毎日のように練習を始め、叔母さんにレッスンをつけてもらうことも再開した。
「月菜ちゃん、なんでまたフルートを始めてくれたの?」
叔母さんのその問いに私は笑って答えた。
「思ったより、私は諦めが悪かったみたいですね……」
「あら、音楽家にぴったりな性格ね」
叔母さんの言葉に、私は少しだけ恥ずかしくて顔を俯けた。レッスンのない日には、貸しスタジオで練習する。お洒落な飲み物も辞めて、コンビニを辞めて、新作のアイシャドウも我慢する。そのお金を全て貸しスタジオの料金に使っているのに、前より青春を感じてしまう。
私が貸しスタジオで練習しているのを、川辺くんは毎日のように楽しそうに横で見ていた。
「聴いているだけで暇じゃない? もしあれだったら、付き合わなくても……」
「全然。宮地さんの音色を聴いているだけで楽しい」
最近、川辺くんはサラッと格好良いことを言って全然ネガティブでもない。それでも、川辺くんが楽しそうで私はただただ嬉しかった。
それでも、やっぱり根っこの部分は残っていて。今日も受付のお姉さんと会話する時に、若干噛んでいた。
「あにょ……あの、ここって何時まで使えますか?」
私のためを思って空いている時間を聞いてくれたけれど、私はもうこのスタジオに慣れているので閉まる時間も知っている。そして、何より噛んだ後の反省の顔色が凄かった。
それでも、私が「大丈夫?」と聞くと、「何が?」と平静を装っていた。
そんな川辺くんとのフルート練習は案外楽しくて。川辺くんに下手な音を聴かせられないと、上手くなっていくのを実感していた。
「月菜ちゃん、プロのフルート演奏者になる?」
おばさんがそう聞いた時の手には、音大のパンフレットが握られていた。それは、もう覚悟を決めるということだ。手が震え出すのが分かったが、ここで震えていてはこれからが持たない。
私は左手を右手で押さえつけて、無理やり手の震えを止めた。
「なります」
そんな私の行動と言葉を見て、叔母さんは何故か私の手を握った。
「月菜ちゃん、震えていても良いの。本番に最大限の実力で挑めるなら、今震えたって良い。むしろ震えない方がおかしいわ」
叔母さんが私の使っているフルートに視線を向けた。
「今の月菜ちゃんのフルートは、もう既にケースを開かなかった時より輝いているわ」
その言葉を聞いて、私は勇気を出したあの日を、川辺くんと会った日を思い出していた。
放課後、夏の強い日差しが進路相談室に差し込んでいる。
「先生。私、音大に行きます」
突然の進路変更に担任が戸惑っている。
「えっと……? もっと上の大学を目指すとかではなくですか……?」
「はい。だからもっと上の大学を目指します。私が一番行きたいところに行きたいので」
困惑している担任を置いて、進路相談室を出る。昨日の両親も同じ顔をしていたが、私が最近フルートを練習を再開したことは知っていたので、どこか嬉しそうだった。教室に行けば、いつも通り友達が勉強している。
「あ、月菜。進路相談終わった?」
「うん、音大行くって言ってきた」
驚くと思っていた。驚かれると思っていた。最近は練習で私の付き合いも悪くなっていたし。しかし、飛び出した友達の声は全然予想と違った。
「やった!」
「え?」
「だって、二年までずっとフルート大好きだったじゃん! フルート専攻でしょ?」
「え、うん」
友達が私をギュッと抱きしめて喜んでくれている。胸が締め付けられるように苦しくなって、言葉じゃなくて涙が出る。本当に涙が出るくらい嬉しかった。
そのことを一番に伝えたいと思ったのは、何故か川辺くんで。私はスマホを取り出し、川辺くんにメッセージを送った。しかし、何故か既読にもならない。
私は不思議に思いながらも、家に帰るには嫌でもあの公園を通る。川辺くんがいるのではないかと思ってしまって、私は公園に足を踏み入れた。
またポポに川辺くんが話しかけている。
「また上手く話せなかったな。きっと嫌われたに決まっている。友達は優しいけど、俺は嘘ばっかりだし。宮地さんは頑張っているのに、俺だけ進んでないみたい。それに宮地さんの前で格好つけちゃうのも、ダサいって思われてたらどうしよう」
「ふはっ」
もう笑いが止まらなくなってしまう。やっぱり川辺くんは変わってなかったらしい。
「宮地さん!?」
「川辺くんってやっぱり陰キャだよね」
「え……」
川辺くんが本気で悲しそうな顔をしているので私は慌てて、言葉を付け足す。
「本心を話すのはポポばっかりだし。私には格好つけて、弱音の一つも吐かないし」
私の言葉の攻撃に川辺くんの元気が段々と無くなっていく。
「私にだって、本心出して良いよ。初めて公園で会った時、言ったよね? 『真剣に頑張っている人、馬鹿にするほど腐ってないから』」
川辺くんがパッと顔を上げた。真剣に人と向き合ってくれているなら、それを嫌いになんてならないし、むしろ大好き。私の言葉を聞いて、何故か川辺くんはポポと目を合わせた。
そして、ポポの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「俺、今までポポにしか本心言えなかったんだよね。人気者になりたかったんじゃなくて、誰かに好かれたかった。それで、人に好かれたくて自分の理想を演じてたら、こうなってた。友達の前でも素を出すのが怖い。でも、頑張りたいから」
川辺くんがポポから手を離し、私の方を振り返る。
「だから……こんな俺で良いですか?」
その返答には、こう答えるしかないでしょう?
「いいよ。もし川辺くんが素のままに生きて、失敗しても良いよ。川辺くん、もう一度言わせて。私ね、『熱心に頑張っている人好き』。だから今の自分も好きだし、川辺くんも好き」
公園は別にいつも通りの風景なのに、まるで別の場所のように感じる。
「そのままの川辺くんで良いよ。そのままの私を受け入れてくれたそのままの川辺くんが大好き」
川辺くんみたいに結婚なんて言えないけれど、伝えたいことは決まっている。
「私と付き合ってくれませんか?」
きっとこの世界に諦める境界線なんて存在しない。
「月菜ちゃん、なんでまたフルートを始めてくれたの?」
叔母さんのその問いに私は笑って答えた。
「思ったより、私は諦めが悪かったみたいですね……」
「あら、音楽家にぴったりな性格ね」
叔母さんの言葉に、私は少しだけ恥ずかしくて顔を俯けた。レッスンのない日には、貸しスタジオで練習する。お洒落な飲み物も辞めて、コンビニを辞めて、新作のアイシャドウも我慢する。そのお金を全て貸しスタジオの料金に使っているのに、前より青春を感じてしまう。
私が貸しスタジオで練習しているのを、川辺くんは毎日のように楽しそうに横で見ていた。
「聴いているだけで暇じゃない? もしあれだったら、付き合わなくても……」
「全然。宮地さんの音色を聴いているだけで楽しい」
最近、川辺くんはサラッと格好良いことを言って全然ネガティブでもない。それでも、川辺くんが楽しそうで私はただただ嬉しかった。
それでも、やっぱり根っこの部分は残っていて。今日も受付のお姉さんと会話する時に、若干噛んでいた。
「あにょ……あの、ここって何時まで使えますか?」
私のためを思って空いている時間を聞いてくれたけれど、私はもうこのスタジオに慣れているので閉まる時間も知っている。そして、何より噛んだ後の反省の顔色が凄かった。
それでも、私が「大丈夫?」と聞くと、「何が?」と平静を装っていた。
そんな川辺くんとのフルート練習は案外楽しくて。川辺くんに下手な音を聴かせられないと、上手くなっていくのを実感していた。
「月菜ちゃん、プロのフルート演奏者になる?」
おばさんがそう聞いた時の手には、音大のパンフレットが握られていた。それは、もう覚悟を決めるということだ。手が震え出すのが分かったが、ここで震えていてはこれからが持たない。
私は左手を右手で押さえつけて、無理やり手の震えを止めた。
「なります」
そんな私の行動と言葉を見て、叔母さんは何故か私の手を握った。
「月菜ちゃん、震えていても良いの。本番に最大限の実力で挑めるなら、今震えたって良い。むしろ震えない方がおかしいわ」
叔母さんが私の使っているフルートに視線を向けた。
「今の月菜ちゃんのフルートは、もう既にケースを開かなかった時より輝いているわ」
その言葉を聞いて、私は勇気を出したあの日を、川辺くんと会った日を思い出していた。
放課後、夏の強い日差しが進路相談室に差し込んでいる。
「先生。私、音大に行きます」
突然の進路変更に担任が戸惑っている。
「えっと……? もっと上の大学を目指すとかではなくですか……?」
「はい。だからもっと上の大学を目指します。私が一番行きたいところに行きたいので」
困惑している担任を置いて、進路相談室を出る。昨日の両親も同じ顔をしていたが、私が最近フルートを練習を再開したことは知っていたので、どこか嬉しそうだった。教室に行けば、いつも通り友達が勉強している。
「あ、月菜。進路相談終わった?」
「うん、音大行くって言ってきた」
驚くと思っていた。驚かれると思っていた。最近は練習で私の付き合いも悪くなっていたし。しかし、飛び出した友達の声は全然予想と違った。
「やった!」
「え?」
「だって、二年までずっとフルート大好きだったじゃん! フルート専攻でしょ?」
「え、うん」
友達が私をギュッと抱きしめて喜んでくれている。胸が締め付けられるように苦しくなって、言葉じゃなくて涙が出る。本当に涙が出るくらい嬉しかった。
そのことを一番に伝えたいと思ったのは、何故か川辺くんで。私はスマホを取り出し、川辺くんにメッセージを送った。しかし、何故か既読にもならない。
私は不思議に思いながらも、家に帰るには嫌でもあの公園を通る。川辺くんがいるのではないかと思ってしまって、私は公園に足を踏み入れた。
またポポに川辺くんが話しかけている。
「また上手く話せなかったな。きっと嫌われたに決まっている。友達は優しいけど、俺は嘘ばっかりだし。宮地さんは頑張っているのに、俺だけ進んでないみたい。それに宮地さんの前で格好つけちゃうのも、ダサいって思われてたらどうしよう」
「ふはっ」
もう笑いが止まらなくなってしまう。やっぱり川辺くんは変わってなかったらしい。
「宮地さん!?」
「川辺くんってやっぱり陰キャだよね」
「え……」
川辺くんが本気で悲しそうな顔をしているので私は慌てて、言葉を付け足す。
「本心を話すのはポポばっかりだし。私には格好つけて、弱音の一つも吐かないし」
私の言葉の攻撃に川辺くんの元気が段々と無くなっていく。
「私にだって、本心出して良いよ。初めて公園で会った時、言ったよね? 『真剣に頑張っている人、馬鹿にするほど腐ってないから』」
川辺くんがパッと顔を上げた。真剣に人と向き合ってくれているなら、それを嫌いになんてならないし、むしろ大好き。私の言葉を聞いて、何故か川辺くんはポポと目を合わせた。
そして、ポポの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「俺、今までポポにしか本心言えなかったんだよね。人気者になりたかったんじゃなくて、誰かに好かれたかった。それで、人に好かれたくて自分の理想を演じてたら、こうなってた。友達の前でも素を出すのが怖い。でも、頑張りたいから」
川辺くんがポポから手を離し、私の方を振り返る。
「だから……こんな俺で良いですか?」
その返答には、こう答えるしかないでしょう?
「いいよ。もし川辺くんが素のままに生きて、失敗しても良いよ。川辺くん、もう一度言わせて。私ね、『熱心に頑張っている人好き』。だから今の自分も好きだし、川辺くんも好き」
公園は別にいつも通りの風景なのに、まるで別の場所のように感じる。
「そのままの川辺くんで良いよ。そのままの私を受け入れてくれたそのままの川辺くんが大好き」
川辺くんみたいに結婚なんて言えないけれど、伝えたいことは決まっている。
「私と付き合ってくれませんか?」
きっとこの世界に諦める境界線なんて存在しない。



