――翌朝。
俺は耶枝に会いたくなくて家を早めに出た。
きっと、あいつは今日も迎えに来る。恋愛テスト期間は今日まで残っているけど、会う気になれない。約束を破ることが卑怯だとわかっていても。
学校に到着。誰もいない教室で本を開いた。
しかし、思い浮かぶのはなぜかあいつの泣き顔。この1週間で百面相を眺めてきたけど、あのときの顔だけが瞼の裏から離れない。
なぜだろう。心臓をロープでキツく巻き付けられたようなこの感覚は……。
始業前から下校時刻まであいつは何度か話しかけようとしてきたけど、俺は逃げるように席を離れた。結局以前と同じ。誰も信用できなくなっている。
「私は裏切らないよ」と言ってくれたことさえ受け入れられないほど。
――放課後。
自転車を押しながら校門を出ると、違う高校の制服を着ている真妃ちゃんが校門前で待っていた。目が合うと彼女はペコリと頭を下げる。
「真妃ちゃん。どうしてここへ……」
「二人で話をしたいんだけど、少し時間あるかな」
「別にいいけど、学校はどうしたの?」
駅から学校までは徒歩15分。
俺は終礼合図と共に教室を出てきたから、よほどのことがない限り他校の生徒が来るのは無理だ。
「早退しちゃった。瑠依くんと話がしたかったから」
「……」
固い決意に話の内容を悟る。
彼女に罪はないが、顔を見るだけでも昨日の件が蘇ってきた。
それから俺たちは肩を並べて駅方面へ歩きだした。
「昨日はダブルデートをぶち壊してごめん」
「ううん。こっちこそ、裕喜に会わせちゃってごめんね」
「……」
「あれから耶枝と話した? 二人が仲直りできたかどうかが心配で……」
「申し訳ないけど、あいつと話す気にはなれなくて」
裕喜の件は誰にも触れて欲しくなかった。来ると知りながらダブルデートに足を運んだだけでも息が詰まりそうだったのに。
それに、耶枝があいつの肩を持とうとしていたことが一番許せなかった。
「ねぇ、耶枝がどうして言霊を言うのか知ってる?」
「『言わなければ0。でも、思いきって言ってみればそれが1に生まれ変わる可能性もある』って言ってた」
「その通り。あの子が言霊を言うときはいつも可能性に賭けてた。こうなって欲しいと願いながらね」
「……」
「実は耶枝の両親離婚してるんだ。小学生の頃にね」
「……えっ、離婚?」
聞き返すと、彼女はうんと頷く。
正直、一度も聞いたことがないから驚いた。
いつか言うつもりだったかもしれないけど。
「耶枝は小学生のときに『うちの両親仲良しなんだよ』ってクラスメイトに言いふらしてたの。毎日言うもんだから、誰もがそれを信じてた。だから、両親が離婚したと聞いたときはびっくりしたの。あんなに嬉しそうに言い広めていたことがウソだったなんてね」
「……」
「次第にクラスメイトは耶枝をウソつき女って呼ぶようになった。両親の離婚でただですら胸を痛めてたのにね。ある日、本人にウソをついた理由を聞いたの。そしたら、言霊を言ってればその通りに関係に結び直してくれると思ったからって。あの子にとって言霊とは、目的を達成させるための目標だからね」
「……目的を達成させるための目標?」
「100%叶わない願いでも1%の可能性を信じる。頑張った分は絶対に後悔しないからって」
それを聞いた途端、耶枝が告白してきたあの日のことが思い浮かぶ。
「……じゃあ、あいつは俺にフラれる前提で後悔しない道を選んだってことだったのかな」
「そうかもしれないね。裕喜の件もそう。チャンスは絶対後悔にしたくないって。実はね、瑠依くんが来ることを裕喜には内緒にしてくれって頼まれたの」
「どうして?」
「よけいなことを考えさせないまま会わせたかったみたい。耶枝は二人が仲直りしてくれることを心から願ってたから。話し合いで解決できることなら、自分がその架け橋になりたいって。昨日、裕喜の話を聞いてからよけいにそう思ったみたいよ」
「なにが架け橋だよ……。裕喜の話は一方的だから自分の都合がいいよう吹き込んだに違いない。耶枝は俺たちの過去を知らないから簡単に仲直りとか言うんだよ。俺がどれだけ辛い想いをしてきたか知らないくせに……」
耶枝にはケンカの理由を話していない。仲直りとか言えるのは、裕喜にうまく言いくるめられたから。俺が三度も傷つけられていたことも知らずに……。
「そう思うならはっきり言えばいいんじゃん。裕喜とケンカした理由をさ。そしたら少しは瑠依くんの気が済むんじゃないかな」
「……」
「私はケンカ理由を知らないからノータッチでいたいけど、瑠依くんだってダブルデートに来てくれたじゃない。本当に会いたくない相手が来ると知ってたら、どんな事情があっても行かないと思うよ」
「それは、耶枝と約束してたから。裕喜に三度も裏切られて辛い想いをしているぶん、自分はそういう人間になりたくないし」
たしかに、裕喜の画像を見せられたとき行くつもりはなかった。もう二度と会いたくないと思っていたし、子猫を拾ったあの日のことが心の奥に引っかかっていたから。
それでも最終的に足を運んだ理由は、耶枝が俺を信じて待ち続けると思っていたから。
「……そう。瑠依くんの話をまとめると、裕喜が三度裏切って、裕喜からケンカの原因を聞いた耶枝がお節介をしたってことだよね」
「……」
言い返せなかった。意地が障害になっているのはたしかなのに、自身がそれを認めようとしないのだから。
駅に到着すると、彼女は足を止めて少し寂しそうな瞳で見つめてきた。
「わかった。じゃあこの話はもうおしまい。ちょうど駅に着いたしね」
「……」
「送ってくれてありがとう。ごめんね、いきなり学校まで会いに来ちゃって」
「いや、ぜんぜん」
「よくわかってない人間が口を挟んで悪かったね。……じゃあね」
彼女は手を降って人混みの流れ乗るように改札口へ足を進めた。
――俺はこのままでいいのだろうか。
俺たちのことを心配して学校を早退してまで会いにきてくれた彼女に、自分は意地で返してただけ。
耶枝がどうして裕喜と話をさせようとしていたのか、裕喜がなぜいまさら話をしようと言ってきたのかさえ考えなかったくせに。
それに、昔の感情一つで現実に目を背け続けるのは果たして正解なのだろうか……。
「真妃ちゃん、待って」
「えっ」
俺は3メートル先を行く彼女を呼び止めて、自転車を押し進めて隣で足を止めた。
「耶枝は悪くない。本当は、自分がこれ以上傷つくのが怖かっただけなんだ」
「瑠依くん……」
「逃げてるだけじゃ俺はこの先も同じように苦しみ続けると思う。せっかく彼女が”言わない0より言った1”に生まれ変わらせてくれようとしていたのに」
「うん、そうだね」
「だから、真妃ちゃんがさっき言ってくれたことを一度整理してみるよ。自分なりにね」
そう伝えると、彼女は目尻を下げて、「じゃあ、お土産を一つ」と言って、ブレザーのポケットから長方形に折りたたまれている小さなメモを差し出してきた。
俺は手のひらを上に向けて素直に受け取る。
「これは?」
「瑠依くんの明るい未来だよ」
「ぷっ、なにそれ……」
「自分と向き合うことができたらそれを開いてみて。いい結果がそこに待っているから」
彼女はそう言うと手を振ってから改札口の奥へ消えて行った。
――帰宅してからベッドの上に転がった。
天井を見上げてから真妃ちゃんの言葉を思い返す。
たしかに俺は自分のことだけを考えていた。
傷つくのが怖くて過去と向き合えなくなっていたから。
でも、”1%の可能性を信じている”耶枝と、”人の話を最後まで聞こうともせずに逃げ出している”自分を比較してたら、頑なに守り通してきた意地に意味があるのかわからなくなっていた。
そんな中、真妃ちゃんが手渡してくれたメモのことをふと思い出す。
ポケットの中からメモを取り出して開くと、そこに書かれていたのは……。



