ブブ、ブーブブ。
 
 午前中の企画会議も終え、デスクでお昼ご飯を食べているとスマホが震えた。このパターンは、実咲からだ。メッセージアプリをタップすると、伊織は思わず口元を緩ませた。

『go! ごはん、美味しかった。めちゃくちゃ元気出た!』

 机の上で肘をつきながら、スマホをぼんやり見ていると、後ろから肩を叩かれた。

「お弁当でも失敗した?」
「……春日係長」

 企画部で唯一の女性係長である春日は、今日もバリバリのキャリアウーマンらしく、スーツ姿が似合っている。

「いつ見ても、美味しそうなお弁当ね」

 伊織の手元には、実咲と同じお弁当がある。一人分も二人分も作るのは同じだし、節約するためにもお弁当持参を伊織自身は貫いている。係長はコンビニで買ってきた総菜とおにぎりを机の上に広げ始めていた。

「同居人のため、ですからね」
「それって、彼女?」
「いえ、同居人です」
「彼女?」
「同居人、です」

 伊織の折れない回答に、係長がふっと笑う。

「素敵な同居人ね」
「何でですか?」
「だって、その同居人がいるおかげで、栄養バランスを考慮されたお弁当ができているんだもの。とっても素敵なお話。できれば、企画もそれっぽいのが良いよね」

 企画部に異動して二カ月。
 何度か企画書を出しているが、いつも係長で却下されてしまう。
 午前中の企画会議は何もプレゼンすることができないまま、議事録の作成をしていた。周りの先輩たちのプレゼンに伊織はただ見ているしかできなかったのが悔しい。
 実用的な日用品で、鮮やかな生活を。
 それが会社の製品テーマで、それに沿って作っているはずなのに、企画が通る気配がない。企画書の書き方の本も読んで勉強しているのに。

「楠くんのは、本当に使いやすい提案?」

 ヒントを出されていたことにようやく気づいた伊織は、反射的に答える。

「いつも使う人を考える?」
「正解。じゃ、今月も三本出してみましょうね。締め切りは一週間後」
「え、あ、はい」

 伊織の返事に満足したのか、いつ食べたのかわからないほどスピーディーに食べ終えた春日は、パソコンとにらめっこし始めた。ふと昨晩の実咲を思い出し、係長にこそっと声をかける。

「春日係長」
「何?」
「女の人って、仕事は大変なんですか?」
「……意外ね、そんなことを気にするのは」

 目をぱちくりしながら、じっと伊織を見る春日。何かを察したかのように、キーボードから手を離して、伊織に正面から向き合った。

「この部署は、幸いにも理解が進んでいるから、他よりは苦労していないことも多い。それでも、昔の会社を知っている人からは随分厳しい目を持っている人もいる。だからこそ、自分の足元を揺るがしちゃいけない」
「足元、ですか」
「それは環境だったり、想いだったり、目標だったり。ソレがぶれてしまっては、踏ん張れない。頑張れなくなる」
「そうですか」

 仕事に実直であれば良いだけじゃないのは、十分分かった。
 そして、今の環境のままで良いのかどうかも。
 伊織は、いつ自分の本当の気持ちを伝えるべきなのか、この時ほど明確な答えが出たことはなかった。