ぴん、ぽーん。

 普段聞くことのほとんどない、機械的な音が部屋に鳴り響いた。
 どうやら、フローリングに転がっているうちに眠ってしまっていたらしい。

 目を薄く開けると、部屋の中は暗い。カーテンを開け放した窓から、わずかに光が差している。
 窓の向こうに見える空は真っ暗だった。

 ぼんやりした視界と思考のままでいると、もう一度、ぴんぽーん、と鳴り響く。

 そうだ、呼び鈴の音で目を覚ましたんだった。

 誰だ、と考えるより先に、バタバタと歩いて玄関に行き着く。三度目の呼び鈴が押されたと同時に、ドアを開いた。

「……え、なん、で」
 そこには、安村くんが立っていた。コンビニのロゴが入ったビニール袋と、こぶりな取っ手のついた紙箱をそれぞれ手に持っている。

「よかった、いた」
 心底ほっとしたような、吐息まじりの声。

 状況が理解できず、再び「なんで」と小さく口からもれる。

「すいません、急に。アサさんの連絡先、知らないから」
 びゅうっと風が外廊下から吹き込んできて、肩をすくめた安村くんの姿にハッと我に返る。よく見ると、鼻の頭が赤い。

「あ、とりあえず入る?」
「……っす」

 玄関にそそそと入り、申し訳なさそうな表情で頭を下げた。

「急に押しかけて、すいません」
「いや、えっと……いいんだけど」

 あの女の子は? クリスマスデートじゃなかったのか? なんでここに来た? 頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。

 口をついて出そうなそれらの疑問をぐっと飲み下し、努めて平坦な声で尋ねる。

「どしたの?」
「えっと、自分勝手なのは、わかってるんですけど……」
 これ、と言い、取っ手がついた紙箱を胸の前に掲げる。

「アサさんに渡したくて」
 小ぶりな、隅に金色のリースが控えめに描かれた、白い箱。

「なに」
「なにって……見て、わかりません?」
「……わかんない」
 本当はわかっている。その形状の箱は、アレしかない。

「ケーキ、です」
「……ケーキが、なに」
「だから、アサさんに渡したくて」
 意味わかんね、と照れと恥ずかしさで悪態をつく俺に、安村くんはいつもより優しい声音で続ける。

「渡したくてっていうか。俺が、アサさんと食べたくて」
 眉尻を下げ、少し困ったような表情でこちらを覗き込んで尋ねる。

「迷惑でした?」
「……迷惑」
「えっ」
「じゃ、ない」
「もー、ややこしいっすよ」
「迷惑じゃ、ない」
「じゃあ、お邪魔して大丈夫ですか?」
「……うん」
 ありがとうございます、と言うや否や、靴をぬいでさっさとリビングへ続く廊下を進んでいった。

 どういうことだか、さっぱりわからない。
 ヤマダ亭をわざわざ休むほどの用事があったのに、なんでケーキを持って俺の家に現れたのか……

 立ち尽くしていると「え、これ」と驚いた声がリビングから聞こえた。リビングへ向かうと、ローテーブル上の犬を指でつついている。

「これ、俺が折ったやつですか?」
「あ……」

 ーーまずい。わざわざ、袋から出してまで救出したことがバレてしまう。

「いや、あの」
「あ、あれは捨てたか。アサさんが折った感じですか?」
「……あぁ。そうそう。折ってみたくて」
「いい感じっすね。あ、手洗い手洗い」
 そう言い残し、慌ただしく洗面台へ向かう。

 ーーあぶなかった。苦しまぎれな言い方ではあったが、なにも疑ってない……よな?

 手洗いを終えて戻ってきた安村くんが、慣れた調子で上着をハンガーに掛ける。ふと見ると、安村くんの手は真っ赤だった。

「ちょっと」
「なんすか?」
「また水で洗った!?」
「そうですけど」
 なにか? というきょとんとした顔でこちらを見る。

「手、真っ赤になってるじゃん」
「だからー、意外と大丈夫なんですって」
 ほら、と無造作に手を伸ばし、俺の頬に触れた。
「ね?」
 突然の出来事に身体が硬直し、頭に一気に血がのぼったように顔が熱くなる。触れられた頬は想像より温かく、ほんのりと冷たい程度だった。

「ていうか、なんで床で寝てたんスか」
 微笑みながら、頬を優しく撫でる。
「コート着たまんまだし、ほっぺに変なシワついてるし、明らかに寝起きの顔だったし」

 ぷいと顔をそむけて、大きな手から逃れる。顔はまだ熱いままだ。

「……眠かっただけ」
「ふふ、風邪引かないでくださいよ」
「引かないし」
「はいはい。ほら、ついでに掛けちゃうんで」
 穏やかな声音でそう言い、俺のコートの首元をちょいとつまむ。

 ーーなんだよ。人の気も知らないで。

 そう心の中ではむくれながらも、コートを脱がせる優しい手つきに、心が疼くのを感じた。