クリスマス当日。
 いつもは大学生と地元の人しか利用しないような街中でも、ジングルベルやマライア・キャリーの音楽やら、緑と赤の装飾やらで賑わっていた。
 浮き足だった光景を尻目に、大学までの道を進む。

 クリスマスと言っても授業が休講になるわけでもないし、恋人もいない現状だと特にいつもと変わらない普通の平日なのだ。
 ただ、いつもよりまわりが少し騒がしくなっているだけの。

 今朝テレビで確認した天気予報によると、今日は例年に比べて暖かいらしい。大学に到着するまでも終始快適だった。

 講義室に行く道すがら購買近くのテラスを確認すると、日差しがたっぷり降り注いでいて気持ちよさそうだ。

 ーー授業までちょっと時間あるし、コーヒーでも飲むか。

 購買でカップコーヒーを買い、腰をかける。たまに吹く風はひんやりとしているが、ぽかぽかとした空気が心地いい。
 腰をずらして足を投げ出し、コーヒーをすする。

 大学までの道中に漂っていたクリスマスムードは、構内ではあまり感じない。けれど、普段気にならない男女二人組の姿がやけに視界に入ってくるような気がした。

 目の前を行き交う人々に目を向けているうちに、自分が無意識に安村くんの姿を探していることに気づく。

 そう意識した途端に、駅で見かけた光景が蘇った。
 肩を寄せ合って一つの傘に入る二人。自分が濡れることを厭わず、彼女に傘を傾ける安村くんの後ろ姿。

 ーーわざわざ自分から傷つきにいってどうすんだよ。

 授業の終わりを告げるベルが鳴り響き、少しして人の流れが徐々に増えてきた。
 長いため息を吐き、席を立って講義室へ向かう。


 冬休み前最後の授業日なので出席する学生が多いのか、講義室はいつもより密集度が高く、もあもあとした湿気で満ちていた。

 それに加えて、「明日から冬休み」かつ「今日はクリスマス」というわくわく感もそこかしこに浮遊しており、講義室内はなかなか騒がしかった。

 授業を終えて購買近くのテラスに向かうと、ちらほらと席が埋まっていた。
 さっと腰をかけてリュックからパンを取り出し、先ほどのコーヒーと共に食べ進める。

 食べながら陽光に心地よく目を細めていると、遠くに見覚えのあるシルエットがあった。
 じっと目をこらして凝視すると、安村くんだった。

 向こうはこちらに気づいていないが、歩いている方向からしてこちらに向かっているようだ。購買に用があるのかもしれない。

 ーーまずい、このままじゃ顔を合わせちゃうな……

 顔を合わせないよう避けるのに、無意識に姿を探してしまう。姿を見つけてしまえば、こうしておろおろと狼狽える。
 自分がどうしたいのか、自分でもよくわからない。

 動けないでいるうちに、どんどん距離は縮まっていく。

 あと五メートルほどに近づいたぐらいで、安村くんの視線がぱっと俺を捉えた。目が合った瞬間に、さきほどまでの真顔からほんのわずかに表情がやわらぐ。
 そのほんの些細な変化に、俺の心臓は一度大きく跳ね上がり、どくどくと激しく鼓動を鳴らし始める。

 これまでより少しスピードを上げて歩いてくる安村くんから目を離せずにいると、横から「朝日じゃん」と声をかけられてハッと我に返った。

 声の方に視線を向けると、中川がいた。

「座っていい?」
「あ、あぁ。大丈夫」
「さんきゅ。今日いい天気だし、テラス気持ちいいよな〜」

 トレーをどんとテーブルに置き、俺の向かいに腰かける。中川越しに、安村くんがこちらに向かってくるのが見えた。
 テーブルの横に立ち、安村くんは軽く頭を下げる。

「中川さん、ども」
「お〜、安村くんじゃん」
「この前の合同会、ありがとうございました」
「いやいや、俺なんもしてねーし」
「そんなことないですって。中川さんがいるおかげでいつも雰囲気いいんで、ありがたいっす」
「またまた〜」
 うまいこと言うねぇ、と満更でもない様子で安村くんを肘で小突く。

 前に「愛想わりーから、あんま好きじゃない」とか言ってたくせに。なんか仲良くなってんじゃん。
 どこに向けるわけでもない、モヤモヤとした気持ちが胸に広がる。

「またゼミ生で飲み会しよ〜」
「ぜひぜひ」

 無言で二人をじろりと見ていた俺に一瞥すると、安村くんは中川に向かって「失礼します」と言い残して去っていった。
 俺に一言も声をかけてくれなかったことに、地味にダメージを受ける。
 同時に、自分から安村くんを避けてるくせに話しかけてもらえず凹むなんて、どこまで自分勝手なんだと自己嫌悪の気持ちがじわじわと広がっていく。

「あれ、朝日と安村くんって面識あったよな。安村くんが知り合いに挨拶せずスルーしてんの珍しい」

 中川がナチュラルに傷口に塩を塗ってくる。

「……よく行く店でバイトしてるってだけだから、別に面識ってほどでもねーし」
と、明らかに不機嫌さを帯びた声音になってしまった。

 自分で言ったことが、頭の中をぐるぐると巡る。
 俺と安村くんは、言葉にすると本当に脆弱な関係性だと改めて思い知らされる。 

「え、なんか怒ってる?」
「怒ってないよ」
「スルーされたからっていじけんなよ」
「いじけてねーわ」
「まぁまぁ、そんなカリカリすんなって。安村くん、いいヤツだから大目に見てやってよ」
「カリカリしてねーから。てゆうか、前は好きじゃないとか言ってなかったっけ」
「そうだっけ」
 とぼけたそぶりで、蕎麦をすする。

「愛想わるいから、あんま好きじゃないって言ってたよ」
「あー、表情は、ね。確かに仏頂面が多いけど」
「けど?」
「けど、言葉選びがいいっていうか? 話し方もそんな愛想いいってわけじゃないのに、なんか冷たくないっていうか。気が利くし」

 それは理解できる気がする。なんなら俺は他の人よりも知ってる一面だと思ってる。
 いや、思っていた。安村くんにとって、俺は、少し特別な存在だとうぬぼれてしまっていた。

「俺、安村くんのことちょっと誤解してたね。優しいし、礼儀正しいし。いいヤツだわ」
「……へぇ」
「まぁ、表情は基本『無』って感じだけど。笑ってるとこ、見たことないし。朝日ある?」
「ない、かな。そもそもバイト中はマスクしてるし」

 俺の家でなら、何回もあるけど。誰に対抗するでもなく、心の中で思う。

 さっき俺と目が合ったときの、ほっと緩んだ表情の安村くんを思い出して胸がきゅっと痛んだ。

 中川の言うように安村くんの表情が基本『無』なら、あのときのような表情は誰にでも見せるってわけではないのだろうか。

 ーーだめだ、また自分のいいように解釈してしまっている。

「顔面がアレだし身長も高いし、ありゃーモテるだろ。愛想よすぎると、モテすぎて大変かもな」
「……かもね」

 一刻も早く別の話題に移りたいが、安村くんの言葉に機嫌が良くなったのか愉快そうに中川は続ける。

「そうだ、思い出した。朝日に話したことあったよな? 安村くんの高校時代の噂」
「あー……妊娠とか、そういう話?」
 自然と声が小さくなる。

「そそ、それ。あれも、なんか真相はちがうっぽいんだよな」
「そうなんだ?」
「安村くんにフラれた子、だっけな? いや、彼女をとられたやつだったかな……とにかく、誰かが腹いせに流したガセっぽい」
「……へぇ」
 モテるやつは大変だねぇ、と呑気な口調で言い、中川は蕎麦をすすった。