別れの曲

 翌日。
 母の帰宅日にも関わらず、私は佳乃の家へとやって来ていた。
 涼子さんには『休み明けのテスト勉強会』だと嘘を吐き、親元を離れて単身暮らしている友人の元へ。
 私は嘘を吐くのが下手だ。きっと誤魔化しきれてはいないことだろうけれど、特別言及してこなかったことには感謝しかない。
 何かを察したのか、あるいはただの優しさか――いずれにしたって、下手にずけずけと踏み入ろうとはしない涼子さんの性格は、今に限って言えば、大変にありがたいものだった。
 そんな佳乃の家にて、私は事の全てを話して聞かせていた。勿論、勉強道具など一つも広げてはいない。
 私が話している間、佳乃は他に目をやることなく、真剣に聞き続けていた。夢の中での出来事を話していた時とはまた違った、とても真面目な面持ちで。
 誰に打ち明けるべきか、相談すべきかと悩んでいた昨夜、真っ先に思い浮かんだのが佳乃の顔だった。
 事の内容が母絡みである以上、母にはまず話せない。涼子さんにも話せないと思ったのは、それを今まで隠していた人物の一人であろう可能性があるから。
 唯一『親友』だと呼べる佳乃が、一番良かったのだ。情に厚く、また聞いた話を自身の内にのみ仕舞っておける性格だ。

「なるほど。あのお母さんが、ねぇ……」

 一通りの話を聞き終えた佳乃が、眉根を下げる。
 佳乃は母と何度か会っていて、私が色んな話を聞かせるものだから、ある程度のことは知っている筈だ。以前佳乃が「強くてかっこいいお母さんだね」と言っていたこともある。
 だからこそこの話は、とても意外なことだったのだろう。

「私、知らなった…! お母さんのことも、陽向くんのことも――お父さんのことだってそう!」

 拳を強く、強く握って、

「私……どうすればいいのかな……」

 弱く、そんな言葉を吐いた。
 大きく溜息を吐く。そんな時、目を伏せて黙ったままだった佳乃が口を開いた。

「――――よし、出かけよっか! ほら、この間丁度、新しいクレープ屋台が出来たって二人で話してたでしょ?」

「えっ!? で、でも――」

「良いからほら、早く支度する! 四十秒ね!」

「わっ、ちょ、引っ張らないでってば…!」

 抵抗虚しく、私は言われるがまま、されるがままに、出かける準備を整えた。



 外の空気は、まだまだとても冷たかった。
 いくら着こんでも、野晒しの顔や手元や、やっぱり寒い。

「ほい、これ」

 投げて寄越されたのは、ホットの缶コーヒー。近くに見つけた自販機から買っていたらしい。
 ありがと、と礼を言って一口、喉へと送って息を吐く。白く温かなそれは、目の前までふわりと漂ってすぐに、空気へと溶けた。
 クレープ屋までは、佳乃の家から徒歩で三十分ほど。温かい飲み物を両手で掴んで暖を取りながら、私たちは道を行く。
 ここってこうなってたんだ。あそこは随分と変わったなあ。そこにあるのって何だっけ。
 そこかしこに目を向けては、子どものように無邪気にはしゃいでいる、という訳ではないと思う。佳乃のことだ、私が全然自分から話し出さないから、気を遣っているんだろう。
 けれど、別にそれはわざとらしくなく、ともすれば佳乃のいつも通りのテンションであるとも思える。
 私が答えればそれにまた会話を繋げて、全くの無言になれば、それを呑んで。信号機で足止めをくらった時なんかは、鼻歌なんかで時間を潰している。
 私だけでない。誰か困っていたり、悩んでいて神妙な面持ちになっているからと言って、自分までそれと同じように暗くなったりはしない。いつも通りの明るい表情で以って、寄り添ってくれる。佳乃は、そういう性格なのだ。

「あ、とそうだ陽和」

 ふと、佳乃が口を開く。

「――ううん。今度の数学の課題なんだけどさ。アレ分からないところがあったから、今度教えてくれない? 確かもう終わったって言ってたよね?」

「え? あ、あぁ、うん、分かった」

 何だ、そんなことか。身構えてしまったものだから、何だか拍子抜けしてしまう。
 けれど――少し、安心もした。