話し終わった時、自分が泣いていることに気づいた。洟をすすって、涙を止めようとするが、腹の底から渦巻く熱は、わたしの水分を涙として流し続ける。
空美ちゃんの話を聞いたとき、この子はわたしと似てるんだと思った。自分の存在が憎くて憎くて仕方がない。でも、空美ちゃんは思い出さないことによってそれを解決させようとしたのだ。少なくとも、死という選択肢は取らなかった。
——わたしと違って……。
海斗さんは、何も話さない。言葉が見つからないのかもしれない。
彼は前、わたしに「人気者ですね」と言ったのだ。正直、あれも少し堪えた。もしかして、過去の自分の発言を悔いているのだろうか。だとしたら申し訳ない。
「……美歌さんは、自分のような大切な人を傷つけた人間に、生きる価値なんてない。そう思ってるんですよね」
「……」
「でも、俺は一度、あなたに救われたんです」
わたしはぽかんとした。「どういうこと、ですか?」
「あなたはきっと、覚えてないでしょうが……」
海斗さんは、自分のことを滔々と語り始めた。病気こと、空美ちゃんのこと、死んだ日のこと、そして、病院の屋上で、わたしと出会っていたこと……。
「気づかなかった……」
確かに、一度だけ屋上で歌ったことはある。祖母が亡くなる前日だ。だが、その時に出会っていただなんて。
「あの歌を聴いたとき、俺はまたあなたに会いたいと思いました。だから次の通院まで頑張って生きようって……そう思えました」
驚きのあまり、言葉が出ない。わたしは別に、音楽経験者ではない。そんなわたしの歌が、知らないうちに人を救っていただなんて。
「それに、あなたが歌っていなければ、あの雑踏の中で、あなたを見つけることなんてできませんでしたよ。あなたの歌声を知っていたからこそ、俺はあなただと分かったんです」
「そ、そこまでいわなくても……」
もう十分だ。
「美歌さん」海斗さんが真剣な声色で言う。「あなたが優等生でいたくないなら、それでもいいんじゃないんですか? あなたの今の友人は、優等生の皮をかぶってまで付き合いたい人なんですか?」
わたしはハッとした。海斗さんは続ける。
「美歌さんの出自については、あなたは何も悪くないんです。それなのに、なぜあなたがこんなにも傷つかなければならないんですか! あなたも分かっているはずでしょう、自分が納得したいがために、そうやって思い込んでいるだけだってことに」
「あ……?」そんなかすれた声が漏れた。
「俺は……美歌さんが何者であろうとも、あなたを受け入れます。世界の全てがあなたを蔑み嗤っても、俺はずっと味方です」
海斗さんの声が震えている。ほどなくして、その瞳から大粒の涙が流れ始めた。それにつられて、わたしも涙が溢れてくる。
「お願いです、自分を……そんな風に言わないでください。俺まで、辛くなるじゃないですか」
「海斗さん……」
この人は、本当にいい人だ。赤の他人のことでこんなに泣いて、自分まで心を痛めて、どれだけお人好しなんだろうか。
わたしは、おもむろに立ち上がる。「どうしたんですか?」と海斗さんは問う。
「わたし、もう一度空美ちゃんのところに行きます」わたしはゆっくりと、海斗さんの方を向く。「あなたのおかげで、勇気が出たので」
「‥‥‥そうですか」
憑き物が取れたような晴れやかな顔だった。「そういうことなら、俺も行きます」
わたしは荷物を手に、駅を飛び出した。
家まで戻ってきたわたしは、ダメもとで何度もインターホンを鳴らした。五回ほど押して、やっと出てきた空美ちゃんの髪はしっとりと濡れていて、お風呂に入っていたことが分かった。
上気した顔だったが、目が腫れているのが手に取るように分かった。
「空美ちゃん……わたしね」
「ごめんなさい!」
言い切るよりも先に、空美ちゃんが頭を深々と下げてきた。きょとんとしていると、彼女は、
「完全に八つ当たりだった。お兄ちゃんがわたしのせいで死んじゃったって考えたら、辛くて辛くて仕方がなくて、もう思い出したくもなくて……」
引いていたであろう涙が、空美ちゃんの瞳からまた溢れてくる。
「でも、美歌ちゃんが思い出させてくれて、わたし、思ったの。お兄ちゃんのことを忘れちゃったら、本当の意味でお兄ちゃんは死んじゃうんだって……だからわたし、もう逃げないって決めたんだ」
「‥‥‥」
やっぱり、空美ちゃんはすごい。
確かに、その通りだった。どんなにこの世に未練が残っていたとしても、人から忘れられた幽霊は、この世に存在できない。人は忘れられた時、本当の意味で死ぬのだ。
それにしても、彼女の覚悟は賞賛に値する。わたしがもし彼女の立場なら、すぐにでも自殺していただろうから。
「ううん、いいんだよ、いいんだよ……!」
わたしは空美ちゃんを抱きしめる。温かくて、小さな体だった。
「……美歌ちゃん、わたしのこと、嫌いになってないよね?」
「もちろん」
嫌いになっていたら、そもそも戻ってこない。そう伝えると、空美ちゃんは慟哭した。
わたしもつられて号泣する。
後ろで微かに、海斗さんが洟をすする音もした。
♢
瓦町駅から志度線に乗り換えて、琴電屋島駅で降りる。そこからはバスに乗って山頂まで向かう。移動中、なんとなく喋りたくなくて、窓の外をぼんやりと眺めていた。
三月も終盤に差し掛かり、暖かい日が増えてきた今日、わたしは海斗さんと共に屋島を訪れていた。無論、海斗さんの遺品を回収するためである。つまり、わたしの命日になる日だ。父とは、今朝仕事に行く前に言葉をひと言ふた言交わしただけだったが、悔いはなかった。
「こっちです、ここからなら下に行けます」
といいながら藪を指差した。目を凝らしてその先を見ると、確かにわずかな獣道が見えた。言われなかったらまず気づかなかった。よく気づいたな、と感心した。海斗さんに促されるがまま、道無き道を下っていく。
ちらりと海斗さんの顔を見る。難しそうな顔をしていた。
——この関係も今日で終わりか。
そう思うと、感慨深いものがあった。三月の頭から始まったこの関係、終わらせてしまうのは寂しいが、どっちにしろわたしも死ぬのだ。そしてらまた、死後の世界で彼と再会すればいい。どうせ時間は無限にあるのだから。
そして、目的の場所まで辿り着いた。真上に例の柵がある。
「ここです、ここ」そう指さす先には複雑に絡んだ茶色い蔦がある。その中に、ミント色の何かが見えた。これか、と思い、わたしはそれらをかき分け、思い切り手を伸ばした。なんとか絡め取り、ゆっくりと手繰り寄せた。
「あ……った、これで合ってる?」
ミント色の袋。口には白いリボンがついている。長時間雨風にさらされたことによって少し汚れてはいるが、袋の素材を見る限り、中身は無事だろう。
「はい、これです!」
海斗さんは声高々に言った。ようやく見つけてもらえて、テンションが上がっているらしい。
「ありがとう、ありがとうございます……!」
「まだ喜ぶのは早いですよ。これからこれを渡しにいかないといけませんから」
「で、ですね……」
そう言って苦笑する。ずっと思っていたが、彼は気持ちがはやると突っ走ってしまうタイプなのだろうか。そんなところも可愛らしく見える。
「さて、じゃあ空美ちゃんのところに行きましょう。というか、急いでいかないと約束の時間の時間に遅れちゃうから」
ここからだと、見上家までは二時間近くかかるのだ。
「そ、そういえばそうですね。では、急ぎましょう」
わたしはうなずき、元来た道を戻る。海斗さんの顔を再度見た時、今度は少し、寂しそうな顔をしていた。
それを最後に、あの甘い香りが消失した。
空美ちゃんの話を聞いたとき、この子はわたしと似てるんだと思った。自分の存在が憎くて憎くて仕方がない。でも、空美ちゃんは思い出さないことによってそれを解決させようとしたのだ。少なくとも、死という選択肢は取らなかった。
——わたしと違って……。
海斗さんは、何も話さない。言葉が見つからないのかもしれない。
彼は前、わたしに「人気者ですね」と言ったのだ。正直、あれも少し堪えた。もしかして、過去の自分の発言を悔いているのだろうか。だとしたら申し訳ない。
「……美歌さんは、自分のような大切な人を傷つけた人間に、生きる価値なんてない。そう思ってるんですよね」
「……」
「でも、俺は一度、あなたに救われたんです」
わたしはぽかんとした。「どういうこと、ですか?」
「あなたはきっと、覚えてないでしょうが……」
海斗さんは、自分のことを滔々と語り始めた。病気こと、空美ちゃんのこと、死んだ日のこと、そして、病院の屋上で、わたしと出会っていたこと……。
「気づかなかった……」
確かに、一度だけ屋上で歌ったことはある。祖母が亡くなる前日だ。だが、その時に出会っていただなんて。
「あの歌を聴いたとき、俺はまたあなたに会いたいと思いました。だから次の通院まで頑張って生きようって……そう思えました」
驚きのあまり、言葉が出ない。わたしは別に、音楽経験者ではない。そんなわたしの歌が、知らないうちに人を救っていただなんて。
「それに、あなたが歌っていなければ、あの雑踏の中で、あなたを見つけることなんてできませんでしたよ。あなたの歌声を知っていたからこそ、俺はあなただと分かったんです」
「そ、そこまでいわなくても……」
もう十分だ。
「美歌さん」海斗さんが真剣な声色で言う。「あなたが優等生でいたくないなら、それでもいいんじゃないんですか? あなたの今の友人は、優等生の皮をかぶってまで付き合いたい人なんですか?」
わたしはハッとした。海斗さんは続ける。
「美歌さんの出自については、あなたは何も悪くないんです。それなのに、なぜあなたがこんなにも傷つかなければならないんですか! あなたも分かっているはずでしょう、自分が納得したいがために、そうやって思い込んでいるだけだってことに」
「あ……?」そんなかすれた声が漏れた。
「俺は……美歌さんが何者であろうとも、あなたを受け入れます。世界の全てがあなたを蔑み嗤っても、俺はずっと味方です」
海斗さんの声が震えている。ほどなくして、その瞳から大粒の涙が流れ始めた。それにつられて、わたしも涙が溢れてくる。
「お願いです、自分を……そんな風に言わないでください。俺まで、辛くなるじゃないですか」
「海斗さん……」
この人は、本当にいい人だ。赤の他人のことでこんなに泣いて、自分まで心を痛めて、どれだけお人好しなんだろうか。
わたしは、おもむろに立ち上がる。「どうしたんですか?」と海斗さんは問う。
「わたし、もう一度空美ちゃんのところに行きます」わたしはゆっくりと、海斗さんの方を向く。「あなたのおかげで、勇気が出たので」
「‥‥‥そうですか」
憑き物が取れたような晴れやかな顔だった。「そういうことなら、俺も行きます」
わたしは荷物を手に、駅を飛び出した。
家まで戻ってきたわたしは、ダメもとで何度もインターホンを鳴らした。五回ほど押して、やっと出てきた空美ちゃんの髪はしっとりと濡れていて、お風呂に入っていたことが分かった。
上気した顔だったが、目が腫れているのが手に取るように分かった。
「空美ちゃん……わたしね」
「ごめんなさい!」
言い切るよりも先に、空美ちゃんが頭を深々と下げてきた。きょとんとしていると、彼女は、
「完全に八つ当たりだった。お兄ちゃんがわたしのせいで死んじゃったって考えたら、辛くて辛くて仕方がなくて、もう思い出したくもなくて……」
引いていたであろう涙が、空美ちゃんの瞳からまた溢れてくる。
「でも、美歌ちゃんが思い出させてくれて、わたし、思ったの。お兄ちゃんのことを忘れちゃったら、本当の意味でお兄ちゃんは死んじゃうんだって……だからわたし、もう逃げないって決めたんだ」
「‥‥‥」
やっぱり、空美ちゃんはすごい。
確かに、その通りだった。どんなにこの世に未練が残っていたとしても、人から忘れられた幽霊は、この世に存在できない。人は忘れられた時、本当の意味で死ぬのだ。
それにしても、彼女の覚悟は賞賛に値する。わたしがもし彼女の立場なら、すぐにでも自殺していただろうから。
「ううん、いいんだよ、いいんだよ……!」
わたしは空美ちゃんを抱きしめる。温かくて、小さな体だった。
「……美歌ちゃん、わたしのこと、嫌いになってないよね?」
「もちろん」
嫌いになっていたら、そもそも戻ってこない。そう伝えると、空美ちゃんは慟哭した。
わたしもつられて号泣する。
後ろで微かに、海斗さんが洟をすする音もした。
♢
瓦町駅から志度線に乗り換えて、琴電屋島駅で降りる。そこからはバスに乗って山頂まで向かう。移動中、なんとなく喋りたくなくて、窓の外をぼんやりと眺めていた。
三月も終盤に差し掛かり、暖かい日が増えてきた今日、わたしは海斗さんと共に屋島を訪れていた。無論、海斗さんの遺品を回収するためである。つまり、わたしの命日になる日だ。父とは、今朝仕事に行く前に言葉をひと言ふた言交わしただけだったが、悔いはなかった。
「こっちです、ここからなら下に行けます」
といいながら藪を指差した。目を凝らしてその先を見ると、確かにわずかな獣道が見えた。言われなかったらまず気づかなかった。よく気づいたな、と感心した。海斗さんに促されるがまま、道無き道を下っていく。
ちらりと海斗さんの顔を見る。難しそうな顔をしていた。
——この関係も今日で終わりか。
そう思うと、感慨深いものがあった。三月の頭から始まったこの関係、終わらせてしまうのは寂しいが、どっちにしろわたしも死ぬのだ。そしてらまた、死後の世界で彼と再会すればいい。どうせ時間は無限にあるのだから。
そして、目的の場所まで辿り着いた。真上に例の柵がある。
「ここです、ここ」そう指さす先には複雑に絡んだ茶色い蔦がある。その中に、ミント色の何かが見えた。これか、と思い、わたしはそれらをかき分け、思い切り手を伸ばした。なんとか絡め取り、ゆっくりと手繰り寄せた。
「あ……った、これで合ってる?」
ミント色の袋。口には白いリボンがついている。長時間雨風にさらされたことによって少し汚れてはいるが、袋の素材を見る限り、中身は無事だろう。
「はい、これです!」
海斗さんは声高々に言った。ようやく見つけてもらえて、テンションが上がっているらしい。
「ありがとう、ありがとうございます……!」
「まだ喜ぶのは早いですよ。これからこれを渡しにいかないといけませんから」
「で、ですね……」
そう言って苦笑する。ずっと思っていたが、彼は気持ちがはやると突っ走ってしまうタイプなのだろうか。そんなところも可愛らしく見える。
「さて、じゃあ空美ちゃんのところに行きましょう。というか、急いでいかないと約束の時間の時間に遅れちゃうから」
ここからだと、見上家までは二時間近くかかるのだ。
「そ、そういえばそうですね。では、急ぎましょう」
わたしはうなずき、元来た道を戻る。海斗さんの顔を再度見た時、今度は少し、寂しそうな顔をしていた。
それを最後に、あの甘い香りが消失した。



