アラームで目を覚ますとやけに部屋の中が暗い。カーテンを開けてみると、いつもの景色は白くぼやけている。無意識にため息が出た。
身支度もそこそこに、二限を受けるために霧雨のような細かい雨が舞う中を出発する。
マンションから大学までは徒歩十五分ぐらいだ。俺の家やヤマダ亭は駅の南口側、大学は北口側にある。通学のしやすさを重視して選んだので天気がいい日は全く苦にならないが、十二月の雨の日はさすがに億劫で仕方ない。
南口と北口を行き来できるコンコースはいつもより混み合っていて、雨の日特有の湿気に満ちていた。
人混みを縫ってコンコースを通り抜け、やっと北口に辿り着く。傘を広げようとしたとき、バサバサと傘を開く音が重なる中に「安村くん、ありがとう」という声が混じって耳に届く。
思わず周辺を見渡すと、先週食堂で話していた女の子と安村くんが同じ傘に入って歩き出すところが目に入った。
明らかに傘を女の子の方に傾け、寄り添いながら大学の方へ歩いていく。その二人の姿に、雨の日に一緒にマンションに向かったときのことが蘇る。
そういえば、あのときも安村くんの肩はびしょびしょになっていた。
ーー男の俺にもああやって気遣ってくれてたんだから、女の子にそうするのは当然だよな……
止まってしまっていた手を動かし、傘を広げる。どんどん流れ出てくる人波に押し出されるように、重い足取りで大学までの道を歩き出した。
授業を受けている間も、一つの傘に入る二人の姿を思い起こしては気を落とし、胸の中に広がるざわざわとした感覚を終始持て余していた。
ーー男を好きになるなんて、想定外すぎだろ……
これまでに二人だけど彼女がいたことだってあるし、性的に興味をそそられるのは女性ばかりだった。なのに、どうして。
彼女ができたと知って、男相手にこんな感情になることは今までなかったのに。
食堂での話と比べものにならないぐらい、実際に目撃した事実は俺の心にダメージを与えた。
出欠確認だけはしっかりこなし、食堂へ向かう。
ほどよく空いていて、壁際の人通りが少なそうな席につくことができた。出ていた授業の出席率もいつもより悪かったし、そもそも通学を諦めた人が多いのかもしれない。そんなことを考えながら、途中のコンビニで買っていた胡桃パンとペットボトルのコーヒーを取り出す。
クリスマスが四日後と迫っているが、食堂の中はクリスマス仕様になることもなく、ほとんどいつもと変わりはない。俺の視界で言うと、パンの包装材に小さなリースの絵が描かれているぐらいで、変に心をざわめかせるものがないことに安堵した。
パンをかじりながら、今後のことに考えを巡らせる。
二人でいるところを目撃しただけでメンタルがこんな状態なのに、食事中に惚気でも聞かされたらと考えるだけでキツい。
ひとまず、クリスマスまでは適当な理由で断ろう。そうだ、俺も彼女ができたことにしてもいい。
来週から冬休みに入るし、フェードアウトするならこのタイミングしかない。
まず、今日どうやって電話で伝えるかを考えなくては。
だけど、先週金曜日に「予定が入ったから」と伝えたときの気落ちした声を思い返すと、声を聞いてしまっては気持ちが揺らいでしまうかもしれない……
文面でメッセージを送ることができれば気楽なのだが、俺と安村くんはお互いに連絡先を知らない。ヤマダ亭を介してしか連絡を取り合えない。
安村くんとの関係性があまりに脆いことを痛感した。
結局いい方法を思いつかないまま時間だけが過ぎていくと、なかばやけっぱちな気持ちになってきた。
ごたごた言わず、「もう一緒に食事はしない」と伝えればいいじゃないか。
そう考え、二十一時半ごろにヤマダ亭に電話をかけた。
「お電話ありがとうございます。ヤマダ亭です」
「ども、須崎です」
「あ、アサさん」
相手が俺とわかると少し声が明るくなった。決意したはずの心が、揺らぐ。
「なににしますか」
「じゃぁ、唐揚げ弁当で」
「了解っす」
「今から行くから」
「え、でも」
まだ早いのに、と続きそうな言葉を遮るように話す。
「じゃ、お願いします」
耳から離すと同時に通話終了ボタンをタップし、ふうと息を吐いた。
大丈夫、大丈夫。
今ならまだ、なかったことにできる。
店内に入ると、すでにカウンター上にビニール袋が置かれていた。
レジ前に置かれている呼び出しベルをチンと鳴らすと、暖簾の奥から「はーい」と声が聞こえた。安村くんの声に、一瞬どきりとする。暖簾をくぐって安村くんが現れた。
「お待たせしました」
「これ、俺のかな?」
カウンターの袋を指す。
「そうです」
「じゃ、これで」
スマホを掲げて、決済を促す。
「……はい」
ぴ、ぴ、とレジを操作する電子音だけが響く。やがて決済端末の液晶画面が光ったので、スマホをかざし支払いを完了させた。
俺がなにも言うつもりがないと判断したのか、安村くんが意を決したように口を開いた。
「今日も、駄目なんスか」
「……うん、ごめん」
「俺、なんかしましたか?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
安村くんの口から、彼女さんとの話を聞きたくないだけなんだ。そんな本音をぐっと腹の底に押し流す。
「まぁちょっと、色々あってさ」
色々って、と明らかに怪訝そうな声が返ってくる。
「サッと食べて帰るんで。それでも駄目っすか」
ここで安村くんの顔を見てしまうと、気持ちが揺らいでしまうことは目に見えている。ひたすら目線が合わないように、決済端末を凝視しながら一息に言い切る。
「うん、ちょっと厳しいかも。ごめん。これから、ちょっと忙しくなりそうで」
カウンターに置いてあった袋をさっと掠め取り、踵を返した。
正直、何か声をかけられるのではという淡い期待が胸にあった。しかし、耳に届いたのはドアが閉まる音だけで、冷たい風が耳元を通り抜けていった。
身支度もそこそこに、二限を受けるために霧雨のような細かい雨が舞う中を出発する。
マンションから大学までは徒歩十五分ぐらいだ。俺の家やヤマダ亭は駅の南口側、大学は北口側にある。通学のしやすさを重視して選んだので天気がいい日は全く苦にならないが、十二月の雨の日はさすがに億劫で仕方ない。
南口と北口を行き来できるコンコースはいつもより混み合っていて、雨の日特有の湿気に満ちていた。
人混みを縫ってコンコースを通り抜け、やっと北口に辿り着く。傘を広げようとしたとき、バサバサと傘を開く音が重なる中に「安村くん、ありがとう」という声が混じって耳に届く。
思わず周辺を見渡すと、先週食堂で話していた女の子と安村くんが同じ傘に入って歩き出すところが目に入った。
明らかに傘を女の子の方に傾け、寄り添いながら大学の方へ歩いていく。その二人の姿に、雨の日に一緒にマンションに向かったときのことが蘇る。
そういえば、あのときも安村くんの肩はびしょびしょになっていた。
ーー男の俺にもああやって気遣ってくれてたんだから、女の子にそうするのは当然だよな……
止まってしまっていた手を動かし、傘を広げる。どんどん流れ出てくる人波に押し出されるように、重い足取りで大学までの道を歩き出した。
授業を受けている間も、一つの傘に入る二人の姿を思い起こしては気を落とし、胸の中に広がるざわざわとした感覚を終始持て余していた。
ーー男を好きになるなんて、想定外すぎだろ……
これまでに二人だけど彼女がいたことだってあるし、性的に興味をそそられるのは女性ばかりだった。なのに、どうして。
彼女ができたと知って、男相手にこんな感情になることは今までなかったのに。
食堂での話と比べものにならないぐらい、実際に目撃した事実は俺の心にダメージを与えた。
出欠確認だけはしっかりこなし、食堂へ向かう。
ほどよく空いていて、壁際の人通りが少なそうな席につくことができた。出ていた授業の出席率もいつもより悪かったし、そもそも通学を諦めた人が多いのかもしれない。そんなことを考えながら、途中のコンビニで買っていた胡桃パンとペットボトルのコーヒーを取り出す。
クリスマスが四日後と迫っているが、食堂の中はクリスマス仕様になることもなく、ほとんどいつもと変わりはない。俺の視界で言うと、パンの包装材に小さなリースの絵が描かれているぐらいで、変に心をざわめかせるものがないことに安堵した。
パンをかじりながら、今後のことに考えを巡らせる。
二人でいるところを目撃しただけでメンタルがこんな状態なのに、食事中に惚気でも聞かされたらと考えるだけでキツい。
ひとまず、クリスマスまでは適当な理由で断ろう。そうだ、俺も彼女ができたことにしてもいい。
来週から冬休みに入るし、フェードアウトするならこのタイミングしかない。
まず、今日どうやって電話で伝えるかを考えなくては。
だけど、先週金曜日に「予定が入ったから」と伝えたときの気落ちした声を思い返すと、声を聞いてしまっては気持ちが揺らいでしまうかもしれない……
文面でメッセージを送ることができれば気楽なのだが、俺と安村くんはお互いに連絡先を知らない。ヤマダ亭を介してしか連絡を取り合えない。
安村くんとの関係性があまりに脆いことを痛感した。
結局いい方法を思いつかないまま時間だけが過ぎていくと、なかばやけっぱちな気持ちになってきた。
ごたごた言わず、「もう一緒に食事はしない」と伝えればいいじゃないか。
そう考え、二十一時半ごろにヤマダ亭に電話をかけた。
「お電話ありがとうございます。ヤマダ亭です」
「ども、須崎です」
「あ、アサさん」
相手が俺とわかると少し声が明るくなった。決意したはずの心が、揺らぐ。
「なににしますか」
「じゃぁ、唐揚げ弁当で」
「了解っす」
「今から行くから」
「え、でも」
まだ早いのに、と続きそうな言葉を遮るように話す。
「じゃ、お願いします」
耳から離すと同時に通話終了ボタンをタップし、ふうと息を吐いた。
大丈夫、大丈夫。
今ならまだ、なかったことにできる。
店内に入ると、すでにカウンター上にビニール袋が置かれていた。
レジ前に置かれている呼び出しベルをチンと鳴らすと、暖簾の奥から「はーい」と声が聞こえた。安村くんの声に、一瞬どきりとする。暖簾をくぐって安村くんが現れた。
「お待たせしました」
「これ、俺のかな?」
カウンターの袋を指す。
「そうです」
「じゃ、これで」
スマホを掲げて、決済を促す。
「……はい」
ぴ、ぴ、とレジを操作する電子音だけが響く。やがて決済端末の液晶画面が光ったので、スマホをかざし支払いを完了させた。
俺がなにも言うつもりがないと判断したのか、安村くんが意を決したように口を開いた。
「今日も、駄目なんスか」
「……うん、ごめん」
「俺、なんかしましたか?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
安村くんの口から、彼女さんとの話を聞きたくないだけなんだ。そんな本音をぐっと腹の底に押し流す。
「まぁちょっと、色々あってさ」
色々って、と明らかに怪訝そうな声が返ってくる。
「サッと食べて帰るんで。それでも駄目っすか」
ここで安村くんの顔を見てしまうと、気持ちが揺らいでしまうことは目に見えている。ひたすら目線が合わないように、決済端末を凝視しながら一息に言い切る。
「うん、ちょっと厳しいかも。ごめん。これから、ちょっと忙しくなりそうで」
カウンターに置いてあった袋をさっと掠め取り、踵を返した。
正直、何か声をかけられるのではという淡い期待が胸にあった。しかし、耳に届いたのはドアが閉まる音だけで、冷たい風が耳元を通り抜けていった。

