――ダブルデートから2日後の火曜日。
 私は放課後の誰もいない教室内で、瑠依くんの席に座って両手をついてうつぶせになった。
 机に残っている彼の香りに目頭を熱くしていく。
 「付き合ってほしい」と言ったらフラれて、諦めたくなかったから「付き合ってるフリをしてほしい」と無理に頼み込んで1週間という恋愛テスト期間を設けてもらった。
 与えられた試練は無茶ばかり。額に汗をかきながら自転車で迎えに行ったり、パンを買ってこいと購買に走らされたり、サッカーの相手にさせられたり。
 たった1週間ぽっきりだったけど、愛しくて、恋しくて、幸せだったから、頭から離れられない。

「……っ、ずびっ……。うぅっ……。うぁぁん…………、ずびっ……」

 次第にブレザーの袖が湿っぽくなってきた。
 一粒、そしてまた一粒と、瞳から溢れ出す感情に歯止めが効かない。

 結局、”言霊”は叶わなかった。

 最初は彼のことをよく知らないまま告白をした。でも、近くにいるうちに彼の新たな一面が見えてきて、次第に彼の悩みにたどり着いて解決させてあげたくなった。それが、彼の望んでいないこととも気づかずに。
 裕喜くんと顔を会わせるだけでも負担がかかっているのに、第三者の私が仲直りさせようとしていたなんて迷惑な話だよね。
 
 後悔に包まれながら彼と過ごした1週間を思い返していると……。

「そこ、俺の席なんだけど」

 遠くから瑠依くんの声が届いた。ぐしゃぐしゃになった顔で声をたどると、後方扉には逆光を浴びた瑠依くんの姿が。目をゴシゴシとこすったあとに席から立ち上がる。

「ごめん、いま離れるね」

 自分の机に置いていたカバンを鷲掴みにしたあと、肩にかけながら前方扉から出ようとするが、彼はそこへ移動して私の腕を引き寄せた。

「待って」
「待たないよ。だって、私は瑠依くんの疫病神だから」
「そうだよな。おまえはミス城之内のわりには残念系だし」
「なによ……。悪口なら私のいないところで言って。じゃないと、瑠依くんのことが諦められなくなっちゃうから……」

 私ったらバカだね。とっくに失恋してるのに、まだ現実が受け入れないなんて。ただですら迷惑かけてるのに諦められないなんて言ったら更に嫌われちゃうかもしれないのに。

「あのさ。裕喜とケンカした理由をまだおまえに話してなかったから聞いてくれない?」
「いい、けど……」
「実は、一匹の生死をさまよってる子猫を拾ったことが全ての始まりだった」
「それって、瑠依くんのスマホに写ってた飼い猫のこと?」

 彼はうんと頷く。

「小学生の頃の下校中に裕喜と二人で子猫を保護したんだ。あのとき、裕喜が「誰かを呼んでくる」と言ったから、俺はそれを信じて待ってた。雨が降るなか、子猫の体が冷えないように何時間も胸の中に包みながら……」
「……」
「結局裕喜は戻ってこないから家まで行ったんだ。そしたら、母親にでかけたと言われて。それを聞いた途端、無性に腹が立ったよ。あいつが裏切ったのはそれが三度目だったから。この話をおまえにちゃんと話せばよかったのに、なにも言わずにいらついてごめん」
「ううん。私のほうこそ辛い過去を背負っていたのに、首を突っ込んじゃってごめんね」

 彼の「ごめん」が耳に入った途端、一旦止んだはずの瞳の中の雨が再び降りだした。
 すると、彼は穏やかな表情でそれを親指でぬぐう。

「それには続きがあるんだ。裕喜は帰宅してから子猫の件を母親に話そうとしたら、塾の時間が迫っていて早く行くように煽られたって。当時はクラスメイトに内緒で中学受験をすることになっていて、母親も受験のことで頭がいっぱいだったとか。だから、裕喜の言葉に耳を貸さずに塾道具を押し付けて家を追い出したって。裕喜は俺に悪いと思いながら塾へ行って翌日謝ろうと考えてたらしい。俺が過去に二度許したから三度目も許してくれるものだと思ってたみたいで」
「……ねぇ、どうして瑠依くんが裕喜くんの塾の話を知ってるの? 裕喜くんは日曜日にその話をする予定だったのに……」

 私が見開いた目でそう聞くと、彼はフッと笑った。

「昨日、真妃ちゃんが俺に会いに来た」
「うそっっ! 真妃ったら私に内緒で……」
「真妃ちゃんはおまえのことを大事に思ってる。お陰で自分の未熟さに気付かされたよ。おまえが”言霊”として発してた言葉は1%の可能性を信じていたことだったなんて。だから、おまえが裕喜と話し合ったあとにその1%にかけてくれたんだよな」
「瑠依くん……」
「真妃ちゃんと別れる直前に渡されたメモを開いたら裕喜の携帯番号が書いてあった。だから、俺は過去の自分と向き合うために電話して話し合ったんだ」
「う……そぉ……」

 それを聞いた途端、再び視界が歪み始めた。まるで裸眼のままプールの中を泳いでいるかのように。

「裕喜は三度目も同じような結果にしてしまったことを後悔してた。でも、俺自身も最初から耳を傾けていれば、こんなに苦しい想いをせずに済んだのに……。だから、今度からはどんなに小さなことでも耳を傾けていきたいと思う」
「瑠依くん、よかった。よかったよぉ……。裕喜くんから話を聞いたときに絶対仲直りできると思ってた」
「いま思えば、裕喜と仲直りできたのはおまえのおかげ」
「えっ」
「最初は人生を全力で邪魔してきて迷惑だと思っていたけど、俺の心を動かしてくれるのはおまえしかいないから」

 それを聞いた途端、胸がドキンドキンと恋の音が鳴り始めた。
 彼の期待度が上がる言動に、穏やかな表情。

「そ、それって……」
「これからは一人で頑張りすぎないで、二人で言霊を実現していこう」
「えっ?! ……それって、どーゆー意味? もうちょっと詳しく言ってくれないとわかんないな」
「だから、俺たちは二人で幸せになる!! それが俺の言霊だから……」
「えええええぇぇぇえっっ?!?!?! いっ、意味がわかんないから、もうちょっとわかるようにお願いします」
「〜〜〜〜っ!! おまえってクソ鈍臭いな! だ〜か〜らっ!! 俺はおまえのことが……」





 ――瑠依くんが誰ともコミュニケーションを図ろうとしなかったのは、これ以上自分が傷つくのが怖かったから。
 でも、過去のトラウマを乗り越えたあとの笑顔はなによりも最高だった。
 ”言霊”に託した想い。
 それは、100%幸せになる目標。
 だから私は、どんなにつらい状況でも笑顔になれる方法を探している。