「やばい!」
 寝落ちしてしまったことを思い出し、飛び起きると、人肌を感じて隣を見る。
 保健室のシングルサイズのベッドに、俺ともう一人眠っている人がいた。
 城崎海志である。
 隣のベッドは空いているというのに、わざわざこの狭いスペースに身を寄せて眠る意味が分からない。
 起きた瞬間から頭を抱える。

 やっぱり俺に対して一線を引いたかもしれないと思ったのは取り消そう。
 あれは何かの勘違いだ。そうだ、無駄に顔がいいから美化して受け取ってしまったのだ、そうに違いない。
 こんなにもパーソナルスペースの狭い人が、他人に、しかも初めて喋った後輩相手に好き放題して、壁も何もあったもんじゃない。
 それにしても気持ちよさそうに眠っている。
 起こすのを躊躇ってしまい、しばらくその寝顔に見入ってしまった。
 爆弾トークには疲れたが、こうして見ているとやはり人気なのも納得してしまう整った顔立ちだ。
「まつ毛、なが……」
 綺麗なカーブを描いた長いまつ毛は、起きてなくてもイケメンを証明してくれていている。

 時計を見ると十七時を回っていて、流石に起こしたほうがいいと思った時、保健室のドアが開く音がした。
「悠羽、いる?」
 雅久だ。教室にいなかったから迎えに来てくれたのだろう。
「いる」
「体調、悪い?」
「ううん、普通に寝てた」
「カバン持ってきたから、帰るぞ……って何でここに城崎がいるんだよ」
 カーテンを開けて、雅久が見たのは俺と城崎先輩が一つのベッドで寝ていた痕跡だ。
 そりゃ、誰が見ても同じ反応をするに違いない。本人の俺さえ、そうだったのだから。

 城崎先輩は雅久の声で目を覚ました。
「天使くん、起きてたんだ。よく寝られた?」
 まだ眠い目を擦りながら言う。
「はい」
「良かったぁ。今、何時……あれ、高坂どうしたの?」
 城崎先輩は雅久がいることに気がつくと、二人の間に妙な空気が流れた気がした。
「どうしたのじゃねぇよ。ウチの悠羽に何してくれてんの?」
「その“ウチの”って表現は好きじゃないな。所有物じゃないんだから。別に、一緒に昼寝してただけじゃん」
「同じベッドで?」
「だってここが昼寝するのに快適なんだもん。ね、悠羽?」
「え、はい」
 いきなり名前で呼ばれてびっくりして返事をしてしまった。
 自分以外の人に『天使くん』という愛称を聞かせたくないのか……普通に名前を呼べるなら最初からそうして欲しいものだ。

「身内みたいなもんだから“ウチの”で間違いじゃない」
 雅久は冷静に返しながら俺に帰る準備を促す。
「失礼します」
「うん、バイバイ。また明日」
 それ以上返事はしなかった。
 保健室を出る時に、片桐先生がようやく帰ってきた。

「白瀬、来てたんだな。不在にして悪かった」
「大丈夫です」
「気をつけて帰れよ」
「はい」
 短い会話を交わすと学校を後にする。

「悠羽、城崎になんもされてない?」
「うん。五月蝿かっただけ」
「それで疲れて今まで寝てたのか。なるべく授業はサボるなよ」
「分かってる」
 雅久は子供の頃からずっと俺の世話をしてくれている。家も隣だから朝の弱い俺を起こしに来てくれて、放課後も迎えに来てカバンを持ってくれる。夜は勉強も見てくれる。
 俺の人生で一番同じ時間を共有している人だ。
 過保護ではあるが、ありがたい存在だと思う。

「律樹が戻ってこないから心配してたぞ。後でメッセージ送っておけよ」
「律樹が? 分かった」
 御影律樹(みかげりつき)も同じく幼馴染で、雅久と離れている間、俺の世話をしてくれている。こちらも相当な過保護だ。
「文化祭の準備に忙しくて様子を見に行けなかったって」
「うん」
 もう文化祭まで二週間を切った校内は、十七時を過ぎてもまだ賑やかだった。
 三年生は受験生ということもあり、そんなに凝った出し物や出店はしない。
 個人的にバンドをしたり、展示会をしたり、それぞれの部活での活動はあっても、クラスでの出店は任意だ。雅久のクラスは特に何もしないのだと言っていた。

「そういえば俺さ、女装コンテストに出ることになったから、応援と投票よろしくな」
 突然の話題に吹き出しそうになってしまった。
 雅久が女装? こんなイカつくて男らしいのに?
 確かに背は高いしスタイルもいいけど、短髪だし華奢でもない。最近までサッカーをしていたこともあり、所謂、細マッチョな体型だ。
 スカートとか穿くのだろうか……。メイクして、カツラ被って……? 想像できない。
「意外と似合うと思うんだよな」
「そう」……かな。
「悠羽、笑ってるだろ。当日、美しい俺に惚れさせてやるからな。それと、俺の投票権も渡しておくから。これも俺に投票して? これで二票は確実だろ」
 不正じゃんという言葉は飲み込んだ。たかが学校行事だし、盛り上がればなんでもアリなのだろう。

「当日、なるべく一緒にいるから。律樹も部活の方で忙しいみたいだし」
「うん」
 適当に返事をしておく。雅久にとっては高校最後だし、きっと周りの友達や女子が離してくれないだろう。でもそれを言うとムキになるから、何も言わない。

 城崎先輩のクラスも何もしないのかな。
 って何でそんなこと考えたんだろ。関係ない関係ない。
 大体、何かするなら放課後まで呑気に寝たりするわけない。

 明日からは早めに行って先に寝てしまおう。
 そもそも片桐先生に失恋したのに保健室に来るなんて流石に気不味いし、今日だけかもしれない。
 今日たくさん話したのだって、俺に気を遣ってのことかもしれないと思った。

 思ったが、翌日それも全て撤回した。

 昼休みになり、教室で律樹と弁当を食べながら、意識は既に保健室のベッドへと向いていた。
「悠羽〜、ブロッコリーも食べなさい。そんなんじゃ保健室行けないわよ〜」
「おかんか」
「昼休みは代理おかん。お弁当残したら許さないわよ〜」
 黒縁メガネをクイと上げ、顔を寄せる。
 律樹はいつもこんな感じでしっかりと弁当を食べ終わるまで監視してくる。俺の母はそんなことは言わないから、母より母らしい。
 食べるのも面倒くさい俺の世話を、楽しそうに焼いている、同級生で唯一の友達でもある。
 ちなみに黒縁メガネは代理おかんモードになった時の彼なりの演出で伊達メガネだ。用意周到というより形から入るタイプで、視力はめちゃくちゃいい。
 
 なんとか食べ終わった弁当箱を手早く律樹が片し、ようやく保健室行きが許可された。
「部室行くから、途中まで一緒に行くよ」
「うん」
 律樹は中学まで雅久と一緒にサッカーをしていたが、高校ではサッカー部には入らなかった。
 中学最後の試合で酷い失敗をしてしまい、それがトラウマで、今は何を思ったか『B級映画鑑賞会』という、部活というより同好会に入っていた。
「ボーっと観てたら嫌なこと考えずに済む」と言っていたから、今もたまにあの日の失敗を思い出してしまうのだろう。

 教室を出ようとした時、ドア付近から悲鳴のような歓声が上がり、律樹と同時に目線を移す。
 すごい人だかりの中に、見覚えのある顔が頭一つ分も二つ分も飛び出している。
「げっ」
 城崎先輩だ。なんで二年の教室に来てるんだ。
 女子の歓声を気にも留めず、キョロキョロと室内を見渡して誰かを探しているようだった。
 まさか……俺じゃないよな……。
 窓際にいる俺はすぐ側のカーテンにそっと手が伸びる。忍法隠れ身の術。とか、使えたらいいのに。
「あっ、見ぃ〜つけた!! 悠羽〜!! 迎えに来たよ」
 城崎先輩が大きく腕を振って呼びかける。
 やめて、目立ちたくない……。
「あれ、悠羽って城崎先輩と友達だったの?」
「違う」
「でも呼んでるよ。早く行かないと」

 教室内がざわついている。
「白瀬と城崎先輩っていつから友達だったの?」なんて声があちこちで飛び交っている。

 俺はズカズカと先輩に近寄り、無理矢理、方向転換させると背中を押して教室から遠ざける。
「やめてください」
 小声で苦情を訴える。
「なんで? 今日も保健室行くだろぅ? 一緒に行きたいなって思っただけなのに」
「目立つんですよ」
「うん、もう慣れた」
 ケラケラと笑って言う。何をしても注目を浴びる。だからイチイチ気にしないのだと先輩は平然と言って退けた。
 でも俺は違う。なるべく人の目を避けて過ごしたいのだ。
 ある程度教室から離れたところで城崎先輩から離れ、先を歩く。
 
「悠羽〜、先輩にその態度は酷いんじゃないのぉ?」
 何も知らない律樹は、まだ代理おかんモード継続中らしい。

「悠羽の友達?」
「はい、御影律樹って言います。雅久さんのいない時間、悠羽の世話係を仰せつかっています」
「えぇ、いいなぁ」
「幼馴染ですから」
「じゃあ子供の頃の悠羽のこともよく知ってるんだ?」
「まぁ、そうですね。悠羽は小さい時からずば抜けて可愛かったんですよ〜」
 
 律樹は学校で雅久と二分する人気の城崎先輩から話しかけられ、興奮気味に答えている。
 城崎先輩も興味津々に聞き入っていた。
 余計な事は話さないでよと祈りながら二人と距離を取り、先に保健室を目指す。
 こうなったら先輩を律樹に押し付けて、さっさと寝るのが得策だ。

 背後で話し込む二人を振り返らず、一目散に歩いて行った。