メッセージ、読んでくれたかな。意外と抜けてるところがあるんだよな、実咲は。
 まじめで、努力家。しかも、仕事に一直線。
 そんな彼女は伊織の想い人でもある。

 彼女と出会ったのは、内定式。
 内定した日用雑貨メーカーは、国内で上位のシェアを誇りながらも、海外への進出を積極的にするような会社だ。大学ではマーケティングのゼミに入っていた伊織は、企画部の仕事が若手のうちからできると先輩社員から聞いて、この会社に入社を決めたのだった。
 たまたま内定式で隣の席になった実咲は、目立って美人ではない、どちらかと言えば地味め。やや癖が残る髪を一つに結び、快活に笑うタイプだった。
 そんな彼女の苦手なものは、内定式後の飲み会でわかった。

「料理が苦手なんだよねぇ」

 意外だ。飲み会では、テキパキなんでも動くし、気くばりもできる。
 ちょっと気になってしまえば、そこからは目が追うのは自然のことだった。
 同期として連絡先は交換していたし、新入社員研修では同じチームになることも多かった。ちょこちょこ連絡を取っていくうちに、二人きりで他愛もないことを話すくらいになれた。
 だから、勝手に惹かれるしかなかった。

 転機は入社一年目の夏。

 生産部調達課に配属になった実咲を食堂でテーブルに突っ伏していた実咲をたまたま見つけた。

「どうした?」

 見るからに体調が悪そうだ。顔が青白いまま実咲が顔を上げた。

「どうして要領よくないのかなって、自己嫌悪中。毎日残業続きで辛すぎる」
「スムージーだけでも飲めば良いだろ」
「えー、作るのがめんどくさいもん。それに料理は難しいし」
「それじゃ体がもたないよ」
「わかってる。けど、ごはん作ってくれる人、いないし」

 料理が苦手なままな一人暮らしで、毎食総菜を買う余裕は新入社員にはない。社食を食べる気力もないようで、このままであれば間違いなく倒れること間違いなし。

「……じゃあ、俺が作ろうか?」

 何を言っているんだ、自分。突っ込んでも後の祭り。出てしまった言葉を取り消すことが難しいのはわかっているのに、思わず口を手でふさぐ。

「それ、あり!」

 ぱっと明るい表情になった実咲は伊織の腕を掴む。

「え?」
「だって、伊織のごはん、めちゃくちゃ美味しいんだもん」

 何度か持ち寄りの飲み会というものを同期の家でやったことがある。参加者は手作りの料理やお菓子を持ってきた。ただ、実咲だけが、お酒の持ち込みだった。料理ができない代わりに、参加メンバーから当日の持ち込み料理やお菓子に合わせた飲み物を揃えたらしい。
 その時も伊織のごはんをたくさん褒めてくれたのを、今でも覚えている。

「いつも作りに来てもらうとか、作り置きも大変だろうから、いっそ一緒に住もう。そしたら、節約できるし」

 何を、だ。伊織は心の中で実咲に激しく突っ込む。

「一応、俺は男だけど」
「男女の友情って成立しないっていう人もいると思うけど、わたしはそうは思わない。場所はわたしの部屋を提供するので、そこでルームシェアしよう。ね」

 ね、じゃない。
 そんな上目遣いで言うものでもない。これが、違う男ならばがぶりといくやつだぞ。
 いろいろ言ってやりたかったが、確かに今住んでいるアパートは築何十年という古いだけが際立った理由で安いアパートであるが、大家からそろそろ立て壊しをしたいので出るようにも言われていた。貯金はしていて、引っ越し代はギリギリあるが、その後は極貧生活になることは間違いない。今のタイミングの引っ越しは正直痛い出費だ。実咲からの提案は、伊織にとっては渡りに船でもあった。

 それにいつの日か彼女がこちらを振り向いてくれるのならば、それまではプラトニックで、気の合うルームシェアをしていよう。
 振り向かなかったならば、良い経験の一つとして、伊織の心の奥底に鍵をかけてしまっておけば良いだけの話だ。
 ルームシェアを始めてからは、たまに衝突することもあるが、それでも居心地の良い空間を作り出すことはできている。

 気の合う友人。
 理解あるルームメイト。
 ごはんを作ってくれる人。

 いろいろな地位を築いてきたが、そろそろ実咲の隣に立つ人っていう恋人めいた地位も手に入れたい。
 ルームシェアを始めて四年。
 いつになったら、彼女は振り向いてくれるんだろうか。
 最初に決めたルールを最初から破ってしまっていた伊織は、自分の気持ちを伝えるタイミングを計りかねていた。
 言ってしまえば、この生活が終わってしまうかもしれない。
 いつまでもこの生活ができないのを頭の中で理解しながら、実咲の鈍感さに甘えてこの生活を続けさせてもらっていた。