文化祭当日、朝から気合いの入りまくっている雅久に引きずられて登校する。
 校門では城崎先輩が早くも告白されていた。
「城崎〜、彼女できた?」
 わざと話しかける雅久が俺の肩を抱く。
「ちょっ、待てよ。高坂、抜け駆けは許されないからな」
 反対側から城崎先輩が腕を引っ張る。

 周りから大勢の視線を浴びせられ、「やめて」と静かに言った俺の言葉に、二人は「すみません」と素直に謝ってくれた。

「俺、目立ちたくないから」
「「承知しております」」
「弁えてね?」
「「心得ております」」

 どっちが先輩なんだか分からない。しょんぼりしているイケメン二人は反省している大型犬のようだ。
 律樹が後から追いついてくると、先輩たちと別れそれぞれの教室へと向かった。
 女装コンテストは午後からのメインイベントだから、それまでは律樹のB級映画上映会が行われる視聴覚室で身を潜めて過ごす予定だ。

 俺のクラスは定番のメイドカフェをするみたいだけど、裏方に徹していた俺は今日特に用事はない。
 クラスの陽キャ組が力を発揮する場なのだ。

「律樹、HR終わったらすぐに行く?」
「行くよ〜」
「じゃあ、俺も一緒に行く」
「ちょっとくらい文化祭楽しめば良いのに」
「五月蝿いの嫌いって知ってんじゃん」
「まぁ、悠羽はそうだよね。静かな部活に入ってて良かった。今日、雅久さんは忙しいだろうから。悠羽の世話はできないもんね」
「今日も一日よろしくお願いします」

 律樹はほとんど人は来ないだろうから、ゆっくりしてて良いと言ってくれた。
 後で適当にドリンクなんかも買ってきてくれるそうだ。
 本当に雅久譲りのお世話っぷりである。

「あ、ほら、あそこ。城崎先輩また告白されてる。そんであの後ろは順番待ちの人だね」
「本当だ」
 女子から言い寄られ、ヘラヘラと笑っている先輩が見えた。当たり障りのない対応をしているのだと理解できるけど、なんとなく面白くなかった。
 平和主義だし、別に相手を傷付ける必要もない。
 分かっている。
 なのに、なんとなく心臓が痛い。

「すごいね〜、やっぱモテるよね〜」
 呑気に言ってる律樹を引っ張って、その場を離れた。
「見せ物じゃないだろ」
 いや、見せ物だろう。あんな目立つ場所で告白なんて、見てくれと言っているようなものだ。
 一人の告白をキッカケに、徐々に人が集まり始めていた。
 きっと別の場所では雅久も同じ状況になっているに違いない。
 でも雅久は城崎先輩とは違ってキッチリハッキリ「NO」という性格だから心配はしない。

「あんな態度取るから、つけ込まれるんだ」
 ボソリと呟く。
「悠羽、気になる?」
 律樹に冷やかされ、「ならない」と返せなかった自分が悔しい。
 物凄く気になってる自分がいる。

「早く映画流して」
「了解です」
 暗くなった視聴覚室で、陳腐な特撮映画を見て過ごす。
 内容はまるで頭に入ってこない。
 さっきの告白現場は、保健室で見る城崎先輩ではない。
「ばーか、先輩……」
 吐き出して、背凭れに身を委ねる。

 しばらくして、珍しく客が入ってきた。静かに俺の隣に腰を下ろす。
 俺以外、人がいないのに、なんでここに座るんだとチラリと見ると、城崎先輩だった。
 律樹が要らぬ世話を焼いたのだ。
「律樹に会ってさ。天使くんがここにいるって教えてくれたから。休憩しにきた」
 爽やかに話しながら俺の肩に凭れる。

「ここ、暗くていいね。誰もいないし」
「……告白、されてましたね」
「本気じゃないよ。思い出作りの一環的な? すごいね、女の子の勢いっていうか、生命力を感じるよね。その原動力になってるって思ったら、オレもすごいよね」
 どういう自己分析なんだか、呆れてしまう。
 視線はスクリーンに向けたまま、腕を絡める先輩を拒否もしない。
 俺を探してくれていたんだと思うと、嬉しかった。

 嬉しい――俺、嬉しいんだ。

 静かに先輩の頭頂部を見る。緩いウェーブのかかった髪は、走ってきたのか少し乱れていた。
 とてつもなく恥ずかしさが込み上げ、顔が熱くなってしまった。
 繋がれた手が汗ばんでいないか気になって仕方がない。
 後数分でこの映画はクライマックスを迎えてしまう。そうなった時、視聴覚室の電気が点いた時、俺はどんな顔で先輩を見ればいいんだ。
 急速に緊張してしまい、心臓が早鐘を打つ。
 こんなタイミングで自分の気持ちを知りたくなかった。

 なんとか急用ができて逃げられないかと思っているうちに、映画が終わってしまった。
「あ、終わっちゃった」
 先輩が呟き体を起こす。

 電気が点くと、すぐさま律樹が俺に走り寄ってきた。
「悠羽!! 一生に一度のお願いがある!!」
 突然顔の前で手を合わせ懇願してきた。なんのことか分からず、顔を傾けると、とんでもないお願いをされてしまったのだ。
「実はさ、今日この後女装コンテストに出る予定だったんだけど、部活の先輩が体調不良で帰っちゃって、午後の上映任されたんだ。でもクラス代表だから誰かは出ないといけないし。今年は城崎先輩も雅久さんも出るから他のクラスも超〜〜気合い入ってるんだ。だから、代理は悠羽しか考えられない!!」
「は?」
 フリーズしてしまった。
 そもそも、律樹が女装コンテストに出るだなんて聞いてない。
 いや、それは俺自身の問題だけど、俺がステージに立つなんてあり得ない。

「え、無理」
「そこをなんとか!! 悠羽なら立ってるだけで優勝だから」
 床に頭をつける勢いで頼まれ、隣にいる城崎先輩にまで嗜められ、断り続けるのには無理があった。

 とんだ砲弾に当たってしまい、静かに過ごすはずの午後が一変してしまう。
 律樹は教室に俺を押し戻し、女装コンテストの担当している女子に託されてしまった。
 女子たちは謎に歓喜し、あれよあれよという間にメイクをされ、服を着替えさせられ、ステージ脇に連れて行かれた。
 チャイナ服のスリットから風が通り抜けて気持ち悪い。
「白瀬、眉だけは寄せないで。メイクがよれちゃう」
「いい? 何もしなくて良いから。白瀬は立ってるだけで良いから」
 女子たちから念押しで言われても、心配するな、何もできないと言い返したくなってしまう。
 口紅を塗った唇が気持ち悪くて喋れないというだけだ。

 女装した城崎先輩が俺を見つけて走り寄る。
「わーー!! 本当に悠羽?? 天使っていうより女神じゃん」
「大きい声出さないでください。雅久は知らないんだから」
「高坂のやつ、きっとびっくりして失敗するよねぇ」
 なんて含み笑いをしているんだ。悪どいぞ。

 結局、雅久はギリギリまで来なかったこともあり、見つからずに済んだ。
 くじ引きで決めたらしい順番でステージに上がる。
 白瀬先輩は五番目に登場し、大いに会場を沸かせた。
 天女のようにふわりと靡くロング丈のワンピースに、ロングのハーフウィッグ。細くて長い手足に高身長も相まって、本当に外国から到来した天女のようだった。最後には会場全員が見惚れていた。

 俺は八番目に呼ばれた。
 緊張で吐きそうだったし、先輩のように美しく舞ったりできない。
 本当に、ただ言われたままに、普通に歩いて出て、リハーサルで言われた通りに進んで、コンテスト参加者の列に並んで終わった。
 別に受賞を狙っているわけでもないし、これでいい。
 早く次の人が呼ばれて、全員の記憶から俺が排除されることを祈るばかりだ。

 雅久は大トリだったらしい。
 準備に時間がかかっているのは和装だったからだ。
 大柄な体型を隠すどころか、かえってそれが際立っていた。
 またしても会場の視線を虜にしていた。
 黒髪のウィッグも妖艶な長いアイラインのメイクも、雅久のチャームポイントを全て味方にしたような姿であった。
「雅久も城崎先輩も凄い」

 まさに学校の誇りだと思った。

 そして夕方、いよいよ女装コンテストの結果発表。
 俺はというと、渡されたそれぞれの投票券はそれぞれに入れ、自分の分は……自分に投票した。
 一票も入らなけられば、クラスメイトに顔向けできないという、ささやかな謝罪だ。
 それに、雅久と城崎先輩、どちらも本当に素晴らしかったから、一人だけを選ぶなんてできなかった。

 その結果、一位は二人が同時優勝してしまい、またしても決着のつかない事態に当人たちは悶え苦しむこととなる。俺は内心、どちらかに投票しなくてよかったと安堵した。

「悠羽!! 本当にありがとう!! やっぱ悠羽は凄いよ。歩いただけなのに三位だよ!?」
 律樹が興奮して詰め寄る。
 これには俺自身も想像していなかった結果だった。
「実質二位だからな!!」
 さらに詰め寄られ、早くどこかに隠れたくし仕方なかった。どうせこの後はあの二人に絡まれて休めないのだ。

 案の定、城崎先輩と雅久がほぼ同時に俺の元と飛んできた。
「ここだと思った。悠羽〜!! 女装コンテスト出るなら教えといてよ。本当にビックリしすぎて失神するかと思った」
「高坂は知らなかったんだ〜。オレは知ってたけどぉ」
 また二人の喧嘩が始まった。
 律樹が必死に経緯を説明している。

「もうこの後、授賞式ですよ」
 二人を宥めながら、雅久を引き連れていく。

「ねぇ、天使くん。本当に綺麗だったよ」
「先輩にも見惚れました」
「本当に? 嬉しい」
「でも、投票は自分にしました。まさか、あんな結果になるとは思わなくて。保険に」
「それが正解。オレもね、本当は高坂とどっちかに決まらなくて良かったって思ってるんだ。楽しいし」

 でも……と、先輩は続ける。
「後夜祭はオレと二人きりで過ごしてほしい」
 手を差し出され、俺は迷わずその手を取った。
「俺もです。出来れば、静かに過ごしたいです」
「そうだね」と先輩が笑う。

「ねぇ、天使くん。後夜祭で君に言いたいことがあるんだ。だから聞いてね」
「はい」

 保健室の窓から、見事にオレンジ色に染まった夕焼けが広がっている。

「綺麗な空を見た時、一番に思い浮かぶ存在になりたいじゃん」
 そんな風に城崎先輩が話していたのを思い出す。
 先輩、俺は今、この空を見て、今一緒にいるのが城崎先輩で良かったって思っていますよ。
 だから、俺の話も聞いてくださいね。