先輩は毎日毎日、足繁く二年の教室に通っている。
やめて欲しいと言っても聞き入れてはもらえない。
保健室まで並んで歩きたいのだと言いきられてしまった。
それにしても、こんなに人気のある先輩が昼休みに堂々と保健室へと行っているのに、なんで誰も押しかけて来ないんだろうと疑問に思っていたら、律樹が教えてくれた。
保健室は通称【王子様の控え室】と呼ばれていて、芸能人でいうところの楽屋みたいなものなのだそうだ。王子の休息を邪魔しちゃいけない。抜け駆けしてはいけない。
だから余程体調が悪かったり怪我でもしない限り、生徒は意識して寄り付かない。
そういえば雅久は生徒が騒げないように図書室へ行っていると言っていた。それぞれ、自分がモテると自覚しているからこそ、気を抜く場所を確保しているのだ。
色んな努力があって二大勢力を保っているのだと思うと脱帽してしまう。
それは片桐先生にとっても都合が良かった。無駄に通う生徒がいなくなれば、先生の仕事が増えるのを防げる。城崎先輩と片桐先生はこうしてウィンウィンの関係を築いていた。
しかし……それにしても目立つ。女子の視線は相当な熱量を孕んでいる。
城崎先輩の隣にいるのが何故お前なんだと言われているようで、胃がキリキリする。
周りの生徒から何か、例えば、苦情めいたものなどを直接言われたことはない。俺は
そういうのは言いやすい律樹のところへ行くのだ。
初めて城崎先輩が二年の教室まで来た日はえらい騒ぎになっていたと後から聞いた。
俺のような無口で愛想もない、協調性もない、しかも後輩が学校で一二を争う城崎先輩が迎えにくるほど仲が良いと知れば、納得のいく説明でもしてもらわなければ気持ちを沈めることはできないのも頷ける。
ただでさえ毎朝一緒に登校しているのが雅久なのだから、余計にだ。
「高坂先輩のみならず、城崎先輩まで手玉に取るなんて、どんな技術なのか聞き出してって言われた」
「そんなの、あるわけない」
ただの偶然としか言いようがない。
律樹は他人事のように楽しんでいる。
それでも昔から雅久への忠誠心が強かったから、いざとなれば雅久の手助けをするだろう。
「女子になんて言ったの?」
「あぁ、城崎先輩のマネージャーだって言っておいたよ。だから昼休みの保健室に入るのを許可されているって」
そんなんで誰が納得するのかと思ったが、意外にもすんなり聞き入れてもらえたらしく肩透かしを食らう。
「顔で選ばれたんじゃない? って言ったらみんな納得してくれたよ」
律樹は俺を買い被りすぎだ。そんな良いもんじゃない。
『変な顔』だという呪縛からは簡単には逃れられない。
結局、女子に必要な理由なんて何でもいいようだ。別に俺に興味があるのではなく、ターゲットはあくまで城崎先輩なのだから。
チラリと隣を歩く先輩の横顔を見上げ、律樹との会話を思い出していた。
「オレの顔になんかついてる?」
不意に顔を寄せられ、我に帰る。周りで女子たちの悲鳴が湧き起こった。
「近いです」
先輩の肩を押す。
「そんな緊張しなくても、オレ、優しいよ」
声のトーンを抑えもしないものだから、城崎先輩が喋るたびに悲鳴が上がり、俺の胃痛は増す一方だ。
片や城崎先輩はあっけらかんとしていて、特に女子たちにサービスをしているという意識でもない。
先輩にとってはこれが日常で、元々こういう性格なんだ。
だから平気で、胃を抑えている俺の肩を寄せ「凭れて良いよぉ」と周りに見せつける。
ここで今日一番の悲鳴が校内に響いたところで先輩にダメージはなく、代わりに俺のHPは限りなくゼロになった。
文化祭を明日に控え、誰もが浮き足たっていた。
毎年、流石の雅久もこの時期は疲れ切っている。二人に告白する順番待ちの行列は、高校最後ということもあり過去最高記録を叩き出しそうだ。
今だってきっと、俺がこの場にいなければ先輩は告白の嵐にあっていただろう。
城崎先輩と出会わなければ、今日も静かに過ごせていたのに……なんて思ってしまう。
でも……嫌じゃないから不思議なんだ。
こうして肩を抱かれても、寝ている時に隣にいられても、髪を触られても、嫌だと思うどころか、心地良いと感じてしまう。
俺は人に心を開くのが苦手で、友達は雅久と律樹しかいない。
そんな頑丈に閉ざされたドアを、城崎先輩は最も簡単に全開にした。
この、たったの二週間の間に。
保健室に着くと、片桐先生が出てきた。
「丁度良いところに来た。海志、これ保健室の鍵、預けとく」
「先生どっか行くの?」
「大人の用事」
「やだぁ、エッチい。出張って言わないと誤解を招くよぉ」
「そんな言いながら喜んでるだろ。白瀬、なんかあったら俺に言えよ。コイツ、出禁にするから」
「はい」
「天使くん! そこはハイじゃないよ!」
三人で同時に笑う。
保健室に入ると、自然に陽の当たる窓際へと移動する。
「この二週間で笑うようになったよね、天使くん」
それは俺自身が一番びっくりしていることだった。
この二週間というか、正しくはここ数日のことではあるが、先生と先輩のやりとりが漫才みたいで面白くて、声を出して笑ってしまうことがある。
俺って笑えるんだ……と冷静に考え込んでしまい、先生と先輩は俺が笑ってから冷静になる顔の変貌ぶりが面白いと笑っている。
雅久や律樹といるときは放心状態でいられるし、全く気を使わなくて良いから居心地がいい。
でもそれとは違う居心地の良さを、ここには感じている。
俺はまだ、この気持ちの正体を知らない。
「そう言えばさ、高坂から天使くんの過去の話、聞いちゃった」
「雅久?」
律樹ではなく、雅久だと言われて虚を突かれた顔になる。
それにしても“しちゃった”で色々としてくれてる人だと、妙に感心してしまう。
先輩は別段、雅久と仲が悪いわけではないと言った。
それは周りが好き勝手に「城崎先輩が好きだ」とか「高坂君が好きだ」とか騒いているだけで、成績だって当人たちからすれば、張り合う人がいる方がやる気が出るというだけの話なのだ。
トップ争いをしているのは他に三人もいて、生徒会の二人に加え、二年生の時に怪我で野球部を辞めた主将候補だった人が急激に成績を上げ、トップ争いの一員まで上り詰めていた。
下から追い込まれる焦りと面白さで、更に白熱した争いを繰り広げている。
そんなだから、一見、城崎先輩と雅久はお互いをライバル視していると思われがちだ。
「冗談で煽ったりはするけど、基本みんな仲良いし、勉強を教えあったりもするよぉ。あ、オレ教えるの上手いから、天使くんの勉強もいつでも見てあげるからね」
ここで雅久がいるからいいと言えば、直ちに勉強会が始まりそうだと懸念し、黙って頷くだけにとどめておく。
「雅久から聞いた話はどうなったんですか?」
話を元に戻し、「そうそう、子供の頃の話ね」にっこりと笑顔を見せた城崎先輩。未だに自分だけが知らない俺の話の情報収集をしていたのだと思うと、すごい執念だと笑顔の裏の本気さを感じてゾクリと肩を戦慄かせた。
やめて欲しいと言っても聞き入れてはもらえない。
保健室まで並んで歩きたいのだと言いきられてしまった。
それにしても、こんなに人気のある先輩が昼休みに堂々と保健室へと行っているのに、なんで誰も押しかけて来ないんだろうと疑問に思っていたら、律樹が教えてくれた。
保健室は通称【王子様の控え室】と呼ばれていて、芸能人でいうところの楽屋みたいなものなのだそうだ。王子の休息を邪魔しちゃいけない。抜け駆けしてはいけない。
だから余程体調が悪かったり怪我でもしない限り、生徒は意識して寄り付かない。
そういえば雅久は生徒が騒げないように図書室へ行っていると言っていた。それぞれ、自分がモテると自覚しているからこそ、気を抜く場所を確保しているのだ。
色んな努力があって二大勢力を保っているのだと思うと脱帽してしまう。
それは片桐先生にとっても都合が良かった。無駄に通う生徒がいなくなれば、先生の仕事が増えるのを防げる。城崎先輩と片桐先生はこうしてウィンウィンの関係を築いていた。
しかし……それにしても目立つ。女子の視線は相当な熱量を孕んでいる。
城崎先輩の隣にいるのが何故お前なんだと言われているようで、胃がキリキリする。
周りの生徒から何か、例えば、苦情めいたものなどを直接言われたことはない。俺は
そういうのは言いやすい律樹のところへ行くのだ。
初めて城崎先輩が二年の教室まで来た日はえらい騒ぎになっていたと後から聞いた。
俺のような無口で愛想もない、協調性もない、しかも後輩が学校で一二を争う城崎先輩が迎えにくるほど仲が良いと知れば、納得のいく説明でもしてもらわなければ気持ちを沈めることはできないのも頷ける。
ただでさえ毎朝一緒に登校しているのが雅久なのだから、余計にだ。
「高坂先輩のみならず、城崎先輩まで手玉に取るなんて、どんな技術なのか聞き出してって言われた」
「そんなの、あるわけない」
ただの偶然としか言いようがない。
律樹は他人事のように楽しんでいる。
それでも昔から雅久への忠誠心が強かったから、いざとなれば雅久の手助けをするだろう。
「女子になんて言ったの?」
「あぁ、城崎先輩のマネージャーだって言っておいたよ。だから昼休みの保健室に入るのを許可されているって」
そんなんで誰が納得するのかと思ったが、意外にもすんなり聞き入れてもらえたらしく肩透かしを食らう。
「顔で選ばれたんじゃない? って言ったらみんな納得してくれたよ」
律樹は俺を買い被りすぎだ。そんな良いもんじゃない。
『変な顔』だという呪縛からは簡単には逃れられない。
結局、女子に必要な理由なんて何でもいいようだ。別に俺に興味があるのではなく、ターゲットはあくまで城崎先輩なのだから。
チラリと隣を歩く先輩の横顔を見上げ、律樹との会話を思い出していた。
「オレの顔になんかついてる?」
不意に顔を寄せられ、我に帰る。周りで女子たちの悲鳴が湧き起こった。
「近いです」
先輩の肩を押す。
「そんな緊張しなくても、オレ、優しいよ」
声のトーンを抑えもしないものだから、城崎先輩が喋るたびに悲鳴が上がり、俺の胃痛は増す一方だ。
片や城崎先輩はあっけらかんとしていて、特に女子たちにサービスをしているという意識でもない。
先輩にとってはこれが日常で、元々こういう性格なんだ。
だから平気で、胃を抑えている俺の肩を寄せ「凭れて良いよぉ」と周りに見せつける。
ここで今日一番の悲鳴が校内に響いたところで先輩にダメージはなく、代わりに俺のHPは限りなくゼロになった。
文化祭を明日に控え、誰もが浮き足たっていた。
毎年、流石の雅久もこの時期は疲れ切っている。二人に告白する順番待ちの行列は、高校最後ということもあり過去最高記録を叩き出しそうだ。
今だってきっと、俺がこの場にいなければ先輩は告白の嵐にあっていただろう。
城崎先輩と出会わなければ、今日も静かに過ごせていたのに……なんて思ってしまう。
でも……嫌じゃないから不思議なんだ。
こうして肩を抱かれても、寝ている時に隣にいられても、髪を触られても、嫌だと思うどころか、心地良いと感じてしまう。
俺は人に心を開くのが苦手で、友達は雅久と律樹しかいない。
そんな頑丈に閉ざされたドアを、城崎先輩は最も簡単に全開にした。
この、たったの二週間の間に。
保健室に着くと、片桐先生が出てきた。
「丁度良いところに来た。海志、これ保健室の鍵、預けとく」
「先生どっか行くの?」
「大人の用事」
「やだぁ、エッチい。出張って言わないと誤解を招くよぉ」
「そんな言いながら喜んでるだろ。白瀬、なんかあったら俺に言えよ。コイツ、出禁にするから」
「はい」
「天使くん! そこはハイじゃないよ!」
三人で同時に笑う。
保健室に入ると、自然に陽の当たる窓際へと移動する。
「この二週間で笑うようになったよね、天使くん」
それは俺自身が一番びっくりしていることだった。
この二週間というか、正しくはここ数日のことではあるが、先生と先輩のやりとりが漫才みたいで面白くて、声を出して笑ってしまうことがある。
俺って笑えるんだ……と冷静に考え込んでしまい、先生と先輩は俺が笑ってから冷静になる顔の変貌ぶりが面白いと笑っている。
雅久や律樹といるときは放心状態でいられるし、全く気を使わなくて良いから居心地がいい。
でもそれとは違う居心地の良さを、ここには感じている。
俺はまだ、この気持ちの正体を知らない。
「そう言えばさ、高坂から天使くんの過去の話、聞いちゃった」
「雅久?」
律樹ではなく、雅久だと言われて虚を突かれた顔になる。
それにしても“しちゃった”で色々としてくれてる人だと、妙に感心してしまう。
先輩は別段、雅久と仲が悪いわけではないと言った。
それは周りが好き勝手に「城崎先輩が好きだ」とか「高坂君が好きだ」とか騒いているだけで、成績だって当人たちからすれば、張り合う人がいる方がやる気が出るというだけの話なのだ。
トップ争いをしているのは他に三人もいて、生徒会の二人に加え、二年生の時に怪我で野球部を辞めた主将候補だった人が急激に成績を上げ、トップ争いの一員まで上り詰めていた。
下から追い込まれる焦りと面白さで、更に白熱した争いを繰り広げている。
そんなだから、一見、城崎先輩と雅久はお互いをライバル視していると思われがちだ。
「冗談で煽ったりはするけど、基本みんな仲良いし、勉強を教えあったりもするよぉ。あ、オレ教えるの上手いから、天使くんの勉強もいつでも見てあげるからね」
ここで雅久がいるからいいと言えば、直ちに勉強会が始まりそうだと懸念し、黙って頷くだけにとどめておく。
「雅久から聞いた話はどうなったんですか?」
話を元に戻し、「そうそう、子供の頃の話ね」にっこりと笑顔を見せた城崎先輩。未だに自分だけが知らない俺の話の情報収集をしていたのだと思うと、すごい執念だと笑顔の裏の本気さを感じてゾクリと肩を戦慄かせた。



