あの男、めちゃくちゃいい筋肉してたな......
目に焼き付いた厚い胸板と太い腕を思い浮かべ、無意識にウインドブレーカー越しに自分の胸と腕をさする。
皮膚の下に骨の存在を感じる。わかりきっていた手触りは、俺をひどく落ち込ませた。
「ガリガリすぎない?」
「そんなに食べるの?」
「なんで太らないの?」
俺が生きてきた中で、おそらく言われたであろう言葉のトップスリー。
そう、俺は食べても食べても太らない。いや、太れないのだ。
人(特に女子)には羨ましいと言われることが多いこの体質だが、正直嬉しいと思ったことは一度もない。
なんたって、俺は、昔からずっと「デカい男」になりたいと願い続けている。
デカい男に憧れたきっかけは、通っていた幼稚園にきた実習生だった。
身長が高くてがっちりとした体格の彼は、幼児が要求する無茶な遊びも難なくこなす。恵まれた体躯に加えて、たくましさと朗らかさで瞬く間に人気者になった。
その頃から華奢な体型だった俺には、彼が大きな身体でなんでもこなせるスーパーマンに見えた。それから「デカい男」に憧れるようになったのだ。
しかし、小学一年生の給食中に起きたあの出来事をきっかけに、人前での食事に苦手意識を持つようになってしまった。
もちろん家での食事はもちろん十分に摂っていた。
しかし、学校でしっかりと食べなかったのが災いしてか、俺の身長は百七十をは突破することはなかった(両親の身長からなんとなく予想はついていたが)。
身長が伸びないならせめて筋肉だけでもつけようと筋トレに励んだこともあったが、ただいつもよりお腹が減るだけ。
ガリガリと言われないためにたくさん食べても、肉付きをよくすることさえできない。
身長や筋肉を成長させることも、太ることもできず、俺は華奢な身体へのコンプレックスを拗らせたままだ。
思いがけず劣等感を刺激され、気落ちしたまま家に着いた。
玄関をぬけてローテーブルにビニール袋を置き、申し訳程度に設置されてあるキッチンのシンクでささっと手洗いを済ます。
座椅子に座ってお弁当を取り出すとまだ底は温かく、流しの水で冷えた手にじんわりとぬくもりが移る。
箸を割り、手のひらを合わせ「いただきます」と呟いた。
生姜焼きを一口頬張ると、いつにも増して鼻に抜ける生姜の香りを感じた。
それに、タレも心なしかいつもより豚肉に絡んでいて、口が白飯を欲している。ぴかぴかと輝く白飯をがつがつとかき込んだ。
「うま」
思わずひとりごちる。いつもより美味しく感じるような気がするのはなぜだろう。
おいしいご飯の前には先ほどまでの悲壮感は吹き飛び、ついでにヤマダ亭にいた筋肉デカ男のこともすっかり頭から飛んでいっていた。
翌々日、俺はまたヤマダ亭を訪れた。
いつも通り電話で注文してから店に向かうと、山田さんがカウンター内に立っていた。
ーーあれ、そういえば。あのデカ男、今日はいないのか。
店に入ってすぐ、「できてるわよ〜」と山田さんに声をかけられる。
「肉野菜炒め弁当の大盛り、ね」
「あざっす」
カウンターに用意してあったお弁当を、手早くビニール袋に入れる。
「あ、そういえば、今週から新しくバイトの子が入ったの。一昨日いたでしょ?」
話題に出され内心どきりとしたが、ないでもない風を装って返事をする。
「あぁ、いましたね」
「実は、最近、ちょっとね……」
目線を落とした山田さんの様子に、思わず「えっ」と驚きの声が出る。
昨日はそこまで頭が回らなかったが、これまで親父さんと二人でやってきて、雇ったことのなかったアルバイトを急に入れるなんて変だ。
ーーまさか、山田さんか親父さんの体調がよくない、とか?
「もしかして、なんか」
「……」
山田さんは顔を伏せて、黙っている。
「え、山田さん? まじ?」
顔を上げた山田さんの目は、いたずらっ子のように輝いていた。
「……やってみたかったフラメンコを習いに、教室に通うことにしたのよぉ。ついでに俳句サークルにも入ることになってね。だから、前から募集してたの」
「もー、紛らわしい言い方やめてよ」
山田さんはふふ、と手のひらを口に当てて微笑み、続ける。
「ちゃんと味は変わらないように、バイトの子にしっかり教え込んでるから。安心して」
あんなだけど旦那もいるし、とレジ横にかかっている暖簾の方を指し示す。
厨房にいる親父さんに聞こえないよう、少し抑えた声量だった。
「バイトの子、ちょっとぶっきらぼうな感じするかもしれないけど、すごくいい子そうな感じよ。そういえば、アサちゃんと同じ大学みたい。二年生」
そう言って、にこにこしながら顔の横でピースサインをつくる。
「へぇ」
「あ、噂をすれば」
山田さんが首を伸ばして俺の後ろを見た。つられて振り返ると、デカ男が立っていた。
この前は筋肉ばかりに意識が向いていたけど、改めて見ると縦にもデカい。百九十ぐらいあるんじゃないか。
黒いダウンジャケットに包まれた上半身も、デカい。
「安村隼人くんです。アサちゃん、よろしくね」
なにをよろしくすればいいかわからないが、お互いなんとなく軽く会釈する。
それ以上なにをすべきか思い付かず、カウンター上のビニール袋を手に取り、山田さんに「じゃ」と声をかけて店を後にした。
目に焼き付いた厚い胸板と太い腕を思い浮かべ、無意識にウインドブレーカー越しに自分の胸と腕をさする。
皮膚の下に骨の存在を感じる。わかりきっていた手触りは、俺をひどく落ち込ませた。
「ガリガリすぎない?」
「そんなに食べるの?」
「なんで太らないの?」
俺が生きてきた中で、おそらく言われたであろう言葉のトップスリー。
そう、俺は食べても食べても太らない。いや、太れないのだ。
人(特に女子)には羨ましいと言われることが多いこの体質だが、正直嬉しいと思ったことは一度もない。
なんたって、俺は、昔からずっと「デカい男」になりたいと願い続けている。
デカい男に憧れたきっかけは、通っていた幼稚園にきた実習生だった。
身長が高くてがっちりとした体格の彼は、幼児が要求する無茶な遊びも難なくこなす。恵まれた体躯に加えて、たくましさと朗らかさで瞬く間に人気者になった。
その頃から華奢な体型だった俺には、彼が大きな身体でなんでもこなせるスーパーマンに見えた。それから「デカい男」に憧れるようになったのだ。
しかし、小学一年生の給食中に起きたあの出来事をきっかけに、人前での食事に苦手意識を持つようになってしまった。
もちろん家での食事はもちろん十分に摂っていた。
しかし、学校でしっかりと食べなかったのが災いしてか、俺の身長は百七十をは突破することはなかった(両親の身長からなんとなく予想はついていたが)。
身長が伸びないならせめて筋肉だけでもつけようと筋トレに励んだこともあったが、ただいつもよりお腹が減るだけ。
ガリガリと言われないためにたくさん食べても、肉付きをよくすることさえできない。
身長や筋肉を成長させることも、太ることもできず、俺は華奢な身体へのコンプレックスを拗らせたままだ。
思いがけず劣等感を刺激され、気落ちしたまま家に着いた。
玄関をぬけてローテーブルにビニール袋を置き、申し訳程度に設置されてあるキッチンのシンクでささっと手洗いを済ます。
座椅子に座ってお弁当を取り出すとまだ底は温かく、流しの水で冷えた手にじんわりとぬくもりが移る。
箸を割り、手のひらを合わせ「いただきます」と呟いた。
生姜焼きを一口頬張ると、いつにも増して鼻に抜ける生姜の香りを感じた。
それに、タレも心なしかいつもより豚肉に絡んでいて、口が白飯を欲している。ぴかぴかと輝く白飯をがつがつとかき込んだ。
「うま」
思わずひとりごちる。いつもより美味しく感じるような気がするのはなぜだろう。
おいしいご飯の前には先ほどまでの悲壮感は吹き飛び、ついでにヤマダ亭にいた筋肉デカ男のこともすっかり頭から飛んでいっていた。
翌々日、俺はまたヤマダ亭を訪れた。
いつも通り電話で注文してから店に向かうと、山田さんがカウンター内に立っていた。
ーーあれ、そういえば。あのデカ男、今日はいないのか。
店に入ってすぐ、「できてるわよ〜」と山田さんに声をかけられる。
「肉野菜炒め弁当の大盛り、ね」
「あざっす」
カウンターに用意してあったお弁当を、手早くビニール袋に入れる。
「あ、そういえば、今週から新しくバイトの子が入ったの。一昨日いたでしょ?」
話題に出され内心どきりとしたが、ないでもない風を装って返事をする。
「あぁ、いましたね」
「実は、最近、ちょっとね……」
目線を落とした山田さんの様子に、思わず「えっ」と驚きの声が出る。
昨日はそこまで頭が回らなかったが、これまで親父さんと二人でやってきて、雇ったことのなかったアルバイトを急に入れるなんて変だ。
ーーまさか、山田さんか親父さんの体調がよくない、とか?
「もしかして、なんか」
「……」
山田さんは顔を伏せて、黙っている。
「え、山田さん? まじ?」
顔を上げた山田さんの目は、いたずらっ子のように輝いていた。
「……やってみたかったフラメンコを習いに、教室に通うことにしたのよぉ。ついでに俳句サークルにも入ることになってね。だから、前から募集してたの」
「もー、紛らわしい言い方やめてよ」
山田さんはふふ、と手のひらを口に当てて微笑み、続ける。
「ちゃんと味は変わらないように、バイトの子にしっかり教え込んでるから。安心して」
あんなだけど旦那もいるし、とレジ横にかかっている暖簾の方を指し示す。
厨房にいる親父さんに聞こえないよう、少し抑えた声量だった。
「バイトの子、ちょっとぶっきらぼうな感じするかもしれないけど、すごくいい子そうな感じよ。そういえば、アサちゃんと同じ大学みたい。二年生」
そう言って、にこにこしながら顔の横でピースサインをつくる。
「へぇ」
「あ、噂をすれば」
山田さんが首を伸ばして俺の後ろを見た。つられて振り返ると、デカ男が立っていた。
この前は筋肉ばかりに意識が向いていたけど、改めて見ると縦にもデカい。百九十ぐらいあるんじゃないか。
黒いダウンジャケットに包まれた上半身も、デカい。
「安村隼人くんです。アサちゃん、よろしくね」
なにをよろしくすればいいかわからないが、お互いなんとなく軽く会釈する。
それ以上なにをすべきか思い付かず、カウンター上のビニール袋を手に取り、山田さんに「じゃ」と声をかけて店を後にした。

