」
「さすがに悪いって」
俺の言葉をなかば遮るように、安村くんがぱんと手を合わせる。
「とりあえず、食べましょ」
「……おう」
安村くんにならって手を合わせると、どちらからともなく「いただきます」とほぼ同時に呟いた。
フライドキチンを手にとり、豪快にかぶりつく。口の中いっぱいに広がる、肉のジューシーさとスパイスの風味を堪能する。かぶりついたとき溢れた肉汁がとろりと唇の端から垂れるのがわかった。
手の甲で拭おうとした途端に「ちょっと」とティッシュを口元に押し付けられる。視線を安村くんへ向けると、目を細めて微笑んでいる。俺の目を見据えながら、とんとん、と優しく口元を押さえた。ふ、と小さな笑みをこぼす。
「子どもじゃないんだから」
恥ずかしさがどっと押し寄せ、顔を背けながら「やめろよ」とわざとそっけない言い方をしてしまう。
きっと顔は真っ赤だろう。顔が熱い。
苦し紛れに、強引に話を切り出した。
「そういや、今日ヤマダ亭休んだっしょ。なにしてたの?」
「なにって……」
目線を宙にさまよわせてから「野暮用っていうか」と小さく呟く。
「へぇ」
なんだよ、野暮用って。デートのくせに、はっきり言えよ。
わざわざ隠そうとする物言いに少し苛立ちを感じ、自分からあえてその単語を口にする。
「クリスマスなんだし、デートとか行ってたんじゃないの?」
「ちがいますよ」
「とか言って、デートだろ?」
「だから、ちがいますって」
いつもは穏やかな(というか感情をあまり出さない)安村くんにしては珍しい、語気を強めた言い方に少し怯む。しかし、すぐに反感が芽吹いた。
ーーなんでそこまで意固地になって否定すんだよ。こっちは食堂で聞いてんだよ、女の子たちが話していたのを。
なかばヤケになって、わざとらしく揶揄うように話しかける。
「またまた〜、山田さんも言ってたよ? 彼女できたみたいだって」
「それ、いつの話ですか」
ぎろりと睨まれ、いつもとのギャップに戸惑って「えっと、一昨日、だったかな……」としどろもどろになる。
「山田さん、なんて言ってたんですか」
眉間にぎゅっとシワを寄せ、明らかに不満の色を帯びた声だった。
「いや〜……えっと……たまに、お店に一人で来る女の子がいるから、最近付き合い出したんじゃないかって……」
そこまで言ったところで、安村くんがはぁ、と強めにため息を吐き出した。
「……なんか、誤解されるの嫌なんで言いますけど」
「誤解?」
「ただ、バイトしてただけっすよ」
「え、バイト?」
「そ、ケーキの売り子っす。クリスマスケーキの」
「売り子……」
情けなく、安村くんの言葉をただ繰り返す。
「ゼミの子の、親戚がやってるケーキ屋です。直接関わりないし、そもそもケーキ売るって柄じゃないしで、ずっと断ってたんですけど」
食堂での女子たちの会話を思い出す。そう言われてみれば、『何度も断られた』や『オッケーをもらえた』とは聞いたものの、『付き合った』だの『彼女になった』だのという言葉はなかったような……
「そのゼミの子が併設のカフェでバイトしてて、とにかくクリスマスは店の売り上げを伸ばしたかったらしいんですよね」
そこで言葉を切って、ふうと息をついてから続ける。
「で、クリスマスイブとクリスマスに出勤したら、日給二万くれるっていうので……」
「に、二万!?」
「でかいっすよね」
「売るだけで?」
「売るのと……たまーに、接客したり、呼び込みしたり? あとは、頼まれたら写真一緒にとったり、ですかね」
自分で言うのが気恥ずかしいのか、後半はぼそぼそと聞き取りにくかった。
「写真頼まれるとか、アイドルみたいじゃん」
「そんないいもんじゃないっすよ」
「でも結構撮ったんでしょ?」
「まぁ……」
安村くんの歯切れの悪さから、撮影に応じた回数は相当なものだったんだと推測できた。
なるほど、最近はバレンタインに自分へのご褒美と称して高めのスイーツを買う人が多いと耳にしたことがある。クリスマスケーキも、その傾向があるのかもしれない。
要するに、安村くんは女性客へ向けての客寄せパンダだったらしい。
「なんか、執事? みたいなスーツ着るように言われて、正直ダルかったっす」
「へぇー、凝ってるね」
「……なにが面白いんスか」
口を小さく尖らせ、こちらをじろりと睨む。さきほどとはちがって、照れを含んだかわいらしい睨みだった。
どうやら、真相がわかったことへの安堵からか、無意識のうちに顔が緩んでいたらしい。
「いや、ちがうちがう。大変だったんだなって思って」
「そんな風には見えなかったっすよ」
むっと口を突き出し、拗ねたような表情になる。普段見ることのない、子どものような振る舞いに胸がぎゅっと疼く。
「だってさ、クリスマスのケーキ屋でしょ。だいぶ忙しかったんじゃない?」
「いやー、すごかったっす。人生で一番動き回りましたね」
こうやって、と無表情のまま腕をあちらこちらへ俊敏に動かす安村くんは、どことなく阿修羅像のように見えてきて面白い。
「はは、それは言い過ぎでしょ」
「……ちょっと盛りましたけど」
「なんだよ。盛ってんじゃん」
「ま、でも、まじで忙しかったですね」
「そんで? 売り上げはどうだったの?」
「そりゃ、もちろん」
親指と人差し指で大きく円を作り、「過去最高だったらしいっす」と自信たっぷりに言う。
「すご」
「ま、俺の力だけじゃないですけどね」と言い添えた。
売り上げにはきっと安村くんの存在が大いに影響しているだろうに、その謙虚さに感心してしまう。
「すごいねぇ」
「いやいやみんなで頑張ったんで。そんで、バイト代の他にケーキを持って帰っていいって言ってくれて」
「へぇ」
「とりあえずもらったものの、どうしようかって考えたら」
不自然にそこで言葉が途切れたので「……考えたら?」と先を促す。
「考えたら……アサさんの顔が、浮かんで」
「え、」
「アサさんがおいしそうに食べてるとこ思い浮かべてたら、来ちゃってました」
「……そうなんだ」
「でも、いざ到着してインターホン鳴らすってときにビビっちゃって」
「え、なんで?」
「なんでって……ちょっと前に、アサさんからは急に用事ができたとか忙しくなるからとか、百パーの嘘つかれてたし」
「うっ」
「バレてないと思ったんですか?」
図星をつかれて、黙るほかない。
「あ、俺のこと、避けるための嘘だなってすぐわかりましたよ」
「避けるためってわけでは、」
「じゃあ、なんですか」
「なんですかって……」
彼女との話を聞きたくなかったから、なんて口が裂けても言えない。そもそも、彼女ではなかった。俺の勘違いのせいだ。
じっとこちらを見据える安村くんの視線に耐えかねて、本音が口をついて出そうになる。顔を背け、なんとか本音を飲み込んで言葉を発する。
「忙しくなる、予定だったんだよ」
今にも消え入りそうな、頼りない声だった。我ながら全く意味のわからない発言に、継ぐ言葉が見当たらない。
黙りこくっていると、安村くんが「なんスか、それ」と口を開いた。
「ちょっと……いろいろあって」
言い淀んでいる俺の様子に、安村くんは痺れを切らしたように「あの、」と話しだした。
「俺との食事が嫌になったんなら、今後のためにもハッキリ言ってほしいんですけど」
一度そこで言葉を切り、ねぇ、こっち向いてください、と優しく続けた。顔を向けると、困ったような、悲しんでいるような、どちらとも言えない表情でこちらをじっと見ていた。
「俺と食事すんの、嫌ですか?」
「……そんなことないよ」
「嫌じゃないですね?」
「……うん」
「じゃあ、これからも来ていいですか?」
「……大丈夫」
俺の言葉を聞くなり、安村くんは顔を手で覆って「よかった」と吐息まじりの言葉を放った。その姿に、俺は少し調子にのってしまいそうになる。
もしかして、安村くんも、少しは俺に好意を抱いてくれているのだろうか……
ーーいや、ちがう。安村くんは惣菜の処理に困ってるだけ。俺と食事したいんじゃなくて、処理してくれる人が必要なだけだろ。勘違いすんな、俺。
でも、ケーキは? わざわざ持ってきてくれた、このケーキは、どう捉えればいいんだ?
「どうしたんですか?」
安村くんの声に、正気に戻る。
「え?」
「なんか難しい顔してましたよ」
「あ、ごめん。考え事してた」
「糖分不足じゃないっすか? そろそろケーキ出します?」
俺の返事を待たず、安村くんは冷蔵庫に向かった。
ジングルベルの鼻歌まじりに冷蔵庫を開ける大きな背中に、心の中で「人の気も知らないで」と恨み言をつぶやく。

