窓から差し込む光が反射して、綺麗だと思った。
 白いカーテンを開けた先に人がいるなんて思わなくてびっくりしたのと、振り返ったその人が綺麗で見惚れてしまったのとで、俺は束の間フリーズしてしまったのだった。
 
 二学期が始まり、ようやく夏の暑さから解放され始めた十月。その人の背後にある窓の外では、緩く吹く風に、木の葉が揺れている。
 目の前に広がる光景が、完成された一枚の絵のように感じた。

「ご、ごめんなさい。人がいると思わなくて」
 我に返り、慌ててベッドサイドのカーテンを閉める。
 
 泣いていた。
 光に反射したのは涙だったと時間差で理解した。男の人が泣く姿を見るのも初めてだけど、美しいと思ったのも初めてだった。
 
 見てはいけないものを見てしまった気がする。
 踵を返して立ち去ろうとした時、背後で勢いよくカーテンが開き、手を掴まれた。
 
「天使くん、待って」
 て…………天使くん?
「あ、あの……天使くんって何ですか?」
 思わず怪訝な表情を浮かべてしまう。
 その人は悪びれる様子もなく、いきなり嫌な態度を取った俺を怒る事もなく、にっこりと笑って言った。
「天使くんは、オレが君につけた愛称。毎日ここで寝てるでしょ? 寝顔が天使みたいだから名付けたんだ」
 得意げにピースをして見せる。
「ほら、それに全体的に色素薄いし。髪、綺麗な色だなって思ってたんだよねぇ。アッシュ系?」
「天然です」
「マジで!? 羨ましい。オレなんて毎月染めてるのに」
「祖父がロシア人なので。多分、それで……」
 生涯であと何度この説明をしなくてはならないのだろう。
 考えただけでうんざりする。
 初対面の人相手とはいえ、もう解放して欲しいと言わんばかりの口調になってしまう。

 それでもその人はまるで気にもしていない様子で、満面の笑みを浮かべている。
「わー! 納得。それで顔立ちも日本人離れしてるんだ! 肌も白いし、本物の天使じゃん」
 興奮気味に顔をマジマジと見られても赤ちゃんじゃあるまいし、高校二年生にもなって寝顔が天使みたいなんて言われるとは思いもよらない。
 それに、本物の天使が高校に通うはずないじゃないか。

 自分の顔は好きじゃない。
 子供の頃から「変な顔」だと同級生や近所の子供達に言われ続けてきた。
 最初は外国の血が入っていることを説明していたが、その内、面倒になってやめた。
 説明してもしなくても、俺を好奇な目で見るのをやめてくれたりしないと気付いたから。
 久しぶりにこの事を話したなと思った。
 それでも天使くんと呼ばれるのは癪に障るので、仕方なく自己紹介をする。
 
「あの、俺、白瀬悠羽(しらせゆう)って言います」
「そっか。でも天使くんが板に着いちゃったからなぁ。どうかなぁ、名前覚えられっかな」
 そんなに難しい名前ではないですと言おうと思ってやめた。反論する前に怠いと思うのが早い。
 あまり喋るのは得意じゃない。

 そして改めてこの人を正面から見て、他人に興味のない俺でも誰なのかは分かった。
 三年生の城崎海志(しろさきかいじ)だ。
 派手な金髪にピアス。なのに成績は常にトップ争いを繰り広げるメンバーの一人である。
 幼馴染の高坂雅久(こうさかがく)もその内の一人で、よく愚痴を聞いているので間違いない。

「オレの名前はねぇ」
「知っています。失礼します」
 これ以上、人と話すと疲れてしまう。
 せっかく息抜きに来たのに、先輩がいたんじゃ寝られもしないだろう。
 教室に帰る気にもなれないけど、どうにか人気のない場所を探すしかない。

 大体、今日に限って保健の片桐先生が入れ違いで出て行ってしまった。先生がいれば押し付けられるのに……なんて頭の中で悪態を吐きながら城崎先輩にお辞儀をした。

「そんなツレないこと言わないで、休んでいきなよ」
 無理矢理、腕を組まれて奥のベッドまでつれて行かれる。まるで自分の家のような振る舞いだ。
 さっき泣いていたとは思えない明るさである。
 もしかすると見間違いだったかな……なんて思っていると、 城崎先輩はベッドに座ると同時に話し始めた。
 
「オレねぇ、失恋したんだぁ」
「え、あ、はぁ……」
 どんなリアクションをすれば良いのか分からない。
 戸惑ってしまい、自然と向かいのベッドに腰を下ろしてしまった。これでは昼休みが終わってしまう。しかし先輩の話を聞かないのも失礼だし……。なんて考えるだけで疲れてため息を吐きたくなる。

 城崎先輩は俺に構わず話を続ける。
「さっきキスして肩どつかれた」
 あははっと笑って見せる。
 暴露される内容がいちいち濃すぎて混乱してしまい、眩暈がしてきた。
 告白がキスだったの? え、誰に? さっきって、ここで? だってここには片桐先生しかいなくて……。
「えっ」
 理解が追いつかず、強張った顔のまま城崎先輩を凝視してしまった。
 先輩はさっきよりも大きな声で「あはは」と笑い「天使くんって、面白いねぇ」と破顔する。
 今は城崎先輩の話をしているのであって、俺自身は面白くも何ともない。

「相手は片桐先生で合ってるよ。卒業するまで我慢しろよなって、自分でも思うんだけどさ。二年も片想いを拗らせてたら、つい好きが溢れてキスしちゃった」
 しちゃったですることではないと思うが、返す言葉は出てこない。

 城崎先輩の好きな人が片桐先生というのも意外だった。
 女子から相当な人気を博していて、『城崎派』か『高坂派』。殆どがそのどちらかに所属してると言っても過言ではない。

 生徒の注目を浴び、影響力もある。
 そんな人が一途に二年間も不毛な恋をしていたなんて、誰も予想できっこない。
 
 しかし何故、俺に話したのだろうか。
 一人でも誰かに話せば瞬く間に噂は広がる。尾鰭背鰭が付いて、ないことまで言われる。
 勿論、誰にも言うつもりなんてないけど、初めて喋る相手には話の重要度が高すぎると思ってしまう。
 そこまで考えて、「そうですか」とだけ答えた。

「天使く〜ん、他にもっとなんかないの? 残念でしたね〜とか、失恋には新しい恋ですよ〜とか、男が好きなんですね〜とか。次は僕なんてどうですか〜とか」
「いや……はい……」
「ふふ……めんどくさいって顔に書いてある。分かりやすいねぇ」
「すみません」
「いいよ。オレも泣き顔見せちゃったし。理由も知らないままだと後味悪いかなって思って、打ち明けてみました」
 舌をぺろっと出して見せる。
「でも、傷ついてるんですよね?」
 つい口に出して直ぐに後悔した。
 その瞬間、城崎先輩が泣きそうに笑ったから。