「うわー!いい景色!」


部屋の窓を開けると、高台から見下ろすことができる住宅街の向こうのほうに青い海が見えた。

春風に吹かれてどこかからやってきた桜の花びらが、ひと休みするように窓の(さん)に舞い降りてきた。


わたし――夏原未唯(なつはらみい)は、この春から大学1年生になる。

そして、18年過ごした実家を離れ、これからひとり暮らしを始めるアパートへ今日引っ越してきた。


わたしが下宿先に決めたのは、1DKの間取りの2階建てアパート。

築年数は23年と少し古いけれど、お風呂とトイレは別で、リノベーションされた内装は新築みたいにきれいだ。


大きな家具や家電を運んだ引っ越し業者は先ほど撤収して、今は手伝いにきてくれたお父さんとお母さんといっしょに荷解きをしているところ。


「あらほんと、海も見えるのね。それに、風通しもよくて洗濯物もよく乾きそうね」


ベランダの拭き掃除をしていたわたしのところへ、お母さんが掃き出し窓から顔を出す。


「だが、どうしてわざわざここなんだ。高台だったら自転車も不便だろう。それに、もっと大学近くにいい物件だってあったというのに」


実家から持ってきた新聞紙にくるまれた食器を出しながら、お父さんはぶつぶつ言っている。


ここ汐美町(しおみまち)は海から大きく入り込んだ地形で、お父さんの言うとおり、山地と平野で構成されているため山手のほうは坂が多い。


わたしのアパートも高台にあり、駅までの行きは下り坂で自転車も楽だけど、帰りは必然的に上り坂になる。

電動アシスト自転車だったとしても、急勾配な上り坂はちょっとつらい。


さらに、最寄り駅から大学まで電車で20分ほどかかり、決して大学が近いというわけでもない。


それなのに、どうしてわたしがここに住もうと決めたかというと――。

それは、猫!


汐美町は“猫の町”ともいわれていて、いたるところに猫がいる。

猫の飼育率・飼育頭数が全国一位で、ほとんどの家が飼い猫の放し飼いをしているため、町を歩けば猫がいるのが当たり前の光景なのだ。


わたしは大の猫好き。

幼いころ、実家近くに“猫屋敷”と呼ばれる猫をたくさん飼っているお家があって、敷地外で日向ぼっこをする猫を撫でさせてもらうのが楽しみだった。


それがわたしが猫好きになったきっかけ。

当時は何度も猫を飼いたいとお願いしたけど、お父さんもお母さんも猫アレルギーでその夢が叶うことはなかった。


ひとり暮らしをしたら絶対猫を飼うんだ!と意気込んでいたわたしだったけど、下宿先のアパートはペット禁止。

それに、大学に行っている間やこれからバイトもするだろうし、ずっと部屋にいるわけではないから飼ったとしても猫に寂しい思いをさせてしまう。


だから、飼うとしても今じゃないということは自分でも理解している。


飼いたい、でも飼えない。

そんな衝動を少しでも緩和できるように、いつでもどこでも猫がいて、見ているだけで癒されるこの汐美町に引っ越すことに決めたのだ。


「それにしても……ヘックション!ここは本当に……ヘックション!猫が多いんだな……ヘックション!」


さっそくお父さんにアレルギー反応が出始めた。


「アパートの駐車場にもお昼寝してる猫がいてかわいかったわ〜。見ている分にはいいんだけど、お母さん触れないから残念」


お母さんは、お父さんと比べて軽症だからまだ大丈夫そうだけど。


「でも、本当に未唯は猫が好きね。小さいときから、猫と話せたらいいのにって言ってたものね」

「うん。今でも見つけたら話しかけてるよ。ことごとく知らんぷりされるけど」

「まあ、猫はそういうものだしな。だから、お父さんは犬派なんだ」

「犬派って、お父さん犬アレルギーもあるじゃない〜」


そう言いながら、お母さんはクスクスと笑っている。

わたしも思わずプッと吹いてしまった。


「じゃあ、次は入学式のときにくるから」

「うん、今日はありがとう。助かったよ」


そうして、お父さんとお母さんのおかげである程度部屋は片付き、夕食をいっしょに食べたあとふたりは帰っていった。


明日から4月。

わたしの新しい生活がスタートする。



憧れだったひとり暮らし。

朝食は、ご飯、お味噌汁、焼き魚、小鉢なんかもつけて、優雅な朝を迎える。


という理想からは程遠く、朝からお味噌汁を作って焼き魚を焼いている暇などなかった。


起きたら9時。

春休みだからいいけど、洗濯物を回して、それを干して、お風呂掃除もしてとなると、ゆっくり朝食を食べていたらお昼前になりそうだ。


だから、ひとり暮らしを始めて数日で朝食はもっぱら手軽に食べられるトーストとなっている。


しかし次の日の朝、食パンを切らしていたことに気づいた。


今日はいつもより早く起きたため、時計を見るとまだ7時43分。

坂を下りたところにあるスーパーは、たしか8時からの開店だった。


わたしは顔を洗って適当にメイクをして服を着替えると、買い物へと出かけた。


自転車でスーパーへと向かい、駐輪場に自転車を停めようとしたとき――。

向こうのほうに人だかりが見えた。


たしかあっちには、公園が併設されている汐美広場があったはず。

わたしは、引き寄せられるように自転車を押していった。


駐輪場に自転車を停めて広場に入ると、広い芝生のスペースにミントグリーン色の1台のキッチンカーが停まっていた。

そこに、たくさんの人が集まっている。


「いつもどれにしようか迷っちゃうのよね〜」

「私、クロワッサンは絶対って決めてるの」


そう話す主婦っぽい人たちは、茶色い紙袋を抱えていた。

周りのベンチには、それと同じ紙袋から取り出したパンを食べている人たちもいる。


こんなにお客さんがいるということは、人気のパン屋さんなのかな。

お腹も空いていることだし、わたしも買ってみることにした。


「いらっしゃいませ」


キッチンカーのそばに立って接客していたのは、ダークブラウンの髪色をしたゆるくパーマのあたった短髪の男性だった。

歳は、わたしよりも少し上くらいだろうか。


キッチンカーには、【またたび】と書かれてあった。


「今日はまたたびさんがくる日だから、朝は抜いてきたのよ」

「そうだったんですか、うれしいです。本日はなにになさいますか?」


お金持ちそうなマダムが食パン一斤と、フルーツデニッシュを手に取る。


「息子がここのメロンパンが大好きで。というか、家族全員好きなんです」

「ありがとうございます。今日は、チョコチップメロンパンも用意してきましたので、よかったらぜひ」


ウォーキングの格好をした女性が、メロンパンとチョコチップメロンパンを買っていく。


パンもそうだけど、いっしょに販売されている焼き菓子も人気のようだ。

それに、商品だけでなく、おそらく店主と思われる男性も人気だということは見ていてわかる。


ひとりひとりに丁寧に接客をして、なんといっても笑顔が爽やか。

おまけに、180センチ以上あるであろう細身の高身長に、アイボリー色のエプロンがよく似合っている。


「お待たせいたしました、いらっしゃいませ」


そして、わたしに順番がまわってきた。


「…えっと、オススメはありますか?」

「そうですね。言ってしまえば、全部オススメなんですが――」


それを聞いてそりゃそうだと思い、つい笑ってしまった。


「一番人気はクロワッサンで、その次はベーグルなんですが、今日はもう売り切れちゃって」


そういえばわたしのひとつ前の人が、4種類ほどあるベーグルを全種類ふたつずつ買っていた気がする。

商品棚も売り切れているものが多かった。


「ちなみに、紅茶はお好きですか?」

「あ、はい。好きです」

「よかった。この紅茶のちぎりパン、今月の限定商品なんですよ」


男性は、棚の手前に置かれていたモコモコ膨らんでいるパンを指さした。

紅茶の茶葉が練り込まれているのが見て取れる。


「わあ、おいしそう。それじゃあ、ひとつお願いします」

「ありがとうございます。220円になります」

「あ、すみません。ホットコーヒーも追加でお願いしてもいいですか?」


さっきからパンといっしょにコーヒーも買っている人を度々見かけた。

それに、キッチンカーの前までくると、中からコーヒーのいい香りが漂ってきた。


「かしこまりました。少々お待ちください」


男性はキッチンカーの中へと入っていった。

受け取り口の窓の前で待っていると、男性ではなく白い長毛の猫が顔を出した。


「かわいい!」


猫好きのわたしは思わず反応してしまう。

わたしの目線よりも少し高い位置にある窓から見下ろしてくるこの凛とした気品あふれる佇まい――。


「ペルシャですか?」


わたしが尋ねると、猫の上から男性が顔を覗かせた。


「詳しいんですね。そうです、ペルシャです」

「やっぱり…!わたし、猫めちゃくちゃ好きなんです。お名前は?」

「リリーです」


男性は白猫の首元を触ると、首輪につけられた金色のネームプレートをわたしに見せた。

そこには筆記体で【Lily】と刻印されていた。


「リリーちゃんか〜。よろしくね」


わたしはにこりと笑ってあいさつをするけれど、リリーちゃんは猫独特の知らんぷり顔。

でも、一応あいさつはしてくれているのか、しっぽが上下にふにゃふにゃと揺れている。


「お待たせしました、ホットコーヒーです。パンと合わせて、お会計が340円になります」


キッチンカーから手を伸ばす男性からコーヒーのカップを受け取り、わたしは代わりに350円を手渡した。


「あの、ここで毎朝販売されているんですか?」

「毎朝ではないですが、金土日の7時半から販売しています」

「そうなんですね。わたし、最近引っ越してきたばかりで、この辺りのことまだ全然知らなくて」

「学生さんですか?もしよかったら、またきてください」


男性はにこやかに微笑むと、レシートとお釣りの10円をわたしに差し出した。


せっかくのコーヒーが冷めるのももったいないから、わたしは空いているベンチに座ってさっそくいただくことにした。


透明のビニール袋からパンを取り出すと、紅茶のほのかな香りが漂った。

ちぎりパンということもあって、モコモコした塊ごとにふわっと軽くちぎることができた。


ほんのり甘く、口の中に広がる紅茶の風味がたまらない。

コーヒーもひと口飲んで、「あっ、おいしい」と思わず声が漏れた。


わたしと同じように、周辺のベンチに座ってパンを食べている人の会話を聞いていると、どうやら1年ほど前からここでキッチンカーでの販売を見かけるようになったんだそう。

パンも焼き菓子もコーヒーもおいしいということであっという間に噂が広まり、今では週末の販売を楽しみにお客さんがやってくるという人気っぷり。


早いときは、販売開始30分たたずに商品が売り切れることもあるんだとか。


今も遠目からキッチンカーを見ていると、最後の商品が売れたようで男性が店仕舞いの支度をしていた。

まだ8時20分だというのに。


そうして、周りにいたお客さんたちにペコペコとお辞儀をすると、男性はキッチンカーを運転して帰っていった。

助手席の窓にはリリーちゃんの姿が見えた。


気になったわたしは、家に帰ってからキッチンカーのまたたびについてスマホで検索した。

すると、わたしのアパートよりもさらに山手のほうに、どうやらお店があるようだ。


その名も『猫カフェまたたび』。

“猫カフェ”という文字を見てすぐに飛びついた。


猫好きのわたしにとって、猫カフェは癒しの場所。

これまでにも、様々な猫カフェに行ってきた。


猫カフェが家の近くにあるなんて!と興奮したけど、残念なことにお店に行こうと思ったら、山をぐるりと半周するほどの回り道しかなかった。

直線距離だとそれほど遠くはないのに、自転車だと片道40分はかかりそうだ。


近くにバス停もないようで、車でしか行けないような場所にあった。

それに、そもそも検索しても詳しいお店の情報はあまりなく、汐美広場でのパン販売の口コミしか出てこない。


【お店は高台にあるらしいですが、お店は調理のみで、販売はされていないようです。なので、広場でのパンの販売をいつも楽しみにしています!】


という口コミを見かけた。

“猫カフェ”と店名につけてはいるけどお店はしていないという、少し不思議な雰囲気が漂っていた。


それからも、時間が合えばまたたびのパンを買いにいくようになった。

店主の男性とはすっかり顔見知りに。


名前は、直樹(なおき)さん。

直接聞いたわけではなく、他のお客さんがそう呼んでいるのを耳にして、わたしが一方的に知っているだけ。


大学に入学してあっという間にもう2週間。

今日は金曜日のため、学校へ向かう前に広場に寄って朝食にまたたびのパンを買いにいった。


「いらっしゃいませ、今から学校ですか?」

「はい。ここで食べてから行きます」


今朝は、今週で一旦販売終了となる桜あんぱんにした。

季節によってパンのラインナップが違うのも魅力のひとつのようだ。


「そういえば、高台にお店もあるんですか?」


今日は珍しくわたしの後ろにだれも並んでいないので、思いきって直樹さんに話しかけてみることにした。

“猫カフェ”という文字に惹かれてからずっと気になっていた、と。


「そうなんです、自宅兼店舗で」

「へ〜。そこで猫カフェもされてるんですか?検索したら、店名がそう出てきて」

「あ〜、“猫カフェ”ね。あれは、猫…つまりリリーがいるカフェというだけで、俗に言う猫カフェという意味ではないんですよ」


そうなんだ。

てっきり、リリーちゃん以外にも猫がたくさんいるのかと思った。


「そういうことだったんですね。わたし、よく猫カフェに行くので、近くにあったらいいなーと思ってたところだったんですが」

「なんかすみません、紛らわしい名前で」

「いえ…!」


直樹さんは眉尻を下げてペコっと謝る。


「一応店名はついてますが、アクセスが悪いのでわざわざお越しいただくのも申し訳なくて、キッチンカーでの販売のみにしているんです」

「へ〜。でも、ここのファンの方もたくさんいるみたいですし、多少不便でもお店に行きたいと思っている人は多そうですけどね」

「そうだったらありがたいです。ただ、調理のために自分しか使ってないのでごちゃごちゃで、とてもお客さまを呼べるようなところじゃないんですよ」


直樹さんはハハハと笑って、「いつものもいっしょでいいですか?」と聞いてくれた。

“いつもの”とは、ホットコーヒーのことだ。


わたしがうなずくと、さっそくキッチンカーに戻って淹れてくれた。

今日も受け取り口の窓からリリーちゃんがわたしを見下ろしている。


そのあと、立て続けにお客さんがやってきて、わたしが食べ終わるころにはあっという間に完売してしまった。

コーヒーを飲み干して、カップとパンの入っていたビニール袋を広場にあるゴミ箱の中へと捨てた。


そうして、駅に向かうため広場を出ようとしたとき、地面にキラリと光るなにかを見つけた。


拾い上げると、それは小さな金色のプレートだった。

裏返すと、【Lily】という筆記体の文字が。


これは、直樹さんの猫リリーちゃんの首輪に付けられているネームプレートだ。

拾った場所はさっきまでキッチンカーがあった場所で、なにかの拍子に首輪から外れてしまったのだろうか。


キッチンカーはすでにないし、わたしはこのあと大学に行かなければならないから、すぐには届けられない。

仕方なく、わたしはネームプレートをバッグの中へと入れた。


授業中、リリーちゃんのネームプレートをどうしようかと考えていた。

わたしが預かっているのも悪い気がするから、できることなら早く返してあげなくちゃ。


「な〜にしてるの、未唯!」


昼休み、学校の食堂でネームプレートを眺めていると、隣にだれかが座ってきた。

入学して仲よくなった同じクラスの牧内(まきうち)のどかだ。


のどかはショートヘアの髪を耳にかけ、わたしが持っていたネームプレートを覗き込む。


「なにそれ?」

「今朝拾ったの。リリーちゃんのネームプレートみたいで」

「リリーちゃん?ああ、イケメンパン屋さんの猫ちゃんだっけ?」

「そうそう」


のどかには、またたびの話は何度かしていた。

のどかはスマホを手にすると、さっそくSNSでまたたびについて検索していた。


「あっ、ほんどだー。またたびのパンの写真上げてる人、みんな絶賛してる」

「そりゃそうだよ、だっておいしいもん。あそこのパンの匂いに囲まれていたいくらい」

「なにそれっ。じゃあ、バイトさせてもらいなよ。未唯、バイト探してるんでしょ?」


のどかの言うように、大学にも少しずつ慣れてきたことだから、そろそろバイトを始めようと思っている。


「もし、またたびが求人募集してたらすぐに飛びつくよ。でも、直樹さんひとりでしてるっぽいし」

「そうなんだ。じゃあ、別のところ探すしかないね」


わたしは残念そうにこくんとうなずいた。


のどかといっしょに学食でお昼を食べていると、スマホに通知が入った。

見ると、次の3限の授業が急遽休講となった。


金曜日はいつも3限までだから、わたしは昼食を食べると帰ることにした。


最寄り駅に着くと、そこから自転車に乗りアパートへと向かう。

そして、アパートの駐輪場に自転車を停めたとき、ふと横目に白い影が映った。


すぐに反応して振り返ると、道を挟んだ向こう側の家の塀に白猫を見つけた。

ふさふさとした毛並みの上品さが漂う白猫が、スタスタと塀の上を歩いている。


わたしはすぐにわかった。

あれがリリーちゃんだと。


「リリーちゃん!」


拾ったネームプレートをバッグから出して掲げたけど、もちろんリリーちゃんが気づくはずもない。

わたしの声は聞こえていないのか、一切反応することなく物陰に隠れてしまった。


「待って、リリーちゃん!」


わたしは、とっさにリリーちゃんを追いかけた。

しかし、リリーちゃんの動きは予測不能で、視界から消える寸前になんとか見つけて必死についていった。


急勾配の道路を上っていき、神社の境内を突き抜け、水路そばのあぜ道のような場所を進んでいく。

こんなところ、とてもじゃないけど自転車では入れないから、アパートに置いてきて正解だった。


なんとか後ろから追うものの、リリーちゃんはわたしの存在に気づくことなく、お構いなしにずんずんと進んでいく。


そして不思議なことに、リリーちゃんが先に進むにつれてどこからともなく他の猫がやってきた。

いつの間にか10匹ほどの猫がリリーちゃんのあとをついていっていた。


まるで、猫の行進だ。

それがあまりにもかわいくて、わたしは驚かせないように隠れて後ろからそっと見守っていた。


最後に、住宅の塀と塀の隙間を抜けると、トンネルのような木々の枝がアーチ状に覆いかぶさる獣道へと出た。

それをたどっていくと、開けた場所にたどり着いた。


林の中にぽつんと佇む一軒の家。


いや。

丸みを帯びたドアや窓が普通の家とは少し違うことから、どうやらお店のようだ。


「こんなところにお店があったんだ」


そんなことをつぶやいたあとに、あるものに気づいてはっとした。

お店の脇に、見覚えのある車が停まっている。


ミントグリーン色の1台の車――。

あれは、直樹さんのキッチンカーだ。


ということは、どうやらここは『猫カフェ』の記載があったまたたびのお店のようだ。


直線距離にしたら近いけれど、ここへは大きく回り道をしないとこられない。

そう思っていたけど、猫たちの道と呼ぶには疑わしい道を通ってきたら、いつの間にかたどり着いていた。


窓の向こうの店内に人影が動いているのも遠目に見えたため、どうやら直樹さんがいるようだ。

それなら、直接直樹さんにリリーちゃんのネームプレートを渡そう。


わたしはゆっくりとお店に近づいた。


少し開いた窓からは焼き菓子のいい香りが漂ってきて、思わずわたしは引き寄せられていた。

ドアをノックすればいいものの、突然の訪問で驚かせてしまってはいけないから、出窓から少しだけ中の様子をうかがう。


テーブルやイスが等間隔に並べられていて、その他もきれいに片付けられているホールはすっきりとしていた。


『調理のために自分しか使ってないのでごちゃごちゃで、とてもお客さまを呼べるようなところじゃないんですよ』


直樹さんはああ言ってたけど、十分人を呼べるくらい整理整頓されていた。

しかし、わたしはそこに広がるありえない光景に開いた口が塞がらなかった。


というのも、イスに座っているのは人――ではなくて猫。

さっきのリリーちゃんの後ろについていた猫たちが席に座って、テーブルに置かれたティーカップの取っ手をつまんでお茶を飲んで、器用にクッキーも手で持って食べていた。


ね…、猫がティーカップでお茶…?

猫って、ティーカップを持てたんだっけ?


わたしの頭が混乱する。

しかし、さらに衝撃的な場面を目撃してしまう。


「最近、どうにゃの?エサを変えられたって言って怒ってにゃかった?」

「ああ、その問題は解決した。どうやら、たまたまいつものやつが売り切れだったみたいでにゃ」


…一瞬、目と耳を疑った。


なぜなら、ね…猫が……。

あの…猫が……。


「しゃべってる!?」


わたしは思わず大声で叫んでしまった。


その声に反応した猫たちが、ギョッとした表情でわたしのほうに一斉に目を向けた。

そして、わたしの姿を捉えるやいなやバタバタとイスから飛び降りると、慌ててお店の奥へと逃げてしまった。


「な、なんだったの…今の」


ぽかんと出窓のそばで立ち尽くすわたしの前に、白いなにかが現れた。

それは、わたしを睨みつけるようにして凝視するリリーちゃんだった。


「…あ、リリーちゃ――」

「見たわね、あにゃた」


リリーちゃんの瞳の中には、困惑するわたしの顔が映っていた。