三月一日、卒業式。
肌寒さの残る春の風に、桜の桃色が吹かれて舞っている。
小学校も中学校も、予定なら高校も卒業式は体育館で執り行われるけれど、体育館のないこの学校は一年間お世話になったこの教室で式が行われる。後方に二十脚、前方に二脚の椅子が並べられていて、厳かな雰囲気が漂っている。
「おはよ、咲」
今日、式に出席する生徒は私と彼のふたりだけ。在校生の出席はなく、あとは職員と自治会の代表者、保護者によって席が埋められている。
「椋くんおはよ、スーツすっごい似合ってる」
「咲も、いつもに増して大人っぽくて綺麗だよ」
制服がない代わりに、スーツを着て参列する。
しばらくして開式の鐘が鳴って隣同士の席に着くと、二人とも真新しい新品の匂いがした。
卒業生徒点呼で私と彼の名前が呼ばれ、校長の手から卒業証書が渡される。初めてみる自治会長や市の役員からの祝辞をいただいたところで進行は止まった。
予行練習なんて改まったことはしていないけれど、卒業式が止まるなんてあまりに不自然な気がする。隣を見て彼と目を合わせたとき、視界の端、教室後方の扉の外に誰かの影が見える。
『送辞。在校生代表、笹月和花』
担任のその言葉で式が再び動き出したと同時に、あまりのサプライズに私も彼も目を丸くして固まってしまった。扉が開いて、見慣れたスーツ姿の彼女が現れる。私と目が合うとニコッと笑ってくれた、そのまま教壇へ立つ。
不意に、敬語禁止! と書かれたあの放課後を思い出したところで彼女の声が教室に響いた。
❀
送辞
春の訪れを感じる今日の佳き日、在校生である私は、卒業していく同級生の二人のご卒業を心よりお祝い申し上げます。
二人と過ごした日々は、時間に換算するとそう長くはなかったと思います。それなのに、その限られた時間の中で、深い記憶と心を私に注いでくれました。
桃瀬椋さん。初めて会った時、おたがいに器用に話せなかったことを今では可愛らしく思えるほど楽しくお話しできるクラスメイトという関係性になれたこと、私はとても嬉しいです。
浅桜咲さん。私はあなたがいなければ、この学校に居続けることはできませんでした。私に、素直でいること、自分に嘘をつかないこと、友だちの温かさを教えてくれて本当にありがとうございます。
三人だけの教室、覚えていますか。
私はこの学校へ来て、青春とは程遠い場所だと思い込んでいました。教室に一人、言葉を交わしたとしても挨拶程度、眩しい場所ではないと思っていたからです。
でも、それが思い込みだったと気づけたのは二人がたくさんの光で教室を満たしてくれたからです。たくさん笑って、喜怒哀楽の表情を交わして、言葉も交わして、誰かがいることの眩しさを三人だけの教室から知ることができました。
これから二人は、それぞれの道へと歩みを進められます。不安や迷いもあるかもしれません。正直私は、二人がいない学校が怖いです。でも、ここで積み重ねた思い出が記憶の中でずっと支えてくれると信じています。
そして、私はあと一年ここにいます。
二人に負けないように、日々を大切にしながら、自分を大切にしながら、相手も大切にしながら、卒業へ向かっていきます。どうか、これからも友だちでいてください。
二人の未来が、希望に満ちたものでありますように。
どうか健やかに、笑っていられますように。
心からの感謝と敬意を込めて、送辞とさせていただきます。
在校生代表、笹月和花。
❀
形式に沿いながら、和花ちゃんが私たち宛てだからこそ紡げる言葉が読み上げられて、私の頬には涙が伝った。
なにより、彼女が未来を諦めずにいてくれることが私は心から嬉しい。
「……和花ちゃん」
「咲ちゃん、そして桃瀬さん、卒業おめでとう」
「ありがと、ずっと、友だちで」
「ほんとに変に先輩面とかしたら悲しくなっちゃうからね?」
空気を和ませるように笑ったあと、私をギュッと抱きしめてくれた。
この学校の卒業式だからこそできる素晴らしくて敵わない瞬間。
「実は、私ね答辞頼まれててね」
「そうだったの? 桃瀬さんは?」
「僕は式のプログラム後ろに書く卒業生代表挨拶の担当なんだ」
「送辞もないのに答辞? って思ってたけど和花ちゃんが来てくれるなんてね。それじゃあ、今度は私からの言葉を受け取ってくれるかな」
❀
答辞
春の陽射しがやわらかく差し込むこの日、私たち卒業生のために式を開いてくださったこと心より御礼申し上げます。
一年前、私はこの学校に転校してきました。
声を出せなくなった、という理由で高校生活最後の一年で移ってきた自分自身のことを当時はとても情けなく思っていました。でも今は、その決断に後悔していません。
ひとりのクラスメイトは、声が出ない、声を取り戻したいという私の言葉を笑わずに受け止めて、励まし、寄り添って、いつでも隣にいてくれました。
ひとりのクラスメイトは、いつも近くで支えてくれて守ってくれて、知れば知るほど人としての尊敬に溢れて。私を友だちとして受け入れてくれました。
そんな二人の中で高校生を終えれた私は、とても幸せ者だと思います。
置かれた場所で咲きなさい、という言葉をご存知でしょうか。
現状を言い訳にせず、その環境で精一杯頑張り、花開くように生きることを促す励ましの言葉だそうです。
声が出なくなった頃の私は、枯れたものはもう二度と咲くことなんてできないと思い込んでいました。
そしてある人は、どれだけ根を張っても咲ける保証なんてない。
ある人は、生まれた瞬間から咲ける咲けないは決まっている。
ある人は、ただ咲けちゃっただけ。
そのどれも、私は間違いだと言いたくありません。
きっとその考えも、いつか変わる日が訪れると身をもって知ったからです。
今の私は、枯れたものだとしても何度だって咲き直せると思うことができています。
環境や、自分自身について、この先思い悩むこともあるだろうけど、私は、私たちは、水をやり合って、光を注ぎあって、綺麗に咲いていられるよう逞しく根を張っていきたいです。
今日、私たちはこの学舎を巣立ちます。
別れは寂しいけれど、それぞれの夢に向かって、胸を張って前を向いて進んでいきます。
これまで私たちを支えてくださったすべての方々に感謝を込めて。
卒業生代表、浅桜咲
肌寒さの残る春の風に、桜の桃色が吹かれて舞っている。
小学校も中学校も、予定なら高校も卒業式は体育館で執り行われるけれど、体育館のないこの学校は一年間お世話になったこの教室で式が行われる。後方に二十脚、前方に二脚の椅子が並べられていて、厳かな雰囲気が漂っている。
「おはよ、咲」
今日、式に出席する生徒は私と彼のふたりだけ。在校生の出席はなく、あとは職員と自治会の代表者、保護者によって席が埋められている。
「椋くんおはよ、スーツすっごい似合ってる」
「咲も、いつもに増して大人っぽくて綺麗だよ」
制服がない代わりに、スーツを着て参列する。
しばらくして開式の鐘が鳴って隣同士の席に着くと、二人とも真新しい新品の匂いがした。
卒業生徒点呼で私と彼の名前が呼ばれ、校長の手から卒業証書が渡される。初めてみる自治会長や市の役員からの祝辞をいただいたところで進行は止まった。
予行練習なんて改まったことはしていないけれど、卒業式が止まるなんてあまりに不自然な気がする。隣を見て彼と目を合わせたとき、視界の端、教室後方の扉の外に誰かの影が見える。
『送辞。在校生代表、笹月和花』
担任のその言葉で式が再び動き出したと同時に、あまりのサプライズに私も彼も目を丸くして固まってしまった。扉が開いて、見慣れたスーツ姿の彼女が現れる。私と目が合うとニコッと笑ってくれた、そのまま教壇へ立つ。
不意に、敬語禁止! と書かれたあの放課後を思い出したところで彼女の声が教室に響いた。
❀
送辞
春の訪れを感じる今日の佳き日、在校生である私は、卒業していく同級生の二人のご卒業を心よりお祝い申し上げます。
二人と過ごした日々は、時間に換算するとそう長くはなかったと思います。それなのに、その限られた時間の中で、深い記憶と心を私に注いでくれました。
桃瀬椋さん。初めて会った時、おたがいに器用に話せなかったことを今では可愛らしく思えるほど楽しくお話しできるクラスメイトという関係性になれたこと、私はとても嬉しいです。
浅桜咲さん。私はあなたがいなければ、この学校に居続けることはできませんでした。私に、素直でいること、自分に嘘をつかないこと、友だちの温かさを教えてくれて本当にありがとうございます。
三人だけの教室、覚えていますか。
私はこの学校へ来て、青春とは程遠い場所だと思い込んでいました。教室に一人、言葉を交わしたとしても挨拶程度、眩しい場所ではないと思っていたからです。
でも、それが思い込みだったと気づけたのは二人がたくさんの光で教室を満たしてくれたからです。たくさん笑って、喜怒哀楽の表情を交わして、言葉も交わして、誰かがいることの眩しさを三人だけの教室から知ることができました。
これから二人は、それぞれの道へと歩みを進められます。不安や迷いもあるかもしれません。正直私は、二人がいない学校が怖いです。でも、ここで積み重ねた思い出が記憶の中でずっと支えてくれると信じています。
そして、私はあと一年ここにいます。
二人に負けないように、日々を大切にしながら、自分を大切にしながら、相手も大切にしながら、卒業へ向かっていきます。どうか、これからも友だちでいてください。
二人の未来が、希望に満ちたものでありますように。
どうか健やかに、笑っていられますように。
心からの感謝と敬意を込めて、送辞とさせていただきます。
在校生代表、笹月和花。
❀
形式に沿いながら、和花ちゃんが私たち宛てだからこそ紡げる言葉が読み上げられて、私の頬には涙が伝った。
なにより、彼女が未来を諦めずにいてくれることが私は心から嬉しい。
「……和花ちゃん」
「咲ちゃん、そして桃瀬さん、卒業おめでとう」
「ありがと、ずっと、友だちで」
「ほんとに変に先輩面とかしたら悲しくなっちゃうからね?」
空気を和ませるように笑ったあと、私をギュッと抱きしめてくれた。
この学校の卒業式だからこそできる素晴らしくて敵わない瞬間。
「実は、私ね答辞頼まれててね」
「そうだったの? 桃瀬さんは?」
「僕は式のプログラム後ろに書く卒業生代表挨拶の担当なんだ」
「送辞もないのに答辞? って思ってたけど和花ちゃんが来てくれるなんてね。それじゃあ、今度は私からの言葉を受け取ってくれるかな」
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答辞
春の陽射しがやわらかく差し込むこの日、私たち卒業生のために式を開いてくださったこと心より御礼申し上げます。
一年前、私はこの学校に転校してきました。
声を出せなくなった、という理由で高校生活最後の一年で移ってきた自分自身のことを当時はとても情けなく思っていました。でも今は、その決断に後悔していません。
ひとりのクラスメイトは、声が出ない、声を取り戻したいという私の言葉を笑わずに受け止めて、励まし、寄り添って、いつでも隣にいてくれました。
ひとりのクラスメイトは、いつも近くで支えてくれて守ってくれて、知れば知るほど人としての尊敬に溢れて。私を友だちとして受け入れてくれました。
そんな二人の中で高校生を終えれた私は、とても幸せ者だと思います。
置かれた場所で咲きなさい、という言葉をご存知でしょうか。
現状を言い訳にせず、その環境で精一杯頑張り、花開くように生きることを促す励ましの言葉だそうです。
声が出なくなった頃の私は、枯れたものはもう二度と咲くことなんてできないと思い込んでいました。
そしてある人は、どれだけ根を張っても咲ける保証なんてない。
ある人は、生まれた瞬間から咲ける咲けないは決まっている。
ある人は、ただ咲けちゃっただけ。
そのどれも、私は間違いだと言いたくありません。
きっとその考えも、いつか変わる日が訪れると身をもって知ったからです。
今の私は、枯れたものだとしても何度だって咲き直せると思うことができています。
環境や、自分自身について、この先思い悩むこともあるだろうけど、私は、私たちは、水をやり合って、光を注ぎあって、綺麗に咲いていられるよう逞しく根を張っていきたいです。
今日、私たちはこの学舎を巣立ちます。
別れは寂しいけれど、それぞれの夢に向かって、胸を張って前を向いて進んでいきます。
これまで私たちを支えてくださったすべての方々に感謝を込めて。
卒業生代表、浅桜咲



